懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

古い町並み  倉敷郊外

2012年09月30日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県倉敷市郊外

時々、散歩で歩いていた昔ながらの家々が並ぶところ、この時はカメラを持って歩いた。
観光地から離れた昭和の家並みが続く倉敷の郊外、ほとんど客のこない商店、 昔からの商売をしている家、板塀の家、こんな家々も時代とともに変化していくのであろうと撮影した。
幼稚園が終わり出迎えの妊婦さんと子供さんに立ってもらった、
妊婦さんをモデルにして申し訳ありません。
まだ店屋に公衆電話BOXがある。コンビニから公衆電話が消えて久しい。

今ならばブログなどあるがこの時は何のために撮ったのか分からない。
未来のために今を残しておきたかったのであろうか








蒸気機関車 米子機関区

2012年09月29日 | 蒸気機関車
撮影場所  鳥取県米子市

米子機関区には山陰線、伯備線、境線の蒸気機関車が給水、給炭、灰処理に立ち寄った。
蒸気機関車はD51型、C57型、C58型、8620型が立ち寄った。

客車や貨車の停車のために広いヤードを持っていた。
現在米子のヤードはどうなっているのだろう。
商業地とし開発できるところもあれば長年ヤードがあったため道路のインフラが遅れていて開発が出来ないところもある。

給水のD51と8620



給炭設備のD51



D51とC57

日本通運 古市支店 

2012年09月28日 | 懐かしい物
撮影場所 兵庫県篠山市古市

福知山線古市駅前に少し古い町並みが残っている。
その建物の中に日本通運の昔の建物があった。
こんなのを撮影した事も忘れていた。
通常は古市の駅前の細い道を使う事がないが、駅の先の線路脇に大きな茅葺民家があった。
これを撮影するために通った時に撮影した。
走っている時に停まって安全なところに駐車して撮影に行くのは面倒な事である。
しかし、趣味は面倒なものである。面倒な事をやらないと何も残らない。面倒なものを探す事が趣味の楽しみなような気がする。
人生も仕事も面倒な事の連続である。
初めから面倒なものと思った方が気がらくである。

日本通運の荷物取扱所はちょっとした駅にはあった。
それも木造の建屋や木造の倉庫が多かった。
国鉄の手荷物取り扱いは宅急便の便利さに負けて縮小していった。
私も鉄道の写真を撮影していたが手荷物扱いの写真は少ない。
鉄道写真は機関車や車両が中心で時代の流れを大局的に見て撮影していない。

こんな手荷物取扱所の建物が平成の時代まで残っていたものだ。
鏝絵で文字を書いているのであろう。
右から書いているので戦前のものであろう。所も旧字だし日通のマークも昔の字である。
この字はどう読むのであろう、どこできればよいのか。「汽車積、御荷物取扱所」であろうか


茅葺民家  島根県平田市の民家

2012年09月27日 | 茅葺き民家
撮影場所  島根県平田市

出雲地方の茅葺民家は反り棟が多い、中には棟が直線的な一般の寄棟もある。
反り棟は一般的には竹簾などで棟仕舞をするが写真のように瓦で反りを付けた民家もある。
瓦をそらして雨が漏らないものかと心配になってくる。
庭の中からも撮影させてもらうよく手入れされている木々、中でも松の木に素晴らしいのがあった。懸崖のように降ろした枝た枝は繊細に手入れされていた。

築地松で囲まれた茅葺民家もあったが段々姿を消している。
子供が小さい頃には平田市から島根半島の日本海側でキャンプや民宿に泊まりに行った。
サザエやアワビを捕ったり魚を突くのが目的だったが、次第にサザエやアワビの捕獲が厳しくなり山陰へ潜りに行く楽しみがなくなった。
その時に茅葺民家が沢山あり撮影したが片手間で撮影したものが多く大した写真が残っていない。
私の住んでいるところからだと一般道日帰りでは平田市が限界である。




日本茅葺紀行 その1

2012年09月26日 | 日本茅葺紀行
今回から日本茅葺紀行をはじめます。

全国に残る茅葺民家を訪ね歩く旅です。
訪ね歩くは正確には誤りです。歩けないので車の中から撮影しています。時には車椅子を降ろして撮影する事がある。(畦道や砂利道は車椅子は使えない)

茅葺民家は全国各地形が違うのが楽しみである。またそこで逞しく生活する人に出会うのも楽しみである。人が生活している民家を中心にお送りします。

日本茅葺紀行はカラーでお送りします。デジタルカメラで撮影したものやカラーフィルムで撮影したものをプリントしスキャナーで電子化したものを投稿します。

第一回は茨城県石岡市の民家
母屋と別棟のある大きな家、母屋は江戸時代の建物
200年近く経った家に出合うのも民家探訪の楽しみです。


ドッキリ警官

2012年09月25日 | 懐かしい物
撮影 香川県国道11号線

昔は交通事故防止のためスピードの出やすい場所やカーブに警官の像や白バイ、パトカーが置かれた。何も悪い事をしていないのに警官をみるとスピードを落としたりシートベルトをむ確認する。
夜中に光る警官を見ると取り締まりをしていたのかドッキリする。

国道を走っていて車を駐車して撮影に行くのは面倒くさいものである。
第一、パソコンもブログも無かった時代、撮影しても何の目的で使うかがない。
どうせ撮るなら100体とか200体はとらない使いものにならない。
木村伊兵衛賞を取った都築響一氏は全国のケッタイナものばかり撮影して賞をとった。
雑誌の編集者でカメラマンを雇うにも金がなく自分で全国を回って撮影した。

他人のやらないことやりだしたら最後までやり抜かないと意味がない。
私にはそこまで馬鹿になる勇気はない。



蒸気機関車 C12型と貨物車

2012年09月24日 | 蒸気機関車
撮影場所 兵庫県加古川駅

C12型蒸気機関車と貨物列車の写真をおおくりします。
国鉄の貨物輸送はトラック輸送に負け縮小を余儀なくされた。
手荷物扱いの廃止に始まり一般貨物輸送もトラックに切り替えられた。
国鉄の民営化では何万台もの貨車が廃止された。

無蓋車が撮影されている。トラと標記されている。貨物や列車の記号はどんな意味があるのか子供の頃は不思議な物のひとつでもあった。
無蓋車(覆いのない貨車)のトラのトはトラックの頭文字、ラは積載重量17トンから19トンと書かれている。有蓋車(覆いのある貨車)はワム等で記載されている。ワはワゴンの略だそうだ。

私が蒸気機関車を撮影していたころは沢山いたので意識して撮影をしなかった。
貨物や客車を撮影するにはフィルムが惜しかった。
しかし、ホームページを見ると貨車や客車、気動車、電車とことごとく撮影している人がいる。やはりマニアである。
貨物列車が少なくなり貨物列車に人気がある。伯備線で日曜日にカメラを構えている人が三人いたので何を撮影しているのか聞いたらEF64の牽引する貨物を撮影する。これは珍しい列車だと説明してくれた。

私は蒸気機関車が去ったら鉄道に魅力を感じなくなり一切撮影をやめた。
結婚をして子供が出来てカメラを持って撮影に行ってくるという環境でもなかった。
しかし、遠出でしなくても自分の住む県内を対象に撮影はできたはずだ。こちらが行かなくても列車の方が全国からやってくるものもある。
岡山県内の駅をすべて撮影するとか駅に停車する車両を撮影するとか駅を通過する列車を一日撮影するとか駅を乗降する人を一日撮影するとか工夫をすれば遠出をしなくてもできたはずだ。


茅葺民家 神戸市の茅葺き民家

2012年09月23日 | 茅葺き民家
撮影場所  兵庫県神戸市

神戸市には素晴らしい茅葺民家が残っている。
箱木千年家をはじめ立派な民家が残っている。
兵庫県自体が古い建造物の保存に積極的である。
建物の撮影される方は兵庫県建物百選は一読の価値がある。
この家は山陽自動車の近くにあった。
横に池もあり静かなたたずまいである。
池の多いのも神戸周辺の特徴、六甲山が隆起したため大きな川がない。
田畑の灌漑用水を確保するためにため池がいたるところにある。
この池は子供が立ち入り事故を起こさないように堰堤に有刺鉄線を張ってある。







昭和の古い町並み写真展 その65 「水辺の民家 その2」 最終回

2012年09月22日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その65 「水辺の民家 その2」 倉敷市玉島

玉島の溜川沿いの水辺の民家をお送りします。
長屋風の民家に男性の上半身裸姿、標準レンズしか持たず狭い路地や民家の撮影には苦労した。今のカメラ機材は夢のよう。
溜川にかかる水門橋、私が撮影した頃でもなんとも古かった。骨董風景を気に入り撮影した。(水門橋は玉島はかっての高梁川の西の河口、低地の田に塩水が入らないように干満に合わせて水門を開閉して水位の調整をしている)
昭和23年に造られたそうだ、まだ25年しかたっていなかったのにこの古さ。
この古さはどこからくるのか考えられるのは川砂を使った。戦後の資材不足の折りセメントが少なかった事がかんがえられる。

昭和の古い町並み写真展は今回が最終回です。
写真展は定年後五回やる計画にしています。今回は茅葺民家に続いて二回目でした。こんな身体のため「目標と毎日やりたいこと」を持っていないと生きる希望が持てません。
写真展を開き多くの人と会話をして「いい話を聞かせてもらい」刺激を受ける事です。

1.ハイアマチュアの方が言っていました。岡山のアマチュアの人は写真家の石津良介氏の指導を受けた方が沢山います。先生が言うには写真展は団体でも個人でもテーマを持ち何年が追い求めたものを発表しないといけないと言われた。
2.昔からやっている人はモノクロに愛着があるがデジカメから初めた人はモノクロは写真と思っていないのがよくわかった。

次回からは「日本茅葺紀行」をはじめます。カラーでおおくりします。
消えてなくなったと思った茅葺民家、しかし、どっこい残っていた。
そんなのを追い求め全国を巡った旅です。




蒸気機関車と給水塔

2012年09月21日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県行橋機関区

給水塔、蒸気機関車が全廃になれば解体撤去されるのだろうと思い一緒に撮影した。
最近は廃墟や役目を終わった建造物を撮影する人が増えた。
石炭が衰退して廃坑になった時にだれも眼もくれなかった物が注目が浴びる。

私は消え去る風景をキーワードに撮影してきた。45歳になり消え去る風景にはどんなものがあるか各ジャンル別にリストアップした小さな項目を250ほど掲げ消える要因、テーマとして取り組みやすさ、撮影対象物が500くらい残っているかを表にした。
平成の時代になってこんな事をやっても遅きに失した感があった。
こんな事は20歳代の独身の時にやっておかないといけなかった。
昭和の時代にはこんなテーマは沢山あった、今から考えるとそのお宝に気付かなかった。
テーマを見つけるのも多くの人がやっている事を真似る事が多い。
考えなくて楽だし自分で決めても続ける自信がない、人のを真似たが安心
人の物まねはいつまで経ってもコピーでしかない。
若い人は生涯のうちにひとつくらい自分でテーマをみつけ10年、20年と継続してください。

写真は時代がこう変化するだろうとある程度予測して撮影しているとおもう。
時代の変化は他人の写真を一杯見るより新聞などをよく読み時代の変化や問題点からヒントを得られるように思う。ローカルな記事の中にヒントがある。気になる記事はスクラップに貼っておく、パソコンの画面では見たものはすぐ忘れる。年をとると余計に