懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい物 手押しポンプ

2021年09月30日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県作東町

茅葺民家に昔ながらの手押しポンプがあった。
水源が井戸の家は釣瓶などで汲んでいたが、ポンプが付くだけで省力化できた。
風呂や炊事には手で何回も運んだ。

ポんプの場合は吸い込み配管に水が、入っていないと吸い上げができない。
一番下に逆止弁があり抜けないようにしているが、時間が経過すると多少抜ける。
呼び水を入れないと吸い上げない。
上水道は本当に便利だ。日本の場合はどこでも、そのまま飲める。

東京も大震災で断水したときの命の水として井戸水を活用する防災マニュアルがある。練馬区などは井戸の場所をマップにして防災用水として表示もしている。
阪神淡路大震災の時は建物の倒壊で給水車も消防車も入れなかった。


介護度認定調査

2021年09月29日 | 日記
介護認定調査
三年ぶりに介護認定調査に来た。昨年コロナで延期
認定調査はケアーマネージャーの資格を持つ人など市の委託でくる。
申請資料はケアマネが作成、主治医の診断書のため事前に30分医師の面談がある。

今日、認定調査員が来て面談があった。
時間は40分間 家内の介助度を確認のため同席する。

聞かれた質問
  1. 足と手の可動確認
  2. いままでの 入院、手術の確認、前回 認定後の入院手術 足の指2本壊死のため切断
  3. 尿意と便意は分かるか  排尿はどうしているか 自己導尿 自分でできるのか、導尿の回数は 導尿で注意は尿路感染
 排便は自分で出来るか 移動に介助がいる
  1. 食事  準備と配膳は介助必要 箸は使えるか NO フォークを使う 食事は自分でできるか
  2. 誤嚥はないか、嚥下の問題はないか 食べ物をこぼすか 耳は聞こえるか 語尾が聞き取りにくい事はないか
  3. レンタルしている物は何か
  4. 通所介護の回数 訪問リハビリの回数 訪問看護の回数
  5. 子供は何人 近くに何人住んでいる。子供家族と交流は
  6. 着物やズボンの着かえはどこで ベッド 自分で出来るか
  7. 風呂は自宅では入れない 介護施設でリフト入浴
  8. 寝返りは打てるか ベッドの柵を持てば
  9. ベッドから上半身の立ち上がり電動か自力か
  10. 認知が無いか確認 今日の年月日曜日、五つの物を見せ10分後になにだったか 聞く
物忘れやポカは増えてないか 薬の飲み忘れ 薬は誰が管理?
  1. 病院の回数、移動は介護タクシー
  2. 目は裸眼で新聞読めるか 白内障の手術両眼、歯は何本健全 入歯はあるか
  3. お金の管理 全くやっていない。現金は使うか病院のみ
  4. 室内やトイレ風呂はバリアフリーになっているか 室内移動は車イス自走か
  5. 洗面、歯磨きは自分で出来るか ひげ剃り爪切りは自分で出来るか
散髪はどこでしている。家内がしている。
日中一人で問題があればどうするのか 家内が職場から帰る.訪問看護に連絡する。
6.床ずれ、褥瘡(じょくそう)はないか 

現在 要介護3 家内がいないと老人ホーム生活
今入ると自分と家内の二所帯分の費用がかかる。
自宅がいい。まだ写真の整理などやる事が沢山ある。集団生活はいや。
家内で介助が出来なくなるまで頑張ってみる。

茅葺民家 兵庫県三田市 

2021年09月28日 | 茅葺き民家
三田市も南部は団地も多く大阪や神戸に通う人もいる。
電車もJRと私鉄も走っているし高速道路のインターもある。

しかし、山間部に入り丹波篠山に向かうと昔の懐かしい風景が残る。 
互も日本瓦である。
ドンヨリと曇っていたり小雨が降っていて、また来ればと思っていると数年
経過していてトタンを掛けたり撤去されている事がある。

出会った日に兎に角撮ってないと後で悔む。
自分にとっては残る写真が自分の行動の記録である。
各地に出向き目にした光景である。人生の記録でもある。

撮った写真一枚一枚をワードに貼り撮影日、場所、感想やコメントを書いていく。
いい写真はPowerPointで編集し作品に仕上げないと見てくれない。
特にデジタル写真は連番だけしかなく自分以外は場所さえ分からない分からない。

オハギあんなに安けりゃ作らない

2021年09月27日 | 日記
オハギあんなに安けりゃ作らない

家内がオハギ2個入りワンパック200円で買ってきた。
二人で一個づつ食べる。昔のように食べられない。
砂糖も貴重品で小豆も高く、オハギは御馳走だった。
こどもが育ち盛りには家内も年に何回がオハギを20個以上作った。1人で5個位食べた。
子供が帰省した時には作ってやっていた。しかし、手間は掛かるし買えば安いしで作らなくなって久しい。しかし、市販のものは私には甘すぎる。饅頭のアンも甘過ぎる。

オハギと牡丹餅の違いについて言われる。
季節の違い、形の違い(丸と俵形)、原料の違い(もち米のみとうるち米もち米混合)、餡子の違い(粒小豆とコシ餡)
ネットを見ると違いはないそうです。

最近は家で作るよりなんでも売っているので作らなくなった。
コンビニやスーパーに行けば惣菜や弁当が揃っている。
家庭の味の惣菜も夫婦二人なら買う方が楽で安い。
魚の姿寿しもバラ寿司も家庭で作らなくなった。
冷凍食品も何でも揃う鍋物から雑炊、朝食の友まで金さえ出せば何でも買える。

共稼ぎの家庭が増えて需要が増えたのだろう。

女性のたしなみ サシスセソ 裁縫、躾、炊事、洗濯、掃除
今頃こんな事をいうと女性差別と云われそうだ。

今はいろんなサシスセソかがあるのだ
1.男を喜ばすサシスセソ さすが しらなかった、すごい、センスがある、そうだったのだ。
これで男は騙される。
2.駄目な男のサシスセソ さっさとやれよ しらないのこんな事も スッピン見たいな 性格悪いな その話さっき聞いた



日本茅葺紀行 NO,554 長野県小川村

2021年09月25日 | 日本茅葺紀行
白馬村から峠を越えて鬼無里村に泊まる。
茅葺民家を探しながら観光も兼ねた旅である。
長野県は茅葺民家もありそうだが、今の時代では難しい。

長野県は観光県である。山も3000メートルクラスの山があるし見る所見る所、観光地である。

白馬村から鬼無里、木崎湖、大町市の、あたりに茅葺民家はあった。
白馬村から峠を越して鬼無里の民宿で泊まり小川村から木崎湖の方に移動する。

鬼無里や小川村はおやきが美味しいと地元の人が言うので立ち寄った。
結構客がいた。美味しいものには人は集まるのだと思った。
地元のお婆ちゃんがおやき専門店で7人位い働いていた。
おやきはお婆ちゃんが焼かないと美味しくない。

たしかに美味しかったが細かな味など分からない。私には食レポなどできない。今回の東京五輪でギョーザとお好み焼きに人気があったと選手の投稿があった。ギョーザは味の素の冷凍餃子だったそうだが、選手は若いので細かな味覚より空腹を満たせばの感覚か
おやきもカボチャおやきは嫌だ。野沢菜かきのこが好き。

小川村を走っていたら立派な茅葺民家があった。



蒸気機関車 室蘭本線 苫小牧

2021年09月24日 | 蒸気機関車
苫小牧のヤードにC11型蒸気機関車が停車している。
向こうに見えるのもC11型である。

撮影年月日と場所は書いてあるが、その日の行動など詳細は書いていない。
行動や特筆すべき事は書きネガの袋に貼っておくべきだった。
自分はこんな細やかさがない。
数年すると忘れしまう。ましてや50年後に記事にするとは想定もしていない。

丁寧な人は油性の細ぺンでネガに一枚一枚場所を書いている。
C11型は日高線で運行されていた。
日高線は苫小牧と様似を結ぶ140キロの海岸線であったが、爆弾低気圧の影響で線路が壊滅的に被害に遭い、30キロ先の鵜川まで残し先は廃線なる。

日高線の沿線は競馬馬の生産地、家族で北海道に行った時に馬好きの息子が牧場が見たいというので何か所かレンタカーで回った。

魚 サヨリ

2021年09月23日 | グルメ



秋はサヨリがよく釣れる。
春に生まれた幼魚が成長し、鉛筆サヨリと呼ばれるころだ。
冬の寒くなると釣れなくなる9月、10月には100匹、200匹は釣れる。
寒くなると成長し35センチにも成長する。40センチを超えるものはサンマサヨリと呼ぶ。成長すると警戒心も強く釣れなくなる。

サヨリを釣るファンは結構いて、サヨリストと言われている。サユリストの言葉遊びだ。サヨリ娘という言葉もある。見掛けは可愛いが腹が黑い.サヨリの腹もサンマ同様に黒い。

料理は刺し身、干物、焼き魚、小さい魚なのでカッターの刃で背開き
干物は塩水に20分浸けて乾くまで干す、乾物として保存ができ骨も食べられる。

水面の浅い所を泳ぐ細い魚を釣って、何が面白いのかと思ったがやってみると面白い。釣り易いと思う魚も食う気が無いとまるで釣れない。干潮や満潮の潮の流れが止まると釣れない。
釣りに行く都度会うオジサンに聞いてみた。リタイアして土日と休日、雨以外來きているという。
自分もリタイア後は釣り三昧の生活に憧れた時もあった。

鈴木清順監督、主演のドラマ、「みちしるべ」は病気持ちの妻とリタイア後は車で寝泊まり。摩崖仏など見たいところに立ち寄り釣りをしながら旅をする。晩のご飯の魚を釣る。
旅での出会う人びとの話、定期的に病院で診察、しかし、釣りをしている間に妻は亡くなる。葬儀を終えて子供から同居を勧められたが助手席に遺骨を乗せ旅を続ける。
リタイア後は釣り道具を持ち全国を旅するのも面白いだろう。

中秋の名月 月の行事と信仰

2021年09月22日 | 日記
庚申塔と二十三夜塔


中秋の名月 月の行事と信仰

昨日は中秋の名月

You Tubeで昭和の歌謡曲を聞いていた。
昭和の歌謡曲には知らない言葉がポンポンでてくる。
 三橋美智也のおんな船頭唄の三番に「利根で生まれて十三七つ」という歌詞がでてくる。若いみなしごの男女が助け合い船頭で生きる歌である。

13歳と7歳で20歳かなと思った。
ネットで調べると「お月さんいくつ」という数え歌から来ているそうだ。
13夜の七の刻で夕方四時頃の月でまだ若いと意味するものだそうだ。
13夜は15夜信仰とともに古来から信仰されているようだ。

日本は明治までは太陰暦で明治以降も旧暦の行事は残っていた。
群馬や長野に行くと二十三夜信仰や庚申信仰の石碑を見る。
 最近は道路拡張で邪魔になると片隅に追いやられている。

 月を信仰するのは女性の生理とも関わりがあり女性が支えたところがある。

江戸時代の農民は搾取で苦しめられ一揆を起こす恐れがあったため集会の自由が制限されていた。
しかし農民もしたたかである。信仰をする目的でいろいろな行事を作っては会食をして集まった。先祖の供養にと墓の前に集まりおどりだす。鳥取県の岩美町には墓の周りに集まり子供から大人まで回って踊る風習がある。そうすると先祖も喜ぶのだろう。どの墓の周りに通路がある。これが盆踊りの原型であろう。

江戸時代の人は何かにつけて集まって語ったり芋や漬物をつつき話したと思う。特に主婦には息抜きの場所が必要であったと思う。旦那や舅や姑からの束縛から逃れ愚痴を言える場であった。庚申信仰などは庚申の夜は寝ると腹の虫が体から抜け出し悪い行いを告げ口されるので朝まで寝ずに語らった。

欧米は満月など忌み嫌う。その点、中国、日本には月を愛でる風習がのこっている。月齢に応じて名前がついている。
月齢と名前を書く「月齢と名前を書く
1.新月 3.三日月 7.上限の月 13.十三夜 14.小望月 15.十五夜、満月、望月  16.十六夜(いざよい 出るのをぐずぐずためらう様子) 17.立待ち月  18.居待月  19.寝待月  20.更待ち月  23.23夜 (23夜講) 26.26夜 28.晦日(みそか)月

15夜の満月だけを愛でるのではなく欠け行く月も楽しんだ風流さがうかがえる。
特に十六夜以降のことばが素晴らしい。こんな感性は和歌や俳句により培われたのか

満月を望月(もちづき)というのは鏡餅のようにまんまるい餅を月に見立てた言葉、人名にも望月姓はいる。
 西行は死ぬときは満開の桜の下で望月の宵がいいと書いている。
「願わくば花の下にて春死なん その如月の望月のころ」

旧暦なので35日ほど違う 今の暦なら弥生か卯月にあたる。


歌碑を巡る 若山牧水

2021年09月21日 | 日記
歌碑を巡る 若山牧水

9月17日は牧水忌である。
1985年宮崎県東郷村で生まれ1928年に43歳で亡くなる。

茅葺民家を探しに岡山県から広島県に向かっていた。
県境に来た時に若山牧水碑とあったので国道から脇道に入る。
普通は走行中に降りるのは面倒でそのまま走るのだが家内と一緒に立ち寄った。
二本松峠という民家の間に歌碑が立っていた。今は公園として整備されている。
若山牧水の代表作といえる 「幾山川 越え去り行かば寂しさの終てなむ国ぞ今日も旅行く」 宮崎に帰省するときに中国地方を旅して詠んだものだ。
明治40年、牧水は大学生、

この歌は自分の住む岡山県で詠まれたことに感動した。何の予備知識もないままの方が出会った時の感動がある。
明治時代にはこのあたりに鉄道はなく山陽線の岡山駅から吉備線に乗り換え湛井駅(総社市)から歩いてきたのだ。当時は靴もなく路面は悪く草履履きである。苦労して歩いたからこの歌は生まれたのであろう。
明治時代は日豊線も大分市までしか鉄道はなく自宅までひたすら歩いたのであろう。
田舎の者が東京に出てくるのは大変な時代だ。

職場には九州出身者が多く、宮崎県東郷村出身者がいて牧水の話をよく聞かされた。

歌人の俵万智さんはこの歌は旅の歌に見えるが、牧水には好きな人がいた。子持ちの人妻に思いを寄せていた。園田小夜子さん、4年の交際があったが叶うことは無かった。恋の歌にも思えると書いてある。

今はホームページやブログで歌碑、石碑巡りをしている人がいる。
歌謡曲、童謡、唱歌、万葉集、短歌俳句 奥の細道、石川啄木、なかでも若山牧水は多く歌碑が300箇所あるそうだ。各県別に場所写真で検索でき便利な時代になった。

それでもガイドブック持参より偶然出くわすのが面白い。
以前、岐阜県の大垣市で泊り守屋多々志美術館に立ち寄り高速に乗ろうと走っていたら松尾芭蕉の旅姿の像がある。何で?と思った。歌碑もある。
奥の細道の結びの地は大垣だったのだ。
知らんかった。江戸から東北を回り(青森を除く)新潟、北陸と歩き敦賀から大垣にいたる。
 
芭蕉の奧の細道の秋田県象潟を見に行った。芭蕉の句で詠んだころは松島のように海辺の島々が点在する景勝地 ここで 「象潟や雨に西施が合歓の花」と詠んでいる。西施は中国の三大美人。他は楊貴妃、虞美人

芭蕉の頃は海で地震隆起しても数メートルと考え海岸線を探しても象潟の景勝地がない。
海岸から一キロも離れたところにあった。この間に国道も羽越線も通っていた。
日本海も100年に一回は大地震で隆起し続けているのかと思った。


懐かしい岡山の風景 その12 高梁市

2021年09月19日 | 懐かしい岡山の風景
高梁市は小さいながら備中松山藩の城下町
400メートルを超える山城 備中松山城がある。江戸時代から現存する12の城のひとつである。重要文化財

痛みの酷い松山城を昭和の初期に解体補修した。補修費はその時の町の予算と同じ掛かる。住民の寄付も募った。道路もない道のため小学生から老人までが資材を何往復もして運んだ。

今、松山城は秋になると雲海に浮かぶ城として天空の城とてカメラマが押し寄せる。

昔ながらの古い町並みを撮影に何度か足を運ぶ。昭和48年
町にはボンネットバスが走り醤油屋は量り売りである。
みんなガラス瓶を持ち醤油買いにきた。







瓶で量り売り

醤油屋で働くオジサン





伯備線 蒸気機関車 高梁高校 昔は城主の屋敷があった。山下(さんげ)という