懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 広島市石垣の民家 モノクロ

2014年12月31日 | 茅葺き民家
広島市の北部に石垣の茅葺き民家がある。
これが広島市と思わせる山の中、細い道を走る、こんなところに集落があるのかと思う。
住宅の土地を確保するのも困難、斜面に石を積み宅地にしている。
先人の努力の痕跡でもある。
こんな光景を見ると人々の我慢強さに敬服せざるを得ない。
民家を追いかけていると何代も掛けて築き守り続けた人々の苦労の跡が伺える。
こんな厳しい生活環境の場所は過疎高齢化で自然に還ろうとしている。


今年もご覧いただきありがとうございます。来年もよろしくおねがいします。
話題がマンネリ化しているか立ち寄る人がじり貧になっています。
ブログ自体もじり貧になっていますが
余り盛り上がらないようであれば投稿を打ちきろうと考えています。


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日本茅葺紀行 NO,184  奈良市の民家

2014年12月30日 | 日本茅葺紀行
名阪国道の針インターから国道を南下する、旧都祁村である。今は奈良市に編入した。標高が500メートル以上あるので冬場雪で往生したことがあった。
国道から見える茅葺きを撮影する。奥に入ればあるのかもしれないが手間の掛からない範囲の撮影で済ませる。
大和棟と入り母屋の民家が混在する。
昔からの醤油屋や酒屋が茅葺き民家のまま残っている。
訪ねて行くと客商売とは言えこんな写真撮りにもお茶をだしてくれ世間話の相手をしてくれる。
奈良から京都の山城のあたりは日本瓦で本格的な日本家屋なので何十年かすれば懐かしい日本の風景になるであろう。奈良や京都に接する大阪にも落ち着いた日本家屋が多い。
国道沿いに茅葺き民家が見えるのは嬉しい事だ。
 



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懐かしい物  80系電車

2014年12月29日 | 懐かしい物
55歳から上の人にとっては80系電車は馴染みの深い電車
直流区間では広く走っていた。昭和24年に製造され昭和60年まで走っていた。
戦後の資材難の時代によく作られたものだと思う。
プラスチックもほとんど無い時代、アルミ金属もいいのが無かった。鉄と木材の電車、
モーターのコイルの絶縁物は何を使っていたのであろうかと思う。天然素材が主体では無かったかと思う。

あまりにも馴染みのある電車のため撮影していないものだ。
私はモノクロのため塗装色がわからないので撮らなかった。

さよなら電車が運行されるので岡山駅まで撮影に行った。昭和53年12月17日と書いてある。カメラを持って撮影しているのは私以外三人、蒸気機関車が無くなり鉄道ファンは去って行った時期でもある。なんとも活気のないさよなら運転であった。これではヘッドマークを作ってくれた国鉄職員に申し訳ない。
その後、鉄道ファンは何をテーマに活動したのであろうか。
私は古い町並みを撮ってその後はカメラはやめ園芸をやっていた。

蒸気機関車が去った後は鉄道趣味を続けるにはどんな活動があったか考えてみる。
多くの路線や客車貨物が消えたいま、こんなものを計画的に撮っていたらその人は偉い。
1.全国の木造駅舎を撮る。
2.岡山県内の駅と構内の列車を撮る
3.客車、貨物列車を撮る。
4.大赤字路線を撮る(廃線に備え)
5.鉄道遺産を撮る橋梁やトンネル、鉄道施設
6.ブルトレ、特急列車をとる。

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岡山の茅葺民家写真展 - 66 出合った人々 その6

2014年12月28日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県岡山市幸崎

岡山市南部にも茅葺き民家は点在していた。寄棟造りで下屋をもっていた。
下屋の瓦は本瓦の重厚な屋根だった。
茅葺き民家の壁は板張りが多かった。
板張りも雨が侵入しないように下を重ねる下見板張りと板を並べて張る羽目板があるようだ。
最近は強度と防水効果と防火で板張りの民家を見かけなくなった。
板張りの民家も昭和の遺物かもしれない。

茅葺き民家を撮っていたら可愛い小学生の女の子が撮るぞと言ったらワッ―と走って行った。

私はよく童謡唱歌を聞く、日本には数多くの童謡唱歌がある、これは日本の素晴らしい文化だと思う。中国の歌手が日本の童謡唱歌のようなものは中国にはないと言っていた。
素晴らしい日本の童謡唱歌を歌っているといっていた。
写真を撮る上でも童謡唱歌はイメージを膨らませるために欠かせない。

この写真にぴったりなのは「仲よし小道」ではないだろうか

【歌詞】 仲よし小道

仲よし小道は どこの道
いつも学校へ みよちゃんと
ランドセル背負(しょ)って 元気よく
お歌をうたって 通う道

仲よし小道は うれしいな
いつもとなりの みよちゃんが
にこにこあそびに かけてくる
なんなんなの花 匂う道


今回で岡山の茅葺き民家写真展の投稿は終了します。
次回の写真展は会場の抽選に当たらないので未定です。
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戯れ日記 今年の流行語大賞

2014年12月27日 | 日記
今年の流行語大賞は集団的自衛権とダメヨダメダメに決定したようだ。

ダメヨダメダメ聞いたこともなく何にという感じであった。初めて聞いた。
私が流行に疎いのは問題だが年寄りも知っている、聞いたことのある言葉にしてほしい。
そんなにインパクトの言葉だったのだろうか
私は葛西選手のレジェンドだと思った。
葛西選手も大賞を期待していてガックリしていた。
それか妖怪○○が妥当だと思う。

それとダメヨダメダメなんか新鮮味もない言葉だ。
森進一の昭和43年のヒット曲、年上の女の歌詞にある。

 (作詞:中山貴美 作曲:彩木雅夫)
 だから分って ほしいのと
 そっとからんだ 白い指
 放したくない つらいのよ
 だめよだめだめ つらいのと
 泣いてすがった 年上の女

聞きたい人はネットで検索ください。
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茅葺き民家 岩手県久慈市の民家 モノクロ

2014年12月27日 | 茅葺き民家
この旅行の時は新幹線で行ってレンタカーを借りて各地を回った。観光半分、撮影半分の旅であった。新幹線で行くと二人の新幹線代とレンタカー代も別にかかるので結構金がいる。
歩行が困難になり車で何処までもいくようになって荷物も持って行けるし大分安くなった。
高速が1000円の時は大変得した感じであった。健康な人は車を改造して夫婦で車内泊して行き当たりばったりの旅行をしている人に何組もであった。私も定年後はそんな旅行が夢だった。
あんな旅行の出来る人は夫婦仲が良くなければ無理である。すぐに喧嘩すになる夫婦は出来ないと思った。

久慈市へは盛岡から三陸海岸に出て仏ヶ浦や北山崎-の絶景を見て一路北進した。
三陸海岸は集落を津波から守る大型ゲートを見かけたが東日本大震災では破壊されたのであろう。
久慈市山根町や大野村の茅葺きの所在地図を役場で送っていもらったのでそれを頼りに探す。
山根村の茅葺き民家も草棟であったがかなり痛みが進行していた。
しかし、景色や生活は昭和のままでこれが嬉しかった。茅葺き民家は立派な家ばかりでなく生活感のあるのが一番だ。
集落の川沿いに葉ワサビが生えている。地元の人が種が落ちていくらでも生えてくるといっていた。ワサビ漬けにすると美味しいと教えてくれた。



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オヤジギャグ その13  良妻賢母

2014年12月26日 | オヤジギャグ


あなたの奥さんは良妻賢母といわれていますね。

うちの女房は歳をとっても実権を握り子も孫も女房の事しか言う事ききません。私なんか影が薄いものですわ。
うちの女房は良妻賢母というより「老妻権母」ですわ。

お宅の奥さんはどうですねん。うちは「強妻健母」で困ってます。
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日本茅葺紀行 NO,183  京都府美山町の民家

2014年12月26日 | 日本茅葺紀行
美山町は茅葺きの里で北地区には大勢の観光客が訪れるようになった。
観光客が来てくれれば土産も買ってくれ昼食も食べてくれるので地域は栄える。
ひいては茅葺き民家も維持され茅葺き職人も育成できる。
地方が再生するのは観光資源を発掘したり特産物を作り観光客を呼び込む事であろう。
観光客が来れば田舎の良さが失われるとかきれいごとは言っておられない。
なんとしも金を稼ぐ知恵を出さないと生き残れない。
政府の補助金をもらい何もしない生き方では何もうまれない。

道の駅など最初むは大した物も置いていなくていまに衰退すると思ったら各地でアイデアをだして楽しみなもの美味しいものが生まれて人気のある場所が多くなった。

美山町は私がスクラップブックに貼っている資料によると昭和49年にはき600軒の茅葺き民家が残ると書いてあった。今はどれくらい残るのであろうか70軒か80軒であろうか
しかし、住んでいる人は移住してきたひとや別荘代わり買った人が多いように思う。


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蒸気機関車 直方機関区給炭設備

2014年12月25日 | 蒸気機関車
直方機関区は蒸気機関車が沢山いたので省力化が行われていた。
このタイプの給炭設備は直方と鳥栖だけであろうか
人力ではこれだけ大量の石炭をを補給は難しい。
機関車が石炭を貨物に乗せて運んでくる。下のコールバンカーに落してそれをバケットコンベアーで頂部のホッパーに落す。
ホッパーの石炭を機関車に積み込む。その時に蒸気機関車が廃止されれば確実にスクラップにされると思った。

昭和40年代は省力化の時代であった。
作業の能率アップ、生産性の向上、マテハン作業のの削減が唱えられた。

ターンテーブルや機関庫、給水設備も無用の長物で解体されると思った。20年後、30年後を意識して記録した人も多いとおもう。
しかし、その後、近代化遺産や産業として明治以降のものが評価されたのは想定外だった。
あの時、撮っておけばよかったと気づくのが人の常である。
ネットを見るとほとんどの機関区や建造物を撮っている人がいる。
しっかりした目標をもって撮影したと思う。

私が蒸気機関車を撮ったのはせいぜい三年だ。本州は昭和47年には姿を消した。
いつの時代でも何が消えて世の中がどう変わるか新聞やニュースをみながらシュミュレーションしながら生きていく必要がある。

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岡山の茅葺民家写真展 - 65 出合った人々 その5

2014年12月24日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県奈義町


茅葺き民家を撮っていたら女性が猫車を引いて歩いていった。
これはチャンスとばかり何枚も撮影した。何枚か撮ったところでシャッター音が聞こえたか後ろを振り向いた。
この家を撮影してしばらく歩いたらこの女性が地域の女性と立ち話をしていた。
「さっき私を撮っただろう」という「撮った、いい被写体が来たので撮るわなあ」と言った。
怒っている風でも無かったので世間話に加わる。ここは日当たりもいいし土地も安いしいい所よ。定年になったら引っ越してきたらしきりにすすめる。日本原の自衛隊の人も定年になったらここに家を建てるといっていた。

背後に山、南は開けているので日当たりはよいのどかでいいところだが広戸風の吹くところでもある。太平洋岸を台風や低気圧が通過するときに強風が吹く、今年の夏の台風通過時に40m/sの風が吹きビニールハウスが被害にあった。
過去には51m/sの強風を記録している。

強風の吹くのは旧の勝北町や奈義町で広戸の名前は以前あった広戸村に由来すると書かれている。日本三大悪風のひとつといわれている。
広戸風は鳥取県の千代側(せんだいがわ)の谷筋に吹き寄せられた風が那岐山を越えて吹き下ろす現象であるがこれだけでは起きない。那岐山の上に厚い雲がある時にのみ発生するのがわかってきた。山を駆け上った風が厚い雲に跳ね返され下に吹き下ろす現象と書いてある。
岡山市では20m/sの風でもこの地方では40m/sの風になって吹き下ろす。

民家の背後には屋敷林になっていて強風から家を守っている。
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