懐かしい昭和の情景を追って

過去に撮影したネガをフィルムスキャナーで電子化しています。蒸気機関車、古い町並み、茅葺民家を投稿します。

茅葺き民家 鉤造り民家

2013年09月30日 | 茅葺き民家
撮影場所 佐賀県多久市

佐賀県の民家はクド造りが多い。寄棟や漏斗(じょうご)造りもある。
そのなかにあって鉤(かぎ)造りというのがある。
鉤造りにはL形やLを二つ、一方をひっくり返し上下二つに並べたような形もある。
この形は多久市周辺にあるが今はほとんど見かけなくなった。クド造りなどは今でも沢山撮れるので鉤造りを確実に撮っておくべきだった。
鉤は物を引っ掛ける道具だそうだ。昔の蔵の鍵はL形になっていたので鍵の字を当てることもある。
佐賀県には色々面白い形の民家の形がある。





日本茅葺紀行 その82 山形県白鷹町

2013年09月28日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 山形県白鷹町

白鷹町の茅葺き民家は茅葺き民家の本や画像でもよく登場する。
町の中心地は荒砥だがその町の中にも何軒か茅葺きがある。
私は町の役場に手紙を出したら所在をわざわわざ調べて手紙で送ってくれた。
町は最上川を挟んで南北に存在する。

民家は兜造りの養蚕農家が多い。平地は少ないので山の斜面や山間部に存在する。
ここにもイオングループのスーパーが出来て段々と昔の風景は無くなると思うが茅葺き民家に昭和のノスタルジーを求めて何度か訪れた。






懐かしい物 藁手提げ

2013年09月27日 | 懐かしい物
撮影場所 岡山県旭町(現在は美咲町)

藁で作った手提げを持った女性がいたので撮影させてもらう。道具や農作物を入れてある。
こんなのを何と呼ぶのでしょうか 「てご」と呼ぶところもあるようです。
モッコは棒で担いで運搬するように出来ているので少し違うようにおもいます。

プラスチックのない時代は藁は貴重な農具の材料でした。
藁を使った道具には筵(むしろ)、縄、米俵、鍋敷き、円座、草履、蓑、畳、注連縄、藁人形、鍋掴み、藁手袋、藁深くつ、モッコ、手提げ、背当てなどがある。
飼料や敷き藁、堆肥、燃料にも使われる。

最近はコンバインで切刻ので畳屋や敷き藁を確保するのに困っていると聞く。中国や韓国から藁を輸入したばかりに口蹄疫が発生して大量の牛を処分しなくてはならなくなった。

懐かしの蒸気機関車写真展 その34 「機関区」 若松機関区

2013年09月26日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 福岡県北九州市若松

筑豊線の若松駅は石炭の積み出し港として長年栄えた。
港で石炭の荷役に携わった人を「ごんぞう」と呼んでいた。
一時は4000人もいたといわれごんぞう小屋も残っている。

蒸気機関車の映像は沢山残っていてNHKのアーカイブで深夜に繰り返し放送されている。
若松港の石炭積み出しの蒸気機関車が出てくる。昭和47年の撮影でカラーで撮影されている。その頃はもう石炭の積み出しも機械化されていて人手のいる作業はなくなっている。
新日本紀行ふたたびでも若松の今昔が放送された。そこでもごんぞうの言葉がでてきた。
今も若松は製鉄用のコークスの取り扱いでにぎわっさている。

炭鉱で働いていた人には前科者も身元を明かされたくない人も大勢いたとおもう。
朝鮮に近かったので朝鮮人も働いていたとおもう。
韓国では強制連行されたとわめいているいるが実態はどうであったか知りたい。
朝鮮には働き口がなく密入国で日本に大勢渡ったともいわれている。
朝鮮を統治していた時代の史実や功罪をもっと日本国民に知らせ日本の子供にも教えるべきだ。
悪かった部分もあるが朝鮮の近代化に役立った部分が多くあったとおもう。

明治以降の近代の産業遺産が世界遺産に登録審査にノミネートされようとしている。
世界遺産にしてはレベルが低いようにもおもうがどうか
ある程度審査を厳しくしないとこんなのが世界遺産なのかということになる。
近代化産業遺産ならば昭和30年、40年代の状態で設備や建物がまとまって残っているレベルにすべきではないかと思う。外観だけで内部の機械など何もないのに価値化あるか疑問におもう。将来のために建物も機械も残しておかないとジオラマでは見る者にすぐに見破られる。

機関区にはD50形、D60形、8620形、C55形、9600形、D51形、C50(入れ替え用)がいて機関庫はレンガ積みだった。






茅葺き民家  岡山県大佐町の民家

2013年09月25日 | 茅葺き民家
撮影場所 岡山県大佐町(現在は新見市)

大佐町は新見市の東、鉄道は姫新線、高速道路は中国道沿線
鉄道も高速道路も走っているので恵まれた交通網である。
町には大佐山という千メートル足らずの山がありハンググライダーやパラグライダーの基地がある。何度か飛ぶのを見に行った。パラグライダーは上昇することは少ないがハンググライダは風が良ければドンドン上昇する。 2500メートルまで上昇したとか鳥取砂丘まで飛んだ事があると話している。組み立てに時間が掛かるので一度上がると降りてこない。
飛び立つときはドキッとする。飛び出し台から谷底に飛び出すのである。
上手い人は飛び出したらすぐに風をとらえて上昇するが初心者は飛び出したら一度落下して何とか風をとらえる。ベテランの指導者がいて風の向きや強さを判断して飛び出しの指示をする。上昇気流の少ない時は何時間も待機するか飛び出し中止を指示している。
命がけのスポーツなのでこれくらいの慎重さ必要ある。

大佐町の町はずれに茅葺き民家は残っていた。家の前の畑は黒大豆を植えてあるのか
昭和の雰囲気を残した民家が多かった。今はもうトタンを掛けてしまったと思う。








懐かし風景 豆の選別

2013年09月24日 | 懐かしい物
撮影場所 兵庫県篠山町

茅葺き民家を撮影していたら茅葺き民家の隣でお婆さんが豆の選別をしていた。
もう90歳を過ぎているのでは思われた。
何歳になっても働く仕事が在るのは人間にとって必要なことである。
手足や指先も使うし老化防止になる。必要とされているのが遣り甲斐にもなっているとおもう。
今は歳を取っ少し身体が老化すれば介護サービスを受けさせたがるがこれでは介護保険がパンクする。
からだの動く人は一生なんでも自分でやるのがのぞましい。

小豆の選別をやっていると思われる。
小豆は育てやすい豆類だが実が熟れて乾燥すると割れて種が勝手に飛び出す。
無農薬で作ると虫食いの豆が多くなりより分けるのが面倒だ。途中で一度、二度消毒をしないと綺麗な豆作りはむつかしい。
莢がうっすら茶色になりかけた頃に収穫して乾燥させて実と莢を分離する。

植物は子孫を残すために種子を飛散や分散させる。
出来るだけ親から離れた場所で生育するように工夫している。
1.風で種が飛散されるもの、ススキやタンポポのように羽根があるもの
 楓や松の実のように旋回してとんでいくものもある。
2.実が熟れると莢がバネになり遠くに飛ばすもの、豆類やホーセンカ
3.人や動物に服や毛につき運ばれるもの
4.鳥や動物昆虫が食べて糞と一緒に種が落されるもの
5.動物や鳥、昆虫が食料にするため種を運び貯蔵し食べ忘れるもの
6.連作障害を起こさず親の下に種を落とすもの

豆は莢が乾燥してくると莢がねじれてバネのようになり種を遠くに飛ばす。
篠山地方には普通の小豆より実の大きい大納言がある。黒大豆とともに篠山地方の特産品になっている。普通の品種は中納言といわれている。大納言とは結構な名前がついたものだ。


日本茅葺紀行 その81 岡山県倉敷市の民家

2013年09月23日 | 日本茅葺紀行
撮影場所 岡山県倉敷市

岡山県の南部も茅葺き民家がほとんど無くなった。
倉敷市は入母屋造りが多かった、岡山市や倉敷市の沿岸部は寄棟造りが多かったようだ。
この民家は私の家から散歩で行ける距離にあった。
隣にももう一軒大きな茅葺き民家があったがもうトタンで覆った。この家もトタンを覆ったか建て替えている公算が大きい。
岡山県の南部は棟仕舞はがんぶり瓦をのせる。
下屋は本瓦葺きの民家が多い。倉も本瓦葺きてある。
田舎の農家の建物が段々減っていくのは寂しい。



懐かしの蒸気機関車写真展 その33 「機関区」 直方機関区

2013年09月22日 | 懐かしの蒸気機関車写真展
撮影場所 福岡県直方市 直方機関区

直方は炭鉱とそれを輸送する蒸気機関車の町だった。
駅に着くと石炭の煙が臭ってくる。
閉山の続く炭鉱が多く街も活気がなかった。
石炭の煤と石炭で町自体がくすんでいた。これが余計に惨めな町に見えた。
本屋の本も売れないのであろう立ち読みばかりでほんの角が痛んでいた。
日本の多くの町は高度成長に入ろうとしていて暮らしもよくなったのに落ちぶれる町を目のあたりにした。
その頃、北九州の炭鉱の町を舞台にした「青春の門」が週刊誌に連載されていた。
そんな反面、直方には沢山の蒸気機関車が機関区にはいた。
機関区や操車場のヤードは広く線路の上に歩道橋があった。
その上から機関区や操車場を行き交う列車が撮影できた。
一日歩道橋の上で列車を撮影できる時間があれば楽しかったのであろう。
ここにいた蒸気機関車はD51形、9600形、D50形.D60形.C55形、C11形であった。




茅葺き民家 兵庫県今田町

2013年09月21日 | 茅葺き民家
撮影場所 兵庫県今田町(今は篠山市)

今田町から丹波地方である。
デカンショ街道と道路標識にある。
今田町には六古窯のひとつ立杭焼がある。立杭焼では分かりにくいので丹波焼といわれている。
同じ六古窯のひとつ伊部焼も分かりにくいので備前焼といまではよばれている。
昔は今田町では米が作れず大八車に立杭焼を乗せ売りに来て米と交換してして帰ったと土地の人は言っていた。米が作れなかったのは高台のため農業用水が得られなかったのであろうか

今田町には点々と茅葺き民家が残っている。
篠山町のように端正ではない。吉川町や小野市と篠山の双方の特徴を持っているように思う。
この民家のカラスオドシは茅を束ねた「めわら」である。
篠山は栗の木を乗せる。
畑の畝を作ったあとに民家を撮影した。
茅が痛んできたら葺き替えやトタン掛けをするのでなくそのまま撤去された。

懐かしい物 田舟のある風景

2013年09月20日 | 懐かしい物
撮影場所  岡山市白石

岡山市の南部は洪積地のため海抜が低くクリークのような水路が張り巡らされている。
農道が整備されない時は田舟が苗や刈り取った稲の運搬に使われたと思われる。
今でも水路の片隅に田舟が置かれている。
しかし、大雨が降った時は舟の水を掻い出さないと沈没する。
水没したままの舟も見掛ける。
この田舟を作るのにどれくらい掛かるか聞いたところ60万円もしたそうだ。
その当時の軽トラを買うくらいの金が掛かっていたのだ。

白石地区には5軒ほど茅葺き民家もあった。
岡山市の中心まで10分程度で行けるので大型商業地や宅地に変わっている。
このエリアにに大きな庄屋クラスの茅葺き民家があったが火災で焼失した。
茅葺き民家は火災には弱い。