道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

06/30 「チ-ズサ-モン丼」と「シカ肉のソ-スカツ丼」

2013年06月30日 | 食・レシピ

【チ-ズサ-モン丼】
「チ-ズサ-モン丼」は、雪印メグミルク大樹工場で生産する「さけるチ-ズ」と、大樹漁協がブランド化している秋サケをメインに
した天麩羅が。丼飯の上に載った天丼。
町職員や若手商工会員らで創る「ご当地グルメを創る会」が中心となり、12年9月から試食を繰り返し、改良してきた。
口にした関係者は「さきイカのようなさけるチ-ズの食感がいい」「サケに下味がついていてスパシイ-」などと感想を語り、「おもてなしの心を忘れずに、誰からも愛されるチ-ズサ-モン丼を創る。道外の人にも是非食べてほしい」と決意を語っている。
なお、「チ-ズサ-モン丼」は、13年7月に芽室町で開催される「新・ご当地グルメグランプリ北海道」に出品される。

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【シカ肉のソ-スカツ丼】
「シカ肉のソ-スカツ丼」は、長野県上伊那郡中川村の第三セクターの宿泊施設「望岳荘」が、村で捕殺したニホンシカの肉を使って開発したソ-スカツ丼。
農林業被害対策でシカ肉活用に力を入れている中川村の名物にしようと、村産リンゴの果汁を入れた特製ソ-スでサッバリとした味付け。他地域のソ-スカツ丼との差別化を図った。
価格を抑え、食感や味の違いを楽しんでもらう狙いで、シカ肉と豚肉を80グラムずつカツに揚げる。シカ肉は牛乳で下処理するなどして特有の匂いを和らげた。
望岳荘は13年2月の節分に、シカ肉のカツを入れた「恵方巻」を販売。予想を上回る約230本が売れ、「カツ丼を食べたい」との声も寄せられたため、シカ肉料理の第二弾として考案した。
なお、エゾシカの農林被害対策で、南富良野町でも「シカ肉カツ丼」を、陸別町では「シカ肉ジャ-キ-」、白糠町の焼肉店では「焼き肉」などを販売しているが、被害が大きい北海道でもっともっとシカ肉を活用する活動が必要なのでは。

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06/29 「なめろう丼」と「てっくい丼」

2013年06月29日 | 食・レシピ

【なめろう丼】
「なめろう丼」とは、房総半島沿岸周辺などに伝わる郷土料理で、たたきの一種の「なめろう」を丼の白飯の上に載せたものである。「なめろう」は保存が利かず、調理後すぐに食べるのが普通である。
「なめろう」は、アジ・サンマ・イワシ・トビウオなどの青魚の三枚におろし・もしくは青柳を捌いた上に味付けの味噌・日本酒とネギ・シソ・ショウガなどを載せ、そのまままな板の上などで、包丁を使って粘り気が出るまで細かく叩いたものである。
名称の由来については、叩いたことによる粘り気の食感からと、料理を盛っていた皿についた身を舐めるほど美味だったからという説がある。なお、漁師が沖の漁船上で作っていた料理であることから「沖鱠」(おきなます)という別名もある。
日本各地の漁港には、調理法が違う「なめろう」が多数存在している。

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【てっくい丼】
「てっくい丼」とは、「てっくい」と呼ばれるヒラメを使った天丼である。
ヒラメは鋭い歯で漁師の手に噛みつくと離れないことから「てっくい」と呼ばれている。そのヒラメの産地である上の国町の道の駅の名物料理となっている。
てっくい3枚にナス、シイタケ、大葉の天麩羅を丼飯に載せてあるだけのシンプルな天丼である。予めて「てっくい」を天つゆにくぐらせて,その上に天かすがまぶされている。
ヒラメ自体の天麩羅が珍しいので、食べる価値がある。見た目は少ないが食後には満腹感を堪能できる丼である。

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06/28 「鉄火丼」と「ネギトロ丼」

2013年06月28日 | 食・レシピ

【鉄火丼】
「鉄火丼」とは、丼に入れた酢飯に、ワサビ醤油につけたマグロの切り身を載せ、もみ海苔を散らしたもの。「づけ丼むとも呼ばれる。
「鉄火丼」の「鉄火」の語原は、元々真っ赤に熱した鉄を指す語である。マグロの赤い色とワサビの辛さを「鉄火むに喩えたもので、気質の荒々しい者を「鉄火肌」や「鉄火者」と言うのと同じである。
賭博場を意味する「鉄火場」に由来し、手に酢飯が付かず、鉄火場で博打をしながらでも手軽に食べられることからとする説もあるが、「鉄火」の付く食べ物には「鉄火巻き」や「鉄火味噌」もあり、これらに共通するのは「赤い色」と「辛さ」で「鉄火場」も「手軽さ」も関係ないため、この説は間違いである。
ただし、「鉄火場」の「鉄火」も同源で、熱した鉄のように博徒が熱くなるからという。

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【ネギトロ丼】
「ネギトロ丼」とは、脂身を多く含むペ-スト状のマグロに刻んだネギをちらしたものを、丼に入れた飯の上に載せたもの。
元々は大型の寿司店で、賄いや隠しメニュ-として供されていた。本来の「ネギトロ」とは骨の隙間にある赤身(中落ち)や、筋の多い部位や皮の裏などの脂身をそげ落としたもののことであり、本マグロを一本丸ごと買い付けるような店でしか出せない寿司種だったからである。
ネギは野菜の葱で「トロ」は「脂身のとろっとした部分の略ず合わさったものとされるのが一般的。しかし、中落ちをそぎ取ることを「ねぎる」という符牒で呼んでいたことからという説もある。
現在流通している大量生産品は、キハダマグロやビンチョウマグロなどの安価な材料に魚脂や植物油などの油脂や調味料、着色料などを加えて味と食感を向上させた「人工ネギトロ」がほとんどである。
消費者団体などが「食用油を加えたものはネギトロと言えない」と問題視したこともあるが、そもそも「本マグロの中落ち」を使った本来のネギトロは高価で稀少なこともあり、偽物とも本物とも区別の付かないネタになりつつある。

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06/27 「ウニ丼」と「イクラ丼」

2013年06月27日 | 食・レシピ

【ウニ丼】
「ウニ丼」は、丼に入れた熱いご飯のうえにウニを載せた丼物。
通常は生ウニ使い、ウニのほかには海苔を付け合わせる程度で、ウニそのものの風味や味覚を堪能するため、ワサビと醤油を好みでかけるだけで食される。
発祥は北海道の礼文島といわれている。現在では、ウニの産地を中心に全国的に広がっているが、ウニの鮮度と価格の問題があり、北海道などウニの産地以外ではまだ見掛けることは少ない、ウニの国内の生産量のうち約半分を北海道産が占めている。
使われているウニの種類は、ムラサキウニが最も多く80%~90%を占め、北海道のものはキタムラサキウニでムラサキウニより一回り大きい。残りはバフンウニである。バフンウニは価格もムラサキウニよりも高価である。北海道のものはエゾバフンウニでこれも一回り大きい。
ムラサキウニの実は白っほ゜く、バフンウニは赤く見える。食用とすることで疲労回復、強壮や
神経系、脳などに好影響があるとされる。

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【イクラ丼】
「イクラ丼」は、鮭の魚卵の筋子の卵巣膜を取り除きバラバラにしたものを、加熱加工せず、醤油付けにして、丼飯の上に載せ食べる。
「イクラ」の語原はロシア語で「魚卵」という意味である。ただし、ロシア語で「イクラ」は鮭に限らず魚卵であればキャビアなども全て「イクラ」である。
あるときロシア人が粒状にばらした鮭の卵を「イクラ」と呼んでいるのを見た日本人がこれを「イクラ」と呼ぶものと思ったことに由来するとされ、実際、筋子と区別するのに都合がよかったため「イクラ」と呼ばれるようになったとされる。
北海道では、秋の味覚として家庭て゛生筋子からイクラを作る。その際に、ぬるま湯につけて手で丁寧に皮を取り除き、ばらこにする。湯につけるため白濁するが、その後の工程でまた色が戻る。
製造の過程では、真水に触れてはならない。卵殻が硬化するるので、海水かそれ以上の濃度の食塩水を使う。
その「ばらこ」を、濃口醤油・薄口醤油・味醂・酒を混ぜた調味液に一晩漬け込むと完成である。調味液のそれぞれ配合率は各家庭で異なり、甘口を嫌う家庭では味醂を入れない場合もある。

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06/26 「海鮮丼」と「勝手丼」

2013年06月26日 | 食・レシピ

【海鮮丼】
「海鮮丼」は、容器に丼を用い、具材に海産物を用いた海鮮ちらし寿司の丼物料理。
「ちらし寿司」は、酢飯に握り寿司用のネタを中心に様々な具をちらして飾り載せした料理であるが、「海鮮丼」は、酢を入れない飯を敷き詰めた料理を指す。
ちらし寿司と違い、主に丼物店で出される料理である。使用する寿司ネタは、マグロ・ホタテ・サケ・イカ・エビ、タコ・イクラ・ウニなどの魚介類て、ワサビ添えることが多い。
小皿に入れた醤油に付けながら食べる。寿司用の醤油を垂らして食べることもある。
具材を単体で丼に載せた料理は、その具材名で提供されている。鉄火丼・マグロ丼・づけ丼・ウニ丼・イクラ丼等と多彩である。
複数の食材を使用した場合には、ウニイクラ丼・三色丼・ばくだん丼・勝手丼・巴丼等がある。

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【勝手丼】
「勝手丼」とは、北海道釧路市に存在する和商市場の名物とさる丼物。
貧乏旅行中のライダ-が市場を訪れた際に、懐事情を推しはかった鮮魚店の主人がライダ-に市場内の総菜店で白飯のみを買ってこさせ、その上に海産物を少しずつ載せて提供したことが発祥である。これが口コミで広がり、現在の形となり、全国の市場に広がった。
現在も同様に、総菜屋から器入りの白飯を購入し、市場内の店で好みの具材を購入し載せて食べる。自由に組み合わせを選べ、市場に並んでいる新鮮な魚介類を具材にできる。具材は別会計であり、各店によって価格とラインアップか異なる。相場は「標準的には1500円位、ちょっと欲張っても2000円」とのこと。

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06/25 「鰻丼」と「穴子丼」

2013年06月25日 | 食・レシピ

【鰻丼】
「鰻丼」とは、丼に入れた御飯の上に鰻の蒲焼きを載せ、醤油をメインとした焼きタレをかけた日本料理。
タレは、醤油と砂糖を主に作られるが、各店は門外不出の秘伝のタレとして作り方に工夫を凝らしている。このタレは、まず御飯にかけ、鰻の蒲焼きを載せた後に再度かけるのが一般的である。
山椒の粉は最後に振りかける。山椒は、消化を助ける効果3があるとされる、。また、泥臭さを消し、脂の多い鰻をさっぱりと食べることが出来る。
宮川政運の「俗事百工起原」によると、現在の東京人形町で大久保今助がこの鰻丼を考えた出したとされている。この御飯にタレが染み込んだ味が大人気となり、隣町(現在の葦屋町)の大野屋が「元祖鰻めし」という看板で売り出したのが最初だと言う。売り出した年代は特定されていないが、おそらく中村座や市村座が天保12年(1841年)に焼失して移転してしまう前の頃に売り出されたと思われるか、天保の飢饉(1844年)に、天保通宝一枚で売り出したのが評判を呼んだという。
『鰻重』

用いる容器が重箱なら鰻重になる。鰻重には鰻の肝の入った肝吸いが付くことが多い。鰻重は、一説では、山谷にあった川魚料理屋「鮒儀」の初代、大谷儀兵衛が始めたといい、江戸後期にはあったとされれるが、これについては異説論もある。
異説では、重箱を使うものは大正時代に登場し、漆器を使うなど高級な印象を与えることを狙ったようで、現在でも鰻丼と比べると価格が高い傾向がある。
また、器の底から「御飯・鰻・御飯・鰻」と重ねることから「鰻重」と呼ぶことがある。

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【穴子丼】
「穴子丼」は、「穴子天丼」と「煮穴子丼」に大別され。
江戸時代から東京湾の羽田沖で捕れたものが江戸前の本場物とされ、現在でも東京湾各地で漁場となっている。
また、瀬戸内海で捕れたものなども地元や関西地方で珍重されている。
『煮穴子丼』
基本的には、鰻丼の鰻を穴子に変えたものである。調理法も同じで、蒲焼きにしたものをタレをかけた丼飯に載せ、その上にタレをけるものである。
鰻よりホッコリしていて、根強いフアンがある。

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【穴子天丼】
一本まるごと揚げられた天麩羅は天丼や天麩羅蕎麦などに載せられると丼からはみ出す様が見栄えし、価格も手ごろなため、名物としている店も多い。

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【その他】
穴子には寿司ネタとしても人気がある。下ろした穴子を蒸し煮し、握る直前に網
火で炙り、握る。握った寿司には煮きりタレをつける。ホッコリしている食感が蒲焼きや天麩羅と同様に人気がある。

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06/24 「鎌倉丼」と「江ノ島丼」

2013年06月24日 | 食・レシピ

【鎌倉丼】
「鎌倉丼」とは、神奈川県鎌倉市の一部の地域の飲食店などで供される、海老を出汁で炊いたものや海老の天麩羅、もしくは海老フライなどを玉子で綴じて丼飯の上に載せた、いわゆる丼物の料理である。
鶏肉と鶏卵で作る親子丼の鶏肉をエビに変えた3もの、もしくはカツ丼のカツをエビ天やエビフライに変えたもの。
すなわち何らかの下調理を施したエビを用いた「エビの玉子綴じ丼」を想像すれば、概ね外れててはない。なお、地方によってはエビフライを玉子で綴じたものは「えびカツ丼」と呼ばれることもある。
鎌倉大仏や長谷観音で有名な長谷の近辺の定食屋や蕎麦屋等で食べることがてきる。
「鎌倉丼」の名は、古くは地元や関東南部において伊勢海老を「鎌倉海老」と呼び慣わしていたことに由来するとされる。ただし、「鎌倉丼」自体は観光客向けに作られた新しい料理である点に注意を要し、後年に創作された名物料理に過ぎないという実態が、「エビの玉子綴じ丼」の枠内で形態や調理法にブレが存在する理由の一つともなっている。

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【江ノ島丼】
「江ノ島丼」とは、甘めの出汁で煮たサザエの身を刻んだものを玉子で綴じ、白飯の上に載せた丼料理。
鶏肉と鶏卵を用いた親子丼の、鶏肉がサザエの身に変わったものと思えば概ね間違いない。
神奈川県藤沢市の江の島にある「ハルミ食堂」が発祥とされ、島内や
周辺の飲食店などで販売されている。

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06/23 「木の葉丼」と「衣笠丼」

2013年06月23日 | 食・レシピ

【木の葉丼】
「木の葉丼」とは、近畿地方の一部で一般に供される丼物である。親子丼の鶏肉の代わりに薄く切った蒲鉾を玉子でとじる。好みによってシイタケやネギなどを入れる。
親子丼、他人丼、などと同様、玉子とじ丼である。安価ん食材で簡単に作れるので、庶民的な家庭料理として親しまれ、関西地方では大衆食堂などで定番メニュ-となっている。神戸や大阪では少量の油揚げを加えることがある。
名前の由来は、蒲鉾を舞い散る木の葉見立てたものといわれるが、発祥は定かではない。

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【衣笠丼】
「衣笠丼」は、京都限定の丼料理である。油揚げとネギを玉子でとじただけのシンプルな丼である。
名前は、金閣寺の近くにある衣笠山に由来している。小さな山だが、その昔、第50代宇多天皇が、真夏に雪景色が見たいと衣笠山に白絹をかけたという故事から、別名「きぬかけ山」とも呼ばれている。油揚げとネギを玉子でとじた様が、雪景色の衣笠山に似ていることからこの名前が付いたという。
カツ丼や親子丼に比べると少しボリュ-ムに欠けるが、出汁の旨味と卵のコクで美味しくいただける丼である。

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06/22 「天玉丼」と「なまず天重」

2013年06月22日 | 食・レシピ

【天玉丼】
「天玉丼」とは、丼飯の上に、玉子とじした天麩羅を載せた丼物の一種。
一般に、カツ丼に使うカツレツを、天麩羅に置き換えたものである。したがって、調理も天麩羅を使いこと以外はカツ丼とほぼ同様であり、天麩羅を割り下で煮て、溶き卵でとじるものである。
天麩羅を使うことから天丼の一種と分類することができるが、玉子とじにする点からむしろ玉子丼に近い面もある。
なお、使用する天麩羅の種類に限定はなく、エビ天やかき揚げなど様々である。かき揚げを使うときは「かき揚げ玉子とじ丼」と呼ばれたりすることもある。
かようにシンプルな料理でありながら、似た料理であるカツ丼や玉子丼に比べると知名度は低く、それらに比べると提供している飲食店も少ない傾向にある。
また、学生食堂や社員食堂で出される例が散見される。都立西高等学校の学生食堂でも天玉丼が提供され、名物となっている。

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【なまず天重】
「なまず天重」は、天然なまずを調理した水郷地帯の板倉町の名物料理である。
地元産天然なまずが入荷した時だけのメニュ-で、薄造りとともに提供される。
水槽の不敵なひげ面からは想像出来ない、カラッ揚がった衣の中は、上品な白身で、口の中でホロホロと崩れて旨味が溶け出す。川魚特有の生臭さはない。
川魚は傷みが早いので、井戸水で1週間以上泥抜きをし、捌いて2時間以内に調理したものしか提供していないと言う。
味付けは、天丼と同じであるが、食感は違い、一度試食る必要がある。

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06/21 「天丼」と「かき揚げ丼」

2013年06月21日 | 食・レシピ

【天丼】
「天丼」とは、丼飯の上に天麩羅を載せた丼物。重箱に盛り付けたものは「天重」とも呼ぶ。天麩羅丼を略した名称だが、現在は「天丼」の呼び方が一般的である。
天麩羅専門店や蕎麦屋で多く出される。蕎麦屋の丼物メニュ-の中では、最も高価なことが多い。天丼専門店は、関東地方に多い。
天丼は、東京都台東区浅草雷門の「三定」が始まりと言われている。現在この店での定番は、海老、白身、かき揚げの天麩羅を、丼飯の上に載せ丼汁をかけた天丼である。
丼飯に数種類の天麩羅を載せ甘辛い丼汁をかけたり、天麩羅をタレにくくられてから載せる。地方によっては、タレをかけずに天麩羅を軽く煮付けて載せた丼や、塩のみであったり、各自の好みで別に出汁(天つゆ)をかける丼もある。
主にタレは、出汁・醤油・味醂・砂糖などを併せ煮た濃い目のものが使われる。
様々な天麩羅を使用される事があるが、海老・いか・穴子・キスなどの魚介類の天麩羅数種にシシトウ・南瓜・サツマイモ・などの野菜天を数種添えることが多い。主となる天麩羅の種類によって「海老天丼」、「穴子天丼」と具材名を付けて呼ぶともある。

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【かき揚げ丼】
「かき揚げ丼」に使われる「かき揚げ」は、魚介類や野菜などを数種類組み合わせ、衣とともに油で揚げた天麩羅の一種。そのかき揚げを汁に括らせて丼飯の上に載せたり、直接丼飯に載せ上から汁をかける場合がある。
東京でかき揚げと言えば芝エビ、小柱、三つ葉を胡麻油で揚げたものを指す事が多いが、具材の組み合わせは様々である。ソラマメや子鮎、シラウオなどを単独でまとめて揚げることもある。
新橋にあった天麩羅店「橋善」が考案したもので、当初は残り物を使用した賄い飯であった。
具材の例としては
魚介類-桜海老・芝海老・小柱・シラウオ・イカの短冊切りなど。
野菜類-ネギ・タマネギ・ニンジンの縦切り・ゴボウなど。
揚げ油-白絞油・サラダ油・胡麻油。

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06/20 「品川飯」と「品川丼」

2013年06月20日 | 食・レシピ

【品川飯】
「品川飯」は、シャコとご飯とを組み合わせた、東京都品川の郷土料理である。
本山萩舟著の「飲食事典」によれば、東京湾において江戸時代まで、深川飯に用いられるハマグリなどと共に、シャコも多産しており、ハマグリを使った丼を深川飯、シャコを使った丼を品川飯と称したと書かれている。
先の文献に「庶民に愛された」とあるように、漁師町の賄い飯だったとする文献もあり、料亭や料理屋で出すような洒落た料理ではない。
定義づけは曖昧で、浦リヨ著「郷土料理」に紹介されているのは、下煮をしたシャコを、ご飯を炊く途中にふいたところで混ぜて炊き上げたものであるが、その他にも砂糖醤油で味付けしたシャコを丼飯の上に載せたもの、卵とじを載せたものなどもあった。
後にはシャコが穫れなくなり高価になったため、シャコ同様に沢山穫れたアナゴを入れたものも「品川飯」と呼ばれるようになり、バリエーションは家によって異なっている。

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【品川丼】
「品川丼」は「品川飯」とは異なる。「品川飯」を復元している店もあるが、その他の丼にも「品川丼」と銘打っている場合もある。
最も知られるのは、品川駅の京浜東北線ホ-ムで出される丼で、ご飯の上に、天つゆを浸した「げそと桜海老」のかき揚げを載せた丼に、吸い物が付くものである。
この品川丼は、出汁を染み込ませた大ぶりなかき揚げを、丼飯に載せただけ代物で、味自体も値段相応なのだが、なぜか妙に旨く感じる丼である。
かき揚げも専門店で食べるような「かき揚げ丼」とは違うチ-プ食感である。が、ス-パ-の総菜屋でかき揚げ」を買って丼飯に載せても、これと同じ味にはならない。
品川駅のホ-ムのうち3ホ-ムの店は味もほとんど同じだが、作るパ-トとおばさんによって、揚げ加減による柔らかさ、出汁の染み込ませ加減が違うのが特徴と言えば特徴。

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06/19 「焼豚玉子飯」と「目玉焼き丼」

2013年06月19日 | 食・レシピ

【焼豚玉子飯】
「焼豚玉子飯」とは、愛媛県今治市の名物料理の一つである。2011年に今治焼豚玉子飯世界普及委員会がB-1グランプリで有名になるまでは、今治生まれの中華料理と言われていた。
焼豚玉子飯は、米飯の上に薄く切った煮豚をかぶせ、さらに半熟の目玉焼きを載せ焼豚のタレで味付けした丼料理である。
元々は中華料理店・五番閣の賄い飯であったが、その後同店において商品化され、煮豚なのらなぜか「焼豚玉子飯」と名付けられた。その後、同店で修行していた料理人が独立し、メニュ-に加えた。
ボリュ-ムがあることから男子高校生に人気があり、市内にはいくつかの飲食店でメニュ-に載っており、今日では今治市の名物料理の一つとなっている。

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【目玉焼き丼】
「目玉焼き丼」とは、炊いたご飯に目玉焼きを載せて作られた丼物の料理である。
基本的な材料が鶏卵・米・調味料のため、非常に安価に丼料理を作ることができる。レシピの自由度が高く、具を入れて通常の目玉焼きではなくベ-コンエッグやハムエッグにしたり、トッピングの有無は好み次第で特に定まっていないが、使用例として、薬味-ゴマ、海苔、鰹節。
野菜-キャベツ、ネギ、カイワレダイコン。
海産物-シラス、タラコ。
乳製品-チ-ズ。
などを載せる・敷く・散らす、など、個々の工夫で様々なバリエーションが可能である。
味付けに利用する調味料も特に決まっていない。醤油・めんつゆ・ソ-ス・ケチャップ・マヨネ-ズ・塩・酢・ポン酢・ワサビ・からし・タバスコ・柚子胡椒・胡椒・ニンニク・唐辛子・胡麻油・ラー油・オリ-ブオイルなどを単品で、もしくは調味料同士適切な分量を混ぜ合わせるなど、個人的な好みの範囲で様々に変化させることが可能である。

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06/18 「仙台麩(丼)」と「カレ-丼」

2013年06月18日 | 食・レシピ

【仙台麩(丼)】
「仙台麩」は、旧仙台藩地域で食べられている、油で揚げた麩のこと。旧仙台藩北部の北上川水系中流域にあたる岩手県・両盤地域から宮城県登米市にかけては「油麩」とも呼ばれる。
中国の上海料理で用いられる揚げ麩は丸いが、仙台麩はフランスパンに似て細長い形状をしているのが特徴。
まず、小麦粉に含まれる蛋白質であるグルテンを練り上げて棒状にし、食用油で揚げる。揚げると膨らんでくるが、このときカッタ-などで長軸方向に切れ目を入れて膨らみをコントロ-ルし、きれいな細長い形状に作り上げる。
一般的に、煮物や味噌汁の具として用いられるが、宮城県登米市登米町では「油麩丼」として食べる方法が一般に浸透し、名物化している。
仙台麩のル-ツは精進料理である。登米地方では昔、お盆に精進料理を食べる風習があった。その精進料理で蛋白源としてグルテンを油で揚げ、こくを持たせた仙台麩が誕生した。
『油麩丼』
宮城県登米市では「油麩丼」と呼ばれるが、他の地域では「仙台麩丼」と呼ばれる。1980年代に生まれたとされるが、詳細な発祥時期は不明である。登米市にある店において、肉を食べられない人のためにカツ丼あるいは親子丼の代わりとして提供し始めたのが最初とされる。その後は登米市の一般家庭にも浸透していった。
カツ丼のカツの代わりに油麩を使うこと以外は基本的にカツ丼と同じであるが、油麩がカツより水分を多く吸収するため、ダシ汁を多めに使用する必要がある。

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【カレ-丼】
「カレ-丼」とは、丼物の一種。カレ-南蛮やカレ-うどんを起原に持ち、それらに用いられるカレ-味の汁をご飯にかけた物である。普通はカレ-を出汁で延ばして蕎麦つゆでとき和風の味付けをしており、同じくご飯の上にカレ-をかけたカレ-ライスとは異なる。
1909年、東京都目黒区の蕎麦屋「朝松庵」の主人が、洋食屋に取られた客を呼び戻すべく発明したという。一般的にカレ-南蛮は蕎麦にカレ-をかけたものであるが、「南蛮」は「なんば」の転じたもので長葱のことである。そのため、タマネギだけでなく長葱も具材に使われることが多いのも、普通のカレ-とは異なる点である。また、水溶き片栗粉やコ-ンスタ-チなどでとろみを増やし、旨味をより引き立たせる調理方を用いる店も多く、蕎麦やうどんとは異なったとろみを持たせる店も見掛けられる。

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06/17 「しらす丼」と「あさりの豆味噌焼き丼」

2013年06月17日 | 食・レシピ

【しらす丼】
「しらす丼」は、シラスを使った丼料理である。
基本的に白飯を盛った丼の上にシラスを載せ、タレや醤油などをかけて食べる簡単なもので、薬味はネギ、青シソ、刻み海苔などが好まれる。
具材に釜揚げシラスを用いる丼は高価ではないありふれた家庭料理だが、シラスの漁獲量が年々減少しており、生シラスを用いる丼は鮮度が重要であるため、ほとんど水揚げされた地元のみで提供されている。
シラスの水揚げが多い地域は首都圏では主に、相模湾の茅ヶ崎・片瀬から逗子・麓山に至る湘南海岸周辺で、他に鹿島灘、駿河湾、遠州灘、紀伊水道、熊野灘、宇和海、積丹半島沿岸など全国にある。
その他の地域では一般に冷凍シラスが流通しているが、風味は釜揚げに比べると劣る。
しかし、あらかじめ凍ったシラスを熱々の白飯に載せ、ルイベ風に食べるシラス丼もある。和歌山県湯浅町観光協会では、地場で水揚げ加工された「釜揚げしらす」に醤油や薬味なども地場産品を用いて「紀州湯浅のしらす丼」と呼称している。

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【あさりの豆味噌焼き丼】
「あさりの豆味噌焼き丼」は、調理したアサリを丼飯に載せるだけのシンプルで懐かしい味の丼である。
アサリの漁獲量では全国一の愛知県の中で、特に幡豆町一帯の海岸は良質なアサリが多く生息し、幡豆町の特産品になっている。
そんな幡豆町では、三河湾で穫れる新鮮なアサリと伝統製法の豆味噌を合わせた「はずあさりの豆味噌焼き丼」が、観光客などに提供されている。
同町で製造される豆味噌は化学調味料などの添加物を一切使わず、天然水で仕込み、自然熟成させた拘りの生味噌。
これに地元産の味醂を合わせた独特のタレでアサリを焼き上げることで、素朴で懐かしい味に仕上がっている。

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06/16 「あつめし」と「ひゅうが丼」

2013年06月16日 | 食・レシピ

【あつめし】
「あつめし」は、大分県佐伯市の旧・蒲江町や旧米水津村地区の郷土料理。同様の料理は、大分県の他の地域でも「りゅうきゅう」と呼ばれよく知られている。「ブリのあつめし」は農山漁村の郷里料理百選に選定されている。
一仕事終えた漁師達が漁で穫れた魚を新鮮なうちに捌き、海水で洗いそれを一口大に切って醤油・酒・砂糖を掛け、炊きたてで熱々の丼飯に載せて豪快に混ぜ合わせて食べた海の男の賄い料理である。
「あつめし」という名は、この様にて食べていたことから付けられたと言われている。また、「りゅうきゅう」という名は、この調理法が琉球の漁師から伝えられたことからと言われている。

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【ひゅうが丼】
「ひゅうが丼」とは、愛媛県の南部・宇和島市や愛南町、西予市明浜町などでつくられる、新鮮な魚を用いた郷土料理である。
アジなどの新鮮な魚を三枚におろし、刺身にする。炒った白ゴマをすり潰し、刻んだネギ、みじん切りにしたミカンの皮を、味醂、醤油、酒などを混ぜ合わせた調味料に漬けておく。
卵をときほぐし、調味料と混ぜ、味わいは濃厚なしせませた後、炊きたてのご飯の上にかけて、もみ海苔などを振って食べる。さらに、茶飯風に熱いお茶をかける変形もある。
材料となる魚としては、アジが最も代表的で、その他イワシ、タイ、カツオ、マグロなどが用いられることもある。
元々は宇和海の日振島に伝わっていた料理とされる。新鮮な魚を用い、火を一切使わない(ご飯を省く)など、昔の漁師達が時間をかけず材料の良さを生かそうと自然に編み出された料理。
「日振」がなまって「ひゅうが」と呼ぶようになったと言われているが、日向国(宮崎県)から伝わったものという説もある。

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