懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 大阪府能勢町の民家

2012年04月30日 | 茅葺き民家
撮影場所 大阪府能勢町天王の民家

能勢町は大阪のチベットと呼ばれている。そでもバブルの頃に山中に大きな団地が造成され売れ残った土地や住んていない民家が残っている。
ここから大阪への通勤で売り出りださそれたのであろう。
彗星などの天体ショーの時は星空がきれいなので見学に押し寄せる。

能勢町一番高いところに天王地区がある。天王峠は分水嶺にもなっている。
ここに美しい茅葺き民家があった。

入母屋造りで棟には棟飾りがあり玄関は妻入りである。
こんな民家を能勢形と呼ばれている。

破風には懸魚(げぎょ)がついている。
懸魚は寺院の破風飾りについている。
江戸時代までは格式の高い家しか付けるのは許されなかったそうだ。
丹波、摂津、山城地方では茅葺き民家で見る事が出来る。






蒸気機関車 スワローエンジェル

2012年04月28日 | 蒸気機関車
撮影場所 北海道長万部

函館本線急行ニセコは函館本線の長万部、小樽の山間路線はC62蒸気機関車の重連で運行していた。
C62 2号機にはデフレクター(除煙板)にステンレス製のツバメのマークが付いていた。
これは東海道線で特急つばめを牽引したあかしでもある。
この機関車をスワローエンジェルの愛称で呼んでいた。

鉄道ファン憧れの蒸気機関車でもあった。
蒸気機関車の中で一番注目を浴びた機関車であろう。
昭和46年に役目を終えて現在は梅小路鉄道記念館に保存されている。

長万部でC622号機に乗り込む機関士、機関助手を撮影した。
この機関車に乗り込む機関士には誇りが感じられた。
私もこの蒸気機関車に出会え沢山の感動をもらえた事に感謝する。


昭和の古い町並み写真展 その22 「甍 (いらか)」 岡山県倉敷市児島下津井

2012年04月27日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その22 「甍 (いらか)」 岡山県倉敷市児島下津井

今回から町並みの瓦屋根のある風景をおおくりします。
「甍の波の」と歌われた鯉のぼりの歌 大正2年文部省唱歌
第二次世界大戦までの日本の各地風景はいらかの屋根の風景であった。
ビルが立ち並び瓦屋根自体がすくなくなった。
重厚な黒い瓦の風景は保護地域が昔ながらの漁村などに限られてきた。

撮影した倉敷市下津井の全景は半島のように突き出た祇園神社の上から鷲羽山を撮影したものです。
やがて始まる瀬戸大橋の建設でどのように下津井の風景が変わるのか、いろいろな角度から撮影したものです。
結局、瀬戸大橋の建設は第一次オイルショックで凍結され建設は当初予定の五年後でした。

橋の建設で風景も変わりました。祇園神社の先は海でしたが今は道路が走っています。
港も埋め立てられ埋立地ができました。山際のわずかな土地にひしめき合うよう建っていた民家も
瀬戸大橋の建設で港町は過ごしやすくなりました。
外部の人間は昔ながらの町並みが失われたと言うが住んでいる人は開発を望んでいたはずです。

現在の下津井の写真を同じ場所から家内に撮ってもらったものです。
木が伸びて下の家々が見えません。単純に一年に40センチ伸びても40年では16メートル伸びる計算になります。


蔵王温泉

2012年04月26日 | 旅行
撮影場所 山形県蔵王温泉

樹氷で有名な蔵王は山形県と宮城県に跨っている。
蔵王温泉は山形県側の山腹にある。
蔵王温泉から外れたところに大露天風呂がある。
かって温泉が川から噴き出していたのを利用して川岸に露天風呂を造った。
強い酸性の温泉が川に流れ込むので魚は棲んでいなかった。

少し白くにごった硫黄臭のする酸性の温泉である。
川が流れ雰囲気のよい温泉だ。
上の駐車場から階段で谷間に降りていく。
その階段から男風呂は丸見えである。
ほとんどの女性はこの光景を見て笑う。帰り際にもう一度降り返ってみる。
五人も寄る奇声を上げるグループもいる。女性たちのリアクションがなかなかおもしろい。
初めて来た人ほどおもしろい。
そのリアアクションをカメラを構えていて撮影すると面白い。
それに対して男は丸見えじゃないかという顔をして降りていく。

男どもはこんな羞恥にあっても文句ひとつ言わず黙々と温泉に入る。
男の丸裸が見えると言っても距離が離れているのでそう見えるものではない。
この階段から見えるほど巨大な一物の御仁もいない。

岡山県の温泉にも仇討の湯というのがあり女風呂が上段にあり男風呂が見降ろせるところがある。

茅葺き民家 戸赤の桜

2012年04月25日 | 茅葺き民家
撮影場所 福島県下郷町

下郷町の大内宿の民宿に泊まった事がある。
ゴールデンウィークに不思議と空きがあった。
私は夜に着いたので気付かなかったが日中は大内宿への道は大渋滞で何時間も掛かるそうだ。
大内宿では夜も朝も蕎麦が食べ放題であった。
蕎麦好きの私にはたまらなかった。山菜も沢山でてうれしかった。宿泊料金も8000円に満たないものだった。
その頃は歩くが出来たので民宿に泊まる事もカメラを持ち歩いて撮影もできた。

下郷町の茅葺き民家の事を聞いたら山間部に入ればあるとの事だった。
途中カタクリの群生地と戸赤の桜を見たらと教えてもらう。
戸赤には何軒か茅葺き民家があった。戸赤のヤマザクラは大ヤマザクラで地域の人が100本伐採もせず保護してきたそうだ。それと実のなる栃や栗も先祖から守ってきたそうだ。
現在、桜自体は豪華絢爛な場所が沢山ある。数でも華やかさでも劣る。
こんな豪華な桜のトンネルを見た人にには戸赤の桜は物足りないかもしれない。
それでも春を待ちわび山がピンクになにるを楽しみに先祖代々守ってきた精神性が美しいい。

農作業の女性に何を植えているのか聞いたらジャガイモだった。
私の住んでいるところだと2月の末から三月初旬に植え付けるが五月の植え付けは北海道とかわらない。ジャガイモは二度芋の名の通り二回収穫ができるがここでは一回しか収穫できないのだろう。




このあたりの家はどこも横が長い岡山の1.5倍くらいありそうだ。、



蒸気機関車 石垣のある風景

2012年04月24日 | 蒸気機関車
撮影場所 伯備線 岡山県高梁市

昭和45年から国鉄ではDISCOVER JAPANという旅のキャンペーンが行われた。
日本のよさの再発見するものだった。
日本の古い町並みなどが老朽化して建て替えの時期でもあった。
昭和40年代はスクラップ&ビルドの時代でもあった。
古い建物や環境破戒される地域へみんなの眼がいったのもこの時期だった。
屋久島の屋久杉の伐採が禁止されたのもこの時期であった。
私が初めて屋久島にいったのは昭和42年、屋久杉を見に来たのに歩けど歩けど荒廃した伐採のあと。昭和45年まで伐採は行われ禁止で小学校も営林署も廃止となった。

蒸気機関車の写真もDISCOVER JAPANに合うような撮影場所を探していた。
高梁の西外れに線路に沿った石垣を見つける、松も植えてあり城跡の雰囲気もあり何度か通った。
その当時免許も持たず自分の足がたより高梁駅から30分かけて歩いた。
ここで昼飯を食べながらひたすら列車を待った。昼飯はお好み焼き二枚とパン二個だった。
定食の二人分がいつも食事だったように思う。
撮影した場所が高梁高校の入り口だったのを知ったのはずっと後になってからだ。石垣の上はグランドか


DISCOVER JAPANは古い町並みを見直す契機にもなった。
昭和46年に小柳ルミ子が歌った「私の城下町」がキャンペーンソングの役割をはたした。
その頃、各地の古い町並みが残る地を小京都と呼ぶようになったと思う。
さらに昭和48年に山口百恵の唄った「いい日旅立ち」が国鉄のキャンペーンソングになった。




昭和の古い町並み写真展 その21 「運ぶ」 岡山県倉敷市児島下津井

2012年04月23日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その21 「運ぶ」 岡山県倉敷市児島下津井

下津井の路地をトロ箱を運ぶ女性
モンペ姿にエプロン、最近は見かけなくなった服装である。
昔は路地にも八百屋などがあった。
看板や食品の陳列や値段も撮影しておくと時代がわかる。
下津井は漁師町のため人々の生活の様子が撮りやすかった。その点、倉敷の街は物流もなく商売をしている人もなくほとんどが勤め人で住人の姿が撮影しにくかった。
下津井の路地や通りは今思えば撮影するところが一杯あったように思う。しかし断片的しか撮影していないものだ。
すくなくとも50回は通い隅々まで歩く根性が必要であった。

トロ箱はトロール船から獲っ魚を競りに掛けやすく痛まないようにするために考えだされた箱の事です。トロールからを略した言葉だそうです。

茅葺き民家 桜のある風景 その3

2012年04月22日 | 茅葺き民家
茅葺き民家 桜のある風景 その3
撮影場所はすべて山形県

東北は民家にもしだれ桜を植えてある家を見かける。
敷地も広く塀のない家も多く大木になるしだれ桜も植えてある。
大ヤマザクラを植えてある家もあった。
これも15mの大木になる桜で北海道、東北には自生している。
色はピンクで美しい。北海道では街路樹に植えてあり色も濃いピンク。
東北の自生している桜もソメイヨシノに比べるとピンクが濃い。
桃の花に近い色もある。

花のシーズンに行けば桜と茅葺民家にはもっと出会えると思うが咲くタイミングに行かないとならないので難しい。

しだれ桜のある民家



大ヤマザクラとレンギョウ
この家のご主人がうちの山にはカタクリが三町歩生えていると言った。
山形ではカタクリは山菜として食べられる。生えているのを食べると少し甘くくせがなく生でも食べられる。しかし、乾燥したカタクリを買って帰ったがあれはまずい。


蒸気機関車 龍ヶ森信号所

2012年04月21日 | 蒸気機関車
花輪線 龍ヶ森信号所(岩手県)に停車する8620形蒸気機関車

33パーミルという厳しい勾配を上った貨物列車が龍ヶ森信号所で列車待ちをしていた。
写真を見ると龍ヶ森スキー場と書いてある。
スキー場があった事さえ気づいていない。
その後龍ヶ森信号所から安比高原駅に名前を替えた。
かっては蒸気機関車の撮影でわんさか人がきて龍ヶ森銀座と呼ばれたそうだ。
関東、東北の人は比較的撮影に行けるであろうが、岡山からいくには大変だった。
週休一日制の時代休暇が取れない。東北への撮影も一回限りだった。
蒸気機関車は昭和46年9月30日で無煙化された。


15年ほど前に観光と写真撮影で安比高原の民宿に泊まった事がある。
国道と花輪線が並行して走りさらに高速道路も走っているので昔とは大きく変わっている。
駅舎や腕木信号などもっと周辺の写真も撮っておくとおもしろかった。









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昭和の古い町並み写真展 その20 「運ぶ」 岡山県岡山市撫川

2012年04月20日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その20 「運ぶ」 岡山県岡山市撫川

郵便配達が自転車で行われていた時代です。郵便配達にオートバイが導入されたのはいつ頃でしょうか。ネットで調べてもよくわかりません。
配達人の労働軽減と輸送の効率化をはかりオートバイが導入されたとおもわれます。
ダイレクトメールなどの手紙やはがき以外の郵便物が増えたのはいつごろでしょうか。

私も意識をして郵便配達人を撮ったわけではありません。
偶然、郵便配達人が通ったのを撮影しただけです。
その時代を記録に残すのならば何を対象にするかどんな場所を撮るかを書き出して根気強く撮影するべきだったと思っています。

私は難病であと何年生きるか判らない。30年後、40年後に成果が判るテーマは撮りずらいものです。身体は動かなくても死ぬまでは何かに挑戦し続けるのが人間の生き方だとおもいっています。
若い人には50年後のために現在の社会を撮影してほしいものです。
50年後には社会の何が変わるでしょうか
人間はややもすると他人がやっている事と同じ事には興味を示し安心しますが誰もやっていない事には気が乗らないものです。
現在のようにネットなどの情報が氾濫している時代、関心のある情報や話題性のある情報に偏る傾向がある。その情報ばかり追っていると社会の流れを見落としてしまう恐れがある。
高齢化、過疎化、孤立化、買い物難民、産業空洞化、商店街の空洞化、限界集落、生活保護受給者の増加、震災被害の復興、等の社会の変化が目白押しである。





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