茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

茶と文化そして美
茶文化、芸術、職人・・・
大事!
もっと楽しく茶文化を!

増上寺 貞恭庵!今月無事に終了。

2008年03月20日 | Weblog
本日春分の日。そしてお彼岸のお中日。
強い雨の中お客様は60名。何とか無事に終了しました。
これも皆様のお陰と心より感謝申し上げます。
貞恭庵をお借りして八ヶ月本当に早いですね。
お客様の中には毎月お越し戴き本当に嬉しいです。
毎月テーマを決めて皆様をお迎えしておりますが出来はさまざまです。
反省をしつつ今だ試行錯誤です。
来月までは景光殿が使用できますが5月からは使用できません。
お客様に負担をかけないように頑張ろうと思っておりますが考えはまとまりません。よい知恵を戴けるのならぜひお教え下さいませ。
お願いします。
まずはともあれ雨の中ではありますが、今日も一日スタッフ一同頑張りました。
来月も宜しくお願いします。

茶雅馬便8号発行

2008年03月19日 | Weblog
やっと第8号が出来上がりました。
今月号です。
つまり8ヶ月になります、本当に早いものです。
今月号は、先月行いました「夜咄の宴」の特集と増上寺の開山酉誉聖聡のことを調べた特集です。
酉誉聖聡は下総国守護千葉氏胤の子。いわゆる千葉一族です。そして浄土宗第8祖。
桓武天皇の血を引く「桓武平氏」の一族です。
その一族は、守護神に妙見様を祀っていたと聞き、特集を組んでみました。
宜しかったら暇つぶしに読んで下さい。
後4ヶ月で一年です。
続けられるように頑張ります。

会員証出来上がりました。 MIHO企画

2008年03月18日 | Weblog
やっとやっとMIHO企画の会員証ができあがりました。
20日の貞恭庵には間に合いました。
良かったです。
今年は源氏物語1000年でもありますので源氏物語の絵巻の一部を掲載することができました。
とても綺麗に作成できましたよ。
ご縁があって「より良い会員証」をといって戴きましてご無理を申し上げてですが
掲載をすることに許可を戴きました。!
素敵にできましたし、本当に嬉しく思います。
ご協力戴いた先生に心より感謝申し上げます。
会員の皆様、本当に長らくお待たせ致しました。
20日には、受付でお渡しいたしますのでぜひお申し付け下さいませ。
お願いします。

本当にみてみて!って言う嬉しさです。


お彼岸

2008年03月17日 | Weblog
今日からお彼岸です。
お坊様にとっては忙しい一週間だそうです。というと怒られますが、お彼岸について調べてみました。

彼岸(ひがん)とは、煩悩を脱した悟りの境地のことで、煩悩や迷いに満ちたこの世をこちら側の岸「此岸」(しがん)と言うのに対して、向う側の岸「彼岸」という。
「彼岸会(ひがんえ)」は、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた7日間のこと。また、この期間に行われる仏事のこと。暦の上では最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」なお、地方によっては最後の日を「はしりくち」という地方もある。

彼岸の仏事は浄土思想に由来する。浄土思想で信じられている極楽浄土(阿弥陀如来が治める浄土の一種)は西方の遙か彼方にあると考えられている(西方浄土ともいう)。春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。もとはシルクロードを経て伝わった、生を終えた後の世界を願う考え方に基づいている。心に極楽浄土を思い描き浄土に生まれ変われることを願ったもの(念仏)と理解されているようだ。しかし後述のように、天皇の詔として仏教思想を全国に広げることを意図して始められた行事であったがいつの時代も、人として、生を終えた後の世界への関心の高いことは同じであり、いつの間にか生を終えていった祖先を供養する行事として定着するに至った。
彼岸会の「彼岸」は、「日願(ひがん)」からきているともいえる。日本に限らず古来から、太陽や祖霊信仰は原始宗教の頃からつきものなのである。仏教語の彼岸は後から結びついたものであるという説(五来重による)もある。
806年(大同元年)、日本で初めて彼岸会が行われた。
このとき崇道天皇(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と『日本後紀』に記述されている。

供物
日本で彼岸に供え物として作られる「ぼたもち」と「おはぎ」は同じもので、炊いた米を軽くついてまとめ、分厚く餡で包んだ10cm弱の菓子として作られるのが一般的である。これらの名は、彼岸の頃に咲く牡丹(春)と萩(秋)に由来すると言われる。

きな粉と胡麻
1271年(文永8年)9月12日、日蓮が鎌倉の龍ノ口の刑場へ引き立てられていった。急を聞いた桟敷の尼が、なにか最後のご供養をと考えたが、急であったため餡をつくる時間が無く、きな粉と胡麻をまぶして牡丹餅を作り日蓮に献上したという。日蓮は、難を免れ佐渡に流罪となった。この故事にちなみ陰暦9月12日、日蓮宗では「御難の餅」という胡麻のぼたもちを作って供える。また「難除けぼたもち」「首つなぎぼたもち」などと呼ばれている。

お彼岸は大事な慣わしの一つです。
これからも大事に伝え守って行きたいですね。
意味のあることですから・・・。
さ、お参りに行きましょうかね!



千葉神社

2008年03月16日 | Weblog
増上寺の開祖の千葉氏の妙見様。
千葉神社について印してみました。
お散歩に如何でしょうか?

古くは北斗山金剛授寺尊光院。江戸時代には家康の命によって妙見寺と改称。明治時代の神仏分離令によって千葉神社と改められました。
 千葉宗家がもっとも厚く信仰した寺で、北辰妙見尊星王を主祭神として祀っています。西暦2000年をもって開創千年を迎えました。北辰妙見尊星王はその名のとおり、北天の中心に位置して全宇宙の神々を掌握すると考えられていた北辰、つまり北極星と北斗七星の具現された神とされています。
 千葉氏の祖である平忠常の子・覚算大僧正によって伽藍が整備、一条天皇の眼病平癒の勅願所とされて、長保2(1000)年9月12日に「北斗山金剛授寺」の寺名を賜ったと伝えられています。本尊の妙見大菩薩像は上総国大椎に移されていたものを、大治元(1126)年9月15日、千葉介常重によって千葉庄池田郷堀内へ移されたとされています。同寺には頼朝も参詣して願文・太刀などを奉納したと伝えられています。
 鎌倉時代、日蓮が宗門の興隆を祈願すべく参詣した際にありがたい吉祥があり、日蓮はこの妙見神こそ我が宗門の守護であるとされたそうです。現在でも日蓮宗では妙見大菩薩を信仰の対象としており、日蓮は請願成就ののち自筆の法華経を奉納しました。
 時代は下って天正19(1591)年、家康が関東の国主として入部した直後、千葉に赴いて金剛授寺に参詣して寺領安堵ならびに太刀一振を納めて深く崇敬の念を捧げ、供祭料田として永代二百石が寄進されました。あわせて十万石待遇という非常に高い格式を賜ったのでした。代々の将軍家の崇敬も厚く、全国に「千葉大妙見」と親しまれて幕末にいたったのでした。
 しかし明治期の神仏分離令によって神社となり、北辰妙見神は古来からの日本の神ではないとして、妙見と同様、すべての星を司る日本古来の神という天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)を主祭神として現在にいたります。

つながりを探っていくと面白いです。


法華経寺 妙見菩薩 お祭り

2008年03月15日 | Weblog
今日は中山の法華経寺の妙見菩薩のお祭りです。
毎月15日だそうです。
妙見菩薩は千葉氏と守り本尊だそうです。
少し調べてみましたが、お天気もよいことですので、よろしかったらお出まし下さい。

妙見菩薩(みょうけんぼさつ)は、仏教における信仰対象である天部の一つ。妙見尊星王(みょうけんそんしようおう)、北辰(ほくしん)妙見菩薩とも呼ばれる。

「菩薩」とは、本来サンスクリットの「ボーディ・サットヴァ」の漢音写「菩提薩埵」から来た言葉で、「悟り(真理)を求める者」の意であり、十界では上位である四聖(仏・菩薩・声聞・縁覚)の一つだが、妙見菩薩は他のインド由来の菩薩とは異なり、中国の星宿思想から北極星を神格化したものであることから、通常は大黒天や毘沙門天・弁才天と同じ天部に分類されている。


妙見菩薩の例古代中国の思想では、北極星(北辰とも言う)は天帝(天皇大帝)と見なされた。これに仏教思想が流入して「菩薩」の名が付けられ、妙見菩薩と称するようになった。「妙見」とは「優れた視力」の意で、善悪や真理をよく見通す者ということである。七仏八菩薩所説大陀羅尼神呪経には「我れ、北辰菩薩にして名づけて妙見という。今、神呪を説きて諸の国土を擁護せんと欲す」とある。

妙見菩薩信仰には星宿信仰に道教、密教、陰陽道などの要素が混交しており、像容も一定していない。 他に甲冑を着けた武将形で玄武(亀と蛇の合体した想像上の動物で北方の守り神)に乗るもの、唐服を着て笏を持った陰陽道系の像など、さまざまな形がある。

日本で重要文化財に指定されている妙見菩薩の彫像は、読売新聞社所有(よみうりランド内聖地公園保管)の1体のみである。この像は、正安3年(1301)の銘があり、もと伊勢神宮外宮の妙見堂にあったものとされる。しかし、この像は甲冑を着け、右手に剣を持ち、頭髪を美豆良(みずら)に結った特殊な像容を示し、所伝とおり妙見菩薩と呼ぶべきかどうか若干疑問の残るものである。

また、中世においては千葉氏や九戸氏が妙見菩薩を一族の守り神としており、千葉氏の氏神とされる千葉市にある千葉神社では今日でも妙見菩薩と同一と見なされている天之御中主神を祭神としている。これは、明治維新の際の神仏分離令によって、「菩薩」を公然と祀れなくなってしまった為に採られた措置である。同様の経緯による神社化は、九戸氏の氏神とされている岩手県九戸郡にある九戸神社や大阪府の星田妙見宮の例など少なくはない。なお、千葉神社(当時の「千葉妙見宮」)は源頼朝や日蓮からも崇拝を受けており、この縁により妙見菩薩が日蓮宗の寺院に祀られることが多い

今日は本部お稽古!・・・

2008年03月13日 | Weblog
今日は朝から気分が冴えない。
なぜなら本部稽古だからです。
朝もはよから信濃町まで電車で行き三時間のお稽古。
本部教授に睨まれながら(うそうそ!)緊張の面持ちでお点前をします。
30分ぐらいはテキストを見ての講義ですがその後は実技。
今日の本部稽古の内容は、親先生のところでもお稽古をしていないので頭の中真っ白!
暢気な私は電車の中でテキストブックを広げようと思ってはいたが、なんせ稽古をしていないから行く気はゼロ!
ていうわけで、テキストブックをあっさりと忘れました。
電車は人身事故で遅れ気味。ますます行く気なし。
あ~ぶる~!!!
朝はよからですから電車は中々座れずあ~あ。
座れたと思ったら居眠り。・・・。
やはり本を持っていても勉強する気はなしのようだったと後から思いましたがいつもかな!そう思ってはいたが、電車が遅れていたということは時間も危うしでつまりは私も遅刻寸前かも!
行く気は無いのに駅から道場まで走る走る!
きっと先生が見たら怒られるかも!と思うぐらいダッシュしました。
ちょいと疲れ気味ではありましたが何とか無事に到着。
そして自分のお点前の番。
早く終わらせようと必死になって進めていたらやること忘れてしまい先生からひとこと。焦らないで・・・。
お稽古をしていないから早く無事に終わられたいと思ったていたら逆目にでたようです。
結局「お若いのだから・・。」とほほ!
気分のブルーのときはサボるしかないかも!
というより、本当にお稽古の嫌いな私が浮き彫りになりました。
その後、今日は筑波まで仕事で飛んで行きました。
車を走らせているときほど気分がリラックスできるのはありません。
多分相当お稽古ができなかったからの気分転換でしょうが、天気もよかったので元気になりました。
そろそろ明後日は親先生のところでお稽古。
まじめにしてみましょうかね~。
今日は緊張して疲れました。

今月の貞恭庵!について

2008年03月12日 | Weblog
いよいよ来週になりました。
4月20日10:00~15:30です。
景光殿最後の使用となります。
多くの方にお越しいただけたら嬉しいです。
櫻の開花には一足早いかもしれませんが、想像膨らむ櫻のしたでお茶一服如何でしょうか?
お点前は時間の都合でありませんがひとときをゆっくりとしていただければ、嬉しいです。
宜しかったらお出まし下さいませ。
一服1000円でご提供してます。
お菓子は夜桜だそうです。
良い天気に恵まれますように!

貞恭庵でお茶事!

2008年03月11日 | Weblog
夜咄茶事をやりました。
気分的に慌しいところでやりましたが何とか無事に!
久々に懐石料理を作っておもてなしをいたしましました。
狭いし決して設備の整っているところではなかったですが楽しかったです。
茶室が雰囲気を作ってくれたようにみえます。
4名でしたのでほのぼのであったかでした。
こんなおもてなしが出来るのが私の理想です。
多くの方をお招きしてご縁を繋ぎたいですね。
それにはまず勉強でしょうかね!
頑張ります。

ちょっとブレイク!つくば都市!!

2008年03月10日 | Weblog
筑波都市はとっても面白い町です。
緑豊かでのんびりで食文化もなかなか!
この町は温泉もありほんとうに人に優しい町だと思います。
私はよく車を走らせ野菜やお肉、草花の買出しに行きます。
お天気のときはほっとする街です。
お腹がすいたらお勧めは、鰻店、パン屋、ケーキ屋、イタリア料理。
何でもござれ。あそうそうとんかつも美味しいところがあった。
鰻店はお勧め中のお勧めです。
飾らない店内ですがなんともいえないたれの香りが店内いっぱいに漂っていて今か今かと待つと待望の鰻が目の前に・・・。
うまい!
やみつきになる味です。
想像しただけでも食べにいきたくなり鰻店。

そんな店が隠れてある街が私をとりこにしてしまいます。
皆さんも筑波へいかれては?
これからも時期、筑波山帰りに町へ繰り出してはいかが?お腹まで満喫できるでしょう。
いい街です。