長尾景虎 上杉奇兵隊記「草莽崛起」<彼を知り己を知れば百戦して殆うからず>

政治経済教育から文化マスメディアまでインテリジェンティズム日記

沙弥 -さやー緑川沙弥20XX年NHK朝ドラ原作<天才小説家緑川沙弥の生涯>1

2015年12月22日 05時19分37秒 | 日記













沙弥


          さや


                    total-produced&Presented&written by
                     midorikawa Washu
                             緑川 鷲羽






  愁いを含んだ初夏の光りが、米沢市の河川敷に照りつけていた。五月三日、米沢では「上杉祭り」で、「川中島の合戦」が繰り広げられていた。白スカーフ姿の上杉謙信役が白馬に跨がり、武田信玄の本陣へ単身襲いかかる。そして、太刀を振るう。軍配で防ぐ信玄(三太刀七太刀)…。それは、米沢市で行われる上杉祭りのハイ・ライトであった。
 緑川沙弥は、その模様を大勢の観客とともに、眺めていた。
 沙弥は合戦をみながらも、もどかしさを隠し切れず、唇を噛んだ。作家として認められない。そう思うと、寒くもないのに、身体の芯から震えが沸き上がってくる。沙弥の身体は氷のように硬直した。「…どうしたの?沙弥……具合悪いの?」母の良子が問うと、沙弥は「なんでもない…」と言った。
 それは、きらきらした輝くような表情だった。






         あらすじ


  物語は東京から始まる。この物語のストーリー・テラーの黒野ありさは、東京のある大学に通う女子大生だ。そして、彼女のふるさとにはひとりの友達がいた。それは、緑川沙弥という女の子だった。確かに、沙弥はいやな女の子だった。
 意地悪で、自分のことしか考えず、病弱なくせにいつも憎まれ口ばかりたたく。でも、だからといって沙弥はブスではなく、とても綺麗な外見をしていた。そんな外見とヤクザのような言葉使いは、とてもギャップがあった。
 そしてひと知れず執筆活動を続け、作家を夢みている。そんな彼女のことをありさはいろいろ思い出していた。外ズラのいい沙弥が男の子とデートしている場面。彼女とふたりでおこなった幽霊屋敷の探検。犬の散歩にきらきら輝く湖。自分が引っ越したくないといって沙弥に泣きついたこと…。
 都会での暮らしもまあまあだったが、ある日、ありさの元に沙弥から電話がある。「夏休み遊びにこい!」
 こうしてありさと彼女の忘れられない夏が始まる。
 チンピラにからまれていたありさや沙弥をたすけたのが哲哉だった。こうして哲哉と沙弥は仲良くなり、恋が芽生える。ジャズ祭りでも、どこでも一緒のふたり。だが、そんな時、哲哉はチンピラに刺されて死んでしまう。沙弥はナイフをもって復讐を誓う。一見それは簡単なことに思えたのだが…。沙弥は結局、チンピラどもを殺せなかった。そして彼女は入院。でも、彼女の作家デビューが決まりハッピー・エンドへ。

                                   おわり

この小説は完全に吉本ばなな氏(現在・よしもとばなな氏)の原作小説『TUGUMI・つぐみ』映画『つぐみ』(1990年公開)牧瀬里穂主演のオマージュ小説です。盗作ではなく引用とオマージュです。裁判とか勘弁してください。ご了承ください。


         米沢と沙弥



 私は、東京のある大学に通う、女子大生だ。
 この物語は、私こと黒野ありさがストーリー・テラー…つまり語り部となってストーリーが展開するファンタジー風少女小説である。例えば、赤毛のアンとか若草物語とかみたいな、ね。そして、主人公は、私のふるさとの米沢市に住む、緑川沙弥である。
 確かに沙弥は嫌な女の子だった。
 病弱なくせに憎まれ口ばかりたたき、気に入らないことがあると暴れる。まったくもって嫌な娘、そんな感じなのだ。「バカヤロー!」「死ね!」「くそったれめ」などと汚い言葉を平気でいう沙弥。でも、彼女には特技がある。それは作家としての能力だ。まぁ、わかりやすくいうと文章がうまい。私はうっとりと思う。沙弥は天才だった。って。
 沙弥が書くのはおもに小説で、恋愛小説がおもだ。もちろんそれだけではなく、エッセイや国際ジャーナリズム関係のものも書いている。でも「作家先生」ではない。いわば「作家もタマゴ」。でも、浮き沈みの激しい文学界、しかも最近の活字離れ、なかなかペイするのも容易ではあるまい。プロになったはいいが仕事がこないためにHな小説連載で食いつなぐ、などという作家先生にならなければいいが。『失楽園』とか『チャタレイ夫人』みたいな、どうしようもないエロ小説連載とか。まあ、沙弥はプライドが高いから、『失楽園』に対抗して『動物園』、などと書くことはないだろうけどね。でも、金に困ったら執筆したりして。
 なぜ私がこんなに彼女のことを知っているかというと、私は彼女の親友で高校の同級生だったらだ。(もちろん彼女のすべてを知っている訳ではないけどね)
 何度もいうが、私の名前は黒野ありさ。東京の某女子大学に通う女子大生だ。
 年は彼女と同じ十八歳。
 ルックスのことで言えば、私は沙弥に比べればあまりパッとしないが、それでもけっこう可愛い、と自分では思っている。自惚れかなぁ?
 そう、確かに沙弥は美しかった。
 黒色の長い髪、透明に近い白い肌、ふたえの大きな瞳にはびっしりと長いまつ毛がはえている。細い腕や脚はすらりと長く、全身がきゅっと小さくて、彼女はあどけない妖精のような外見をしていた。沙弥の嘆声な顔に、少女っぽい笑みが広がった。少女っぽいと同時に大人っぽくもある。魅力的な、説得力のある微笑だった。私はたちまち怪しんで、一歩うしろにさがった。なんであれ、沙弥の片棒をかつぐのはごめんだ。ただでさえ、私の魂はぼろぼろなのだ。ただ………沙弥は美人だわ。
 細い腕も、淡いピンク色の唇も、愛らしい瞳も、桜の花びらのようにきらきらしていて、それはまるでこの世のものではないかのようにも思えた。
 それぐらい沙弥は美しかったってことだ。
 沙弥は、観光と温泉でもっているような米沢市に住んでいた。米沢市で有名な人物といえば、越後の龍・上杉謙信、上杉景勝、智君・上杉鷹山、軍師・直江兼続、前田慶次、伊達政宗そして町で美少女と有名だった『変人』の緑川沙弥。彼女は、しんと光る満月のようだった。私こと黒野ありさは、観光で静かに活動するような故郷・米沢市を離れて東京の大学に進学した。まぁ、父親の仕事の関係ってこともある。東京での生活もまぁまぁ楽しい。 しかし、一瞬だが、故郷が妙になつかしく恋しく感じることもある。そしてそこで暮らす、沙弥や緑川家の人々のことも。

 緑川沙弥が作家になろうと思ったのはいつ頃だったろう?
 私は前に聞いたことがある。すると彼女は、
「小学校の時に、図書館でゲーテの詩集を読んで、なにがしかのインスピレーションを受けてさ。それで「作家になろう!」って決めたんだ」
 と、にやりと言った。
「ゲーテ?」
「あぁ、そうだ」
 ゲーテの詩集を読んで「作家になろう」と思ったと平然と言ったのだ。だけど、私はそれはちょっと嘘っぽいと思う。だから、
「ゲーテって詩人(注・ゲーテは詩だけでなく小説、音楽、絵画、政治もした)でしょ?詩人じゃなくて作家ってどういうこと?」と尋ねた。
 すると沙弥は「詩じゃあペイしない」といった。
 だから私は「ペイって?」と尋ねると、
「ありさって馬鹿だねぇ。ペイっていうのは儲かるって意味の英語だよ。詩人では儲からないってことを私は言ってんの」
 といって沙弥は私をせせら笑った。
「作家ならペイするの?」
「まぁな」
 沙弥はにやりとして言った。

 しかし、あの病弱な沙弥が作家なんて、なんともピッタリきて笑ってしまう。
 病気がちであるからいつも部屋にいるかベットで横になっている。で、原稿用紙に向かってセッセと小説やらを執筆する、なるほど!って感じがする。
 彼女はちょっとしたことでもすぐ病気になる。冷たい風にちょっと吹かれただけでも、少し気温が高くなっただけでも、冷たい雨に濡れただけでも……すぐに具合が悪くなる。 そのため彼女の母親の良子おばさんは苦労を惜しまず何度も病院につれていき、ちやほやと甘やかし、沙弥はニーチェばりの薬づけで生意気な女の子に育った。しかし、なまじっか普通の生活ができる程度には体が丈夫なので、彼女は本当にわがままで生意気な女の子に育った。わがままで、甘ったれでズル賢い……といったところだ。ひとの嫌がることばかりして、自分のことしか考えない…と、まるで悪女のようだった。
 でも、だからといって彼女はブスではない。それは前述した通りだ。
 私の母は、緑川家の経営するペンション「ジェラ」の隣の家に住んでいた。
 良子おばさんのご主人、つまり沙弥たちの父親はもうすでに亡くなっていて、ペンションはおばさんがひとりできりもみしている。私の父親は東京に単身赴任しているエリート銀行マンだった。が、何を思ったのか、突然脱サラして東京で食堂を始めた。それで私だけでなく、母も東京にきていまでは三人で忙しくやってる、って訳。
 まあ、私は平凡な娘って訳である。
 しかし、沙弥は違う。彼女は平凡ではない。というより少し異常だ。
 緑川沙弥はよく暴れる、きれる、部屋のものを壊したりガラスを割ったりもする。たんに気にいらないといってだ。良子おばさんや彼女の妹のまゆちゃんほどではないが、私も緑川沙弥に被害にあったほうだ。ものを投げられたり、頭をゴツンとやられたり…。それで私が「なにすんのよ!」と怒ると、
「私の機嫌がわるい時に目の前にいるほうが悪い!」
 などとのたまう。どういう理屈だか。こういうのを『屁理屈』というのだ。
  私はよく故郷の米沢市を思い出したりもする。
 私の住んでいた家の自分の部屋の窓からはきらめくような風景がみえたものだ。
 すごく眺めがよくて、窓からはきらきらと輝く湖がみえる。湖は昼には太陽を浴びてきらきらと輝き、夜は月明りが映って輝くような、美しい湖だ。
 私はよく米沢の光景を思い出す。きらきらとした朝日が差し込んで湖が輝く光景を…。それはしんとした静けさの中にあったっけ。
「あたしが死んだら骨は湖にまけ!」といつだったか沙弥は言ってたが、気持ちはわかる。 彼女はよく男の子を騙して湖の前を散歩した。散歩というよりデートだ。とにかく「外ヅラ」だけはいい沙弥はよく男の子と仲よく歩くことが多かった。
 夕暮れ。セピア色が空や森や山々を真っ赤に染め、きらきらと輝く。沙弥はゆっくりゆっくりと歩く。そして、細く白い腕を伸ばす。男の子が彼女の手を取り、沙弥は白い歯をみせてにこりと微笑む。その光景は私にはなんだかとてもかけがえのないものにも思えた。彼女の本性を知っているはずの私の胸にさえ、深いところに響くような、しみわたるような、そんな光景にも思えた。
 緑川沙弥から電話がきたのは、ちょうど私が東京の自宅でそんな物思いに耽っている時だった。ある日、電話がリーンとなった。で、私は「はい、黒野です」と出た。
 すると病院から彼女は電話でいった。
「おい!ありさ。夏休みあるか?」
「え?まあ」
「じゃあ、夏休み米沢に遊びに来い!お前にちの汚ねえボロ食堂からさ」
「いいわよ」
 私はそう言った。
 なにが、「お前んちの汚ねえボロ食堂」よ!と言いそうになったが、やめた。私は無駄なことはしない主義だ。冗談でいってるんだろうし、あの沙弥は絶対にあやまったりしない娘なのだ。それは私が一番よく知っている。
 まぁ、冗談でしょうよ、私は笑った。


  外に出ると、春だというのに外気がむっと暑かった。
 太陽のとても近い昼間頃だ。春だというのにぎらぎらした陽差しが照り付けて、アスファルトやビルに反射して、なんだか変な気分にもなっていた。
「よかったわね、沙弥ちゃん。元気で」
 東京駅に向かうタクシーの中で、母は微笑んだ。「ずうっと昔から作家志望だったものね」
「あれ?お母さん、なんで知ってるの?」
「そりゃあね、沙弥ちゃんにきいたのよ」
「いつ?」
「沙弥ちゃんが小学生の頃よ。「将来は何になりたいの?」ってきいたら「作家!」って言ってたもの」
「へえ~っ。じゃあゲーテの話し、知ってる?」
「まあね、あの話し、ちょっと嘘っぽいけどね」
 私たちはアハハと笑った。
 そして私と見送りの母のふたりは東京駅についた。
 凄いひとだ。夏休みでもないのに、しかも平日なのに、ラッシュのような混み具合だった。まぁ、私は大学までは自転車でいってるのでラッシュの満員電車とか、そういうのは知らないけどね。あと、列車でのチカンとか……。
「あいかわらず…すごいひとね」
 母は呆れていった。
「……ほんと」
 私はなんとなく同意した。

                               


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