懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

2016年茅葺写真展 屋敷林 その2

2016年12月21日 | 2016茅葺写真展
島根県の斐川平野や出雲平野は北風の季節風が強く遮るものが無いので屋敷林を植えた。
島根県では屋敷林を築地松(ついじまつ)と呼んでいる。斐伊川は天井川で氾濫を繰り返すので家の周りに土手を築づいていた。その土手を築地という。その土手に植えられた松だから築地松という。東京の築地(つきじ)も海岸部で土手で囲まれた土地であろう。
余談だが築地塀(ついじべい)という土塀がある。板で囲み土を突き固めて造る土塀である。

当初は松の寄せ植えでなく雑木であったと思う。
江戸時代には庶民が松の並木の屋敷林を植える事とはゆるさなかったとおもう。
贅を尽す事や格式を持たせることはお上は嫌ったと思う。

築地松を植えるようになったのは明治や大正以降であろう。
築地松で囲まれた民家の並ぶ風景は残して置きたい風景である。
この地域には茅葺民家も残っていたが今は辛うじて残っている程度になった。
このエリアは反り棟だが寄棟の家もある。
最近の新しい民家では築地松は見かけない敷地が一反は必要だろう。

会社勤めの時にグループで歴史探訪のため荒神谷遺跡に来た。バスガイドが斐川平野では墓は屋敷の前や中に作ると説明があった。あとで私は何でそんな事を知っているのかとガイドに聞いた。個人で見聞して仕込んだ情報かと思ったら教本に書いてあるそうだ。
いまの時代ネットですぐに調べるのでありきたりの話では聞いてもらえないのだなあとおもった。私も斐川平野の茅葺民家を撮る時に墓が邪魔で写らないように避けて撮っていた。





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