懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,156  新潟県中里村の民家

2014年08月31日 | 日本茅葺紀行
新潟県中里村の清津峡は日本三大渓谷といわれている。それを見て茅葺き民家を探す。新潟県で茅葺き民家を描く人の絵を参考に訪れる。
小さな棚田地帯、何度も間違いやっと着く。
この集落が維持されるのは難しいとおもった。
中里村は十日町市に併合される。







今年の夏は過ごしやすかった。

2014年08月30日 | 日記
歳をとると猛暑はつらい。今年の八月は二つの台風とその後の長雨でいつもの年の猛暑がなかった。夜寝るときクーラーを使ったのは3日だった。扇風機で事足りた。
家でぶらぶらしている者が昼間にクーラーも付けられず扇風機で暑さわしのいでいる。
住んでいるところの周りは田圃なので風はよく入る。
2013年と2014年の八月の岡山市の気温と雨量を比較してみた。

2013年雨量41mm、平均気温29.3℃ 最高気温平均34.1℃、最低気温平均25.4℃

2014年雨量263mm、平均気温27.1℃、最高気温平均31.8℃、最低気温平均24 .4℃

今年の最高気温は34.8℃、昨年は37℃超えが5日もあった。
8月に入り2週間台風12号、11号の影響で風もあり長時間雨も降り気温の上昇が抑えられた。台風通過後は太平洋の高気圧が強くなるとおもいきや日本列島に前線が停滞して集中豪雨の大きな被害が各地で起きた。
今年は何故太平洋の高気圧が発達しなかったのか七月の8号から三つの台風が長時間太平洋の水蒸気を吸い上げ撹拌したので海水温度の上昇が押さえられたのではないかとおもう。
それと今年はインド洋や東南アジアからの雨雲が活発である。私は気象衛星の画像とアメダスの降雨情報を見るのが日課になってしまった。
これはいつまで続くのか秋雨前線の頃まで続けば豪雨が心配だ。
気温のためか稲の穂が出るのが遅れている。

懐かしい物 町屋の風景

2014年08月30日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市天城


昔ながらの町並みに町屋が残る。
昔の町並みはその地区の中心地であった。近郷近在の人はそこへ買い物に来ていた。
歩いたり自転車で行ける距離だった。
通りに面したところは町屋と呼ばれ商売や家内産業をやっていた。
サラリーマンや職人の多くは長屋や郊外の一戸建てにくらしていた。
家内産業は鍛冶屋や豆腐屋、畳屋、仕立て屋などであった。
私が古い町並みを撮っていた昭和40年にはそんな姿は消えていた。
昭和30年代の写真ならばそんな様子が分かる。

私が倉敷に転勤で来た頃の倉敷の美観地区は店も消え住んでいる人は勤め人であった。
車社会になりスーパーの郊外進出、土地の安い駐車場のたっぷりある店舗に客は集まった。
車社会とともに町屋の機能は失った。
機能は失ったもののこんな町屋の風景は懐かしさと落ち着きがある。
格子にナマコ壁、虫篭窓

岡山の茅葺民家写真展 - 38 木地師の里 その2

2014年08月29日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝田町木地山

木地山に小さな小屋があった。屋根は石置き屋根になっいた。川のほとりなので水車小屋に使っていたのであろうか。
この木地山に行く途中の梶並に水車を使った製材所がある。まだ現役で製材している。
大きな水車に落差を付けて大量の水を落としている。水車の回転軸を製材所に引き込みその軸にベルトを掛けて刃を回している。水力でもあの太い材木が縦割りできるものだ。
地球にやさしいCO2を発生させない省エネ製材所としてテレビにでている。

昔の写真には石置き屋根は沢山出てくるが現在はほとんど見かけない。
あったとしても観光用の小屋くらいか、五箇山に茅葺きの近くに石置きの小屋があるがあれも観光用につくられけたのであろう。雪の多いところで石置き屋根は雪降ろしが難しいだろう。

20年ぶりに木地山にいったら茅葺きは一軒だけになっていた。
しかし、茅葺き民家だったところが新しく建て替えている。
この地に住みつづるのかと思った。街中では狭い土地しか買えない。山での暮らしが好きな人もいる。山菜を採ったり魚釣りや狩猟のか好きな人は山の暮らしがよい。


茅葺き民家  兵庫県三木市の民家 モノクロ

2014年08月28日 | 茅葺き民家
岡山県の茅葺き民家は少なく兵庫県に行く事が多い。以前は茅葺きの撮影に高速道路は使わなかった。しかし、片道で五時間も家内に運転をさせるのは年齢的にも気の毒で高速道路を使う事が多くなった。頻度も以前のように行かなくなったので高速をつかう。
三木市まで高速で一時間半で行ける。私の家も高速インターに近いし三木東まで走れば茅葺き民家の撮影できるところは近い。
神戸市にはインターがなく西宮まで行かないと降りられないので三木東で降りるのが便利だ。
菜の花のシーズン、桜、彼岸花と花のシーズンに出かける事が多い。
郊外の住宅地も近くにあるのに茅葺き民家や田畑の農村風景が残ってくれるのは有難い。
次第に廃屋になったり取り壊される運命の茅葺き民家を撮り残す。
撮り残して何になるかといわれても、何もならないとしか答えられない。
これは高性能なデジカメでいろいろな風景を撮っている人も同じだ。
生きている間は現役で撮り続ける、死んだら息子にすべて廃棄されようとも
行動をする事が生き続ける事でもある。

茅葺き民家の玄関に壺があった。傘立てに使っていた。味わいのある壺である。
どこかに飾っておいたほうがよいのではと言ったら立杭焼の水瓶につかっていたもので100年くらい前のものかと言っていた。六古窯のひとつの立杭も日用品の陶器を造っていた。
大正時代に日常品の工芸品を評価する活動が起きた。民芸活動である。
民芸品は民衆的工芸品の略と書かれている。
爺さんが子供の頃に大八車に陶器を積んで立杭から売りに来ていた。
その当時、立杭では米が作れず米と陶器の物々交換をしていた。
今田町と三木市は大八車を押しては遠い距離である。
車の無かった時代はみんな忍耐強かったとおもう。








日本茅葺紀行 NO,155  神奈川県山北町の民家

2014年08月27日 | 日本茅葺紀行

神奈川県山北町は御殿場線沿線、かって東海道本線は箱根の山や金時山を迂回する御殿場線であった。
このルートも急勾配の難所であった。
箱根の山は火山帯のため熱水が湧き出る難工事であったが丹那トンネルが戦前に完成する。
御殿場線は東海道の迂回路になってしまう。
昭和40年初頭まではD52形の大型蒸気機関車が重連で登る光景が撮影できたようだ。
悲しいかな私が鉄道の写真を撮り始めたころにはそんな風景は消えてなかったし遥か九州で暮らしていた。
山北町は鉄道の町だってたが蒸気機関車が消えてただの田舎の駅となる。
しかし、桜の咲く頃は線路を挟んで桜並木が続く鉄道と桜の撮影場所としてテレビにもネットにも出てくる。NHKの小さな旅にも登場した。さすがNHK、新旧の映像を織り交ぜた放送だった。

山北駅から少し離れたところにこの茅葺き民家はあった。
今の時代に神奈川県に茅葺き民家などあるのかと半信半疑ながらさがす。
どの県に行っても地域の茅葺き民家を撮ったり絵を描く人がいて情報を練っている。

蒸気機関車 函館本線二つ目9600形

2014年08月26日 | 蒸気機関車
撮影場所 函館本線小沢駅

小沢駅で給水中の9600形蒸気機関車
9600形は大正生まれの蒸気機関車ですが最後まで残った機種のひとつです。
九州と北海道には沢山いたので人気はいま一つだった。
武骨な形だがこればかり撮影しても面白かった。
倶知安機関区にいた9600形は前照灯が二つ付いていたので二つ目と呼ばれ愛好者もいた。
この区間にもゼブラマークの危険色の塗装した機関車が走っていたががっかりしたものだ。

蒸気機関車は大量の水を使うので機関区だけではなく駅にも給水設備があった。
この給水設備の事をスポート(sport)というそうだ。鉄道ファンはスポートと呼んでいる。
こんな言葉も知らないの者は鉄道ファンから排除されそうだ。
SPORTはスポーツと同じ綴りであるがアメリカはスポーツはSPORTSとSを付ける。
ホースが可動するのでこの名が付いたのであろうか

岡山の茅葺民家写真展 - 37 木地師の里

2014年08月25日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県勝田町木地山 (現在は美作市)


今回から3回、木地師の里をお送りします。
木地師の里は全国にある。木地山の地名の土地も多い。秋田の泥湯温泉の近くにも木地山はあった。
木地師の里の特徴は1.木地山の名の地名 2.小椋姓が多い。3.一番奥の集落である。

勝田町木地山はその三ツの項目すべてに当てはまる。
木地山は勝田町の一番奥に30軒程の集落がありひっそりと暮らしている。この集落がいつまで残るかと思いながら撮影した。ここに10軒ほどの茅葺き民家が残っていた。峠を越えれば鳥取県の智頭町である。

岡山県の阿波村大高下、奥津町泉源は一番奥の集落で木地師の里であったと言われている。
苗字も小椋姓が多い。、
陶器磁器の茶碗や皿が安く作られるようになり木製品は競争力を失った。
今もお盆などを作っているところがある。東北ではコケシ作りに転換した木地師がいる。



茅葺き民家  鳥取県溝口町の民家 モノクロ

2014年08月24日 | 茅葺き民家

茅葺き民家のカテゴリーはモノクロでお送りしています。日本茅葺き紀行はカラーでおおくりしています。

鳥取県の溝口町は伯耆大山の麓の町で茅葺き民家の少ないところ。そもそも鳥取県西部は茅葺き民家が少ない。そんな中に国道を走っていたら一軒茅葺き民家が見えたので撮影させてもらう。
伯耆の国は寄棟造りである。同じ鳥取県でも因幡の国は入母屋である。
棟仕舞は箱棟である。昔からのしっかりした民家である。
ここのご主人に鳥取県も日南町には茅葺き民家は残っていると教えてもらった。

蒸気機関車を撮りに伯備線沿線に足を運んだが茅葺き民家の写真が残っていない。
宮本常一氏は列車の中から民家や町並みを沢山撮影している。茅葺民家も沢山ある。
走っている蒸気機関車も1/250のシャッタースピードで止って撮れるのだから列車からの風景も止って撮れる事に気付いていない。フィルム感度も100以下の物だったのによく撮っている。