懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 その61 広島県高野町

2013年06月30日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 広島県高野町(現在は庄原市)

高野町は広島県の東北部にある。高原にあり積雪量も多い。
峠道を越えれば島根県に入る、シーズンに行けば大根が100円で買えるので何本も買って帰る。こちらから奥出雲に何度か抜けた。
初めて訪れた時は茅葺民家が簡単に探せた。
落ち着いた田舎の風景が残っていた。鎮守の森や茅葺民家、小川、田の風景が懐かしい風景を作っていた。懐かしいとか癒されると簡単に言葉にするが人はどんな光景に懐かしいを感じるのか癒されるとはどんな事かそれを科学することが風景を撮影するのにも必要な事かとおもう。

高野町には細い峠道を登り平らな高原の町についた。この峠道がトンネルですぐに抜けるようになったら茅葺民家は激減した。そのころデジカメを買い訪れが茅葺は数軒程度に減っていた。
この時もデジカメ持参で撮影に行った。
この時は走っていしない道を走りこの茅葺民家を発見した。
デジカメは便利であるし色も美しい。
化学変化のカラーフィルムは色にばらつきがあった。赤みが掛かったりきれいに発色しない事がある。
映像のデーター保存も簡単だし二度とフィルムなど使いたくないと思っている人が多い、



懐かしの蒸気機関車写真展 その12 「橋とトンネル」 岩壁

2013年06月29日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所  岡山県新見市井倉

今回から「橋とトンネル」をテーマに写真をお送りします。
日本の国土の70パーセントは山、山があれば浸食され谷が出来て川が流れる。
日本の鉄道はの多くは山間部を走っている。
日本の川は蛇行して走る事が多い。川に沿って走ると蛇行しているので走行距離は長くなりカープの連続でスピードアップが望めない。
線路を直線的にするために鉄橋とトンネルが欠かせない。
幹線路線は直線的に改善をはかりスピードアップしてきた。
しかし、ローカル線は川筋や地形に沿って線路が走っている。
三江線(広島、島根)や飯田線はローカル線好きの旅をのんびり楽しむ人でないとイライラがつのる。

この写真は井倉峡を走る伯備線、重連の石灰列車を待った。
こんな渓谷は太陽が当たらず白い蒸気が出ないと何を撮ったかわからない。
蒸気のでる寒い時期がよかった。
井倉峡は石灰岩が浸食され垂直の岩壁が続く、石灰岩は岩石でなくサンゴや貝殻の化石のため柔らかく浸食されやすい。
渓谷として垂直の岩壁は柱状節理の花崗岩や玄武岩のところで見られる。







茅葺民家  岡山県鏡野町

2013年06月28日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県鏡野町

鏡野町は岡山県の北部にある。南は中国自動車道から中国山地の鳥取県の県境までつながる。
旧の鏡野町の山間部を走っていて茅葺民家を発見した。
美作地方は入母屋造りで棟飾りのカラスオドシを乗せるがここでは乗せていない。
山間部の狭い土地に石垣を積み宅地にしている。
棕櫚を植えてある、棕櫚は皮を棕櫚縄やタワシに使われてきた。
葉っぱは枝と一緒に切り糸で編んで蠅たたきにしていた。

こんな山間部での畑作は大変であろう。サル、猪、鹿、狸があらわれて食い散らしていく。
猪や鹿は柵である程度防げるがサルは電気柵でないと難しい。
狸は柵をしても隙間から入るし穴を掘って入る。豆、芋類などなんでも食べるそうだ。
サルの捕獲檻を美山町で見たがエサは玉ねぎや芋を入れてあった。
あの刺激のある玉ねぎが好物だそうだ。屋根に登り屋根から手を伸ばし軒先に吊るしてある玉ねぎを取っていくそうだ。
犬猫や牛は玉ねぎ、ネギ、ニンニクを与えると貧血を起こすのでやらないそうだ。サルは人間と同じで平気なのだ。




古い町並み 倉敷市天城

2013年06月27日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県倉敷市天城

天城には昔、陣屋があったといわれている。
昔ながらの狭い車一台が通れる道が続く
道の狭さが開発を遠ざけ古い民家が残ったのだろう。
残そうとして残った民家ではない。古い痛んだ民家は取り崩されていく。
手入れをすれば住める民家だけ残っている。
こんな町並みは今後残るかどうか難しい状況にある。
茅葺き民家と同じで住む人が残す意思がないと残らない。
建て替えが必要になったら更地にして郊外の新しい土地に家を建てるしかない。
駐車場も作れない昔の町並み。みんな歩いて移動していた時代
江戸や明治には車置き場など必要でなかった。
間口が狭く奥行きのある民家の造り、地震や火災にも脆弱である。
もう時代に合わない住居かもしれない。
しかし、長年住み慣れた土地や重厚な日本家屋に住みなれた人には軽い現在の家屋はなじめないのであろう。20年後こんな町並みどう変化するのであろうか

ここへは私の住んでいるところから近い、車を置くところがないので自転車できた。
カメラに白黒フィルムを入れて夕方の町並みを撮った。






日本茅葺紀行 その60 都市近郊の茅葺民家

2013年06月26日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 兵庫県三木市

私が茅葺き民家の撮影を長年続けて来られたのも岡山県をはじめ近隣の広島県や兵庫県、京都府に茅葺民家が残っていたからであろう。
現在でもカメラを持って走れば20軒くらいの茅葺民家に出合う事ができる。
しかも茅葺民家が存在するのは山奥でなく都市近郊が多い。
茅葺民家を維持するには多額の金が掛かる。茅を維持管理出来る収入のある人でないと維持は難しい。
瓦屋根やスレート鉄板にした方がはるかに安い。茅葺きは日本の夏の高温多雨では15年しか持たない。屋根の上で堆肥を作っているようなものである。コガネムシやカブトムシの棲みかになり食害される。
この三木市も神戸に隣接していて京阪神への通勤圏だが田園部に行けば茅葺民家が点々と残っているのは大変ありがたい。
四季折々撮影をしたいが中々実行できないものだ。
私で自分で運転して行ける身体ならばどこへでも飛んでいくが家内にお願いしているので同じ場所に何回も行くのにどう説得するか難しいところだ。
せめて田植えのころや稲刈りの頃には行きたいものだ。






懐かしの蒸気機関車写真展 その11 「沿線風景」 茅葺民家2

2013年06月25日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 岡山県総社市 伯備線豪渓駅付近

豪渓駅を過ぎて倉敷駅に向かうと大きなカーブになっている。
複線化されて上り線は大きなカーブとなり最適な撮影場所となる。
下り線と離れていたので電柱もなく障害物のない撮影場所だった。
この当時は通信用の電柱(通称蠅たたき)が線路に沿って走っていたがケーブル化されていたのであろうか見当たらなかった。
カープのところの山際に茅葺民家があった。
後ろに山道が付いていた。
茅葺民家の方に断りを入れて夕方まで裏の山で民家を入れて蒸気機関車を撮影をさせてもらいますと挨拶に行った。
裏山は日当たりがよくジジババ(春蘭)が沢山咲いていた。
ジジババは同じ蘭でも寒蘭などとは違い雑草扱いされている。
蒸気機関車が来るまでボケーと一日過ごすのである。
ぶらぶらする時間は気動車を撮影するとか駅舎を撮るとか集落を撮るとかしたわけでもなくただボケーとしていた。貴重な時間を無駄に使った気がする。


茅葺民家  屋根を撮る

2013年06月24日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県大東町(現在は雲南市)

  大東町は茅葺の似合う風景が沢山残っていて好きな場所のひとつだった。
広い平野があるわれでなく山際に家が立っている。
その山際には小さな畑もありそこへ登るため道になっている。
こんな斜面は草も刈られは山野草の生育に適している。
今頃なら笹ゆりが咲いている。笹ゆり乱獲で激減している。
さすがに人の家の裏山に盗りに来る者はいない。
東北ならばカタクリや福寿草が見られる。

茅葺民家を撮影する場合、どんな場所や角度から撮影するのが美しく迫力がでるかと思い巡らせた。
私が好きなのは裏山に昇り屋根と同じ高さで前面に屋根が見える位置がよいと思う。
棟木や棟仕舞や屋根もよく見えるし背後に集落の様子が写り込むのがよい。
棟を下から撮影しても露出不足になるし構図的によく写らない。
同じ高さからだと綺麗に撮影できる。
それと民家は下から見なれているので正面の写真だけでは新鮮味を感じない。
上から撮影すると新鮮に見えるようにおもう。
しかし、今の私はこんなところに登れないので平凡な写真しか撮れないのが残念である。

津軽平野は山や丘がなく平面からの写真ばかりで物足りなさを感じる。
電線工事のリフト車があると新鮮な写真が撮れると思ったものだ。

この茅葺の写真の棟飾りは梵天と呼ばれ竹の根っこを両サイドにだして飾っている。
竹のために余り耐久性はない。島根県で割りと見掛ける。
梵天の由来は仏教の守護神の一人梵天の持っている飾りの付いた杖に由来するといわれている。幣束や耳掻きの綿毛も梵天と呼ばれている。








古い町並み 井原市高屋

2013年06月23日 | 古い町並み
撮影場所 岡山県井原市高屋

高屋は山陽道の宿場町で岡山の西の橋にある。もう少し行けば広島県である。
県境や国境には山や川などがあり分かりやすいのだがここの県境には特徴がない。
いつの間にか広島県に入った感じである。
高屋のつぎの宿場は神辺である。
昔の町並みや民家が残る。
戦後まではこんな通りがメイン道路でほとんどの家ではなんかの店屋をやっていたと思われる。しかし、車社会になり道の狭さもあり衰退していった。
どこの古い町並みでも同じだがサラリーマンの家庭が多くなった。

古い町並みも指定を受けたところや観光資源として建物が残っているところはそれなりに観光を生業にやっていける。どこの町も町おこしや大河ドラマや朝ドラなどで取り上げられる事を模索している。
手を変え品を変え見世物を増やさないと10年、20年と観光客を呼ぶ事はむつかしい。
古い町並みは痛みが酷くなり取り壊され更地になるか観光資源として残るか厳しい分かれ道でもある。

高屋は「中国地方の子守唄」の発祥の地と言われている。この地方で唄われていた子守唄を山田耕作氏が音楽とした。島原の子守唄、五木の子守唄とともに三大子守唄といわれている。どの子守唄も母が子供を寝かせる歌ではなく10歳前後で子守の奉公に出た少女の恨み節でもあり当時の社会制度や社会の影が分かる。赤い鳥が唄い放送禁止になった竹田の子守り唄も子守の辛さを唄ったものである。
童謡の中にも「叱られて」のように奉公の辛さを唄ったものがある。








日本茅葺紀行 その59 棚田と茅葺の風景

2013年06月22日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 大阪府能勢町長谷

能勢町長谷の棚田は棚田百選、ふるさと百選にも選ばれよく知られたところでもある。
棚田の中に茅葺民家が何軒も残る今となっては数少ない場所である。
棚田の多い新潟松之山町でも茅葺は姿を消した。
大阪、神戸も近いので撮影に来る人やハイキングに来る人も多い。
水を張られた棚田では夜明け前からカメラマンがカメラマンが構えているそうだ。
道も狭く車で入ると農家の人に迷惑が掛かる。
地域の住民とトラブルを起こして乗り入れ禁止かでるのではと心配している。

邪魔くさいカメラマンに好意的な人もいて棚田を歩いていたらこの棚田の石垣は大阪府の文化財に指定されていると説明してくれた。たかが棚田の石垣と見落としがちだがその棚田の石垣は大阪城の石垣ほどあった。これは自然にそこにあった石でなく棚田の礎石にするために人が運んだものだ。だから文化財として価値があるといわれた。
棚田の石垣も石が積んであるとボケーと眺めるのではいけないのだ。

大阪の外れの山間部にあるため大阪のチベットと呼ばれ廃棄物の処理場にされた時期もあった。
大阪に近いのに茅葺民家が沢山、残っていた。私が最初に訪れた時には40軒ほど残っていたいた。現在は数は減ったが残っているだけでも貴重だ。
隣接する兵庫の猪名川町や京都府の亀岡市にも茅葺民家が残っているのも有難い事だ。






懐かしの蒸気機関車写真展 その10 「沿線風景」 茅葺民家

2013年06月21日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所  岡山県新見市 伯備線新見から布原間

新見から布原に掛けては25パーミルの勾配が続く貨物列車には後部補機がつく。
蒸気機関車はゆっくりゆっくり登ってくる。
フィルムカメラでもゆっくり登ってくるので何枚もシャッターを押せる。
この貨物列車には後部補機が二台付き変則三重連となる。

ここへ行くには新見駅から歩いて一時間、それか布原から坂を登り峠越えする。
私は横着して帰りはヒッチハイクして新見駅まで乗せてもらう事を覚えた。

布原には大勢撮影にくる人がいたが不便なのでこちら側にくる人は少なかった。
この頃には茅葺民家は沿線に沢山あったと思われるが余り気づいていない。
鉄道ファンの写真はどうしても列車主体の写真になる。
写真は本人が気付かない物は撮れないし残そうとする強い意志がないと継続して撮れないものだ。写真など馬鹿でもチョンでも撮れると思いがちだが企画力、創造力、継続力がいるものだと今になって気づく。