懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

岡山の茅葺民家写真展 - 53  懐かしい風景 手押しポンプ

2014年10月31日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県作東町

井戸や手押しポンプのある風景も珍しくなった。
私の子供の頃は水道の通っているところは文化的な生活だった。
私などはもちろん井戸の生活だった。
井戸掘りや井戸換え、ツルベの言葉も死語になってきた。
地方都市の水道、ガス配管、道路、橋の整備が行われたのは昭和40年代の高度成長期になってからである。

現在はオール電化、水道、ガス供給のインフラが整備されている。しかし大きな地震があると供給がストップして生活難民がでてくる。
少なくと地震発生から1週間は生き延びる対策を個人や地方自治体とも取っておく必要がある。電気やガスのストップは空き地があれば材木等で煮炊はできる。飲料水は飲まないと生死にかかわる。東京や横浜は個人の手押しポンプと井戸のある場所を防災施設に登録している。
わたしの住んでいるところはそんな動きはない、地方都市は人口的にも給水車で対応できると考えているのであろうか。

茅葺き民家 福岡県浮羽町の民家 モノクロ

2014年10月30日 | 茅葺き民家

浮羽町は現在は浮羽市になっている。
福岡県の南部で彼岸花の咲き乱れる星野村の棚田は隣である。
この浮羽町も山間部で石垣の積まれた棚田が残る。
しかし誰も耕作しなくなれば自然の草木に飲み込まれそうだ。
そんな山間地に杉皮で葺いた民家が残る。大分の日田地方から福岡南部は茅葺きより杉皮葺きの民家が多い。
杉皮は茅のように痛みが遅いのでそれなりに残っていた。
浮羽町は柿が特産で山の裾野は柿畑が続く。
撮影が夕方になった、秋の太陽が陰影をつけた。こんな時間帯に撮っても太陽の当たる部分と影でいい写真はとれない。
太陽が山に沈むまで待った。日没から三脚にカメラをほセットして30分間撮影した。
まだ民家は残っているのであろうか、撮影には山道を歩かないと撮れないので私には無理だ。


日本茅葺紀行 NO,170 三重県阿山町の民家

2014年10月29日 | 日本茅葺紀行
阿山町は現在、伊賀市になっている。
標高が300メートル程度の丘陵平地が続く、阿山町の滋賀県との県境に茅葺き民家が残る。
私のところからだと日帰り出来ない距離ではないが頻繁に来れる場所でもない。
ネットや個人情報である程度確信のある場所しか行けない。
なだらかな田園地帯に茅葺き民家が点在している。
小山の裏の集落に茅葺きがあったりするのでよく見ないと見落とす。
このあたりはかって琵琶湖の湖底であったと書かれている。
琵琶湖は北に移動している書かれていた。信楽も伊賀焼の粘土も琵琶湖の湖底の産物といわれている。

落ち着いた田園風景だがこんな茅葺き民家がいつまで残るであろうか




懐かしい風景 岐阜県多治見市の町並み

2014年10月28日 | 懐かしい物

茅葺きの探訪のついでに焼き物の町を訪れる。
記念にコーヒーカップを買っていった。
歳をとって各地を訪れた思いでとともにコーヒーを入れて飲もうと考えていた。
十数カ所のコーヒーカップを買ったがそれにコーヒーを入れて飲む事はない。
自分でコーヒーカップの出し入れが出来なくなり面倒でやらなくなった。
焼き物は六古窯が中部地方から岡山の範囲にかたまっているのでその周辺が今でも盛んである、関東も益子は有名だが東北には焼き物の産地は聞かない、

多治見に寄ったのも美濃焼の見学に立ち寄った。
多治見は中央道やJR中央線が走っている。盆地になっているので夏場気温が上がりやすい。
私は名古屋の都市熱が山にあたり多治見あたりにこもるのではないかと思う。
関東では熊谷、中部では多治見が最高気温の常連になった。

焼き物巡りしていて少し古い建物があり撮影する。総二階の造りに一階と二階の間に屋根が付いている造りだ。









岡山の茅葺民家写真展 - 52  懐かしい風景 その1

2014年10月27日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県加茂町倉見(現在は津山市)

今回から3回にわたり懐かしい風景をお送りします。昭和の時代にはごく普通にあった光景です。

倉見は加茂町の奥にある。黒木ダムが出来て近隣の集落と疎遠になり寂れていった。
私が初めて訪れた時は茅葺き民家か沢山残っていて私にとっては桃源郷だった。
昔の風景のままで維持されていた。
そんな風景なら何度も足を運び撮り残していればよいのに夏場は一度来たままだった。
しかし、そんな桃源郷も長くは続かなかった。トタンを掛ける家や解体で多くは消えていった。

集落の中心部に木の半鐘があった。
後ろに茅葺き民家が見える。この半鐘を立てたお爺さんから話が聞けた。
この木は栗の木で100年以上の木を山中歩き探した。その人が20歳頃に若者が刈りだされ山から担いで降りた。地中には1.5メートル入っている。転倒しないように横木を日本いれてある。地中部は表面を焼いて埋めた。立ってから60年が経過していた。
そんな木の半鐘も倒され今はない。
山での仕事も炭焼きはいい収入源だったがエネルギー革命で衰退した。息子たちは都会で暮らしている。ここの集落に300人暮らしていた時代があった。

昔訪れたところには2度と行かない。
自分の記憶には茅葺きが一杯残っていた風景しか残っていた。
再び訪れたらそんな風景はリセットされ現在の風景に上書きされるに違いない。

茅葺き民家 長野県木崎湖の民家 モノクロ

2014年10月26日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 長野県大町市

木崎湖の見えるところに茅葺き民家があった。
湖を見下ろす位置から民家を撮った。
この湖はワカサギ釣りのボートが浮かんでいる。
船外機の付いた船が通るのを待った。
一時ウォーターフロントと言って海や川、湖の見える風景が憩えるとマンションなども人気があった。たしかに水のある風景は落ち着く。
懐かしい唄に湖を唄ったのがあった。「湖愁」と湖畔の宿」が哀愁があってよい。
ユーチューブで聞いている。こんな唄を知っている世代も少なくなってきた。

長野県は観光地ばかりである。
湖の周りはほとんど観光地だ。
東京や名古屋から日帰り圏だし高速道路や新幹線もあるので観光客は多い。
諏訪湖、白樺湖も木崎湖、青木湖、野尻湖と観光地になっている。
茅葺き民家を探しにうろうろしていたら長野県の湖はほとんど訪れていた。


日本茅葺紀行 NO,169  奈良県榛原町

2014年10月25日 | 日本茅葺紀行
榛原町は現在は宇陀市になっている。
榛原から南は山の中である。次第に平野部がなくなり山間地になる。
国道沿いに民家が点在する程度になる。
岡山からこのあたりまでは高速道路があるので日帰りは可能だが結構距離はある。
ガソリンが少なくなり山間部に入りガソリンスタンドが全くなく撮影していても集中できなかった。針インターあたりでガソリンを入れて山間部に入る必要があった。

奈良県の市町村名は難読が多い、歴史の古さであろうか
都祁村や曽爾村と言われても読めない。榛原は高知県の梼原と間違え易い。

榛原の赤埴からの帰りにこの民家に立ち寄った。
昔からの旧家で本に出ている民家だ。大和棟の立派な民家である。
畿内に残る大和棟は民家の地域性をよく残す。
こんな民家に出合えるのは嬉しい事だ。

倉吉の町並みを歩く

2014年10月24日 | 旅行
鳥取県の境港にカニを買いに行くのが毎年の恒例となっている。
季節季節には美味しいものを食べるのが楽しみでありあと何年出来るだろあうとの思いもある。
家内がテレビで流れていた倉吉の蔵の並ぶ風景を見て行きたいと言った。
カニを買うついでに倉吉の町並みに立ち寄る事とした。
いつも私の行きたいところばかりで面白くも場所につきあわされていた、
家内も病気をして私もいつまで動けるかわからない。あと何回一緒に旅行出来るかわからない。
ブログにはもう1000回以上投稿しているが、夫婦で旅行した紀行文や写真をまとめた資料は一つもない。いつも暇をしているのに書き残していない。
そんな事もあり倉吉に行ってみた。
町並みは40年前に撮っていたがもう町並みを撮影する気はない。
古い町並みと言っても現在は昔のように町並みが機能しているところはない。
古い町並みは商業の中心地であったが車社会になり、駐車場もない狭い道のそんなところに
買い物に行く者はいない。
買い物は郊外の広い駐車場のある大型スーパーに行くようになった。
古い町並みが残っているところは観光客相手の施設に変わった。蔵が立ち並んでいても蔵としては使われていないし喫茶店などにしたりしている。蔵があっても建物があるだけで何も入っていない。古い建物の外観だけを見せる映画のセットのようなものになっている。
町並みが機能を失った時点でこんなの撮っても意味がないと思うようになった。

女性は機能を失った町並みでも観光地となり土産屋などを見るのが好きだ。
私も町並みは撮らないが観光気分で撮影することとした。

歩いていたら若い女性が絣(かすり)の着物をきてやってきたレンタルで3500円で食事付きと書いてある。これから観光地で若い女性を見つけては観光スポットと一緒に撮ろう。
スケベジジィのワンショットとでもタイトルをつけるか
絣というのは染色した綿糸を織り合わせた着物だそうだ。綿織物なので強いそうだ。






蒸気機関車 C5772

2014年10月24日 | 蒸気機関車
撮影場所 鹿児島県吉松機関区

この蒸気機関車は鹿児島機関区所属で1974年4月に廃車となっている。
鉄道ファンは層が厚くどんな情報でもネットに書き込んである。
C5772号機を履歴から話題までA4で何ページも書いている人もいる。
その資料によるとC5772号機は門デフと形式入りのプレートで珠玉の一台と書いてある。
他にもC5533とC5534も門デフでプレートに形式入りだったと思う。
しかし、C5772のプレートは盗難にあい廃車までの一年間はべニアにペンキ書きだったと書いてある。
C57はスマートで魅力的な蒸気機関車である。この蒸気機関車も三枚撮影しただけである。
フィルム時代はこれくらいしか撮っていない。昭和40年までの風景は懐かしい。モノクロの世界であったように思う。黒い蒸気機関車に建物も黒い瓦に黒ずんだ板貼りの民家、こんな風景だったように思う。

何の世界でもブームになると質の悪い人間が増えてくる。盗った人間も還暦くらいから上の年齢であろう。天網恢恢疎にして漏らさずである。いい死に方は出来ないだろう。




岡山の茅葺民家写真展 - 51  雪のある風景 その3

2014年10月23日 | 岡山の茅葺民家写真展
撮影場所 岡山県大佐町君山(現在は新見市)

君山は大佐町の北の外れ冬は雪がふる。
小さな峠を越えると新庄村に入る。
君山には夏に何度か通った。冬の写真を撮ろうと思い訪れる。
この民家はお婆さんが一人で住んでいた。
過疎地でもあり高齢者しか住んでいなかった。
夏場に行った時にがまの穂で編んだ手提げを置いてあった。
池に生えているがまの穂を刈り取り2週間ほど水に漬けておく表皮が腐ったら洗いながしスポンジ状の芯を乾かし手提げに編んで行く。今は民芸品として売っているが軽くて強い。
昔の人は藁を編んだり篭を編んだり誰でもやっていた。
近くにある材料で自分で何でも作る生活だったのだ。

雪晴れの日に洗濯物がひらめいている。
買い物はどうするのかと聞いたら岡山県の新見市へ行くより鳥取県の根雨が近いので娘に毎週車に乗せてもらい買い物に行くと言っていた。