懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

日本茅葺紀行 NO,582 岩手県一関市の民家

2023年05月30日 | 日本茅葺紀行
田植のあと 東北も茅葺きはさすがに減った。岩手 青森は遠い。

茅葺き民家を撮り始めて5月1日で丸30年になる。
しかし、ここ2年間は出掛けていない。
コロナもあったが、車椅子から車の椅子に移る時に転倒して怖くなった。
茅葺きを撮るきっかけは40歳後半になり子共に手がかからなくなった。
その頃、岡山に住み始めて20年になるが知らない所が沢山あった。
夫婦で田舎を巡っていた。まだ茅葺が残るに気付く。
今撮らないと一生悔い残る。一方、今更遅いと心の葛藤
ある。岡山には岡山文庫というのがある。それに岡山の民家がある。
著者は民俗学の研究をされ昭和28年から撮影していた。
平成から始めては遅すぎる。5番煎じもいいところ。
日本には60の手習い、思い立った吉日という言葉がある。
いつからやっても遅くない。
毎年達成可能な目標を立てた。岡山県の市町村を全て回る。
2年間で岡山県では500軒撮影する。
それから中国地方、近畿に足を伸ばす。
神戸や大阪、広島市、京都郊外に茅葺民家が残っていたのは感動である。
行動から得られた成果でもある。
30年掛けて北海道 沖縄を除く45都府県を走り4000軒の茅葺を撮影。
15年前から難病で歩けず家内に車の運転や介助ゃってもらい撮影する。
定年後、楽しい旅行をさせてやれず家内に申し訳ない。

定年後 過去から撮っていた膨大なネガの電子化でやる事は沢山あった。



日本茅葺紀行 NO,581 福島県下郷町の民家

2022年11月27日 | 日本茅葺紀行
福島県は地域を分けるのに浜通り 中通り 会津と3つに分けるのそうだ。 
福井県の天気予報で嶺北 嶺南と地方特有の呼び名がある。

福島の中通りから会津に行くには白河から下郷町、須賀川市から下郷、郡山市から若松市に行く道がある。
茅葺きを求めてこんな道をはしった。
白河から下郷に抜ける道は甲子道路と呼ばれている。
昔は難所の峠だったが見晴らしのよいドライブコース

下郷に入った集落に茅葺きが7軒もある。
二度と来ることもないで有ろう.何枚も撮影する。

前回の鶴瓶の家族に乾杯は下郷町で郷ひろみがゲストであった。
郷の付くから来たようだ。蕎麦の収穫や蕎麦打ちを地元の人と触れ合う。

この甲子道路の紅葉は美しいと思う。我々の所とは植生が違い紅葉する落葉広葉樹である。紅葉には赤く色づく紅葉(もみじ カエデ ナナカマド ウルシ 欅 ) 黄色くなる黄葉( カラ松 銀 杏)   褐色になる褐葉(ブナ クヌギ 楢)の三色がある。

日本茅葺紀行 NO,580 福島県南会津町の民家

2022年09月29日 | 日本茅葺紀行
南会津は会津の南に位置し栃木県の鬼怒川温泉へつながる。
高速を降りても一般道を2時間走るので着くのは夕方になる。
健康な人なら泊るところは沢山ある。
高杖高原にペンションやホテルが沢山ある。コロナの前までは

旧舘岩村には前沢集落と水引集落に、茅葺き民家があると知り訪れる。
南会津町には随分、茅葺民家があった。あそこにもここにあると言う感じ。
結局6回訪れ全部の集落が回れた。

写真の民家は曲り屋、左にももう一軒ある。

日本茅葺紀行 NO,579 島根県旧吉田の民家

2022年09月08日 | 日本茅葺紀行
木次線は広島県の芸備線落合駅から中国山地の山越えし山陰線まで走る。
急勾配で坂根駅はスイッチバックになっている。
つぎの駅は八川駅 ここから三駅は蕎麦屋が続く。横田、亀嵩
八川で蕎麦を食べるが三時間待ち家内に頼み撮影に行く。

亀嵩駅は駅舎が蕎麦屋になっている。  
亀嵩駅は松本清張の砂の器の舞台となった。
出雲地方は東北弁に似た訛りがある。新田はねったに聞え 千原はつはらに聞える。これか事件を難しくする。

昭和47年の映画は不朽の名作と言われている。俳優がすごい6人が主役をできる。今はyoutubeで見られるだろう。昭和47年の映画はほとんど茅葺き民家

2時間くらいで何軒か撮影する。作業中の奥さんを入れ撮影。

日本茅葺紀行 NO,578 新潟県旧能生町の民家 

2022年08月16日 | 日本茅葺紀行
能生町は現在は糸魚川市に編入されている。

富山県から上越市に掛けては平野が少なく、トンネルが多い難所だ。
親不知海岸は砂浜もなく徒歩の難所であった。
高速道路は鉄道、国道8号とトンネルを掘るところがなく海の中に橋脚をたて走っている。

高速の出来る前に国道8号を走ったが、トンネルの中で直角曲するのは驚いた。
トンネルの中で直角に曲がる道は三度経験した。

糸魚川から能生町に掛けて川沿いに小さな集落が点在する。
役場やネットで調べひたすら走った。

このあたりには二回訪れ20軒は撮れた。
何事も行動しないと出会えない。

日本茅葺紀行 NO,577 蕎麦畑と民家 

2022年07月17日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岡山県津山市 旧阿波村

茅葺きの横に蕎麦を植えてある。
蕎麦は春蒔きと秋蒔きの二度収穫できる。
今は赤い花の蕎麦畑が好まれる。

蕎麦屋 は各地にありSNSで拡散される。
蕎麦街道として10軒 20軒と案内図をだしてPRしている。
山形や福島県は力を入れている。

福井県は米の減反で蕎麦を植えている。
蕎麦屋も点々とある。おろしぶっかけ蕎麦が多い。
蕎麦の食べ歩きも面白い。

蕎麦も米の代用食だった。徳島の祖谷(いや)では米が取れず、そばを米にたとえそば米雑炊と呼びたべる。 
うどん、ホウトウ、お切込み、お好み焼きも米の代用食だったが代用食が好まれる。 

日本茅葺紀行 NO,576 愛媛の民家 

2022年07月09日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 愛媛県旧野村町 現在は西予市

四国には茅葺き民家は少ない。消える前に訪れた。
愛媛に撮影は一度だけだった。
松山までは高速道路があった。
それから一般道で山に入る。
久万町から面河渓に立ち寄り野村町に走る。共に何とか茅葺民家は発見する。
野村町は高原の集落の中に7軒ほど茅葺があった。

四国カルストに立ち寄り高知県の榛原町に行く。榛原に何軒か茅葺がある。
四国カルストは1400メートルの標高まで、サンゴ礁を押しあげた地殻変動には驚く。エレベストは8千メートルまで海底をおしあげたので可愛いものか。
榛原町は坂本龍馬が土佐から伊予に脱藩した道である。

日本は地下資源に乏しいが石灰岩だけは豊富にある。
石灰が無ければビルも家屋の基礎も高速道路も造れない。
石灰岩はセメントや石膏の原料になる。セメントは石灰岩を1200℃で焼却して化合物から水素や酸素除去する。分かり易くいえば熱烈恋愛中の男女の仲を裂く。だが水とセメント 砂 バラスを混ぜると男女は強く固く結びつきコンクリートになる。

日本茅葺紀行 NO,575 反り棟民家 

2022年06月19日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 島根県旧平田市

現在は出雲市に併入された。
平田市は島根半島の付け根にある。
島根半島は現在は陸続きだが江戸時代には島であった。

タタラ製鉄が盛んで流された土砂で下流は埋め立てられる。
農家の茅葺き民家、出雲地方の反り棟民家である。
冬の季節風を和らげるため、家の周りを屋敷林で囲っている。
こんな風景に懐かしさを覚える。

緑に囲まれた農村風景、もう消えて無くなったであろう。
金と時間を使い捜し求めた茅葺き民家、写真が後世に残るがどうか分からないが、熱中していた時は楽しかった。


日本茅葺紀行 NO,574 棚田と茅葺民家

2022年06月07日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 大阪府能勢町長谷
長谷の棚田は棚田百選に選ばれている。

能勢町は大阪のチベットと悪口を言われる。
兵庫と京都府に隣接する。

週刊誌新潮でこの茅葺民家が掲載されていた。
その写真とよく似たアングルで撮影。
能勢町には40軒の茅葺きがのこっていた。
今も残っていると思う。

バブルの時はこの山の中にも団地ができた。
しかし、バブル崩壊で売れ残った土地や放置された民家が残る。
道路にガケ崩れや亀裂が入り公道でないので放置されている。
報道特集で取り上げられる。


日本茅葺紀行 NO,573   家庭菜園

2022年05月31日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 鳥取県日南町
日南町は岡山県の新見市と隣接していて近いほうだ。
鳥取、島根、広島、兵庫、大阪、京都までは一般道日帰りだった。
猫車を置いたまま、昼ご飯に帰ったのか

住人の方とどんな会話を交わしたのか記憶に残っていない。
トウモロコシにネットを掛けている。
トウモロコシは鳩やカラスの好物だ。
テグスや網は羽根を痛めるので嫌う。
鳩は垂直に飛び上がれるがカラスは助走がいる。

寄棟の一般的な農家の建物である。茅も痛み掛けている。葺き替えが必要だ。
平成の時代まで茅葺民家が残ったのは、江戸時代まで農家は互葺きが許されなかったのが影響しているのか 身分による建物 構造の制約。
茅葺き民家の家を互葺きにすると荷重が違う、建て替えが早い。

他人の家をガソリンと時間を使い撮影したものだ。
時代とともに消えゆく風景をカメラに残したかった。
自分の生きた証に。
茅葺きや蒸気機関車を物でコレクションは難しい。
しかし、フィルムやデーターは可能だ。
写真は自分の生きた記録、行動の記録でもある。