懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車  播但線溝口駅

2012年05月31日 | 蒸気機関車
播但線溝口駅の通勤、通学で蒸気機関車の普通列車を待つ乗客

溝口駅は伯備線にもある。間違わないように伯備線側は伯耆溝口と旧国名がつく。

寺前と姫路間は割と列車が多かった。通勤通学時間帯には一時間に4本はあった。
気動車の客車もあったがC11形、C57形蒸気機関車が牽引する客車がおおかった。
C57は和田山走る列車でC11は寺前までの折り返し運転だった。
播但線のSLが全廃になる前にすでにDE10やDD54に切り替わっていた。
姫路機関区の扇形機関庫に行ったらC11が20台は並んでいた。(すべて尻を向けて)
こんなに機関車がいたのかと改めて驚いた。

寺前にはターンテーブルがなかったのでC11は下り列車は後ろ向き運転、姫路への登り列車は前向きだった。寺前には給水タンクがあり停車時間に給水した。

現在、姫路、寺前間は平成10年に電化したそうだ。

この当時の溝口駅の電柱はコールタール含浸の木柱でコンクリート柱は使われていない。
現在はプラットホームは連絡用の跨線橋があるがこの当時は線路の通路を歩いて渡った。
線路横断は危険なため少なくなった。

乗客を見ると通勤に使う人も多い。
鉄道の写真となると機関車電車が走っているのが多いが駅と乗客の風景を見るとその時代の人々の暮らしがわかる。
この歳になると昭和の建物や風俗に興味がでてこんな駅の写真に興味がある。






茅葺き民家  山口県の民家

2012年05月30日 | 茅葺き民家
写真 山口県阿武郡福栄村の民家

茅葺き民家を探しに山口県の日本海側を旅した。

青海島や長門の金子みすず、萩の町並みを見て山間部に入り茅葺き民家を探した。
茅葺き民家の情報も持たず適当に山間部を走った。
今は適当に走って茅葺きが見つかる時代ではなくなった。
時間とガソリンと忍耐が必要だ。

福栄村で茅葺き民家発見する。立派な民家である。
撮影するスペースも十分にあり上から民家の全景が撮影できるのがよい。
江戸時代の茅葺き民家で棟は小屋根を付けて改造しているのであろう。
柱や板にはベンガラが塗られていた。私が岡山から来たといったらこのベンガラは吹屋のものが使われていると言った。ベンガラが使えるのは金持ちの証でもある。
吹屋の名前が山口で聞けるとはおもわなかった。
福栄村にはもう一軒茅葺き民家があった。
行った時は奈良漬にする塩漬けにした瓜を水洗いして縁側に干してあった。(写真参照)
これから酒粕に漬けて塩抜きにすると言っていた。

福栄村は人口2600人足らずの村だったが2005年に萩市に阿武郡すべてが編入された。
福栄村は柔道重量級金メダリスト 阿武教子(あんの のりこ)の出身地でもある。
生まれて三歳まで福栄村で住んでいたが福岡県に移り住んだ。
阿武教子は柳川高校の高校生の時から実力者で世界選手権では金メダルは獲れるがオリンピックでは一回戦敗退などで実績のこせずやっと最後のオリンピックで念願の金メダル

阿武(あんの)の名前を聞いた時にあのがっちりした体躯からして先祖は石工ではなかったかと勝手に想像する。石工と言えば築城に長けた穴太(あのう)の石工が有名である。
その後、安納、安濃、阿武の名前をかたり石工として全国で働いたと言われている。








昭和の古い町並み写真展 その31 「街から消えた店 文具店」 倉敷市駅前

2012年05月29日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その31 「街から消えた店 文具店」 倉敷市駅前

以前の倉敷駅はローカルな駅だった。現在は橋上駅になり駅前にはロータリーが出来、バス乗り場もできた。
駅本体や両サイドには百貨店やホテルのビルも立ち並んだ。

この文房具店は駅の西の通りにあった。駅前に文具店は面白いと撮影した。駅前は再開発で多くの場末の飲み屋なども立ち退いた。しかし、そんな風景は残念ながら撮っていない。

倉敷の美観地区中にも文具店があった、ほとんど店はなく文具店は場違いなとこころにあると思った。その文具店も今は土産店になっている。
考えて見れば駅前の他の建物も今となっては古めかしいものだったと思う。

私は蒸気機関車の撮影や硬券切符の収集で沢山の駅を乗降しているが駅前の風景をほとんど撮影していない。撮っていれば駅前の店屋の風景や看板、人々の服装、当時の自動車が写っていて面白いとおもう。
昭和40年代の地方の駅前は古くさくて味があったと思う、都会の駅前も今はどこかで見た食べ物やホテルのチェーン店ばかりになっているのではとおもわれる。

蒸気機関車  伯備線、斜面から俯瞰

2012年05月28日 | 蒸気機関車
撮影場所 伯備線 高梁-木野山間

夏場に高梁市郊外に蒸気機関車を撮影にいく。
高梁市の古い町並みの中を蒸気機関車が走るのを撮影にいった。
そのついでにぶらぶら線路沿いを歩いた。
余り勾配のないところなので機関車からの煙はでない。
しかも夏場なので白煙も見えず黒い物体が写るだけである。

いっその事、斜面を登り下を走る蒸気機関車が通過する風景をとってみた。
手巻きのフィルムカメラである。一枚だけ撮影した。欲張って何枚も撮るとろくな写真しか撮れていない。
蒸気機関車の写真は欲張ってバチバチ撮らない事である。標準レンズで撮るので一枚しか撮れないのだかそれがなかなかできない。性懲りもなく失敗ばかりだったとおもう。

木々の中を機関車が走って行った。
何万回と繰り返された蒸気機関車が通過する風景、日常はこのように何も起きず安全に運航されただろう。
ごく平凡な日常の風景は記録もされず人の記憶から忘れさられてしまう。
私はこんなごく平凡な日常の風景が好きだ。今でもごく日常的な風景を目的意識を持って撮られた写真はすくないとおもう。

伯備線も複線化している区間では見られなかった「ハエたたき」が見える。

ハエたたき(通信用電信柱の事)

茅葺き民家 田植えの頃 その2

2012年05月27日 | 茅葺き民家
茅葺き民家と田植えの風景 その2

撮影すべて島根県

田植えも四季の風景です。
余り四季を意識して撮影しなかったようにおもう。一年を通して四季と茅葺き民家を撮ってみたい。
花などはその時期に行かないと撮れない。
四季を意識して面倒くさがらす雨が降りそうだからやめたと思わず行動する事でしょうか。
雨の日もまたいい風景が撮れる事がある。

茅葺き民家と四季が撮れる風景にはどんなものがあるか下記の項目から揚げてみた。
1.気候、2.行事、.生活風習、3.農作業、4.植物

1.気候
霜、雪、春カスミ、新緑、梅雨、入道雲、日照り、猛暑、紅葉、秋晴れ、朝霧、木枯らし、枯れ葉、落葉、冬木立ち、枯野、時雨、

2.行事生活風習 (昔のような行事もすくなくなった イベントでない行事を残したい)
正月飾り、凧揚げ、節句 ひな祭り、鯉幟、川遊び、お盆、十五夜、案山子、祭り、大根干し、干し柿、餅つき


3.農作業
田打ち、草焼き、代掻き、苗代、田植え、草抜き、草刈り、薬散布、稲刈り、稲干し、茅刈り、茅干し、芋堀り


4.植物、作物、果実 (余り小さな花は茅葺き民家ととりにくい)
梅、狼狽、サザンカ、椿、桜、菜の花、レンゲ、藤、チューリップ、リンゴの花、チューリップ、む水仙、芝桜、レンギョウ、アヤメ、カキツバタ、花菖蒲、ユリ、芙蓉、ムクゲ、アジサイ、ヒマワリ、菊、彼岸花、蓮、蕎麦、カンナ、ススキ、せいたかあわだちそう。

サトイモ、煙草、レンコン畑、小麦、

リンゴ、柿、ミカン、ビワ









蒲生の大クス

2012年05月26日 | 旅行
蒲生の大クス

鹿児島県蒲生町の神社の境内にある蒲生の大クス
1.3mの立ち上がりの幹回り24メートル、根回り30メートルの巨木
1500年くらいの樹齢といわれている。
日本一の巨木と言われている。
鹿児島に行ったときに立ち寄ってみた。
樹勢もよく生き生きとしている。ウロはあるがセメントで固めたり丸太で何本も支えたりしていないのがよい。なんといってもこの根張りが素晴らしい。盆栽の一番の条件は根張りである。八方根張りがよいとされている。
以前このウロの中で子供がたき火をして少し焼けた。発見が早く大事に至らなかったと地元の人が話していた。それから蓋と柵をして立ち入らないようにしたそうだ。長く生きた巨樹を見ていると神々しく感じる。それでもこの木も弱ってきているので治療を施しているとネットに書いてあった。

桜の巨木は痛々しいのが多い。支え棒をしてなお咲く桜は撮る気がしない。
自分のみじめな姿を見ているようでいやだ。それより若々しい生き生きとした木がいい。
巨樹には楠が多い。
巨樹の定義は1.3メートルの立ち上がりが3メートル以上で全国に13万本から15万本くらいあるそうだ。
巨木の数ではなんと意外にも東京都が一番だそうだ。

NHK特集などで何度も放送のあった巨樹の絵を描かれる平岡忠夫氏は3000枚の巨木を描くのをライフワークにしているそうだ。
巨樹巨木の会を発足し奥多摩の廃校となった小学校をアトリエ兼美術館にしている。
ホームページを見ても巨樹、巨木を追っている人は結構いる。
健康な人は運動も兼ねで巨樹探索は面白いとおもう。今は調査資料も整備されている。
1.巨樹に出会うため全国各地を探索できる事、2.数値目標が立てやすい。3.自分だけの発見ができる。4.自然の不思議や出会いが沢山ある。等でライフワークとしては面白いテーマだ。


蒸気機関車  夜行急行列車

2012年05月25日 | 蒸気機関車
撮影 広島駅 呉線経由、夜間急行列車「音戸」

広島を夜間の21時頃出発して早朝、大阪に着く急行列車

広島駅を発車前のC62形蒸気機関車の牽引する列車を三脚で撮影していたら雨が降り出した。
力強いC62の汽笛を聞きながらホームで見送った。
蒸気機関車を撮っていた頃は撮影するのが必死でどんな音だったのかうる覚えでしかない。
汽笛、ドラフト音、ドレンを切る音、シリンダーの音、クランクの音、動輪とレールが軋む音、
連結器に伝わる音、いろんな音が複雑に絡み合って音をだしていたとおもう。
鉄道好きは録音してその音を聞き分けるという。

SLの走行している様子はNHKのアーカイブで流してくれるので録画して見ているが音が入っていないのが残念なところだ。

機関車が牽引する列車を見かけなった。それもチョコレート色の国鉄時代の列車が懐かしくてよい。今は客車はイベント列車くらいのものか、団体列車や修学旅行列車は残っているのであろうか、近くのカラオケ好きの男性が出雲大社の初詣を兼ねたカラオケ列車は往復で一人50曲唄うと言っていた。

私はこれを撮影したあと夜行列車で九州に向かった。それも梅雨に入って雨ばかりの撮影の日々だった。天気のことも考えず旅をしていた。梅雨の頃と秋雨前線の停滞する頃に旅行をすべきではないと気付いたのはずっと後だった。




昭和の古い町並み写真展 その30 「街から消えた店 お茶屋」 倉敷市

2012年05月24日 | 昭和の古い町並み写真展
撮影 倉敷市阿知

観光客の通らない天満屋というデパートの裏通りにこのお茶屋はあった。(現在、デパートは移転)
本瓦葺きの落ち着いた民家が気に入って何度も通った。
雪のちらつく日に出かけて撮影してみた。
お茶は茶壷や木の箱に入れて売られていた。
10年ほど前に車で走ったら店はやめていたが建物は残っていた。

撮影した当時もお茶専門で商売は成り立つのかと思った。
私は日常ほとんどお茶は飲まない。急須に茶葉を入れて飲む習慣がうちの家庭にはない。
食事の時は水を飲料にする日本の食文化を冒涜する習慣が身に付いた。
お茶といえばペットボトルのお茶を飲むくらいである。
米の消費量が格段に減っているのでお茶の生産量、消費量も減っているとおもいきやさほど減っていない。
健康志向でいろんなお茶が売り出されているのが要因か

茅葺き民家 大金鶏菊

2012年05月23日 | 茅葺き民家
撮影は共に広島県  茅葺き民家の脇に大金鶏菊が咲いている光景を投稿します。

大金鶏菊は今、道路際や土手で咲き誇っている。
北アメリカ原産で繁殖力が強く特定外来生物に指定され栽培は禁止されている。
駆除する一方、花壇で楽しみに育てている人もいる。

宿根で種でも増える植物は繁殖力が強い、同じ菊科のマーガレットも宿根でも種でも増える。
種になるまで放置しておくと種が落ちるとあたりかまわず発芽する。

菊科の花は中心部の小さな無数の目立たないのが花で周囲の舌状の花弁は昆虫を寄せるための飾りのようなものである。菊科のひまわりを見るとよくわかる。中心の実になるところに1000個程の花がある。
一般的には花とはオシベとメシベがあり種をつくるものである。
朝顔などのように大きな花は目立つが菊科の花は小さく目立たないので周囲に花弁を付けて昆虫に目立つように進化したと言われている。

大金鶏菊は全国に生えているのであろうか、見ていると道路脇が断然多い、車のタイヤや人の靴に付いて移動するのであろうか
春の西洋からしな、初夏の大金鶏菊、秋のセイタカアワダチソウの黄花が日本の原野、河川を席巻している。時代劇に大金鶏菊が咲いていたりセイタカアワダチソウが写っていることも珍しくない。


蒸気機関車 田植えの頃

2012年05月22日 | 蒸気機関車
撮影場所 国鉄田川線油須原周辺(福岡県)

田川線は現在、平成筑豊鉄道として第三セクターで運用されている。

田川炭鉱から行橋への石炭移送のため敷設された。しかし、炭鉱はすでに閉山で貨物輸送は石灰石が多かった。
急な登りを9600形蒸気機関車が後方補機の重連で登ってくる。
ゆっくりのんびりと登ってくる。煙突の煙が垂直に昇り速度にあったたなびき方である。
田植えの準備の代掻きの終わった田の横を走って行った。
今のカメラなら50枚も撮れるほどのスピードで走る。
私はのんびり走る機関車をフィルムの残量を見ながらレンズを交換して撮影した。

山間に数軒の民家が点在する。大きな集落はない、今もきっとこんな暮らしが続いているのであろう。















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