懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,409 秋田県旧鳥海町の民家

2017年11月30日 | 日本茅葺紀行
旧の鳥海町(現在は由利本荘市)の百宅に茅葺民家が何軒がある。
秋田で茅葺民家を撮っている人が教えてくれた。
東北の茅葺の所在地は他人のホームページやブログを見ないと難しい。

百宅は寒い秋田の地でありながら更に道路を登る。
鳥海山の頂上付近が白い雪のまま姿を現す。
山の上の開けた集落で人々は農作業で暮している。
昔は大きな道もなく冬場は孤立していたのであろう。
冬場は孤立した人々が助け合いながら生きたのであろう。・

何軒か茅葺民家があった。融雪池の周りに水芭蕉が生えていた。


蒸気機関車 田舎の風景

2017年11月29日 | 蒸気機関車
撮影場所 播但線

C11型蒸気機関車がバック運転でのんびり走る田舎の風景を走る。

ワラを積んだ藁ぐろやもみ殻が見える。
姿を消した懐かしい田舎の風景だ。
バック運転なので横からの撮影が機関車が見えてよい。
バック運転を正面から見てもなんじゃこりゃの写真になる。

昭和の時代の客車に人は余り乗っていない。
ローカルな風景だ。

鉄道写真は機関車や電車の車両ばかりでなく人々の暮らしのなかにどう溶け込んでいたかと撮るべきだったと思う。
古い昔の民家や茅葺民家や石垣や段々畑、農業用水、田植えや稲架の農作業風景、鎮守の森などの暮らしの風景も探して撮って置くべきだった。

懐かしい物 さよなら17m電車

2017年11月28日 | 懐かしい物
撮影場所 広島県可部線可部駅

可部線を走っていた17m電車が廃車になると言うので撮影に行く。
横川駅から乗り換え可部に向かう。
昭和51年だった。蒸気機関車がなくなり鉄道ファンは激減していた。
さよなら運転になると鉄道ファンでごった返すのに駅のホームにも鉄道ファンは少し。
蒸気機関車が消え鉄道写真は何をテーマに撮ればいいのかみんなもがいていたと思う。
木造駅舎や淘汰される赤字路線や国鉄車両、貨物車両など撮る気があればテーマもあったとお思う。私の場合は子供もできてこんな趣味からは撤退した。


職員の記念写真で並んでいるところにお邪魔虫してパチリ
可部線には旧国電のクモハ11.クモハ12.クハ16がいたと他人のブログに書かれていた。



茅葺民家 モノクロ 丹波篠山の民家

2017年11月27日 | 茅葺き民家
兵庫県篠山市の民家はころびが深い、屋根のくびれが大きい。
入母屋でもほとんどくびれを付けず下に切り下げているのもある。

こんな篠山特有の民家も姿を消している。
この民家は板塀で漆喰壁、金持ちの家であろう。
デジカメて撮影する前に姿を消した。
地域の広い道を走っていたらこの家は見えた。
二、三軒あった茅葺民家が見えなくなった。
時代はどんどん変化している。平成もあと一か月で30年になる。
再来年には年号も変わる。
平成はどんな時代であったろうか東日本や阪神淡路の大震災の時代であっように思う。
こんな震災より東日本の災害の大きかった海岸線の集落や松林、漁港を記録していた人がどれほどいたかとアマチュア写真愛好家に問われているように思う。
次ぎの時代に向けて日本の消えて無くなる物を見つめる事も必要か


日本茅葺紀行 NO,408 京都市左京区久多の民家

2017年11月26日 | 日本茅葺紀行
久多の茅葺民家を住んでおられる方に断りを入れ屋根の裏側から撮影させてもらう。
屋根の裏は苔むしていた。バックの山々に杉が植えられれている見える。
山ならばどこにでも木は生えるとと思いがちだが植林できる山と岩ばかりで木も大きくならない山があるようだ。

京都の奥の久多には行って帰るだけで一日掛かる。
フィルムカメラでの撮影した物しかないのでデジカメで一度撮ってみたい。
高速道路が出来たと言えども時間は掛かる。撮影しても晩秋だと8軒ほど撮影すれば一日が終わりだ。゛

久多も高齢化過疎化が進んで無住の家も増えているのだろう。
自分も元気に歩きまわれれば土地で暮らすにはどん楽しみや良さがあるのか聞いてみたいところだ・。

私の昭和鉄道遺産 その51 加古川のC12型

2017年11月19日 | 私の昭和鉄道遺産
兵庫県加古川のC12型蒸気機関車

加古川から北へ小さな路線が枝のように分岐していた。
今も懐かしいローカル色豊かな路線だ。
平成になり茅葺民家を撮るのにこのエリアはよく走った。
蒸気機関車を撮っていた頃に訪れていたら駅舎やホームも昔懐かし風景に出合えたと
思う。

C12型蒸気機関車は梅小路に保存もされていない、小さい機関車だが好きな機関車だ。

姫路機関区で撮影して加古川まで足を伸ばした。


懐かしい物 薪を積む風景

2017年11月18日 | 懐かしい物
撮影場所 鳥取県八東町

NHKの小さな旅で北国の山間地に住む地域が舞台だった。
お婆さんんが冬支度の薪割りをしていた。
沢山薪を積んであるのにまだ薪割りをしている。
積んである薪はお爺さんが生きていた時にお婆さんが冬場困らないように割ってくれたもの。これは使う訳に行かないと自分で斧を振り上げて割っていた。

60年以上暮らしてきたのだ。なんとも微笑ましくみていた。
夫婦は全くの他人が結ばれ家庭を守り子供から孫へと受け継いでいく。
何十年と暮らすには忍耐も我慢も必要だし工夫と努力も必要だ。
いまの時代、結婚して気が合わなければ直ぐに別れてしまう。
初めから生まれた環境も性格も分からない者が一緒になるのだから溝が出来ないようにお互いの欠けている部分、理解の足りないところを補う必要がある。

私は難病で車椅子生活、家内も大病をした。お互いが通っている医院の先生が余命を考えて夫婦の歴史をまとめてみたらどうかといった。
過去の日記帳を紐解いたが書いてあるのは自分の事だけ家内の事や家族の事はほとんど書いていない。家庭の事など関心さえない。自分の趣味には一生懸命
動物の熊や猫の雄と同じだ。雌を求めて種付けするだけだ。

夫婦生活歴史は自分の至らなさを書き連ねることになりそうだ。
人生最後の反省文になるかもしれない。

酒が飲めずよかった。

2017年11月17日 | 日記
私は身体はビッグだか全く酒が飲めない。見た目には大酒飲みにみえるそうだ。
酒を飲めないと大人扱いしてくれない。酒飲みの横に座るとオマエは面白くないので席を変わってくれといわれる。
酒の席で男は成長するところがある。酒を飲めないと軽くみられる。
酒の席は好きでなかった。必要な付き合いしか参加しなかったように思う。
飲み屋街で酒飲みはどんな事をしていたのかもほとんど知らずに歳をとった。
本来酒は親交を深め楽しいものだが喧嘩や激しい口論があると座が白ける。

日馬富士の暴行事件を見ていて酒のみでなくて良かったと思う。
事件の内容は隠ぺいしているところを見ると酷い事をやったのであろう。
しかも横綱二人も同席していたので同罪に問われかねない。
鳥取県警もしっかり調査してうやむやにはしてほしくない。
事件から時間も経つ証拠が残っているのか心配だ。ここは「科捜研の女の榊マリコ」の協力をお願いしたらどうか 頭のキズの鈍器は何でどんな角度で叩いたかなんでも調べてくれる。

自分は身体が大きいので喧嘩して怪我をさせたりすると酒の席では済まされない。
酒のトラブルや失敗はいろいろある。
暴力や妻、女性へのDV行為、セクハラ、飲酒運転での事故、階段からの転落や自転車で用水転落、酔いつぶれて財布の現金カードの盗難、凍死、肝硬変、アルコール中毒、物損、借金生活苦、感情的になる人間や絡んでる人はいやだった。新車を買い送っていったらゲをはかれたこともある。深夜まで飲んで他人の家の車で裸になり寝ていたのもいた。
書ききれないほどの蛮行がある。

韓国の慰安婦問題 親父の酒代のために売り飛ばされた女子もいるのだろう。
日本兵に連行されとなどと捏造するな。よくも公の場に恥じらいもなく出てくるものだ。
チャンと高給をもらい仕送りしていたのに今になって慰謝料を請求する。

茅葺民家 モノクロ 稲架のある風景

2017年11月17日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧美甘村

今年は土日に台風や雨があり稲刈りが終っていないところもある。岡山南部は田植えが遅いがいつもの年は11月初旬に新米ができた。
しかし、天候に恵まれ大きな被害もなく豊作のようだ。

今年は四国の早明浦ダムも渇水で制限も無かった。
川には水は十分あるのに渇水騒ぎをいつも苦々しく聞いている。
建設時に揚水発電にしておけば渇水などなかったのにと苦々しく聞いている。

稲架に稲を掛けている。茅葺き民家と一緒に撮影する。
いまでも稲架に掛けるところはある。茅葺のあるところへ行けばこんな光景も撮影できる。

以前に撮った風景でも毎年毎年出かけて行きシャッターを押さないといけないのになかなか出かけられない。生きる事は行動することと分ってはいるが 始めの一歩がでない。

日本茅葺紀行 NO,407 神戸市北部の民家

2017年11月16日 | 日本茅葺紀行
神戸市淡河町の民家

数年前にはこの民家も残っていたが屋根に大きな穴があいている。今も残るか不明
人が住み畑や田も耕作していたころは手が行き届いていたが人が住まなくなると雑草は生え放題、道路まで草がはみちだしている。民家も痛み放題になっている。

東日本大震災で放射線被害の大きい避難地域の田畑や民家は荒れ放題である。
家も動物の棲みかになり中で糞をするので二度と住めない。

田畑も民家も人の生活があり掃除や草抜き整理が常にやっているから維持されているのだ。
高齢化した集落や都市部も高齢化した民家は動ける人の応援隊が必要だ。

我が家も重い米を30kg袋で買っていたが止めて5kgをネットで購入
燈油ストーブも買い替えたがしまったと思った。エアコンが楽だ。