今日は朝から夜まで勉強会です。
午前中は本部稽古でお茶の勉強です。
お茶って・・・?解けない質問が本部稽古に行くたんびに頭を過ります。
ある時こんな質問を言われたことがあります。
「なんの為にお茶をしているの?」お稽古好きじゃないのでしょ?お花も好きではないのでしょ?
ではなぜ?お茶しているの?
本当にストレートな質問でしょう?
それから気がつくと自問自答のくり返しです。
逆になんで稽古嫌いなんだろう?
なんで稽古しているのだろう?
お茶ってどうしてあるのだろう?
魅力というかなぜお茶の道を外れないのだろう?って。
以前にあるお人に、貴方にとってお茶ってなんですか?と投げかけたことがあります。
生活の一部?生活そのもの?・・・と答えて下さったことを覚えています。
そうかと思うと、友人たちはさまざまな関係でお茶と関わり合っています。
お茶ってめんどくさい!と思う人や、お点前が好きという人や茶花が好きですし気楽で楽しい!という人も。
とりあえずお茶しとこ!という人や、止められないから!という人など、さまざまな関わりでお茶と向き合っている人がいます。
お茶ってそれでいいんじゃないかとこの頃思うのです。
色んな考えや関わり感じ方があるけど、好きだけでおさまらないお茶であって○なんではないでしょうか?
嫌いで続けている必要がなないと思う考えも一つかと思うのですが、嫌いでも続けているのは続けているだからこそ切れない何かと向き合っているようにも考えられるし・・・。
つまり茶道というひとつの道なんですよね?人の一生と一緒?
好きという道と嫌いな道、レールが曳かれている道があったり、はたまた作りあげる道ではでこぼこ道だったりまっすぐの道だったりくねっている道だったり、坂道だったり、平らだったり階段式だったり色々な道があるように、かかわりあいも色々あって○なんだと思っていいのだろうと・・・。
ただ、ちゃんとその時を向き合っていれば失敗しても間違っていてもその時を考えていればいいんじゃないかと思ったりもするんですよね?
勿論その手段の一つとして、点前があったり茶花があったり道具があったりすのではないでしょうか?
だから答えを出すのは難しいかも!。
なんで生きているの?とおんなじのように考えてしまえるから?
答えを探しながら楽しみを見つけながら関わりあっていければいいのかな?
そんなふうに思ったりもしました。
よくお客様にお茶ってどんなイメージがありますか?という質問の殆どの方が、「しきたりが!」とか「格式が!」とか堅苦しいイメージが先立つようです。
それでも雅だとか優雅で癒しですというイメージもあるようです。
お茶、茶道という物体は色んな角度から観られてかかわりが持てて楽しいですね?
でもやっぱり修行かな?
どんな気持で向きあっていても続けていられる幸せは実感しています。
そう今は思います。
貴方様は如何でしょうか?
そう感じながらも本部稽古は行くことに○でようでしょう!と思ったりするところは、さぼり大好きだからでしょうかね?
ちょっと考えてみました。
午前中は本部稽古でお茶の勉強です。
お茶って・・・?解けない質問が本部稽古に行くたんびに頭を過ります。
ある時こんな質問を言われたことがあります。
「なんの為にお茶をしているの?」お稽古好きじゃないのでしょ?お花も好きではないのでしょ?
ではなぜ?お茶しているの?
本当にストレートな質問でしょう?
それから気がつくと自問自答のくり返しです。
逆になんで稽古嫌いなんだろう?
なんで稽古しているのだろう?
お茶ってどうしてあるのだろう?
魅力というかなぜお茶の道を外れないのだろう?って。
以前にあるお人に、貴方にとってお茶ってなんですか?と投げかけたことがあります。
生活の一部?生活そのもの?・・・と答えて下さったことを覚えています。
そうかと思うと、友人たちはさまざまな関係でお茶と関わり合っています。
お茶ってめんどくさい!と思う人や、お点前が好きという人や茶花が好きですし気楽で楽しい!という人も。
とりあえずお茶しとこ!という人や、止められないから!という人など、さまざまな関わりでお茶と向き合っている人がいます。
お茶ってそれでいいんじゃないかとこの頃思うのです。
色んな考えや関わり感じ方があるけど、好きだけでおさまらないお茶であって○なんではないでしょうか?
嫌いで続けている必要がなないと思う考えも一つかと思うのですが、嫌いでも続けているのは続けているだからこそ切れない何かと向き合っているようにも考えられるし・・・。
つまり茶道というひとつの道なんですよね?人の一生と一緒?
好きという道と嫌いな道、レールが曳かれている道があったり、はたまた作りあげる道ではでこぼこ道だったりまっすぐの道だったりくねっている道だったり、坂道だったり、平らだったり階段式だったり色々な道があるように、かかわりあいも色々あって○なんだと思っていいのだろうと・・・。
ただ、ちゃんとその時を向き合っていれば失敗しても間違っていてもその時を考えていればいいんじゃないかと思ったりもするんですよね?
勿論その手段の一つとして、点前があったり茶花があったり道具があったりすのではないでしょうか?
だから答えを出すのは難しいかも!。
なんで生きているの?とおんなじのように考えてしまえるから?
答えを探しながら楽しみを見つけながら関わりあっていければいいのかな?
そんなふうに思ったりもしました。
よくお客様にお茶ってどんなイメージがありますか?という質問の殆どの方が、「しきたりが!」とか「格式が!」とか堅苦しいイメージが先立つようです。
それでも雅だとか優雅で癒しですというイメージもあるようです。
お茶、茶道という物体は色んな角度から観られてかかわりが持てて楽しいですね?
でもやっぱり修行かな?
どんな気持で向きあっていても続けていられる幸せは実感しています。
そう今は思います。
貴方様は如何でしょうか?
そう感じながらも本部稽古は行くことに○でようでしょう!と思ったりするところは、さぼり大好きだからでしょうかね?
ちょっと考えてみました。