懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

蒸気機関車  吉松機関区

2012年07月31日 | 昭和の古い町並み写真展
肥薩線吉松機関区の庫の中の機関車と作業を投稿します。

蒸気機関車を撮影は暗い庫の中も夜間も三脚で撮影した。
時間が旅行中の限られた時間であったので使える時間を最大限につかった。
その頃は休日も週に一日、有給休暇も少なかった。

機関庫の中で作業をしているのを撮影させてもらった。
機関区に立ち入る時は名前を書き許可をもらい作業している方々には了解をもらい撮影させてもらった。
しかし機関車が動くし重量物を扱うところに立ち入らせるのはおかしい。
子供も立ち入るし事故があっては済まされない。
ある程度の工場なら塀やフェンスで囲い入り口には警備の担当者がいる。
部外者立入禁止の表示をしてあるが国鉄はおおらかなものだった。
機関車のテンダーの上からも撮影させてもらったし機関車にも乗せてもらった。
今となっては時効だが

機関庫の中では機関車のオーバーホールや整備を行う
C57形、C55形蒸気機関車が入庫していた。
C57の動輪は1.75mありレールの上に乗っているので人の背丈より高い。
C55のスポーク動輪も撮ってみた。
エンジンやシリンダーをもっている機関は上下死点があるのでエネルギーを蓄え回転をスムースにするためにフライホイル構造になっている。蒸気機関車の動輪も重りを付けている。






茅葺き民家 山里の風景

2012年07月30日 | 茅葺き民家
撮影場所 島根県安来市

安来の中心地から10kmも入ると山間地の山里にであう。
昔からの人々の暮らしが繰り返された集落である。
造られた農村風景でないのがよい。
村おこしで茅葺き民家を移築したり水車を回したりと演出してあるところもある。
造られた田舎の風景余り面白くない。自然のままがよい。
しかし、どこの山里も過疎化、高齢化で集落の存続も厳しい。
山里に生き続けるためにはアイデアが必要である。

集落再生には「若者、よそ者、馬鹿者」が必要だといわれている。
若い人がUターンするなりよそから集まってきて地域の遺産や資源を発掘する。
既成概念にとらわれず諦めずにやり抜く人が必要と言われている。

資源や資産は特別なものではなく今までの山里の暮らしや食べ物でよいと言われている。
牛を飼う生活や井戸水も資源である。
トタンを掛けた茅葺き民家も本職の応援をもらい住民の手で茅葺きに復元する。
ネットを使いPRすればカメラを持った人や田舎暮らしの好きな人が来てくれる。
山里を知ってもらい人が来てくれるだけでも過疎化の対策にもなるが金を落としてくれる産物を作ると仕事も生まれ収入も得られる。




記昭和の古い町並み写真展 その48 「子供の遊ぶ風景 3」 岡山県倉敷市下津井

2012年07月29日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その48 「子供の遊ぶ風景 3」 岡山県倉敷市下津井

本瓦葺きの民家の空き地で遊ぶ子供を撮影
昔は公園や運動場の整備もなく少しの空きスペースが子供の遊び場であった。
少ないスペースでどんな遊びをするかも子供の知恵の出しどころでもあった。

現在は子供の写真撮るにも親が付いていて肖像権があり安易に子供の写真が撮れなくなった。特に女の子は撮るのが難しい。

自然体の子供を撮るのが難しい、祭りや行事の子供を可愛く撮った写真ばかりになっている。
写真家の田沼武能氏のように昔から子供の写真ばかり撮ってきた人もいる。
時代の流れとともに一貫したテーマで撮り続けた人の写真は説得力があり記録としても優れている。
我々も建物だけを長年撮り続けるとか。鉄道ばかり撮り続ける事は出来たはずだがこの歳になるで気付かなかった。しかし、世の中には50年間も同じテーマで撮り続けている神様のような人がいるものだ。

子供の写真も昭和35年までの写真は味がある。
私の撮った時代は着物も新しい物を着ているしカラーテレビが普及して子供の無邪気な遊びが少なくなった。学習塾や習いもので遊ぶ時間が少なくなった時期でもある。

蒸気機関車  小海線野辺山駅C56

2012年07月28日 | 蒸気機関車
撮影場所 小海線野辺山駅C56形蒸気機関車(長野県)

野辺山駅にC56蒸気機関車が停車していたので撮影

野辺山駅は日本の鉄道で一番高い駅で標識が立っている。
野辺山駅は長野県、手前の清里駅は二番目に高い駅(1345m)、清里は長野県と思い込んでいる人が多いが山梨県、
夏から秋に掛けては高原野菜の出荷で蒸気機関車が活躍していた。
高原レタスや高原キャベツが夏場に作られ出荷されていた。

C56はポニーの愛称で呼ばれ、関東に近かった事もあり小海線に撮影に行く人が多かった。

茅葺き民家  兵庫県篠山町八上

2012年07月27日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県篠山町八上

茅葺き民家の画家の向井潤吉氏は茅葺き民家の画集の中で篠山の風景は日本の田舎の光景がよく残っている好きな場所だと書いてある。
画伯が訪れたのは昭和30年代と思われる。
篠山の旧道沿いの民家は妻入りの板張りの民家が続く、日本瓦のしっとりと落ち着いた色合いであったと思われる。茅葺き民家も妻入りである。

私が訪れたのは平成に入ってからである。来るのが20年遅かったと思った。
それでも篠山は落ち着いた日本の田舎の風景を残してくれていた。





昭和の古い町並み写真展 その47 「子供の遊ぶ風景 2」 岡山県倉敷市玉島

2012年07月26日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その47 「子供の遊ぶ風景 2」 岡山県倉敷市玉島

子供が一列になりどこかに向かっている。
バケツを持ってどこへ行くのであろう。
果物やトウモロコシでももらいにいくのであろうか、それとも金魚やフナをもらいに行くのであろうか、想像を掻き立てられる光景である。

バケツを男の子が先頭で小さな男の子の手をとり女の子はみんなまとまって付いていく。
この頃のバケツはブリキでなくプラスチックになっている。
生活も豊かになり着る物もまともな物を着ている。
格子の昔ながらの民家が残っていた。
一枚の写真から物語がうまれそうである。

蒸気機関車 伯備線倉敷はずれ

2012年07月25日 | 蒸気機関車
撮影場所 倉敷市酒津から清音村黒田をみる。

倉敷市と清音村の境を撮影した。

D51蒸気機関車が客車を牽引している。
ここで撮影した理由はこの目の前に山陽新幹線が出来る予定であった。
このあたりの風景がどう変わるのかと思い撮影した。
現在は新幹線と山陽自動車道ができて集落を回避するように走っている。
横を流れているのは高梁川、伯備線が複線化され間が無いころで石垣や砂利に時代が付いてなく落ち着きがない。

山陽新幹線は昭和50年3月に開業、撮影後数年して工事が始まったとおもわれる。
山陽自動車道は1988年(昭和63年)にこの区間は部分開通した。
撮影した頃は山陽自動車道についてはどこを走るかわからなかった。

私が歩ければ現在どうなっているか撮影してくるのだが出来ないので興味のある方は地図で検索ください。


茅葺き民家 京都府日吉町の茅葺き民家

2012年07月24日 | 茅葺き民家
美山町には茅葺き民家が残っていた。
我々のところから美山町に入るには1.京都市内から国道162号線経由で入る。2.京都市内から府道38号線で広河原、佐々里峠経由で入る。3.日吉町から府道12号線で大野ダム経由で入る。4.日吉町から府道19号線で入る方法がある。

美山町には健康で自分で運転できた時はよく行った。一般道で日帰りしたこともあった。美山町に入るまでに茅葺き民家が結構残っていた。
カメラがデジタルになって一度も行った事がない。デジタルカメラなら写真の検索、投稿も楽だがネガは電子化していない物は面倒である。
茅葺き民家が残っていればもう一度デジタルカメラで撮り直したい。

写真の茅葺き民家は府道19号線の美山町に行く途中にある。
畑を耕していたので撮影させてもらう。このあたりの茅葺き民家は美山町のとよく似ている。
勾配も雪の多い地域並みにきついし棟木とカラスオドシを乗せている。






昭和の古い町並み写真展 その46 「子供の遊ぶ風景 1」 岡山県倉敷市児島下津井

2012年07月23日 | 昭和の古い町並み写真展
昭和の古い町並み写真展 その46 「子供の遊ぶ風景 1」 岡山県倉敷市児島下津井

子供が格子の前の少し高くなった犬走りで将棋で遊んでいた。
最初ははさみ将棋、将棋の山崩しをしている時に女の子が遊びにきた。
そのうち小さな女の子が将棋の山崩しにちょっかいをだしてきた。
兄ちゃんのお仕置きを受ける幼い少女、しかし、そのお仕置きも切れる事なく優しく諌める。
一連の行動をカメラに撮影した。

まだクーラーは高価であった。ない家も多かった。
三種の神器と言われた三C カー、カラーテレビ、クーラーの時代であったが、日中からクーラーを運転する家はなかった。
子供は涼しく安全な場所で遊んだ。
男の子も女の子も年齢差があっても仲良く一緒に遊んだ。
子供は外で子供同士で遊び社会のルールや人間関係や危険を学んだ。
大人になっても仕事もせずテレビゲームばかりやネッゲ廃人と呼ばれる人間を造り出したのはその後である。
アマチュアカメラマンは写真を通して社会や暮らしを撮る事を心がけるべきだったと反省する。
私はそんな事など考えもせず撮影していたようにおもう。









蒸気機関車 D50直方駅発車

2012年07月19日 | 蒸気機関車
撮影場所 福岡県 筑豊線直方駅

九州の冬の朝は明けるのが遅い。
日の出が7時20分以降である。

朝の通勤列車が暗くて撮れない。
シャッター速度を1/250秒を確保するには天気の良い日で8時頃である。
カメラ撮影を初めて天候の事を初めて知った。
北海道は冬の日暮れは早く14時以降は撮影はできない。15時には暗くなる。
一方夏の北海道は日の出が早い三時半には太陽がでている。

雨の降りやすい時期も分からず幾度も失敗した。九州の雨は降り方が酷い。土砂崩れで帰れなくなりそうになったこともある。

門鉄デフのD5090が客車を引いて出発した。
門鉄デフは除煙板(デフレクター)の下を切り取った九州でよく見かけた。
これの愛好者もいてこればかり追っていた人もいた。


不在のため投稿を三日間休みます。