茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

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りっぱに浅草観光してきました。

2008年03月21日 | Weblog
今日は友人と浅草観光。
天丼の中清に行き、たぬき塚、梅園であわぜんざいをおやつに浅草寺へ。
人の波波に窮屈を感じましたが、何だかとってものんびり話が出来たように感じます。久々かな~。楽しかったですね!
ということで、浅草寺について調べてみました。
普段、おっっしゃる通り下町の観音様という親しみがありましたが案外面白いことがわかりました。

浅草寺(せんそうじ)は、東京都台東区浅草二丁目にある東京都内最古の寺院。
山号は金龍山。本尊は聖観音(しょうかんのん)。もと天台宗に属していたが、第二次世界大戦後独立し、聖観音宗の総本山となった。観音菩薩を本尊とすることから「浅草観音」あるいは「浅草の観音様」と通称され、広く親しまれている。
東京都内では、唯一の坂東三十三箇所観音霊場の札所(13番)である。江戸三十三箇所観音霊場の札所(1番)でもある。
寺伝によると、創建の経緯は次のとおりである。推古天皇36年(628年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも、この人物の氏名には諸説あり)は出家し、屋敷を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。
観音像は、高さ一寸八分(約5.5センチ)の金色の像であると言われるが、公開されることのない秘仏のため、その実体は不明というほかない。その後、大化元年(645年)、勝海上人という僧が寺を整備し、観音の夢告により本尊を秘仏と定めたという。さらに平安時代初期の天安元年(857年)(天長5年-828年とも)、延暦寺の僧・円仁(慈覚大師)が来寺して「お前立ち」(秘仏の代わりに人々が拝むための像)の観音像を造ったという。
毎年12月13日に開扉法要が行われるほか、特別な行事の際などに開扉が行われる場合があるが、その際も信徒が拝することができるのは「お前立ち」像のみで、秘仏本尊像は公開されることはない。
宮殿の左右には脇侍の梵天・帝釈天像、堂内後方左右には不動明王像と愛染明王像を安置する。
これらのことから、浅草寺では勝海を開基(創立者)、円仁を中興開山と称している。雷門や仁王門は天慶5年(942年)、安房守平公雅が武蔵守に任ぜられた際に創建したとの伝えがあり、この頃に寺観が整ったものと思われる。
近世には徳川家の祈願寺に定められたこともある。
不動明王像と愛染明王像が祀られているのは興味深い一つでした。
皆様も改めて東京下町探検されると新たな一つとめぐり合うかもしれません。
たまにはいかがでしょうか?
そうそう櫻の花が咲き誇ってました。