懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 山形県白鷹町 モノクロ

2015年04月30日 | 茅葺き民家
山形県がよい。東北では近いし茅葺き民家も撮影する程度はあるし周辺の風景も落ち着きがあってよい。
何度も行った事もある同じ場所だが、また行きたくなる。
そんなに同じ場所ばかり撮ってもどうするのと思う。
山のように写真を撮ってどうなるのとおもう。
今はデジカメなので沢山写真を残している。本人がに亡くなったらどうするのだろう。
邪魔になるのでゴミにだして焼却処分だろう。
知恵袋で聞いてみたい。
50年以上も前の鉄道写真を撮った人にどうするのか聞いたところまだ若い40歳代の人に譲ると言っていた。引き継いだネガを売却して金儲けに使われたら浮かばれない。
私は家族に引き取り手がいない時はゴミにだしてもらおうと思う。
焼却するのなら何で各地に今も撮影に行ったりネガをスキャンするのかと言う事になる。

生きている内は一生懸命頑張る。死んだら身体と同じで焼却するのがいいとおもう。

白鷹町の茅葺き民家、T字型の民家てある。山形の民家はバラエティに富み見ていても楽しい。大きな敷地の民家である。庭の隅にカタクリやイチゲの中間を植えていたので聞いたら種を採取して自分で育てているところだと言っていた。
絶滅をさせないため栽培するノーハウも模索していると言っていた
カタクリならば自分の山に三町歩咲いていると言っていた



日本茅葺紀行 NO,212 京都市左京区花背

2015年04月29日 | 日本茅葺紀行
苔むした茅葺き民家の屋根、見事に苔むしている。
朝夕の露や霧、降雨量の多さが作り出す山間部ならではの光景である。
私の家の狭い庭ではなかなか苔が生育しない。
空気が乾燥しているのであろう。
茅葺き民家を撮りに山間部の民家にお邪魔すると庭石や樹木の樹皮が見事に苔むしている。
10年程度では出来るものではない。
苔は1年で数ミリしか伸びないであろう。
苔はグランドカバーとして地面の乾燥を防いでいるので樹木にとっては共存関係にある。
一方苔は木々の落葉が腐葉土になり栄養を補給してもらっている。
苔は腐葉土程度の肥料で十分である。油粕なとをやると強すぎて枯れてしまう。
金沢の兼六園は苔が素晴らしい庭園だが落葉の季節は苔が隠れるので担当の人が落葉を掃除している。腐葉土になるべく落葉を掃いて苔の栄養源はどうしているのか聞いておくべきだった。
こんなに緑色の苔が維持出来るのは十分に湿度があるからである。夏場晴れる日が続くと葉を閉じて白っぽくなり乾燥から身を守る。屋根の苔を撮るのは雨が定期的に降る時期が良い。

花背は落ち着いた田舎の風景である。しかし、住む人は少ない。
住んでいるのは京都市内で故郷の家を守るために休日に訪れると言っていた。

花背は日本の故郷だなあと思う。
日本の故郷百選という選定されたものがあるが人から与えられたものは趣味ではないように思う。自分訪ね歩いて選定した方が楽しい。
自分バージョンの故郷百選を作って見たい。
私の選定条件は1.人の暮らす茅葺きがあること。2.田や畑で作物を作り人の暮らしがある事
3.鎮守の森や川、池、大木や桜、石仏などがあり人々が長く暮らした風景が残る事




懐かしい物 寝台特急 瀬戸

2015年04月28日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県玉野市宇野駅

国鉄宇野線の宇野駅にブルトレを牽引するEF65500番台を撮りにいった。
余談ですが玉野は宇高連絡船が無くなり活気が失われた。
玉野の名前は玉と宇野が合併して生まれたそうだ。
介護に行っている時に玉野のから実習にきていた若い女性がまたお邪魔しますと言うので
「たまのお越しを」とオヤジギャグで返したこともあった。

操車場の隅にヘッドマークを付けたまま停車していた。
あの頃でも鉄道マニアの盗人は沢山いた。よくぞ盗まれなかったものだ。
急行ニセコの行き先表示板など何百枚も盗まれた。最後は段ボールの板にマジックで書いていた。
鉄道のオークションは盗品と模造品が沢山あると思う。
盗品であろうと模造品であろうと本人が満足できればそれでもいいのですが。
プレートナンバーなど単純な構造なので真鍮の鋳物で枚数か作れば数万円で造れるであろう。
やらないのは製作者のモラルであろう。中国で作ればもっと安くできる。
模倣するにも元のプレート自体が本物かどうかの確証がない。

寝台特急瀬戸は宇野と東京を走っていた。まだ瀬戸大橋は着工もしていなかった。

夏場ならば下りのブルトレ瀬戸が撮れたのに撮影にも行っていない。
あの頃の物は駅舎、電車何を撮っても懐かしい風景になってしまった。
その時は極普通の風景でこれが懐かしい風景になるとは想像できない。
ブルトレが無くなる事、EF65が無くなることは想像できなかった。
永遠にこんな列車は走り続けると思った。
これから50年も生きる人はこれから時代がどう変わるのか、どの分野が顕著に変わるのか注意を払い投資するなり趣味の写真をして下さい、。


岡山の茅葺民家 斜面に建つ民家

2015年04月27日 | 茅葺き民家
撮影場所、岡山県旭町、加茂川町

岡山県の中山間地域は平地が少なく棚田や段々畑で農作物を作り生計を立てていた。
産業誘致も観光施設も道路も作られる事なく厳しい場所である。
最近は茅葺き民家も消滅し訪れる機会も無いが集落の維持が出来るのか懸念される。
住んでる人が亡くなると住人は一人減り一人減りの状況ではないかと思う。
住宅の建つ場所も厳しい。下から民家は見えるけどどの道を行けばわからない。
引き返しの出来ない細い道、オートバイならば行けるところもあった。
こんな集落を隅々まで訪れる事は出来なかった。
私の身体では再び訪れる事はないかもしれないが茅葺きを求め情熱を燃やしていた頃が懐かしい。





茅葺き民家 兵庫県今田町縁側 モノクロ

2015年04月26日 | 茅葺き民家
この茅葺き民家には下屋がなかった。
縁側に座っているご主人も一緒に撮らせてもらう。
茅葺き民家を1000軒撮ろうと頑張っていると話したら「あんたのような人がこの前撮影にきた。その人は下屋のない茅葺き民家を100軒撮るといっていた」
この頃はまだ撮り始めて数年だったので東北などまったく知らなかった。
関東以北、東北など下屋の付いている家の方が珍しいのに気付いた。

茅葺き民家を訪ねると撮影に来る人がいるか聞く、どこからどんな目的で撮っていいるか話した内容なども聞く。連絡先の名刺を置いて行く人もいるので見せてもらう。
茅葺き民家に住む人から茅葺き民家に関するスクラップブックを見せてもらった事もある。
その地方の茅葺き写真集を見せてもらった。
茅葺き民家を資料にまとめているのは兵庫県であろう。
各県で茅葺き民家を撮っている人がいるので隠れた資料が残っている。

同類の人がいいるのは心強い。茅葺き民家撮影に情熱をもってやっている人に出合うと自分のやっている事に確信がもてるものだ。







日本茅葺紀行 NO,211 秋田県羽後町の民家

2015年04月25日 | 日本茅葺紀行
秋田県羽後町に茅葺き民家があるという情報はネットやテレビで報じてくれないと我々の地域では得にくい。田舎に泊まろうというテレビ番組で羽後町の茅葺き民家に泊まらせてもらった。
その時は羽後町には100軒の茅葺きが残ると紹介されている。
秋田の茅葺き民家のホームページによると秋田県全体で200軒ていどになったと書いてある。

200軒しか残っていにいか200軒も残っているかは自分の心次第。
私は200軒も残っている考える事にしている。
アフリカに靴を売りに行ってみんな-裸足であれでは売れませんと思うかみんな裸足ですぜ一杯買ってくれる人がいます。では考え方に大きな差がでる。
楽観的に捉える方が上手くいくように思う。

羽後町へはどこから入っても峠がある。雪国で標高が300メートルくらいあるのではないか
冬は雪が多いと思う、五月に入っても山影に雪残る。
山に囲まれた平地沿いに集落がある。
昭和の時代にはほとんどが茅葺きであったと思われる。
今となっては残っている民家を一軒一軒撮影させてもらうしかない。
茅葺き民家に出合えるだけでうれしい。
春には筵にゼンマイを干している風景が見られるのは懐かしいものだ。


蒸気機関車 函館本線

2015年04月24日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道 函館本線

9600形蒸気機関車とD51形蒸気機関車の重連が駅を発車
物凄い黒煙を撒き散らして発車していった。
蒸気機関車でも9600型は燃焼装置が悪かったのか黒煙が酷かった。
黒煙が発生するのは空気量が少ないか燃料が多すぎるかで不完全燃焼で発生する。
平坦路を快速に走っている時は空気量も十分で完全燃焼しているので煙はでない。

夏場の日中の平坦路を走る蒸気機関車は煙も蒸気もないのでつまらない写真になる。
夏場は暑いだけだし迫力のある写真が撮れなかったのでお休み期間だった。
蒸気機関車が蒸気まじりの黒煙を出す事によって龍の如く大きく見える
冬の谷間を登る姿は一匹の龍だと思った事がある。
煙も機関車の一部となり迫りくるから迫力がある。
煙も機関車写真の重要な役割である。
水墨画や日本の絵画の雲の役割のように思う。

煙を出すのは出発の時と急な坂道を登るときである。
普通燃料を燃やす時は通風装置が必要である蒸気機関車はピストンシリンダーを駆動させた蒸気を煙突の下に噴出しエジェクター効果で排ガスを排出する。発車時はシリンダーの往復数もすくなく煙突への排出蒸気が少なく排ガスの排出が出来ず空気不足となっている。
加速すると燃焼もよくなる。急な坂道を登る時は燃料も多く速度も落ちるので空気量不足となる。

大気汚染防止法が昭和43年6月に施行され蒸気機関車には風当たりの強い時代になった。

岡山の茅葺民家  倉敷市の民家

2015年04月23日 | 茅葺き民家
倉敷市にも茅葺き民家はそれなりに残っていた。
私の住む倉敷市の東部にも茅葺きが五軒ほどあった。
カメラを持ち散歩も兼ね撮影をした。
最初に撮影していた頃はモノクロしか撮影していない。
カメラを一台しか持っていなかったのでカラーは撮っていない。
カラーは茅葺きを撮り始めて三年が経過していた。
茅葺き民家を今後も継続しようと思って二台目のカメラを買った。
趣味などを継続するまでには1000時間は必要だといわれている。毎日一時間やって三年かかる。まさに石の上にも三年である。

私など慎ましい会社員だった。小遣いも少なくカメラを買ってくれとは言えなかった。
男として遊ぶ金をへそくりをする器量もあればよかったが情けないものだ。
会社員でも出張旅費を浮かせて1000万円も貯めオーストラリアの債券を買い毎月金利で遊んでいる人もいた。

この家は庄屋クラスの民家である。式台がついている。
棟は箱棟、下屋は本瓦葺きで岡山南部の民家である。




茅葺き民家 鳥取県若桜町の民家 モノクロ

2015年04月22日 | 茅葺き民家
鳥取県若桜(わかさ)町
若桜町は鳥取県の東南の端にある。
初めて訪れたのは平成に入り茅葺き民家を撮り始めてからである。
こんな目的がないと訪れない集落であろう。
国鉄で列車が走っていた頃も訪れてない。

健康であれば限界集落で20年後には消えてなくなりそうな集落を刻銘に記録するのであるが

茅葺き民家を撮るにしても茅葺き民家が健全であることと畑や田圃も農作物が育てられているのが条件であるように思う。
畑や田がススキや雑草で覆われているのは悲壮である。
集落も人々の暮らしも活きいてほしいものだ。


日本茅葺紀行 NO,210 兵庫県丹南町の民家

2015年04月21日 | 日本茅葺紀行
姫路から京都につながる372号線、
丹波篠山を通る。今も茅葺き民家が数軒残っている。
初めて訪れた時は落ち着いた田舎の風景に魅了された。
茅葺き民家もそうだが風景に日本の田舎が凝縮されていた。
こんな田舎の光景を作りだすには長い時間、人の営みの痕跡でもある。
田や畑に鎮守の森に池や柿の木も風景の中の役者として登場している。
茅葺き民家を探す旅を続けているが日本の田舎の風景も追い求めている。

国道沿いの丹南町の集落に10軒ほどの茅葺き民家が点在していた。
そんな中に角屋造りの民家が何軒かあった。