懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車  米坂線伊佐領

2011年12月31日 | 蒸気機関車
ブログを始めて三か月余り、話題性のない写真ばかりで面白味に欠けます。これからもマニアックな人々にお送りいたしますので来年もよろしくおねがいします。

米坂線は山形県の米沢と新潟の坂町を結ぶ路線
山岳地帯を走るので厳しい峠がいくらかある。
中でも宇津峠が絶好の撮影ポイントとなっている。
ここはまた最上川と荒川の分水嶺でもある。
共に日本海にそそぐが一方は新潟県へ一方は山形を縦断して酒田から日本海に流れる。
米沢や置賜地方に行く時は北陸道を中条インターまで走り米坂線に沿って一般道で山形県に入る。
磐越道、東北道経由より早く着くし高速代も安く済む。
この国道はほぼ米坂線に沿って走っていて鉄道写真のポイントが数多くあるのに気付く。
渓谷とカープが絶妙である。
蒸気機関車の撮影で訪れた時は列車で行き撮影場所まで雪の中をひたすら歩いた。
行動範囲が限られているので近場で撮影を終わらせる事が多かった。

撮影した場所は伊佐領、その後、平成になり茅葺き民家を探しに何度が訪れたが民家はみんなトタンにおおわれていた。しかも住む人の姿さえ消えていた。
蒸気機関車を撮影した当時はほとんどが茅葺き民家であったと思われるが全く民家や集落は撮影していない。
フィルムは沢山持っているのだから五枚くらい撮影しておいてもよさそうだがそれが出来ない。
写真は本人の意識と知識と行動力が揃わないとシャッターを押さないものだ。

雪の降りしきる中、音だけを頼りに蒸気機関車のくるのを待った。








今年聞いた歌

2011年12月30日 | 日記
日頃は音楽などとは程遠い生活をしている私であるが、今年は東日本大震災でいたたまれず、やるせない気持ちを落ち着かせるには音楽を聞くしかなかった。
被災地の避難所の子供むけにNHKのラジオから流れたアンパンマンのマーチに凄い反響があった。あまりにの反響に翌日も流された。
作詞したやなせたかし氏は戦争で散った弟に思い込めてこの曲を作った。
被災地で働く自衛隊や消防、警察の人々とオーバーラップして聞いていて涙した。

私は戦後の焦土と化した日本から人々はどのようにして立ち上がったか戦後の曲が聴きたくなった。
それと震災で故郷を失った人が大勢いる。故郷への思いをつづった歌を無性に聴きたくなった。
唱歌の故郷、里の秋、冬景色、旅愁、故郷を離れる歌など

誰か故郷を思わざる
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E8%AA%B0%E3%81%8B%E6%95%85%E9%83%B7%E3%82%92%E3%81%8A%E3%82%82%E3%82%8F%E3%81%96%E3%82%8B&aq=-1&oq=&ei=UTF-8

あざみの歌
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E3%81%82%E3%81%96%E3%81%BF%E3%81%AE%E6%AD%8C&aq=-1&oq=&ei=UTF-8


今年の曲で感動したのはMetisの歌った人間失格だった。
日本の未来は決して明るくない。若者が仕事がない事くらい夢のない事はない。若い時に仕事を覚え仕事で人間は成長する、結婚して子供を養育し苦労して人間の幅ができる。その機会を失った若者は国家の大きな損失です。選挙を意識はして高齢者の負担増や福祉削減を言いだせない国会議員、議員削減も増税も先送り、先送り。死刑執行もできない民主党はやめいてほしい。
日本の経済が破たんさせた責任はだれが取るのですか、想定外というのですか。太平洋戦争の終結も誰も決断できない首脳陣、日本の経済破綻も破たんするまで何もしないのですか、
生活保護受給者ばかり増え、年金も税金も納付しないし人ばかり増えて政府がなんとかしてくれると思っている人々、ぜひこの曲を聞いてほしい。
震災からの復興の応援歌、立ち上がろう日本人のメッセージソングがもっとあってもいいのではないか、
人間失格 Metis
http://video.search.yahoo.co.jp/search?p=%E4%BA%BA%E9%96%93%E5%A4%B1%E6%A0%BC+%E6%AD%8C&tid=2c83374825c24af8c02423443a439f34&ei=UTF-8&rkf=2

茅葺き民家 神奈川県の茅葺民家

2011年12月29日 | 茅葺き民家

茅葺き民家を探す上で私の住む岡山からすると関東が一番遠くに感じる。関東の大勢人の住むなかから茅葺き民家を探すのは凄く難しい。神奈川県に30軒の茅葺き民家があったとしてもどう探していいのか想像もつかない。交通量の多さや住宅の密集度からしてそれだけで尻込みしてしまう。

幸い神奈川在住の方から情報を得て訪れる事とした。
早朝に出て14時頃に神奈川県について撮影の時間もあった。
南足柄市周辺を探し何軒か発見した。
南足柄市には金時山があり坂田金時の伝説がある。
金時神社も静岡県小山町と神奈川県にある。

金時さんは童話でおなじみである。子供の頃、金の字の入った腹巻きを夏場にはしたものだ。
大江山の鬼退治でも有名である。
大体鬼というのは権力者が反体制派を鬼にしたためたものが多い。自分に背くものは鬼として葬られたものや渡来人も鬼にされた。

金時伝説は各地にあったようだが南足柄市が伝説の場となったのは、金太郎の歌にあるらしい。金太郎の歌は明治33年に作られた。その歌詞の「足柄山の金太郎」が伝説の場として定着したのだそうだ。歴史的根拠は乏しいそうだ、今から1000年も前の事、坂田の金時がどこで生まれ育ったか証明するのは難しい。

岡山県には桃太郎伝説をPRしている。これが生まれたのは昭和30年代に岡山国体があった、そのPRに桃の産地である岡山と鬼退治の伝説を一緒にしたご当地伝説に作り上げたものだった。

それでも金時の言葉は今も残っている。
「火事場の金時」のように赤いものが更に赤くなるのように金時イーコール赤のイメージを生み出した。
夏の氷の定番、宇治金時やミルク金時
食物も金時豆、鳴門金時、金時人参、金時草、金時飴、金時生姜などが或る








倉敷市福田公園

2011年12月28日 | 日記
倉敷市の南部、水島工業地帯に近くに福田公園がある。
野球場、陸上競技場、サッカー場、体育館のそろった公園となっていた。
その北にライフパークという文化施設もある。
それが建設される前は田園と池が広がっていた。
池はかなり広く呼松水路に流れ込んでいた。福田公園の建設で池はかなり埋め立てられたと思う。
現在は宅地も沢山立ちならび昔の面影はない。
しかし、連島の山や種松山はそのままのため場所の推測はできる。

池があるところを見ると以前は低湿地で高梁川の名残りのように思う。
土地の高低は日頃は判らないが大雨が降るとよくわかる。
福田公園の前の児島に向かう県道は一段高くなっていて昔は堤防となっていたようだ。
撮影昭和48年5月 福田公園の建設計画があったのでどう変わっていくか自分で確かめたくて撮影した。

はるか連島を望む


呼松水路への水門





種松山方面を見る

蒸気機関車 通勤通学列車

2011年12月27日 | 蒸気機関車
蒸気機関車の普通列車の交換風景、伯備線の倉敷駅のホーム

D51形蒸気機関車の牽引する普通列車の上り下りが倉敷駅で交換する。
朝の通学時間帯に撮影に出かけた。
鉄道ファンは機関車の写真しか撮らないところがある。
鉄道を利用するのは人であり運転や運行するのも人である。
本当は人をもっと撮るべきだったと考えている。
撮影しておけばその当時はどんな人が利用しているのか、どんな服装だったのかも判る。
女性は蒸気機関車に乗るのは嫌がった。白いブラウスが汚れると言っている。

この当時は通勤で列車を利用しているのが判る。現在は地方都市では列車を通勤に利用人より車を利用する人が多い。しかし二時間も掛かる人はやはり列車を利用している。
列車の中でひと眠りすることもできるし渋滞がない。




茅葺き民家 カルスト台地の民家

2011年12月26日 | 茅葺き民家
撮影場所 新見市
新見市は市の全土が石灰岩と言っても過言でない。平成の合併で周りの町村を合併したがやはりほとんどが石灰岩の上にある。石灰岩がどのようにして日本に存在するのは諸説があるようだ。地球の海が暖かかった頃に出来た珊瑚礁説と太平洋プレートの沈み込みで珊瑚礁の島が割れて日本の列島に押し上げられ説がある。
石灰岩は石のように固いが珊瑚の化石である。日本は資源の無い国だが石灰岩は潤沢ある。石灰岩はセメントの原料、製鉄には欠かせない。中和用の消石灰や乾燥剤には生石灰、不燃材としての石膏ボード、漆喰などに使われている。昔の農家の土間は土に石灰、塩を混ぜて打ち固めた、それを三和土(たたき)という。
日本の道路や建造物は石灰岩があるから大量のセメントを使い強固なものができたのである。

石灰岩のカルスト台地の農業は厳しいものであった。降った雨は地下に浸透するので川がほとんどない。田を作れない畑は石ころだらけである。掘った石は写真のように脇に積まれ石垣となる。地形も平坦ではない、窪んだ土地、ドリーネや石の露出したカレンフェルトがカルスト台地の特徴、小学校は大きなドリーネの中にある。石ころだらけの土地に作物を植えて生活するのはアイルランドのアラン島を想像させる。ドキュメンタリー映画の代表傑作と言われた「アラン島」は石灰岩の石ころばかり地から土を作った。畑から出る石をうずたかく積み囲いとする。石垣が強風で土が飛ばされるのを防ぐ、そこに主食のジャガイモを植える生活が世に紹介された。代々積まれた石垣に人間の不屈の精神を見たと司馬遼太郎氏は「街道を行く」でも取り上げている。





古い町並み  倉敷

2011年12月25日 | 古い町並み

倉敷の古い町並み地区は地元では美観地区と呼ばれている。
少しは撮影したと思うがネガを探したが残っていない。
私が倉敷に住み始めた頃は美観地区にはほとんど店はなかった。
一軒文具店があった。その写真を探しているのだが見つからない。

美観地区の東の方の川沿いを着物姿の女性が歩いている写真があった。
川に降りる階段は雁木と呼ばれている。雪国の雪よけ歩道用屋根も雁木というが、階段の雁木は雁の
渡りの姿から名づけられたものと思われる。

数年前この階段部や石垣を補修した時に雁木の石を新しいのに取り換えた。元のに復元しろとクレームがついて元の石に復元したと新聞に載っていた。
石に割れなどもあり取り換えたと思うが石に落ち着きがなく指摘を受けたものとおもう。
港湾も雁木は少なくなっている。映画監督の大林宣彦氏は尾道出身で尾道を舞台に作品を撮っている。
尾道の港に三段だけ雁木を残してある。今後残すべき風景として大林氏が強く要望したと言われている。

蒸気機関車 雪の給水

2011年12月24日 | 鉄道



宗谷本線 名寄機関区ての蒸気機関車への給水風景

蒸気機関車はC55形、普通列車を牽引して旭川から稚内を走行する。
蒸気機関車は給水と給炭のため機関区に立ち寄る必要がある。
このため停車時間が20分以上はとってある。
機関区は80kmから100kmごとに設置されている。
給水の間にブレーキに付いた圧雪などを突き棒で除去する。
除雪も含め雪国の鉄路を維持するには大変金がかかる。

雪の降りしきる中、働く人々に敬服せざるを得ない。
自分も同じ環境に身をおき厳しさを体験することが人間には必要と思う。
もっと寄って撮らなかったのか、これでは厳しさが感じられないぞ。


茅葺き民家  茅葺き集落

2011年12月23日 | 茅葺き民家
茅葺き民家は保存地域、保存民家を除き著しく減少している。
茅葺き民家の残っている地域をリストアップして茅葺き民家集落百選を作る事を思い立った。

茅葺き民家集落百選は文化庁などが作る動きもあったが、急激に減少する茅葺き民家、個人の民家の難しさもありいつの間にかそんな構想は消えたようだ。
茅葺き民家を残し技術の伝承、職人の養成、昔ながらの風景の保存の意味もあったと思うが、現在の日本の財政状況では文化保存に掛ける金はないと思う。今後は縮小方向に向かっていくと思われる。

文化庁で作らなければ自分で作るしかない。全国に残っている茅葺き民家の集落を160箇所ほどリストアップして、それから百選を選出する予定である。百選にはいくらいい風景でも白川郷などの保存、観光地となっているところはいれない。
現在は百選を作るにも茅葺き民家のネガのスキャンが終わっていないので写真がそろわない。
あと何年かかるか判らない。難病の私にはスキャンが終わるまで生きられるかも判らない。
しかし、目標を持って生きれば生きがいにもなりしぶとく生き延びるかもしれない。
百名山のように解説と写真を添えてまとめたいと思う。

茅葺き民家集落一回目は佐賀県鹿島市三河内






蒸気機関車  山陽本線庭瀬鉄橋

2011年12月22日 | 鉄道
岡山市庭瀬の足守川にかかる鉄橋がある。
山陽本線に伯備線の列車が乗り入れるのでいろいろな機関車、電車が見られる。
蒸気機関車ありEF60.EF61.EF58.EF65.EF66の電気機関車、たまにEF15も走っていた。
電車もゲタ電といわれる旧型電車、80系が普通電車のほとんどだった。
特急電車も山陽新幹線が開業しておらず「つばめ」「はと」など色々走っていた。
特急電車はボンネット形の485系、寝台特急の583系、伯備線、九州からのディゼル特急など多彩であった。
少し高くなっているところから撮影できる。
根性をだして一日どれだけどんな車種が走るか全部撮影し記録をしておくと面白かったかもしれない。上り下りだと大変な数であったと思う。
目的の写真を撮影すればさっさと帰ったのでは発見や体験できない物もある。
私はモノクロで撮影していたので電車は色が判らないと撮影しても意味がないと撮影する気がもともとなかったようにおもう。

蒸気機関車 三重連回送列車 ほぼ毎日走っていた。


EF60牽引の貨物列車



D51とDF50 蒸気機関車とディゼル機関車の重連 DF50は山陰線に回送されていたのか



EF61牽引の貨物列車



旧型電車