茶雅馬茶道教室 ~MIHO企画~

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千葉神社

2008年03月16日 | Weblog
増上寺の開祖の千葉氏の妙見様。
千葉神社について印してみました。
お散歩に如何でしょうか?

古くは北斗山金剛授寺尊光院。江戸時代には家康の命によって妙見寺と改称。明治時代の神仏分離令によって千葉神社と改められました。
 千葉宗家がもっとも厚く信仰した寺で、北辰妙見尊星王を主祭神として祀っています。西暦2000年をもって開創千年を迎えました。北辰妙見尊星王はその名のとおり、北天の中心に位置して全宇宙の神々を掌握すると考えられていた北辰、つまり北極星と北斗七星の具現された神とされています。
 千葉氏の祖である平忠常の子・覚算大僧正によって伽藍が整備、一条天皇の眼病平癒の勅願所とされて、長保2(1000)年9月12日に「北斗山金剛授寺」の寺名を賜ったと伝えられています。本尊の妙見大菩薩像は上総国大椎に移されていたものを、大治元(1126)年9月15日、千葉介常重によって千葉庄池田郷堀内へ移されたとされています。同寺には頼朝も参詣して願文・太刀などを奉納したと伝えられています。
 鎌倉時代、日蓮が宗門の興隆を祈願すべく参詣した際にありがたい吉祥があり、日蓮はこの妙見神こそ我が宗門の守護であるとされたそうです。現在でも日蓮宗では妙見大菩薩を信仰の対象としており、日蓮は請願成就ののち自筆の法華経を奉納しました。
 時代は下って天正19(1591)年、家康が関東の国主として入部した直後、千葉に赴いて金剛授寺に参詣して寺領安堵ならびに太刀一振を納めて深く崇敬の念を捧げ、供祭料田として永代二百石が寄進されました。あわせて十万石待遇という非常に高い格式を賜ったのでした。代々の将軍家の崇敬も厚く、全国に「千葉大妙見」と親しまれて幕末にいたったのでした。
 しかし明治期の神仏分離令によって神社となり、北辰妙見神は古来からの日本の神ではないとして、妙見と同様、すべての星を司る日本古来の神という天之御中主大神(アメノミナカヌシノオオカミ)を主祭神として現在にいたります。

つながりを探っていくと面白いです。