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長尾龍虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

【拉致被害者家族めぐみさん父親・横田茂さん死去から五年①】小説・北朝鮮拉致横田めぐみ めぐみさんへ~めぐみさんは生きている!~拉致事件五十年目の真実

2025年06月05日 10時45分03秒 | 日記









小説 大河小説 北朝鮮拉致事件横田めぐみ
  めぐみさんへ

                        Reform of new north korea
   ~めぐみさんは生きている!~
拉致と国家間紛争の争いの果てに見えるものとは?
  プランナーストラテジスト・長尾龍虎による悲劇のヒロイン「横田めぐみ像」!
             悲劇のヒロイン「めぐみ」のすべて!
              total-produced&PRESENTED&written by
                   NAGAO Tatsutora
                  長尾 龍虎
                  
          plan is a dramatic interoretation
         of events and characters based on public
         sources and an in complete historical record.
         some scenes and events are presented as
         composites or have been hypothesized or condensed.
 ”たとえ全世界を手に入れても、自らの魂を失ったなら何の利益があるだろう”                 アタイ伝16の26

      この国はどうなってしまうのか?

      都市盛衰の岐路に問う 警世の書







   あらすじ 1977年11月15日、新潟……横田めぐみさん(当時13)は北に拉致された。北朝鮮が本当に拉致を認めたのは90年代。それまで横田夫妻ら拉致家族は不安なまま過ごす。やがて小泉首相(当時)が訪朝し、蓮池さんや曽我さんらは帰ってくる。しかし多くの拉致被害者やめぐみさんは死亡とされた。2020年6月5日、北朝鮮に拉致された横田めぐみさん(当時13歳)の父、滋さんが亡くなったことがわかった。87歳だった。1997年に結成された家族会に加わり、初代代表を務めるなど被害者の救出活動で先頭に立っていた。世論や政府に拉致問題の解決を訴え続けてきたが、願いはかなわなかった。これはそんなめぐみさんに迫る小説である。
『人物表』大河小説 北朝鮮拉致と横田めぐみと北風と
横田滋………めぐみさんの父親。 横田めぐみ…拉致被害者
小島晴則…拉致問題の活動家 横田早紀江…めぐみさんの母親
真保節子…早紀江さんの友人 ボンボ…めぐみさん友達 
アイクニ…めぐみさんの友達 兵本達吉…拉致被害活動家
新潟県警キャリア…長尾龍虎 他

         1 拉致



 
     めぐみさんへの誓い


横田めぐみさんが生まれたのは1964年。ちょうど東京オリンピックが開催された年である。誕生日は10月5日という。生きてれば50代だ。めぐみさんの父親・横田滋さんは女の子がほしかったようで、母・横田早紀江さんも女の子を望んだ。生まれたのはやはり女の子だった。名前はめぐみ……悲劇ヒロイン・横田めぐみさんである。
 生まれてみるとめぐみさんは大きな赤ん坊で看護婦から「御所ちゃん」(御所人形みたいだったから)と呼ばれたという。そんな愛娘が13才のときに北の独裁国家に拉致された訳だ。はっきりいおう、金正恩は「黄色いヒトラー」だ! 倒さなければならない相手である。北は少なくとも金王朝に反対する20万人もの人々を虐殺している。ナチスと同じなのだ。めぐみさんはそんなかの地でどう生活しているのだろう?
 だが、めぐみさんは確実に生きていると私は思う。それは偽遺骨やらでわかる。あまりにも独裁国家の秘密を知っているから死んだことにしているのだ。経済制裁しかない!
 めぐみさんが拉致されたと報道されたのは1997年2月3日のこと。実名で公開されると反響は大きかったらしい。小泉訪朝まで動かしたのだから……
 しかし、甘いと思う。詳しくは後ろの「北朝鮮制裁」で触れるが、まずこういう異常国家はまともに相手にしないことだ。必ず謀略がまっている。
 ヒトラー金正恩を倒さない限り拉致も核も麻薬も偽札も人権弾圧もとまらない。われわれはああいう異常国家と対峙しているのだ…という自覚が必要なのだ。そして拉致被害者家族の焦燥感は理解出来る。2017年12月10日、曽我ひとみさんの夫のチャールズ・ジェンキンスさん(77)が死去し、増元るみ子さん(拉致時・24歳)の母親の信子さん(90)まで亡くなった。病気療養中の横田滋さんも死去。田口八重子さんの兄の飯塚繁雄さんも死去された。有本恵子さん(生誕1960年1月12日(65歳)兵庫県神戸市 失踪 1983年8月 イギリス ロンドン 国籍 日本)の両親の有本明弘さん、有本嘉代子さんも亡くなった。親世代ではめぐみさんの母親の横田早紀江さんたったひとりとなってしまった。早紀江さんもどうなるかわからない。高齢であるのだ。拉致被害者家族にはもう時間がない。どんな汚い手をつかってでも拉致被害者を取り戻すしかない。
だが、ある学者が言うような「拉致されたのは日本の自衛隊の防衛が駄目だったから。自衛隊が北朝鮮から拉致被害者を取り戻すべき」とか馬鹿なことは思わない。戦争をしろと?いうことか?
まずは対話と圧力だ。経済制裁という兵糧攻めで北朝鮮に「ミサイル開発核兵器開発をやめるから話をきいてくれ」という戦略だ。
北朝鮮とはもう20年近く話し合った。
だが、何も解決せず、騙されただけだった。異常国家との話し合いなど無駄だ。まずは兵糧攻めで白旗を挙げさせるしかない。それが戦略次第という意味である。
戦略なくして平和なし。
北への兵糧攻めとパルス攻撃とサイバー攻撃とパトリオット2000発米軍先制攻撃だ。敵基地攻撃は避けられない。
北の悪魔を排除するしかない!
今は兵糧攻めで北朝鮮から「核とミサイル開発をやめますから話し合いを…」ともっていかねば何もかもおわりじゃないか?
横田めぐみさんの偽遺骨事件や拉致問題を忘れたのか?
何事も現実主義で。綺麗事は自費出版の本にでも書けばいい。我々こそ現実を見よう!勿論、戦略にはアップサイド(よくいったケース)だけではなくダウンサイド(悪くなったケース)も必要だ。
北の核攻撃で韓国のソウルや日本の東京で200万人規模の死傷者が出る。それをどう防ぐのか?
北も馬鹿じゃない。核兵器を放棄したらリビアみたいになる…金正恩は核兵器を放棄しないだろう。
北はアメリカと交渉したくて武器開発に血眼になっている。最悪のケースを考えない戦略など糞だ。
では、日本はどうでるか?
北が抵抗も出来ないくらいの兵糧攻め+パルス攻撃とサイバー攻撃で北の息の根を止める……のと平行して対話(しかも極秘対話)の道を模索する。しかも、まったくアジアにも日本にも韓国にもアメリカにも北朝鮮にも関係ない「第三国の王族・国主」とかにケリをつけてもらう。
見返りは金正恩政権の所領安堵でも何兆円かの大金でも何でもイイ。
金正恩のロシアやサウジやハワイへの亡命と命の保証と生涯老死するまで贅沢隠居待遇でもいい。
戦略とは最悪を常に考えて練るものだ。
北朝鮮に核攻撃されて200万人が死ぬより、金正恩に数兆円とロシアでの贅沢隠居でもいい。
殺されるより、そういう道で解決してもいい。
こういう戦略が日本人は苦手だ。何でもアップサイドだけでダウンサイドを忘れる。
現政権にこういう戦略があるのか?と、いったらないと断言できる。まさに戦略次第。兵は軌道なり!である。

この物語の参考文献・資料文献は漫画「めぐみ」原作・監修・横田滋氏・横田早紀江氏著作、作画・本そういち氏著作、映画『めぐみへの誓い』(2020)などからです。「文章が似ている」=「盗作」ではありません。盗作ではなく引用です。




海。海岸。2002年――――。
拉致被害者・横田めぐみさんの御両親の横田滋さんと横田早紀江さんは無言で、日本海を見ていた。もう老人で、白髪頭や刻まれた皺が痛々しい。
めぐみちゃん! きっとお父さんとお母さんが日本に連れて帰るわ。
いつものように署名活動で街頭で訴えをする横田夫妻と支援者……
だが、途中で、左翼か何かの無知な若者らが、差し出したチラシをばん! と弾き飛ばした。
「あんたらいい加減にしなよ。これは〝北朝鮮差別〟だろ?」
「拉致だ! ……って日本軍だって戦争中に朝鮮半島や中国大陸のひとたちを騙して連れてきて『従軍慰安婦』(性奴隷)や『徴用工』(奴隷労働)で酷いことしたじゃないか?」
「それは歴史の誤解で……確かに、ある程度の侵略や強姦や虐殺はあったが……日本軍が酷く悪いことを沢山した……というのは戦争の誤解で真実じゃない」
「じゃあ、『従軍慰安婦』も『徴用工』もいなかった、って?」
「あのねえ。アフリカでは子供たちが飢餓で何万人も死んでんのよ。それを無視してほっといて、『北朝鮮の拉致』って。証拠があっていってんの?」
「………」あまりの無知に、横田夫妻は言葉を飲んだ。
 救う会が、署名活動を休憩して、公園のところで水筒のお茶を飲み、食べていると、
 若い娘さんが、「あのひと有名人よ」
 とはしゃいだ。「だめよ」数人の娘さんはからかうような嘲笑で歩き去った。
 早紀江さんは大きくため息をつき、「わたしは有名人になんかなりたくなかったわ。ただ、めぐみちゃんに会いたいだけ」
回想1974年海岸。浜辺を走る少女めぐみと双子の弟……横田夫妻も若い。笑顔で写真を撮る。途中いなくなり……めぐみちゃん?……いた。
1976年5月辛光洙(シン・グァンス)が秋田の海岸から密入国した。妻・夏仙は薄暗い海岸で出迎えて、ハグをする。「……兄をたすけて。協力したら強制収容所から出してくれるって約束でしょう?」「わかってるって」辛は、ラジオの暗号を解読した。定期的に、ラジオ放送で、北朝鮮が暗号電波を発信しているのだ。

「もう、いいでしょう? 散々、手を貸してきたでしょうが。もうやりたくない」
「そうはいかないなあ。駄目なら〝共和国(北朝鮮の事)〟にいるお姉さんが死んじゃうよ?」
「……」在日の社長は言葉を飲み込んだ。
「うぐあ……」
在日の会社工場社長を脅し、従業員の日本人男性をコーヒーに入れた睡眠薬で眠らせ、北へ運んだ。(辛の命令)
田口八重子さんの拉致も、辛の命令である。

「八重ちゃん!」
「田宮さん。またこの居酒屋? まあ、美味しいけどね」ほほ笑んだ。
 もう夜中で、田口八重子さんは派手な服装であった。
「田宮さん。子供は……好き?」
「どうして?」
「わたし実は子供がふたりいるのよ」
「へえ。いくつ?」
「長女が三歳で、長男が一歳」
「へえ。いいじゃん。可愛い盛りじゃんねえ」
「ありがと。でも、シングルマザーだけどね。離婚したのよ」
「へえ。八重ちゃん、偉いねえ」
「あはは。ありがと。じゃあ、わたし、ちょっと行くね。下の子供が熱を出しててね」
日本人の恋人・田宮(本当は北工作員)に騙され、北へ、田口八重子さん(子供・姉三歳と弟一歳を残して)も拉致られて、連れていかれた。
 

横田めぐみさんが拉致されたのは1977年11月15日……新潟県新潟市水道町でのことだった。11月にしては穏やかな暖かい日だったという。(著者は7才)
 そのときは拉致とはわからず失踪扱いだったという。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という。そして拉致から20年たった1997年1月21日……双子の弟の哲也の結婚が決まった。「おめでとう! 早紀江さん」近所のオバさんたちは祝福した。しかし、早紀江さんはいつも愛娘・めぐみさんのことを思い、陰で泣いていたという。神に祈った。神様仏さま…… どうかめぐみが生きてますように…
 誕生の1964年は東京オリンピックの年だった。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という。まだ小さい。めぐみさんは13歳だったという。
 めぐみさんの父親・横田滋も、母・横田早紀江さんもまだ若かった。
「おはよう…お父さん」
 めぐみさんは中学校の制服でバトミントンのクラブをもっていた。「ああ、おはようめぐみ」新聞を見ながら滋さんはいった。
 すぐに友達の女の子が「ヨコー! おはよ~っ!」とくる。
「まって! すぐいくわ!」
 めぐみさんはいつものように玄関から出ようとした。早紀江さんが「今日は暖かいけど夕方寒いよ。コートもっていきなさい」という。
 めぐみさんは「ん~どうしようかなぁ。今日はいいや。置いてく……じゃあ行ってくるね」と友達と出掛けた。それが……めぐみさんの家族たちが見た最期の姿である。
 そしてまた1997年……
 早紀江さんは複雑な心境だった。あの頃…小学生だった拓也も哲也ももう結婚である。時間がどんどん過ぎていく。めぐみちゃんのことはけして忘れてはないけれど……
 寒い日だった。もう還暦の横田夫妻は東京付近のマンションに住んでいた。滋さんは元・日銀マンである。「ただいま。あら?」
 夫の滋さんがソファで深刻な顔して座っている。「どうしたの? お父さん?」
「実は……今日……不思議なことがあったんだ。」
「不思議…」早紀江さんはオウム返しにきいたという。「不思議なことって?」
「実はめぐみが……北朝鮮で生きているそうなんだ…」
「え?! まさか!」
 滋さんは深刻な顔のままだ。「ある議員の秘書の方から連絡があった…」
「じゃあめぐみちゃんは生きてるの?!」
 夫妻は年寄りとなり白髪頭だ。「20年前に行方不明になってから以来……情報らしい情報といえばいいが…本当なのかは…」
「めぐみちゃんが!」早紀江さんは老眼鏡を落としそうになるくらい動揺した。めぐみは北の工作員に拉致された……?? めぐみ!
 早紀江さんは20年前を思いだしていた。
 あのときドォーン! という大きな音がした。夜だった。双子の弟たちもびっくりしたという。「いまの何の音?」若き早紀江さんは不気味がった。双子は「飛行機でも落ちたの?」とラジオをつけてみる。何もない……もう夜の7時をまわったところだった。
「ねぇ、お姉ちゃん、今日何かいってなかった? こんなに遅くなるなんて…」
「何もいってないよ」
「変ねぇ?」
 若き早紀江さんは不安になって外出した。「お母さん、学校までいってみてくるわ」
 隣のお婆さんがみかけて声をかけてきた。
「あら? どこかへお出掛けですか?」
「はい」若き早紀江さんは動揺しながらも「めぐみがまだ帰ってこないので学校まで向かえにいきます」と答えた。もう真っ暗で街灯が光っていた。学校では体育館などに明りがついていて練習をしていた。「なんだ。まだバトミントンの練習してたんだ…」
 覗いてみた。若き早紀江さんは動揺した。めぐみちゃんが……いない!
 体育館のバトミントンの練習をしていた生徒は夕方六時には帰ったという。いよいよおかしい。若き早紀江さんは娘の友達の家にもいってみた。いない! まず帰宅してみた。「お姉ちゃん、帰ってない?!」
 双子は「いないよ。どうしたの?」と動揺する母親にきいたという。
「どうしたんだろう? 学校にもいないのよ」
 若き早紀江さんは電話をかけた。バトミントン部の顧問だった佐藤明雄さんだった。
「え? 横田さん? まだ帰ってないんですか? 変だなぁ。門のところで皆とわいわい笑ってたんだけど……中学生くらいになりますと寄り道も多くなるでしょう? もう少しまってみたらどうですか?」
 しばらくまってみた。しかし帰ってこない。
 若き早紀江さんはもう一度、佐藤さんに電話した。「まだ帰ってない?! じゃあぼくも探してみます」
 母親は夜道で泣く双子を連れて探し歩いた。「めぐみちゃ~ん! どこ~っ!」懐中電灯の明りでなんとか見えるくらい暗くなってきた。双子たちはえんえん泣く。
 若き早紀江さんは荒波の日本海までやってきた。どこにもいない。帰宅すると先生がまっていた。「横田さん! まだ帰りませんか?!」
「はい」
「すぐに警察に知らせたほうがいいのではないですか?」
 そんなとき家の黒電話が鳴った。滋からだった。「あ、私だけど…歓迎会がおわってね。これから麻雀をするので…」
 若き早紀江さんは我鳴った。「お父さん! それどころじゃないわ! めぐみがまだ帰ってきてないの! すぐ戻ってきて!」
「めぐみが……いかんな。わかった」滋さんは狼狽してジャン荘から戻ることにした。

北工作員二人は、下校途中の薄暗い道でめぐみさんを拉致った。そして、船に乗せて、北へ向かう。密航。暗闇。明かりを消しての行動だ。めぐみさんが動かない。
「内臓破裂か?」辛が工作員にめぐみさんを海に捨てろ、と命令した。
「しかし、遺体が沖にあがったら……」
「大丈夫だ。沖に遺体が上がっても、自殺か事故で日本警察はおわり、だ。日本の警察はそういうところだ」
だが、めぐみさんが生きていた。
「生きていやがったのか! 鬼の日本人の子供め。朝鮮半島を植民地にした日本人のせいで『朝鮮戦争』は起こった。何万人もの朝鮮人女性をさらいまくり、『従軍慰安婦』として〝性奴隷〟にし、何万人もの朝鮮人男性を『徴用工』として奴隷労働をさせた。おれは日本人が許せない。謝罪しろ! 賠償金を払え!」
日本人への恨み節の北工作員たちだった。
「やめて! お母さんの所へ帰して! お願い! 帰して!」
目覚めためぐみさんを船底へ押し込んだ。
横田めぐみさんはその夜、北朝鮮の船の船底に閉じ込められた。
「お母さん! 助けて! お母さん!」
 しかし助けはこない。暗く寒い船底に閉じ込められていた。「お母さん! 助けて! お母さん!」めぐみさんは制服のまま、船の底を手でかきむしった。血がでた。
「助けて! お父さん! お母さん!」
 しかし誰も助けにはこなかった。北の独裁国家へと……船は向かっていた。
北朝鮮・清津(チョンジン)港。めぐみさんは、指の爪がはがれ出血していた。
「爪がはがれたのか? 痛いか?」
「いいえ。ここは?」
「まあ、車に乗れ」
早朝、港から車へ乗せる辛と工作員は、招待所(ツォデソ)についた。そこでは、例の拉致日本人男性(元・工場労働者)が暴れていた。辛は、頭突きをする。男性を、さらに工作員は殴る蹴る。辛は、めぐみさんを脅した。ここで、朝鮮語を学べばお母さんの下へ帰してあげる、と騙した。
「……ここは韓国ですか?」
「いや、違う。朝鮮民主主義人民共和国だ」
「……北朝鮮……」
「北朝鮮。ではなく「共和国」といいなさい。ここで、偉大なる領主さま金日成主席さまと、敬愛なる指導者である金正日将軍さまのことを学び、主体思想や朝鮮語を学べばいずれ日本へ帰れるぞ」
「本当……ですか?」
「ああ。本当だ」
日本への恨み。洗脳と脅し。制服のめぐみさんを着がえさせる。中学の制服とバドミントンのラケットとかを没収した。……未来への希望?
 1978年新潟近郊では横田夫妻が「行方不明のチラシ」を電柱に貼っていた。
 季節は流れて……
「腕時計? めぐみはしていないです」警察からの死体確認で、早紀江さんは答える。
 本当に、辛い時期である。やはり、めぐみは死んでいるのか?
 ………めぐみちゃん!  どうか生きていて!    


         2 めぐみ。






  横田めぐみさんが拉致されたのは1977年11月15日……新潟県新潟市水道町でのことだった。11月にしては穏やかな暖かい日だったという。(著者は7才)
 その時期は拉致とはわからず失踪扱いだったという。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という。そして拉致から20年たった1997年1月21日……双子の弟の哲也の結婚が決まった。「おめでとう! 早紀江さん」近所のオバさんたちは祝福した。しかし、早紀江さんはいつも愛娘・めぐみさんのことを思い、陰で泣いていたという。神に祈った。神様仏さま…… どうかめぐみが生きてますように…
  1964年は東京オリンピックの年だった。めぐみさんには双子の弟がいた。双子の長兄のほうは拓也、弟は哲也という。まだ小さい。めぐみさんは13歳だったという。
 めぐみさんの父親・横田滋も、母・横田早紀江さんもまだ若かった。
 10月5日、早紀江さんは出産した。女の子だった。
 早紀江さん(当時28歳)滋さん(当時31歳)だった。「はじめてのお子さんね。でも、女の子ですよ」
 早紀江さんは赤ん坊を抱いてみた。「赤ちゃんってこんなに重いのかなぁ?」
「え? そんなに重いの?」滋さんも抱っこしてみた。「ほんとだ」
 看護婦は「健康な赤ちゃんですね?」という。
 滋さんは名前を考えた。
「名前はひとみかめぐみ…この娘はひとみって感じじゃないな。そうだ! めぐみだ!
横田めぐみ! いい名前だ」
「まあ、あなたったらもう親バカ?」ふたりは笑った。
 そして1977年11月15日……滋さんはタクシーで自宅に向かっていた。
「麻雀すまなかったねえ」
「いいえ。麻雀なんていつでもできますから……それより娘さん心配ですね?」
 滋さんは不安な顔のまま「すぐ帰ってくると思うけど…」という。
 夫婦と先生で探してみた。しかし、いるはずもない。
 先生は暗くなった校舎を探しまわった。滋さんも早紀江さんも探した。しかし見付からない。当たり前である。めぐみさんは北へつれていかれたのだから。
 しかし当時は拉致など知られてなかった。滋さんは警察に電話した。
「すぐきてくれるそうだ」肩をおとした。
 早紀江さんは狼狽しながら「家出かしら…? そういえばめぐみはバトミントンの強化選手に選ばれて大変だっていってたわ……そのプレッシャーから…」
 滋さんはいう。「それはないだろう。そうだ! 小学校時代の広島には友達がいっぱいいるはずだ! そこではないかい?」
 早紀江さんは希望をつかみたくて電話してみた。やはりいない。
 滋さんは不安にかられた。「めぐみは汽車のキップを買ったことないし、そもそも今日がこずかいをあげる日だ。家出なら……こずかいをもらってからいくだろう?」
 そんなとき警察がきた。「横田さん。新潟中央署のものです!」
 めぐみさんはそれまで一度も寄り道も学校を休んだこともないという。警察は警察犬をつかった。身の代金目当ての誘拐と思った……交通事故かも…?
 しかし犬は匂いを見失う。家から1、2分のところだった。横田夫妻は動揺を隠せない。警察は横田夫妻の電話に録音機をつけて時をまった。犯人が誘拐電話をかけてくる時を…「今日はいったん警察のほうは捜査を打ち切ります。明け方から再開しますので今日はお休みください」警察はいう。もう深夜だった。盗聴組はもちろん身をすくめている。
 夫妻はふとんにはいった。眠れる訳はなかった。
 早紀江さんは狼狽しながら「家出かしら…? そういえはめぐみはバトミントンの強化選手に選ばれて大変だっていってたわ……そのプレッシャーから…自殺かも…」
「いや。あの子は広島にいたころ溺れかけたことがある。そういう子は自殺…しない…自殺なんかする訳ない…」滋さんは目をぎゅっとつぶった。めぐみ!
 その前日は滋さんの誕生日だった。つまり11月14日だ。
 めぐみさん(当時13歳)は父親に櫛をプレゼントしたのだった。
 ……あの子が自殺や家出なんかするはずない! そして…20年の時が流れた…
 1997年1月27日……
 衆議院議員秘書をしている兵本達吉さんから電話があった。「めぐみが…生きている?!」白髪頭となった横田滋さんは驚愕してしまった。

  横田夫妻が東京品川区大井に住んでいた頃。めぐみさんの弟がうまれた。双子だった。「あら? みーたん(めぐみさんの愛称)おしめどうするの?」
 若き早紀江さんは洗濯ものを干しながらきいた。まだめぐみさんは小さい。「いいの。ちょうだい!」そういって外出した。驚いた。大きな蛙にオシメをして抱きながら遊んでいたからだ。近所のガキどもが「キモい! キモい!」という。しかし、幼いめぐみちゃんは無邪気に遊んでいる。横田夫妻にとってめぐみちゃんは太陽のような存在だった。
  そして1977年…翌日の16日には県警の機動隊もかけつけて薄明りの午前5時頃から捜査がはじまった。しかし、何もみつからず。夫妻は涙枯れるほど流した。
 …一週間後、誘拐の線は薄いと判断した警察は公開捜査に踏み切った。
 この少女を探してください…横田めぐみ…
 テトラポットの隙間を巡視船が、ボランティアのダイバーたちがテトラポットの底まで潜ってもみた。新潟県警最大規模の大捜査になった。しかし、みつかる訳はない。
 刑事たちは張り込みを続けた。夫妻は心配のあまり眠ることもままならない。
 夜になるとふとんで泣いてばかりいた。
「厳しくしつけ過ぎたのかしら? あの時……だってめぐみは…」
 早紀江さんは泣いた。滋さんも泣いていた。めぐみさんはバトミントンの強化選手に選ばれて「やだな~断ろうかなぁ?」などといっていたという。「あのとき、相談に乗って…れ…ば…手をかしてれば…」
「いや、あの子はそんなことで家出なんかする子じゃない。きっと…めぐみは生きているさ……自殺も家出もない…」
「なら…めぐみは生きてるのかしら?」
「きっと…」
 滋さんはお風呂で男泣きして暮らし、母親の早紀江さんもひとしれず泣いてばかりいたという。もうこの苦しみから逃れたい…でも、息をとめてみても悲しい朝はやってくるのでした。悲しい日々……
 そして1997年1月27日、共産党参議院議員橋本敦の秘書・兵本達吉という初老の眼鏡をかけたオッさんがめぐみさん生存情報を掴んだ。
 それをもどること1987年11月29日、大韓航空機事件がおこり、蜂谷真由美と名乗る金賢姫が捕まり証言していた。李恩恵という日本人拉致被害者が話題になった。
 兵本達吉は横田滋さんを事務所まで呼んで知らせた。「1980年1月7日にサンケイ新聞の朝刊一面を飾った日本海アベック蒸発事件……それから私は拉致問題を研究してきた。これを読んでほしい。横田さん」達吉はペーパーを渡す。
「その文章とお宅のめぐみさんが重なると思う。朝日放送の石高健次というひとが書いた現代コリアの記事がファックスで送られてきたんだ……めぐみさんらしい」
 滋さんはみた。”残酷なものだ。子供なのである…””十三歳の少女が…”
 動揺した。白髪頭の滋さんは「めぐみに間違いない!」と思った。しかし、日本海の新潟のどこの浜かは書かれてない。少女はクラブの帰りだった。海岸から脱出しようとした工作員が目撃されたために捕まえて帰ったのだという。朝鮮語をマスターした。そうしたらお母さんたちのところへ返してくれると嘘をつかれて……それがかなわないとわかり精神に異常をきたしたという。
 ……めぐみ! これはめぐみに間違いありません!

  横田滋さんはめぐみさんを写した写真……例の桜の前での…をみつめて泣いた。あのとき、娘は風疹のあとが顔にあるから写真はやだといったのだ。しかし、桜が散ってしまうからと撮影したのだ。制服姿の……
 兵本のもとにサンケイ新聞の阿部雅美という男がやってきた。そして、事件は公になる。

北朝鮮に拉致られた田口八重子さんは、人里少ない山の中の招待所に監禁され、酒浸りになっていた。幼い子供を日本に残しての拉致であった。
「……教師になれ」、と北朝鮮工作員や辛からいわれた。
八重子は笑った。
「わたしはキャバクラのホステスだったのよ。それが教師? 冗談!」
だが、金賢姫のちのテロリストの日本語家庭教師であった。
めぐみさんは数年後、朝鮮語を数年間でマスターした。
季節が変わり、寒い冬に暑い夏……数年……四年経って、やっと朝鮮語をマスターした。独学であった。
「よし。朝鮮語で話してみなさい!〝좋아. 한국어로 말해보세요!〟」
 制服の辛が椅子に座って、金日成バッチをしためぐみさんに命令する。
「われわれは必ずわれわれの世代に南朝鮮革命を完成し、そして統一した祖国を後代に渡さなければならない。〝우리는 반드시 우리 세대에 남조선혁명을 완성하고 통일한 조국을 후대에 넘겨야 한다.〟」
「よし! いいぞ。わが朝鮮労働党の四大原則は? 〝좋아! 괜찮아. 우리 조선노동당의 4대 원칙은?〟」
「神格化、信条化、継体化、無条件性、です。〝신격화, 신조화, 계체화, 무조건성입니다.〟」
「よし。君が朝鮮語を学んでいる理由は?〝좋아. 네가 한국어를 배우는 이유는?〟」
「偉大なる金日成首領様と、敬愛なる指導者・金正日将軍様のご配慮で、十分な食事と衣服を受ける機会を得たわたしは、唯一絶対の主体思想に目覚めました。わたしは日朝の歴史をさらに学習し、日本帝国主義者及びアメリカ帝国主義者と戦い、アメリカの植民地である南朝鮮から南朝鮮人民を解放するために偉大なる金日成首領様と敬愛なる指導者金正日将軍様に終生変わらぬ忠誠を誓い、この命を捧げるためです。〝위대한 김일성 수령님과 경애하는 지도자 김정일 장군님의 배려로 충분한 식사와 옷을 받을 기회를 얻은 저는 유일하게 절대 주체사상에 눈을 떴습니다. 나는 일조의 역사를 더 배워 일본 제국주의자 및 미국 제국주의자와 싸우고 미국 식민지인 남조선에서 남조선인민을 해방하기 위해 위대한 김일성 수령님과 경애하는 지도 자금정일 장군님께 종생 변함없는 충성을 맹세하고 이 생명을 바치기 위해서입니다.〟」
「よし。よく朝鮮語をマスターした! よくやった!」
「あのお。……わたしはいつになったら日本に帰れ……いえ、行けますか?」
「それはまだわからない」
「でも……四年前に辛さんが……約束を……」
「そんな約束はしていない!」
「〝朝鮮語〟をマスターしたらお母さんのところへ帰してくださる、と! お約束を!」
「……知らない。日本人はこれだから困る。」
「約束したはずです! 帰して! 日本へ帰して!」
辛に、日本に帰して、とめぐみさんは訴えた。だが、拒否される。朝鮮語で金日成・金正日の崇拝言葉。主体思想。日本には帰れない、と知ると、めぐみは発狂してしまった。
辛たちは、日本の戦争の罪をなじる。従軍慰安婦問題は「陰で日本人の小説家が作った」と鋭い。徴用工問題も驚くほど真実を知っていた。
辛と、田口八重子(李(リ・)恩恵(ウネ))とめぐみは、精神病院前ですれ違った。
八重子は、金(キム・)賢(ヒョン)姫(ヒ)の日本語教育の教師になっていた。
そうして、その後、金賢姫は大韓航空機爆破テロ事件を起こす。日本人の〝蜂谷真由美〟と称してのテロ事件であった。金賢姫は逮捕され、死刑の求刑を受けたが、のちに恩赦され、韓国に亡命した。金賢姫は今でも田口八重子(李恩恵)の生存をしんじている。







         3 情報






「厳しくしつけ過ぎたのかしら? あの時……だってめぐみは…」
 早紀江さんは泣いた。滋さんも泣いていた。めぐみさんはバトミントンの強化選手に選ばれて「やだな~断ろうかなぁ?」などといっていたという。「あのとき、相談に乗って…れ…ば…手をかしてれば…」
「いや、あの子はそんなことで家出なんかする子じゃない。きっと…めぐみは生きているさ……自殺も家出もない…」
「なら…めぐみは生きてるのかしら?」
「きっと…」
 滋さんはお風呂で男泣きして暮らし、母親の早紀江さんもひとしれず泣いてばかりいたという。もうこの苦しみから逃れたい…だが、息をとめてみても悲しい朝はやってくる。 悲しい日々……
 そして1997年1月27日、共産党参議院議員橋本敦の秘書・兵本達吉という初老の眼鏡をかけたオッさんがめぐみさん生存情報を掴んだ。
 それをもどること1987年11月29日、大韓航空機事件がおこり、蜂谷真由美と名乗る(キムヒョンヒ)金賢姫が捕まり証言していた。李恩恵という日本人拉致被害者が話題になった。
 兵本達吉は横田滋さんを事務所まで呼んで知らせた。「1980年1月7日にサンケイ新聞の朝刊一面を飾った日本海アベック蒸発事件……それから私は拉致問題を研究してきた。これを読んでほしい。横田さん」達吉はペーパーを渡す。
「その文章とお宅のめぐみさんが重なると思う。朝日放送の石高健次というひとが書いた現代コリアの記事がファックスで送られてきたんだ……めぐみさんらしい」
 滋さんはみた。”残酷なものだ。子供なのである…””十三歳の少女が…”
 動揺した。白髪頭の滋さんは「めぐみに間違いない!」と思った。しかし、日本海の新潟のどこの浜かは書かれてない。少女はクラブの帰りだった。海岸から脱出しようとした工作員が目撃されたために捕まえて帰ったのだという。朝鮮語をマスターした。そうしたらお母さんたちのところへ返してくれると嘘をつかれて……それがかなわないとわかり精神に異常をきたしたという。
 ……めぐみ! これはめぐみに間違いありません!

  横田滋さんはめぐみさんを写した写真……例の桜の前での…をみつめて泣いた。あのとき、娘は風疹のあとが顔にあるから写真はやだといったのだ。しかし、桜が散ってしまうからと撮影したのだ。制服姿の……
 兵本のもとにサンケイ新聞の阿部雅美という男がやってきた。そして、事件は公になる。  横田夫妻のもとに朝日放送報道局(当時)石高健次というひとがカメラをつれてやってきた。メディア・スクラムである。「カメラまわしますので…」
「はあ、横田です」
「初めまして妻の早紀江です」
 石高が情報を得たのはその一年前、1995年6月23日だったという。ある工作員の取材で安全保証部員の元工作員と話した。13人の日本人拉致者がいるという。しかも13歳くらいの少女まで拉致されたという。男は本当のことをいっているようだった。
 関西訛りの石高は情報を探った。そして、捜査段階として現代コリアに少女拉致の記事を載せたのだった。それがヒットした。現代コリア研究所の佐藤勝己氏からの調査でもめぐみさんに間違いないという。
 横田夫妻は動揺した。早紀江さんはめぐみちゃんが羽織りを着て少しだけ口紅を塗ったときの写真をながめていた。涙がでてきた。滋さんも泣いた。
「しかし私がゆうてるのは情報で……事実とは…しかし工作員にあってみますか?」
 夫妻は「是非会いたい!」という。重たい。ソウルでもどこでもいくという。
 しかし、記事になり公になれば拉致被害者たちは殺されるかも知れない。
 経済制裁をしても同じ不安は募る。だが、横田さんたちには時間が限られている。もう還暦を過ぎているのだ。横田夫妻はひさしぶりに新潟へと新幹線で向かった。
 もう家はない。門があるだけだった。実名報道すれば命の危険があるのはわかっていた。しかし、そのほうが拉致問題は進展すると思った。ふと、昔のことを思った。
 昔、めぐみさんが幼い頃、同級生たちと漫画を描いていたことだ。…ドイツに花咲く娘たち……スパイ漫画だった。将来は漫画家? ふふ、歌手じゃなかったのかい? 夫婦は笑った。するとめぐみさんは赤くなったという。
 となりのお婆さんにあげた蕾の山茶花(さざんか)ももう大きくなっている。
「めぐみちゃん……あともう少しまっててね……きっと取り返すわ」
 こうして1997年2月3日……雑誌「アエラ」と産経新聞一面トップに横田めぐみの実名と写真が大きく報道された。
 もう白髪まじりの横田夫妻は雑誌をマンションで読み、感慨深い様子だったという。
「本当によかったのかしら…?」
「20年間何も分からなかったんだ。少しでも前身しないと…何もわからなくなる。ふたりとも年を取り過ぎたんだよ」そしてマスコミはスクラムを組んでやってくる。大袈裟なことが好きで飽きやすい日本マスコミはそのときだけ集中的に報道した。まるでその後のホリエモン報道のように。横田夫妻はソウルへと飛び、安明進工作員と会談した。安は最初、少女だった被害者の親とあうのを嫌がったという。恨まれる……しかし、情に負けてあった。彼は05年に日本の国会質疑でも答弁して「拉致はあった。金正日は悪魔だ」とハッキリいっている。彼は平譲でめぐみさんを見掛けたのだという。拉致工作員の教官がいて、ホールでみたという。その頃、めぐみさんは二十代頃だったという。彼女は生きている!





4 小泉首相(当時)訪朝とめぐみさん偽死亡情報






  小泉は胡錦濤中国国家主席とジャカルタで会談した。
 05年4月のことである。
 両国声明で、日中友好回復は世界の緊張緩和に役立つと述べられた。
 小泉はいう。
「中国問題に対する日本の考え方は、胡錦濤中国国家主席に十分満足してもらうことができた。まえの反日暴動にも陳謝してはもらえなかったが、わかってるはずだ」
 中国の小泉評価は、エネルギッシュで話しやすい男だ、といったところだったという。 小泉は、日朝国交回復の旅にでれば只ではすまないと思っていた。
 右翼が「国賊小泉純一郎」と宣伝し、ビラをまくし、小泉が演説中も不審な人物がみつかり、その人物は刃物を隠しもっていた。
 また、事務所に「小泉にあわせろ!」などと怒鳴り込んでくる男もあとをたたなかった。 また韓国や中国で反日デモがおこる。しかし小泉は靖国神社に参拝し続けた。
 小泉は北朝鮮にいくときいう。
「日本国の総理大臣として行くのだから、土下座外交はしない。国益を最優先して、向こうと丁々発止とやる。いよいよとなったら決裂するかも知れんが、そのすべての責任は俺がかぶる」
 反北主義の日本では、北朝鮮にいくことなどタヴーだった。
 ……しかし、カーターだっていった。
 小泉は強く思った。
 ……おれが拉致問題を解決するんだ!
 小泉が平壌に出発する日には、暗殺を計った男が警視庁に逮捕されている。血判つきの抗議文を懐に、猟銃と刃物で狙ったのだ。
 犯人は右翼の青年だったという。
 その朝、珍しく寝坊した小泉は、わかめの味噌汁、漬物などの朝食を食べ、縁側の椅子で”小泉訪朝”の新聞記事に目を通した。
 そこへ息子たちがやってきた。
「待ってたんだ。待ってたんだ」
 すぐ顔を笑みで崩して抱きしめる小泉。
 ヘリコプターが官邸邸の上空近くを飛んでいる。マスコミだろう、小泉は思った。
 玄関に小泉が出ると、万歳三唱がおこった。
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