やっぱり立寄ってしまいました。
阿弥陀様のお顔を観に、いやご挨拶していこうかな?そう思ってしまうほど、こちらのご本尊は優しいお顔の阿弥陀様です。
これで3回目。よくもまぁはるばるとと思いつつなんだか立寄ってしまいたくなります。
暫くご本尊とにらめっこしていて「着てよかったな~?」何を会話するわけでもないが心が満たされたきがしたのが不思議です。
当時の華やかな建築物が一部再現され、見事だった様子が伺えますが、何よりも心を軽やかにさせてくれるご本尊にほれ込んでいるお堂です。
そもそもこちらを紹介して下さったのは、大學の尊敬する先生なんですが「いわきだったと思うけどよいお寺があるよ!行ってみな?」その一言がきっかけで探して見つけ出しました、たどり着くもんですよね?
こんなに足を運ぶとは思っていませんでしたが、阿弥陀様を紹介して下さって本当に感謝しています。今では私がみんなに紹介しているくらいです。
その白水阿弥陀堂の縁起は下記の通り。
創建年 永暦元年(1160年)
開基 徳姫(岩城則道夫人)
正式名 菩提山 願成寺
札所等 磐城三十三観音4番
文化財 阿弥陀堂(国宝)
木造阿弥陀堂如来及両脇侍像、木造持国天・多聞天立像(重要文化財)
浄土庭園(国の史跡)
白水阿弥陀堂は、福島県いわき市内郷白水町にある阿弥陀堂である。
平安時代末期の建築で、国宝に指定されている。国宝指定名称は単に「阿弥陀堂」。所有者は真言宗智山派願成寺で、正式名は願成寺阿弥陀堂である。
また、その領域は白水阿弥陀堂境域(しらみずあみだどうきょういき)として国の史跡に指定されている。
白水阿弥陀堂は、平安時代末期の永暦元年(1160年)に岩城則道夫人・徳姫(藤原清衡の娘)によって建立された。徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立したのである。
御堂は、方三間の単層宝形造で屋根は柿葺(こけらぶき)。
堂内の壁板には壁画が描かれていたと思われるが、現在は一部に僅にその面影が残っているのみである。内部には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観世音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されている。
また、阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれており、正面に当たる南から中ノ島を経由して御堂にいたる参拝道が設けられており、更に北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は、正に平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様を成している。これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることも手伝って、毛越寺や無量光院といった平泉の寺院の構造に影響を受けている。実際に、「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けた物で、いわき市の「平」という地名の由来に、平泉の「平」を取った物だという説がある。
阿弥陀様のお顔を観に、いやご挨拶していこうかな?そう思ってしまうほど、こちらのご本尊は優しいお顔の阿弥陀様です。
これで3回目。よくもまぁはるばるとと思いつつなんだか立寄ってしまいたくなります。
暫くご本尊とにらめっこしていて「着てよかったな~?」何を会話するわけでもないが心が満たされたきがしたのが不思議です。
当時の華やかな建築物が一部再現され、見事だった様子が伺えますが、何よりも心を軽やかにさせてくれるご本尊にほれ込んでいるお堂です。
そもそもこちらを紹介して下さったのは、大學の尊敬する先生なんですが「いわきだったと思うけどよいお寺があるよ!行ってみな?」その一言がきっかけで探して見つけ出しました、たどり着くもんですよね?
こんなに足を運ぶとは思っていませんでしたが、阿弥陀様を紹介して下さって本当に感謝しています。今では私がみんなに紹介しているくらいです。
その白水阿弥陀堂の縁起は下記の通り。
創建年 永暦元年(1160年)
開基 徳姫(岩城則道夫人)
正式名 菩提山 願成寺
札所等 磐城三十三観音4番
文化財 阿弥陀堂(国宝)
木造阿弥陀堂如来及両脇侍像、木造持国天・多聞天立像(重要文化財)
浄土庭園(国の史跡)
白水阿弥陀堂は、福島県いわき市内郷白水町にある阿弥陀堂である。
平安時代末期の建築で、国宝に指定されている。国宝指定名称は単に「阿弥陀堂」。所有者は真言宗智山派願成寺で、正式名は願成寺阿弥陀堂である。
また、その領域は白水阿弥陀堂境域(しらみずあみだどうきょういき)として国の史跡に指定されている。
白水阿弥陀堂は、平安時代末期の永暦元年(1160年)に岩城則道夫人・徳姫(藤原清衡の娘)によって建立された。徳姫は、夫・則道の菩提を弔うために寺を建てて「願成寺」と名付け、その一角に阿弥陀堂を建立したのである。
御堂は、方三間の単層宝形造で屋根は柿葺(こけらぶき)。
堂内の壁板には壁画が描かれていたと思われるが、現在は一部に僅にその面影が残っているのみである。内部には阿弥陀如来像を中心に、両脇侍の観世音菩薩像と勢至菩薩像、ならびに二天像(持国天像、多聞天像)の5体の仏像が安置されている。
また、阿弥陀堂は東・西・南の三方を池に囲まれており、正面に当たる南から中ノ島を経由して御堂にいたる参拝道が設けられており、更に北・東・西は山で囲まれており、阿弥陀堂を中心としたこれらの空間は、正に平安時代末期に盛んだった浄土式庭園の様を成している。これらの構造は、徳姫が奥州藤原氏の娘であることも手伝って、毛越寺や無量光院といった平泉の寺院の構造に影響を受けている。実際に、「白水」という地名は、平泉の「泉」という文字を2つに分けた物で、いわき市の「平」という地名の由来に、平泉の「平」を取った物だという説がある。