懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,369 兵庫県の民家

2017年05月31日 | 日本茅葺紀行
兵庫県の民家を了解も得ず通りすがりに道路側から撮っていたら住人の方が何で撮るのかと叱られた。
デジカメの撮影のデーターを削除してやっと許してもらえた。
70歳を過ぎて叱られるのもみっともないものだ。これも人生の一ページではあるが
特に私は撮影せず家内に頼んだもの家内が叱られるのである。

何度かこんな思いがあり家内は撮影の挨拶にいくのを怖がって行ってくれない。
この写真は以前にフィルムで撮影したものだ。
今は手前の小屋は取り壊されてない。

茅葺民家の撮影はこんな惨めな時もあるが楽しい話や為になる話もきけるのでやめるわけにはいかない。
惨めな思いや情けない思いを避けていたのでは人間は成長しない。



蒸気機関車 函館本線大沼

2017年05月30日 | 蒸気機関車
大沼付近を走るD51牽引の貨物列車。

D51の牽引する貨物列車はいくらでも走っていた。
C62の牽引するニセコや客車専用の機関車ばかり追いかけてD51の貨物列車は冷遇された。
重連や三重連ならば鉄道ファンは色めき立つが一台で牽引する貨物は注目度が低い。

しかし、こんなどこでも見られた風景も時間とともに消えていく。
蒸気機関車もこんな貨物も消えて無くなった。

時間と共に風景も変わる。
知らぬ間に公衆電話もなくなり町の商店も煙草屋もなくなった。
やがて新聞配達も減るのか
田舎の集落の在り方もかわるのであろう。

生きることは働き家族を守るとともに時代を見つめ記録していくことか
野球好きは野球の切り抜きをスクラップしていく鉄道好きは鉄道写真を撮り続け切符などを集め続ける。野草好きは住む県の野草を撮り続ける。神社好きは全国の神社を撮り続ける。
人の一生は一度だけ来世などありません。千の風になる事もありません。

生きているうちに自分の生きた証を残す。この時代に生きた痕跡を残すこれを魂というのか

石橋のある風景

2017年05月29日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県早島町 現在は早島インター

早島インターの建設前に石橋や用水を一部撮影した。
現在は農業用水はコンクリートの三面張りになっている。
このころは棒杭で土留めをした昔ながらの工法である。

この時は亀もドジョウもダルマカエルも棲んでいたが現在は厳しくなつたと思う。
早島インターや高速道路の建設でどう風景が変わるのか根気よく撮ろうと思ったが意思が弱く途中で断念する。

岡山の南部はこんな農業用水が沢山流れている。
コンクリートの橋は車の通るところで人の通るところは石橋が多かった。
こんなのを何百箇所も撮っておくといいコレクシションになったし農業遺産の写真になった。

時代が経過しては初めて気づく懐かしさ。

早島インター付近は東西南北の高速道路が交差する場所で山陰の幸も四国の幸も瀬戸内の幸も集まる場所として流通センターや市場できる話があり楽しみがあったがそんな話は立切れになった。







2016年 茅葺写真展 煙出し その2

2017年05月28日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 山形県鶴岡市

屋根の中央部に大きな煙出しをハッポーというそうだ。
これだけ大きいと存在感がある。人間で言えば大きな鼻の穴の持ち主であろうか
芸能人ならば北島三郎などか美男美女になれない顔だが失礼!
こんな人は精力的で打たれ強く功績を残す人が多い。

いろいろな形状があるのが茅葺民家の面白いところだ。
山形県も米沢周辺の置賜地方と鶴岡酒田の庄内地方では民家の形がまるで違う。

秋であったので菊が咲いていた。観賞用の菊ではなく食用菊であろう。
我々は菊は見るものだが東北の人は食べるものである。



茅葺民家 島根県旧三刀屋町

2017年05月27日 | 茅葺き民家
三刀屋町には何度も行った。
今はどれくらい残っているか分からない。
あるのが分かっていれば再度、撮影に行きたいがあるかないか分からないを行く気にはなれない。
一年程前にNHKの特集で過疎化の進む市町村の行政サービスの取り組みが紹介された。
それに三刀屋町の取り組みが紹介された。
水道の検針や高齢者の見回り相談を地域住民に委託するものだ。
それに茅葺民家がでてきた。その民家を撮った記憶はないどのあたりにあるか役場に手紙を出そうと思っているがもう一年が過ぎる。

茅葺民家撮影に以前の情熱がなくなった。
情熱を失うと何もする気になれない。
高齢者は生き甲斐がないと生きる希望も失う。

火葬場で燃え尽きて炭酸ガスになる前に心を燃やしたい。




日本茅葺紀行 NO,368 兵庫県篠山市北部の民家

2017年05月26日 | 日本茅葺紀行
茅葺の民家が残っていた篠山市の北部の本郷にデジカメで茅葺民家を撮りに行く。
以前行ったときはフィルムカメラで自分も歩けていたので一人で車を運転して斜面を駆け上り撮影した。
今も茅葺民家は少しは残っていた。写真の民家には人も住んでいた。

しかし近所は空き家も増えた。斜面を駈け下りたところは雑草でおおわれていた。
私も難病で歩けなくなったがみんな高齢化で家の周りや田圃の周りの雑草も刈れなくなる。

高齢化するということは集落の田畑の維持や景観が出来ない事だ。
何もしなければ茅葺民家は朽ち自然に還る。棚田なども働き手のいるところは管理ができるが数年放置すると雑草に覆われる。

田や畑の維持は雑草や野生動物との闘いなのだ。




私の昭和鉄道遺産 その31 夜の機関区

2017年05月25日 | 私の昭和鉄道遺産
撮影場所  福岡県直方機関区 宮崎県南延岡機関区

機関区に入る時は事務所で立ち入り許可をもらう。
その説明書には夜間は立ち入り禁止になっている。
機関車が移動するときにカメラマンにうろうろされては危険きまわりない。

撮影旅行は夜行で移動するが22時頃の出発のため時間があるのでひっそりと機関区に潜入して撮影した。
機関車は黒いので光が当たっていないと撮影できない。
光の影になる機関車はうまく撮れない。
撮影のシャッタースビートは山勘でバルブ撮影 何枚が撮影する。
30秒から1分くらいだったか




日本家屋の美しさ

2017年05月24日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県倉敷市西ノ浦

岡山県は日本家屋が各地に残っている。

旧の往来の街並みにはこんな日本家屋が残っている。
カラーで撮ると現代が分かるので色を消すためモノクロで撮影する。
この民家など日本家屋の要素をみんな備えている。
日本家屋の要素と言っても地域によって構造、造りが違う。
瀬戸内海沿岸の造りの要素がでていると言うべきか。

格子に下見板、漆喰の壁、虫籠窓、本瓦
最近は外人が日本の文化や建造物に興味を持っている。
日本人よりよく知っている外人もいる。

日本人も負けずに日本の建造物に興味を持つ必要がある。
最近はデジカメでカメラマンは大勢いるが茅葺や日本の民家に興味のある人は少ないように思う。
写真展をしても一分くらい見てさっさとでていく人が多い真剣に見ようとしない。

2016年 茅葺写真展 煙出し その1

2017年05月23日 | 2016茅葺写真展
撮影場所 新潟県旧大島村(上越市)

現在市町村合併で上越市は日本海から山の上までの広い範囲になった。
大島村はどんどん山の中に入り登りつめた隣は松之山である。
日本有数の棚田地帯であるが豪雪地帯でもある。
昭和の時代に気付けば昔ながらの風景が沢山撮れたと思うが高速道路もなく仕事をしていてはそんな余裕も無かった。

高速道路が出来るとともに茅葺民家も姿をけした。
私が初めて訪れたのは21世紀になっていた。
そのころは何とか茅葺もの残っていて滑り込みセーフだった。

豪雪地帯のために板張りの壁で背の高い民家であった。
あんな高い民家は我々のところでは見掛けない。
どこの家にも雪下ろしの梯子を掛けてあった。

山の中の集落に大きな旧家があった。口のような煙出しに中門の玄関に威厳がある。
地元の人が昨年までもう一軒豪邸があったが解体され移築されたと聞いた。
移築されて保存されている民家は余り撮る気がしない。
民家には周りの風景も生活感も必要である。


茅葺民家 小さな棚田の民家

2017年05月22日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県旧旭町

東北と北海道以外は山の斜面も棚田や畑にして農作物を作ってきた。
農業人口が多い時代(昭和30年代)までは田舎で暮す次男、三男は田や畑を得る為に条件の悪い土地を開墾して田や畑にした。
棚田とカメラを持って撮影に大勢行くが先祖の努力の遺跡を感じ取ってほしいものだ。
こんな土地も小さな棚田も放棄され自然に還ったり杉を植えているところもおおい。
私も歩ければ自分が撮影した場所がどう変貌したか追跡調査したいところだ。

高度成長期に入り都会で働く労働者や工場で働く労働者が必要になった。
田舎で米や野菜を作る収入では近代的な暮らしはできない。田舎を捨てて都会に職を求めた。
小さな敷地に家を建てた暮らしでも都市部の生活が豊で便利であった。

山間地の小さな棚田や急斜面の畑もいずれ消えるる運命になるのであろうか