懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,256 奈良県の茅葺き民家

2015年11月30日 | 日本茅葺紀行
奈良県を代表する茅葺き民家の大和棟
いまでも残っているのがうれしい。
茅葺き民家を撮影するのに合わせて各地の代表する形も撮影し残しておきたい。
この写真はともにホームページや本に載っている民家なのでよくご存じのところ。
国道369号線から見える醤油屋さん。醤油の製造をしている。
家にお邪魔すると客商売なので写真を撮りに来た者にもお茶をだしてくれる。
余計な手間をかけて申し訳ない。さりとて黙って撮影するのも失礼だし難しいところだ。

宇陀市の茅葺き民家、敷地に入らないと正面から撮れない。
撮影の了解の挨拶と車の移動のお願いに行く必要がある。
写真はただ撮るだけでなく、折衝力、企画力、将来を見据えたテーマ力が必要である。
先週の日曜美術館は天才アラキーの特集があった。
写狂老人を名乗る75歳、癌と片目失明で今でもアイデアがあふれ出るという。
動けぬジジイも勉強になった。


国道369号添い 旧都祁村

昭和の遺物たち  その14 消えた貨車客車 その4

2015年11月29日 | 昭和の遺物たち写真展
撮影場所 熊本県 肥薩線一勝地駅

夜行で福岡から八代へ移動
雨がふってている。眠くやる気が起きない。
人吉行き列車ではほとんど寝ていた。
球磨川にそって蛇行しながら走る肥薩線は効率の悪い線路だ。
走ったわりに水平距離が進んでいない。
球磨川沿いの景観も記憶にない。車で九州自動車道を走って球磨川沿いの景観の美しさに気付いた。
途中で目が覚め停車中の客車を撮影する。前まで行き牽引のC57蒸気機関車を撮ればいいのにそれも撮っていない。
この高校生の遊んでいる客車はオハユといわれ客車半分と郵便半分の客車です。
郵便物保管の部屋は通路がついている。乗り降りや事故の時に2か所から出られるようにしてある。
客車と荷物が一緒になったのがオハニです。こんな見慣れた客車も姿を消してしまった。

一勝地駅は縁起がいい駅とし真幸とともに受験生などに人気があるそうだ。
勝地とは景観のいいところと書いてあった。景勝地とよく耳にする。

岡山の茅葺民家 敷地に線路のある家

2015年11月28日 | 茅葺き民家
津山市の大きな庄屋だった家の敷地の中を姫新線が走っている。
敷地はバックの山もいれると2000坪はあるという。
家に入る道に線路が横切るところに踏切がある。
踏切の名前はここの家の苗字がついている。
これはナニコレ珍百景の類だが他人の敷地だし余計なな事はできない。
しかし、茅葺きはトタンを掛けた。
しかし、敷地の中を今日も姫新線の列車は走っている。

茅葺き民家 京都市広河原

2015年11月27日 | 茅葺き民家
京都の山奥の広河原、スキーやキャンプに訪れる人がいる。京都市の北の端だ。
私のところからだと随分時間が掛かる。高速の京都縦貫の知和か園部で降りる。知和で下りれば美山町を横断して佐々里峠を越えて入る。
園部で下りたら京北町から花背を抜けて広河原に入る。
広河原、花背、久多は隠れ里である。京都北山の民家らしく端正で杉の木立とよく似合う。
そんな中に今も茅葺きが残る、よく知られた所なのでカメラマンが多数訪れるのであろう。
敷地に立ち入り禁止の立札が建つ。
一度紅葉の頃にここを通った。バックの山が錦になっていた。花背峠5から京都に抜けたがいい紅葉見物ができた。
ここの一帯は残してほしい日本の風景の一つである。


日本茅葺紀行 NO,255 大分県日田市の民家

2015年11月26日 | 日本茅葺紀行
日田市には100軒の茅葺きが゛残っているとの掲示板の情報をもとに希望をもって訪れた。100軒もあればすぐに見つかるはずだがなかなかない。
その人の何年前の記憶であろうか、以前岩手の浄法寺町に50軒茅葺きがあるという情報に行って見たが廃屋が一軒しかなかった。20年も前の記憶は現実的でない。
私はもう車の運転が出来ず乗り降りも家内に介助してもらっている身である。
全く茅葺きもなく無駄走りを続けるのは心苦しい 。自分ひとりなら我慢して諦めず探すが家内の顔色を見ながらさがすのも辛い。家内が切れて茅葺き民家なんか撮りに行かないと言われそうで怖い。神田川の歌の一節である。「あなたの優しさが怖かった」
日田市にも何軒か茅葺き民家はあったから救われたが全くないと落ち込むところだ。

日田市周辺は茅葺きより杉皮葺の民家が多い。茅より黒く写るが雨にあたると真っ黒に見える。撮影しにくい被写体である。


昭和の遺物たち  その13 消えた貨車客車 その3

2015年11月25日 | 昭和の遺物たち写真展
蒸気機関車の牽引する客車、形といい色といい匂いといい懐かしい昭和の風景として記憶に残っている。
薄暗い電灯の光、自分のこれからの人生のような暗さであった。
どんな人生が待っているのかどんな世の中になるのか自信の持てない自分がいた。
夜汽車に揺られ先の見えない自分、本を読み人の話を聞けば未来がみえたのかもしれないがそんな努力もしなかった。。
漠然と生きた時代だったなとおもう。

ただ今の生きたている時代を撮影しておけば将来どう時代が変わっていっったか分かると思いシャッターを押した。
昭和30年代の客車は内装は木製である。プラスチックやアルミ合金は使われていなない





蒸気機関車 室蘭本線

2015年11月24日 | 蒸気機関車
撮影場所 苫小牧駅

駅に停車の貨物列車、石油を運ぶタンク車である。
タンク車は記号はタキなどで表記される。タンク車はいまも1000両はのこっているようだ。石油に限らず液体を運ぶ車両も含めてであろう。
一両の積載量は60m3、タンクローリーよりはるかに多く輸送できる。
日本の一日の石油の使用量は455万バーレル(72万m3)。
日本が陸続きで鉄道で中近東から運ぶと一日11785両のタンク車が必要となる。
積荷、移送、荷卸し回送を考えると10万以上の両車両が必要で難しい量である。
鉄道は各国を通過するためコストもかかり保安上問題がある。
紛争や国交が断絶すれば移送は停止する。
その点、海上輸送は公海上で大量、低コストで運べる。
資源のない日本がこれだけの石油を使い産業を発展させ暮らせるのは海に囲まれた島国であるからだ。外国からの侵略を海が防いだ。
海があることで雨が多い一億二千万の人口が暮らせる水が確保できる。
しかし、最大の欠点は周期的に襲ってくる地震である。
地震による隆起でできた国の宿命を背負っているが

岡山の茅葺民家 道路脇の民家

2015年11月23日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧賀陽町

道路脇にある茅葺民家、普通は塀などで目隠しをするだが何もないので撮りやすい。
車が間違って飛び込んできそうだ。私の近くの人の畑は交差点脇にある。衝突した車が畑に飛び込んだ。農作業中、怖いので厚いコンクリート壁で畑の二辺を囲った。

この家は生活が通る人に丸見えである。柿も干してある。
漁村や密集した市街地は生活が丸見えである。家が近いと付き合いも助け合いも強いように思う。
我が家も柿毎年干していたが血糖値が高く医者から厳しく言われ甘いものは我慢している。
息子のところは孫がいくらエネルギーを補給しても動きまわるので足りないようだ。柿は全部あげて社宅で干している。そうしたら隣の家も今年から柿を吊るしはじめたそうだ。
人間はある程度歳をとると親や年寄りがやっていたことを見様見真似でやってみるものだ。
孫も親のやっていたことを真似てやるのであろう。
家庭菜園などにも中年になると興味を持ってくる。

岡山県も西部にいくに従い寄棟造りにかわっていく。関西県に近いところは入母屋である。




茅葺き民家 新潟県上越市の民家

2015年11月22日 | 茅葺き民家
茅葺き民家を撮りに行く前は、不安になる。
途中で交通事故を起こさないか、がけ崩れれや災害に遭わないか家が火災にあわないか
と心配事ばかり頭をよぎる。歳を取ったせいかこんな心配事が増えた。
そんな不安もよそに出発すればすっかり忘れてしまう。
何歳まで茅葺を探して回れば気がすむのかと思う。
人間何事も死ぬまでであろう。欲と我が益々強くなり孔子の言葉を嘲るように生きていく。死ぬまでひたすら撮りつつけて整理もせず終わるのであろう。
フィルムカメラの時代は30年撮影したら整理に20年掛かるという人がいた。
鉄道にせよ茅葺民家にせよ各地に行き一生懸命になれるのが楽しみでやっているのであろう。
銭金の事で旅行が決められない人は家でテレビを見ているのが安上がりだ。

いつも不安をもちつつ何百回旅したものか

上越市、今は海岸から山奥までが上越市だ。かって上杉謙信の居城があった。
平地には杉の屋敷林に囲まれている。日本の風景の一つであるが茅葺民家でないので撮らない。片手間で撮る写真では人を感動させられない。
山の奥に立派な茅葺民家があった。中門造りである。煙出しであろうか口を開いているのが異様だ。このちかくにももう一軒立派な家があったが解体され保存されていると地元の人が言っていた。



日本茅葺紀行 NO,254 広島県旧大和町

2015年11月20日 | 日本茅葺紀行
私が広島県の茅葺民家を撮り始めたのは21世紀に入ってだった。広島県の南部に茅葺民家があるとは思いもしなかった。兵庫県の南部に茅葺民家があるとは思いもしなかった。
岡山県も岡山市を中心に南部に沢山の残っていた。
ネット時代の恩恵であろうか必要な情報が容易に得られるようになった。
カメラもデジカメや記録手段が増え誰でも写真を撮れる時代になり情報発信するようになった。茅葺民家のような縄文時代から受け継がれた文化とハイテク機器に変わっていった現代が共存するのは難しい。茅葺きが残る要因がわからない。萱刈の手間が掛かる、耐久性がない。茅葺き替えに金がかか。冬は寒い。あまりメリットがない。
それでも茅葺民家に住み続けるのには理由があるのではないか
考えられるは日本の風景と伝統を守り続ける住人の強い意志なのであろう
いままで生き残った茅葺民家は現代の七不思議に思えてならない。
韓国などはほとんど姿を消したという。
個人が金が掛かるのにかかわらず茅葺を維持管理していただきそれを撮影させてもらう我々としては有り難い事である。こんな出会いがあった事に感謝しなければならない。


広島県大和町はうちから100km位なので一般道で行く。
そんな大和町の茅葺民家も行く都度消えていく。いまではすぐに発見できるレベルでなくなった。