懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

卵掛けごはんにちょい足しするもの

2017年10月31日 | 日記
岡山県の美咲町に町おこしで卵掛けごはんをやっている。
350円で食べ放題、男の人は二杯は食べる。卵もご飯もお代わり自由
5杯お代わりした人がいるといっていた。醤油以外に薬味が八種類ほどあった。
山椒味やニンニク、シソ風味があったように思う。溜り醤油が良かったか
兵庫県や大阪から高速を使ってドライブがてらに食べにくる。
これで採算がとれるのかと町の職員の人に聞いたら建物は町の施設で使用料がかからない。
卵や卵焼きや土産もうれるので採算は十分とれるとの事だった。

定年後は田舎暮らしをしようといろいろな訓練のためニワトリも飼っていた。
放し飼いにしていた。夜は犬小屋で寝た犬は外で寝てネコのボディガードをした。
卵も犬小屋で産んだ。鳥が産んだら早く取らないと犬が割りぺろぺろ食べる。

放し飼いのニワトリの卵は黄色ではなくオレンジ色で卵掛けにするとギョとする。
卵を割るとプリンプリンと三段になっていた。
殻も硬く割りにくい。ミミズや昆虫などを食べるためか
これが自然の本来の卵なのかもしれない。

日本茅葺紀行 NO,403 神戸市の民家

2017年10月31日 | 日本茅葺紀行
神戸市の北区には今も茅葺民家が残る。

柿がなり昔懐かしい風景が残る。フィルムカメラで撮影する。
神戸の北区は自然も残っている。

神戸の中心地から30分から40分の距離なのでカメラを持ち撮影に来る人も多いと思う。撮影禁止の立て札のある家は挨拶に行っても撮らせてくれないのであきらめて帰る。
70歳を過ぎて人に叱られるのも情けないものだ。














蒸気機関車 播但線寺前付近

2017年10月30日 | 蒸気機関車
撮影場所  兵庫県播但線沿線
早朝にC57型蒸気機関車が貨物を牽引して和田山に向かう。
C5711号機だ。

写真の一枚一枚が自分の人生なんだなあと思う。撮った写真が行動や思考の記録である。
自分史に自分の人生を書き残す人がいる。

学業優秀で有名大学を卒業して学校の先生になり校長先生を長く勤め子供も優秀に育て上げるという自分史を見かける事がある。立派な人生が書き残されている。

その実は女好きでPTAとの宴会では女性保護者の手を握り転がってはスカートの下から覗く人であったりする。自分史にはこんな品格のない自分の汚点は書かない。

勉強もせずロクな仕事もせず酒ばかり喰らう人の自分史など残るはずもない。
自慢する人の歴史は残るが人に言えない人生や恥ずる行為は歴史に残らない。
新聞や週刊誌のネタになるくらいだ。

人の人生は二万日から三万日、
優秀だった人も並みの人にも平等にある日々の時間
自分史などに書こうとは思わない。しかし、自分が生きた時代はどうであったかはどう生きるべきだっか反省も込め書き残したい。残りの人生もあと僅かだ。




懐かしい物 箕(み)のある風景

2017年10月29日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旧東粟倉村

茅葺の民家に箕に穀物を入れて干してある。
箕は竹や柳の枝や蔓で編んだ穀物を少量運んだりゴミと穀物を分別するのに使う。
風のある時に箕を上下させてゴミを飛ばす。
箕だけ大きく撮影してある写真は撮っていない。フィルムカメラの欠点である、要る物しか撮らない余分な写真はとらない。

平成の時代でもこんな昔の道具類が残っているのだ。
民俗学で茅葺民家の写真を撮っている人は道具や農具、農作業着なども沢山撮っている。

茅葺民家 懐かしい田園風景

2017年10月28日 | 茅葺き民家
撮影場所 鳥取県智頭町

智頭町の茅葺のある風景をみると懐かしい田園風景だ。
緩やかだが石垣を積んだ棚田になっている。
周りの風景も林があり昔からの田園風景が残されている。

凄く懐かしい風景と思う。
冬場でなく水田の見える時期に撮影に来るべきだった。
カラーでも撮って置きたかった。

その後、二回来たが茅葺民家はへり10年前には残っていないかった。
デジカメで生活している茅葺民家を撮りたい思っても茅葺民家がない。


日本茅葺紀行 NO,402 コスモスその2

2017年10月27日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岡山県新見市

茅葺民家とコスモスの第二弾

新見市の岩石はほとんどが石灰岩である。
広島県の庄原市あたりまで石灰岩だ。
石灰岩だけは日本に沢山ある。セメントや製鉄、石膏ボードの建材に使われる。
これがあるおかげで高速道路もビルも建った。
戦前まではコンクリートが高く石垣などで基礎工事をしていた。
古い鉄道路線は石組みの鉄橋やトンネルものこっている。

セメントの製造を各国みてみると中国が断トツの一位、日本は韓国よりも少ない。
どの世界でも中国の製造量、販売、消費には圧倒される。世界の鉱物、食料を買いあさり圧倒的な量の物資を売りさばく中国は驚異である。巨額の富を得てやりたい放題である。中国30年の歴史といわれ程、いつも紛争のある国、国内が乱れ勢いを減衰してほしいものだ。  

石蟹駅と新見駅の間に小野田セメントの工場があった。石蟹駅から引き込み線もあった。
余り関心もなく一枚も写真を撮っていない。時代の変遷や産業構造の変化を記録するためにも撮って置くべきだった。

新見市に今も残る茅葺民家、カルスト台地にある集落は米は作れず畑作である。煙草や芋や野菜を作っていた。今は葡萄畑に替わっている。
ピオーネやシャインマスカットなど岡山を代表する葡萄の生産地になっている。
高齢化過疎化の農村に若い世代の農家をする人が住み着いている。



私の昭和鉄道遺産 その48 岡山機関区

2017年10月26日 | 昭和の遺物たち写真展
伯備線のD51型蒸気機関車がターンテーブルに乗っている。
毎日何回も方向転換の作業は行われていた日常の一コマ。
機関車の操作をしている横で危ないのにカメラで撮影する。
私は撮影していた頃は工場で働いていた。
工場では安全靴、ヘルメット着用で部外者の立ち入りは一切禁止されていた。
その当時の国鉄は立ち入りに関してはおおらかであった。
ましてや子供は大変危険だ。

機関車を間近で撮影できたのは有り難い。
機関区など一度行けばもう良いと思っていたが、行く時間があれば機関車も変わるので頻繁に通うべきだった。今思うとそんな時代には戻れない。

懐かしい物 路地

2017年10月25日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県玉野市八浜

昔の古い街並みの道はは人か自転車、リアカーが通れるくらいの狭い道
民家の離隔がないので防災に弱い。
そんな家と家の間の路地を巡りいろいろな風景や人の暮らしを探し写真に残す。
てくてく歩いて路地を探すのでテクのロジという人もいる。

私も歩ければ岡山県内の昔からの古い街並みの路地を見つけては歩いて撮影したかった。
出来れば戦前からの建物の並ぶ路地を撮りたい。新建材の路地は興味が湧かない。
板壁や漆喰の壁がよい。基礎は石を並べた物がいい。
今後20年もすれば消えて無くな建物がいい。
20年もすれば自分もこの世にはいないがせめて魂のごとく写真で残す。

写真を残すのはこの世に生きた怨念を残すようなものだ。
俗にいう世間遺産とみるか故人の怨念と見るかは残された者の判断次第。

茅葺民家  高台から民家を撮る

2017年10月24日 | 茅葺き民家
茅葺民家はいろんな高さや裏表と撮影する。高台から撮る写真も一枚は入れたい。
今はデジカメなのでケチらずいろいろな角度から撮ればいい。
山間部は山の端に家を建てているので民家の人に了解をもらい山の斜面から撮影させてもらう。
上からの民家は日頃、見慣れていないアングルなので新鮮に見える。
上から撮ると集落や周りの風景や紅葉や新緑も写り込み面白い。


下から撮影すると電柱や車などが写るがこれを隠す事ができる。
街並みを撮る場合も看板や道路標識や道路の交通標識が汚らしい。高台を見つけて上から撮ってみる。
現在の私はこんな所へは登れない。健康な人限定である。




日本茅葺紀行 NO,401 兵庫県旧今田町の民家

2017年10月23日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県旧今田町大野原

姫路から国道372号線で篠山に向かっていた。その途中の今田町にも茅葺民家が見えた。
それから南下して茅葺の残る地域を探す。大野原集落に10軒ほどまとまって茅葺民家があった。それから数キロ行くと立杭焼の集落にたどり着く。ここにも茅葺民家はあった。
立杭焼に行ってここが日本六古窯ひとつであるのをしった。  
(六古窯、平安、鎌倉時代からの窯業の産地)
何でも行動して現地にいってみるものだ。その後、六古窯を全部まわってみることにした。

茅葺民家は結局、何年も掛けてその地域を探した。
今田町のこの地域は米が穫れず焼き物を売り米と物々交換をしていたと地元の人が言っていた。なぜ米が穫れないのか標高はそう高いわけでもなく灌漑用水がなかったのであろうか。
重機や削岩機のない時代は上流から水を引くにしても岩石を掘削したらトンネルを掘るにも苦労したとおもう。水利権の問題もあり政治力のある代官や庄屋がいないと難しかったと思う。
干拓地にしても農業用水のない平野部は大変な苦労をしている。

集落を訪ね歩いても農業用水をどこから引いているか飲料水はどうしているかを知る事が必要だ.棚田地域を訪れた時にこの棚田の用水はどうしていのかお婆さんに聞いたら下の池からポンプアップして送られてくるといった。お婆さんの口からポンプアップという言葉が聞けるとは思わなかった。