懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

懐かしい風景  琴平電鉄

2013年08月31日 | 懐かしい物
撮影場所  香川県高松市

琴平電鉄はローカル私鉄で古い電車の博物館といわれている路線である。
今の鉄道撮影についてカメラの性能は抜群だが骨董的な車両や機器や風景がほとんどなくなった。ここ琴平電鉄は各社私鉄の払い下げ車両が集まり鉄道マニアが集まる場所になっている。

私も古い電車がいたころに撮影に来ようと思ったが中々実行できなかった。
これは昭和56年に屋島に行った時に撮影したのではないか
宇高連絡船に乗り高松市から琴電に乗った記憶がある。瓦町駅は線路が分岐して賑やかな駅の風景があった。今思えば絵になる風景だった。

この電車は個人のホームページを参考にさせてもらうと30系と言われ1930年に製造されている。冷房がついていなかったので1980年代に廃止になっていいる。

日本茅葺紀行 その75 鳥取県の茅葺き民家

2013年08月30日 | 日本茅葺紀行

この茅葺き民家は鳥取県の東部にある。
茅葺き民家の写真集にも出てくるのでご存じの方もいると思う。
鳥取県の東(旧国名因幡)は入母屋の家が多い。だいたい入母屋圏は倉吉から東であろうか
西の方(旧国名伯耆の国)は寄棟造りである。

隣の倉に鷹の鏝絵があるので鏝絵ファンの人は撮影に来るようだ(奥さん談)。
この鷹の鏝絵は茅葺き民家の倉ではなく隣の家の倉であった。
茅葺き民家の奥さんが前の用水で洗い物をしていたので撮影させてもらう。
茅葺き民家の北側に六地蔵がある。六地蔵信仰は中国地方では峠や旧街道で見かける。




懐かしの蒸気機関車写真展 その27 「機関区 給炭設備」 直方機関区

2013年08月29日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所  福岡県直方市 筑豊本線直方機関区

今回から機関区の給炭設備を二回にわたりお送りします。

蒸気機関車の廃止に伴い不要になった設備があります。
その多くは蒸気機関車廃止後に撤去されました。
蒸気機関車廃止で撤去された設備
1.機関庫
2.給水塔
3.給水設備
4.給炭設備
5.炉内掃除、灰処理設備
6.ターンテーブル(転車台)

給炭設備も撤去された設備のひとつ
いずれなくなるであろうと給炭作業と設備を撮影した。
こんな産業近代化遺産になるような設備はこまめに撮影すべきであった。
40年以上経過して初めてあの時撮っておけばよかったと思うのだ。
しかし、ネットを見ると世の中には将来を見通して細かく撮影していた人がいるものだ。

直方機関区の給炭設備は石炭の使用量が多く省力化されていた。鳥栖機関区にも同様の設備があった。
貨物列車で石炭が運ばれ貨車の石炭を地下のコールバンカーに落す。レールのは網の張られた地下ピットになっている。地下のコールバンカーの石炭をバケットコンベアーですくって
上のポッパーまで運ぶホッパーの石炭を蒸気機関車のテンダーに落し積載する。
昔は人力でスコップとモッコ積んでいたものと思う。
昭和40年代になると機械化が進んできた。
蒸気機関車に使っていた石炭は豆炭に加工したものを使っていた。
採掘した石炭は大きさにバラつきがあり粉もあるので空気がうまく通らず燃焼が悪いので同じ形状の豆炭をつかっていた。


茅葺き民家 島根県大東町

2013年08月28日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県大東町(現在は雲南市)

大東町は木次線沿線にあり宍道湖まで15キロ程度の位置である。
山には囲まれているが山間部ではない。
山と山の間の平野部には水田が広がり山の裾野を石垣を積み平地を確保して家を建てている。
山の斜面は畑になっている。
日本のどこにでもある農村風景である。そんななか茅葺き民家が二軒あった。
日本の風景の建物には茅葺き民家がやはりよい、積水ハウスでは日本の農村風景にはならない。
茅葺き民家がなくなれば日本瓦や石州瓦くらいまでならば撮影するがプレハブ造りはどうも撮る気がしない。
これから日本の風景はどう変わっていくのか人々の心に故郷を思わせる風景はなになのか
何を撮ったらいいか判らず日本の故郷百選や農村風景百選に皆が集中しそうな気がする。


出雲地方の民家で棟が少し反った反棟である。





懐かしい物 辻堂のある風景

2013年08月27日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県東粟倉村

東粟倉村に大きな松の木、その近くに茅葺き民家と辻堂があった。
辻堂は茅の葺き替えが迫ると葺き替えたりトタンで覆わずにに撤去されることとが多い。
辻堂が建立された背景には疫病が流行ったり風水害や冷害や害虫により不作が続いたり、村に不幸が続いたりがあるのではないか
しかし、過去の経緯を知る者も少なくなりそれを伝承する者もいなくなった。
そこに過疎化と高齢化、田舎に残る若者もいなくなり村にとってのお荷物になっている。
撤去に反対するものも少なく解体されるのではないか
私も辻堂は撮ったもののこれは何を祀りどんな目的で建てられたのでしょうかと聞かないといけなかった。

古い建物はそれを維持する金と人がいないに事には残らない。
法隆寺や東大寺が残っているのが凄いところは解体補修を何回もやったのにに資金提供をした権力者がいた事である。庶民は労働にかりだされ寄付をさせられあんな寺院など無くなれば思ったのではないか。
東大寺の再建は大木一本を一年掛けて運んだという。

日本の農村も過疎化、高齢化で寺院や神社、文化財、風景も消えたり姿を変えていくのではないか。


日本茅葺紀行 その75 ゲートボール

2013年08月26日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 島根県平田市
出雲地方の反り棟でなく寄棟造りだ。本来はこの地区は寄棟が基本形だっと思う。

茅葺き民家の前でゲートボールをしていた。
撮影させてもらう。歳を取ってもみんな元気で老後を謳歌している。
第二の人生を充実するために健康でなければならないが私は失敗してしまった。
ゲートボールもグランドゴルフも一度もやった事がない。
みんなカラオケにハイキングにと老後を楽しんでいる。
定年後にたっぷり行けると思った海外旅行も行かずに一生終わりそうだ。

日中ほとんど話す事もなく他人から刺激を受ける事もない。
しゃべらないと口や声帯が老化してくる。次第に口回りの筋肉が老化するので口や舌の運動や発声の訓練はしている。
こんな車椅子生活になっていい事は何もないと思うが、そんな状況になっても自分に今何が出来るか出来る事を考えれば毎日やることがあるものだ。
私は過去に撮影した写真を電子化するためには車椅子生活の方がむしろ好都合である。

人間健康であれば死ぬまで撮影旅行などで行動をし続けると思う。
元気に活動していた人がある日突然死んだ例は私の会社のOB会でもよくある。
死ぬ準備も自分の人生作品も残さず死んだ事だとおもう。
しかし死ぬまで元気に活動してぽっくり死ぬのもいいかもしれない。
作品にしてもデーターで残そうがアマチュアの撮影した写真など邪魔になり三回忌が過ぎれば処分される決まっている。

懐かしの蒸気機関車写真展 その26 「機関区」 南延岡機関区

2013年08月25日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 宮崎県延岡市 南延岡機関区

缶と庫(かまとくら)、第三段
宮崎機関区は木造の車庫だったが南延岡機関区は扇形の機関区を持っていた。
全国の扇形の機関区すべてを撮影していれば価値があったと思う。
走行写真も撮らなくてはならず時間に限りがありそれは難しかった。
蒸気機関車は走行写真ばかりではなく機関区にいる写真もいいものだ。
機関区に行ってどんな機関車に出会えるかも楽しみのひとつだった。
そこで一台一台機関車をカメラに納めておけばよいのにフィルムをケチりそんなに撮っていない。出合った機関車すべてとりあえず撮っておけば後で楽しみは見つけられる。
ここの機関区で今は梅小路に保存されているC612号機に出合えた。

宮崎の機関車は綺麗に手入れされていた。プレートも機関車本体も汚れが拭き取られ黒光りしていた。汚い機関車は北海道だった。プレートナンバーは汚れて読みとれない。ストのビラは貼った後が残ったままだった。

この延岡で4年間過ごした。若い劣等感一杯の私にはいい思いで残っていなかった。
転勤したのち、そんな場所に再び蒸気機関車の撮影に訪れた。

愛宕山より機関区(左中央)と町並みを撮影





田中将大 圧巻

2013年08月24日 | 日記
今年の野球の話題はイチローの4000本安打と2000本安打が4、5人は生まれそうだとおもっていたら思わぬ新記録が飛び出した。半世紀以上更新されなかった。

田中将大が連勝記録を22勝にのばした。開幕連勝記録も18勝に伸ばした。
ここまできたら稲尾和久の年間20連勝を越えてほしい。
そうすれば大リーグ記録の24連勝を上回る。

しかし、昨日の投球は闘魂だった。5連敗とロッテに追い上げられて厳しい試合だったが力でねじ伏せた。放送が無いのでネットの一球入魂でみていた。
パリーグを面白くしている。田中はセリーグ相手にも連勝しているのが素晴らしい。
稲尾和久と言えば我々にとっては伝説の人である。
私はまだ小学高学年、巨人ファンと西鉄ファンがクラスを二分していた。
稲尾は7年間で200勝した、いまでは考えられない勝ち星である。
しかし、酷使がたたりそれからは7年で73勝しかできなかった。
稲尾の鉄腕ぶりに「神様、仏様、稲尾様」の言葉が生まれたが誰一人として異論を唱える者はおらず子供達もそう思った。

田中将大も伝説の人なってほしい。そうして伝説の言葉を生んでほしい。やはり200勝以上しないと連勝記録だけでは忘れ去られる。今の登板回数では200勝するには15年は掛かる。
肩を故障したら選手生命は終わるので摂生に努めてほしい。

茅葺き民家 岡山県芳井町

2013年08月24日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県芳井町

岡山県には「よしい町」が二つあった。
芳井町と吉井町である。吉井町は吉井川が流れている事に由来するのか
芳井町は岡山県の西のはずれにあり茅葺きの民家から少し走れば広島県の豊松村に入る。
芳井町は現在、井原市に編入された。

このあたりはほとんどが石灰岩で石灰工場がある。採掘された石灰岩は福山市の製鉄会社JFEスチールにトラック移送されている。
トラックで移送するときは七台くらいのダンプが編隊を組んで移動する。
編隊を組んでいるのでマナーは良いしスピートも出さない。
製鉄するときに溶鉱炉にコークスや鉱石と共に石灰は投入される。
鉄に炭素が残ると固いが脆いため石灰岩と化合させて炭素を減らす役目がある。

芳井町には平野が少なく畑はほとんどが山の斜面だ。会社勤めの時に同僚の奥さんが芳井町出身だった。両親が歳をとり休みに畑を手伝いに行くが斜面を耕し農作物を作るのは大変であると言っていた。土が流され下側に集まるので上に運搬しなくてはならず斜面で踏ん張るので余計つかれると言っていた。
茅葺き民家の前には平地があり水田がある。石垣で棚を作り田圃にするしかない。
茅葺き民家は入母屋造りである。岡山西部は寄棟が多いが数が少なく比較が難しい。




懐かしい物 木の半鐘

2013年08月23日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県鴨方町 

玉島から笠岡を結ぶ農免道沿いにあった。
一本柱なので登っていくと揺れて怖いと思う。
鐘を吊るところは二股の枝を利用している。
こんなタイプは初めて見た。
鐘は残してあるとあると思うが柱は撤去されて今はない。

木の半鐘も昭和遺物である。各家庭に電話が普及した昭和40年半ばにはこんな物を建てる人はいなかったでしょう。


記事とは関係ないが暑さをテーマにC級川柳をボケ防止に少し

1.コウロギが鳴いて今夜も熱帯夜
2.セミ去りてまだまだ続く猛暑かな
3.ゴーヤにもすだれを掛けてよく育ち

鉢植えのゴーヤすだれを期待して育てているがこの日中の暑さでぐったり
前にすだれを掛けてやったら元気になった。