道彦の散歩道

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ
毎日の事件事故の記録

11/30 「ますのすし」と「いかめし」

2012年11月30日 | インポート

【ますのすし】

駅弁ランキング1位。「ますのすし」は、北陸本線・富山駅で食べられる駅弁である。鱒寿司は、富山県の郷土料理であるため、富山県の駅弁としても知られている寿司である。鱒はサクラマスを発酵させずに酢で味付けした、早ずしと呼ばれる、押し寿司の一種である。そしてこの寿司の呼び名は一定でなく、ます寿司、ますの寿司、鱒の寿司、などと称されることも多いがこれらは全て同じものを指している。鱒の切り身を塩漬けにした後、味付けをして、「曲物」と呼ばれる、木製の曲物の底に笹の葉を放射状に敷かれた物の上に並べる。その上に酢飯を押しながら詰めたら、笹を折り曲げて包み込み、その上から重石を置き、押し寿司のようにするのであるが、現在は曲物の上下に青竹をあて、ゴムで締めた状態で流通している。食べ方は、放射状に切り分けて食べるのであるが、駅弁などの商品化されている「ますのすし」は、専用のプラスチック製の小型ナイフが添付されていることが多い。

Img_2983

Img_2985

【いかめし】

駅弁ランキング3位。「いかめし」は、函館本線め森駅の駅弁。そもそも烏賊飯は、イカを使った北海道渡島地方の郷土料理であり、その作り方は、まずイカの下足を取り外し、腹ワタを取り除いた烏賊の胴身に、洗ったもち米とうるち米を合わせた生米を、イカに詰め込むのである。爪楊枝等で中の米が飛び出さないように留めた後、醤油ベ-スの出汁汁。甘辛のタレでじっくり炊き上げたもので、胴身に詰める具材としては、下足を細かく刻んだものや筍ど山菜を入れることもある。

Img_2989_2

Img_2990

今日からは「駅弁シリ-ズ」です。


11/29 「むなじそば」と「柳ばっと」

2012年11月29日 | インポート

【むなじそば】

「むなじそば」は、長野県小諸市八満におけるそばの食べ方の一つ。味噌汁の中に、ダイコンの千切りを入れて煮て、そこにそば粉を入れ、かき混ぜたものをいった。群馬県松井田町坂本では、そばがきをさす。
また、安政4年、小林四郎左右衛門著『樹里盛具左』には、江戸時代の文化から安政にかけての信州・小諸藩内における衣食住の移り変わりが記されており、その中で、「むなじそば」、「そばきり」など、そばの食べ方がふれられている。
また、長野県北志賀地方には「はやそば」として、湯の中にダイコンの千切りを入れ、ダイコンが柔らかくなる前に水で溶いたそば粉を注いでかき混ぜ、ドロドロの状態にする。これを汁の入った椀に入れて食べる。簡単にできることから、その名がある。

Img_2314

Img_2315

【柳ばっと】

良質のそばが取れる岩手県北部で数多く伝えられるそば料理の一つである「柳ばっと」は、地域によって柳葉、柳だんご、すりだんごなどとも呼ばれ、そばのだんごを野菜たっぷりの汁で煮込んだ、寒い冬に芯から体が温まる家庭料理。
江戸時代、当地を治めていた南部藩によって、農民がそばを食べることを禁止されていた時期があり、人々は「これはそばではない、柳ばっと」だと言ってそば粉で柳の形むの団子を作って食べ続けた。「柳ばっと」の「ばっと」は、この禁を犯した「法度」からきている。

Img_2499

Img_2501

(完)


11/28 「山都そば」と「大根そば」 

2012年11月28日 | インポート

【山都そば】

「山都そば」は、昭和50年代に「山都町商工会」が「むらおこし事業」で着目したのが「飯豊」と、つなぎを一切使わない更級系の「宮古そはば」であった。それまで「幻のそば」と言われていた「宮古そば」を町全体の誇れる物として売り出したのが「山都そは」である。
宮古地区は、標高が高く米作には不適のため「そば」をより多く常食としてきた。「越後裏街道」筋ににあるため、行商などて逗留する人々には、「家庭で食するそば」より贅沢に挽いて振る舞ったと言われている。昭和30年代ニナルト、工事関係者が訪れると、農家にお願いして「そば」を提供してきた。その後、予約での営業を始める農家が増え、今日に至っている。
山都町宮古地区はそばの生育に適した標高400メ-トル前後にあり、日中と朝晩の寒暖の差が美味しい山都そばを育てる環境にある。
また、飯豊山に積もった万年雪から溶け出す伏流水がそばを育て、打ち上げる美味しい水として使われている。

Img_3311

Img_3313

【大根そば】

「大根そば」は、栃木県佐野市周辺の郷土料理である。
佐野市の蕎麦屋でよく見られるメニュ-で、大根を千切りにして、生のまま或いは蕎麦と一緒に茹でて、もり蕎麦の上に載せた料理。
一説には食べ物が少なかった時代に、大根の千切りを添えてボリュムアップしたのが始まりといわれている。

Img_2906

Img_2908


11/27 「麻辣火鍋」と「扁炉」

2012年11月27日 | 鍋料理

【麻辣火鍋】

「麻辣火鍋」は、中国で広く食される火鍋料理の一つである。火鍋子とも言い、辛い味付けが特徴である。重慶市で容易に見られる重慶火鍋は、麻辣火鍋の一種。
麻(中華山椒)、辣(唐辛子)などの麻辣味香辛料をベ-スとしたス-プに野菜、肉団子、魚、鶏肉、臓物などを入れて煮込み、薬味を入れた胡麻油を付けて食べる。具材のバリエーションは非常に広範で上記にある物の他、豚の脳みそや牛骨の骨髄、きし麺状の春雨である火鍋粉等枚挙に暇無い。
麻辣火鍋は、台湾の火鍋にも「台湾式麻辣火鍋」として、そのバリエーションを見ることができる。
成都では串串香と呼ばれる独特の火鍋もある。火鍋のス-プベ-スである鍋底は四川火鍋として代表的な重慶火鍋とほとんど同じである。

Img_1979

Img_1980

【扁炉】

「扁炉」は、中国で鍋料理の意味。広東省あたりでは「鍋料理」を「打辺炉むという。「辺炉」と「扁炉」は発音が近いため、一部の地域では打辺炉の替わり扁炉を使うことがある。
水戻しした干し椎茸及びその戻し汁を出汁として使い、豚肉、鶏肉、白菜、春雨を煮込む。この段階で入れる調味料は胡麻油のみ。あとは各自で煮汁とともに取り分けてから、好みに応じて塩と一味唐辛子で味付けする。
鍋の締めには白飯を入れて粥とする。
上記の作り方は、チワン族の郷土料理とされるが、ほとんどの中国人はこの作り方を知らないため、中国のほんの一部の地域でしか食べられない鍋と想われる。

Img_2873

Img_2874


11/27 「裁ち蕎麦」と「卓袱そば」

2012年11月27日 | インポート

【裁ち蕎麦】

福島県南会津郡枝岐村は、福島県の祖谷と並んで平家の落人集落の秘境として、また蕎麦どころとしても知られている。その檜枝岐に伝わる、独特の手法で打つ郷土蕎麦。
蕎麦粉を熱湯でよくもんで両手に入るくらいの玉を4~5個作る。これを一つずつ長さ80センチ、直径8センチほどの太く短い麺棒でのばす。両手で静かに延ばして直径60センチの円形にする。4~5枚延ばし終えたら、延ばしたもの全部を重ね、小間板を使わずに包丁切りを行う。丁度布を裁断するように、包丁を手前に引いて切るので、裁ち蕎麦の名が付けられた。

Img_2309

Img_2312_3

Img_2311_2

【しっぽく蕎麦】

卓袱の唐音。元来はテ-ブル・クロスの意味だったが、転じて食卓そのものを指すようになり、その上に乗せる料理を卓袱料理といい、数人が食卓を囲んで食べるのが特徴。
卓袱料理は長崎に伝来した中国の総菜料理が日本化したもので、「長崎料理」ともいう。この料理の中に、大盤に盛られたうどんの上に色々な葉肉を乗せたものがある。これをいち早くまねて、大平椀に盛った「しっぽく蕎麦」が寛永ごろ江戸で売り出された。
『蕎麦全書』上には、「瀬戸物町近江屋芳野葛入りそばがあり、この頃しっぽくをするよし。・・・・・近き頃人形町に万屋として新店出来、しっぽくそばを出せり。それはなかなか宣しとてもてはやせり」とあるが、卓袱の東還から見て京阪の麺類屋が先に出始めたとも考えられるが、資料は見当たらない。
『そば手引草』によれば、「松茸・椎茸類、つくいも、烏芋、麩及び芹の具を加入す」とあるが、幕末の頃は焼き鶏卵、かまぼこ、シイタケ、クワイなどを加えたものが一般的となった。

Img_2304

Img_2305


11/26 「カムジャタン」と「サムゲタンン」

2012年11月26日 | 鍋料理

【カムジャタン】

「カムジャタン」とは韓国の鍋料理の一つ。「カムジャ」はジャガイモ、「タン」はス-プの意味。直訳するとジャガイモのス-プになるが、ジャガイモのス-プはカムジャククといって、カムジャタンは「豚の背骨とジャガイモを煮込んだ鍋」を示す。また、豚の背骨を別名カムジャ骨といい、カムジャ骨を使用したス-プなのでカムジャタンと呼ぶと説もある。
肉が少し付いている豚の背骨を長ネギや生姜等と一緒に長時間煮込み、皮を剥いたジャガイモを丸のまま、もしくは大きめに切り一緒に茹で、大量の唐辛子やコチュジャン、テンジャン、醤油、塩などで味付けをする。臭い消しにエゴマの葉を入れたりもする。
食べ終えて残ったス-プにご飯やキムチ、海苔等を入れてゴマ油で炒めたチャ-ハンを作る事もある。

Img_2710

Img_2709_3

【サムゲタン】

「サムゲタン」は韓国・北朝鮮の代表的なス-プ料理の一つ。鶏肉に高麗人参、もち米なとを入れて煮込んだ栄養食である。
料理自体の歴史は古くない。丸鶏を水炊きして塩などで食べる料理「ベクスク」と、もち米で作る粥が一つになって出来た「ダックク」が「サムゲタン」の原型とさるが、これが文献に登場するのが1920年である。やがて粉末で入れていた高麗人参が丸のままとなったが、これも30~40年前のこととされる

Img_2718

Img_2721


11/25 「まほろば鍋」と「どぶ汁」 

2012年11月25日 | 鍋料理

【まほろば鍋】

「まほろば鍋」とは、青森県にある鍋料理。
青森県の畜産試験場で開発した地鶏「青森シャモロック」は、シャモとイギリス産の黄斑プリマスロックを、掛け合わせて出来たものであるが、さらに津軽地方で採れるリンゴを食べさせて出来た「津軽リンゴ地鶏」である。
この「津軽リンゴ地鶏」に、秋の味覚、茸と山菜を加えた鍋物で、味噌味と醤油味で調理する。

Img_3256_2

【どぶ汁】

「どぶ汁」は、茨城県から福島県南部の太平洋沿岸に伝わる漁師料理で、昨今の「あんこう鍋」の本来の姿てある。
まだアンコウが食材として知られていない頃、茨城県の平潟の漁師たちが船上で食べた「あんこう鍋」が始まりである。水を使わずに、大根などの野菜や味噌と鍋を持ち込むだけで作れるとが船上ての調理に好都合で、何より栄養価が高かったため貴重であった。
名前の由来は諸説ある。一説には、アン肝から出る肝油で汁がオレンジ色に濁り、酒のドブロクの様に見えることからという。また、「どぶ」には「全て」という意味があり、アンコウの全てを入れる事から「どぶ汁」との説もある。
「どぶ汁」を作る場合、生のアンコウを使用するため、新鮮なアンコウを使用しなければならない。また、アンコウそれぞれに水分の出方や肝の油が違うため、慣れた人でなければ作れない。そのため、1回作るために20分以上付きっきりになり、大衆向けに用意することは困難である。

Img_2937

Img_2938


11/24 「かに汁」と「とり野菜」

2012年11月24日 | 鍋料理

【かに汁】

「かに汁」は、かに属に分類されるかにを使用した汁物料理。地域や扱うかにによって名称・味付けが異なる。
北海道では「鉄砲汁」と呼称され、ご当地グルメ・郷土料理である。
東北・北陸地方以南で食される「かに汁」は、ワタリガニを使用した味噌汁がポピュラ-である。その他、北陸地方では、ズワイガニで食されるものが主流である。
「鉄砲汁」は、カニ入りの味噌汁のことであり、根室市花咲港で水揚げそれるハサキガニを使用する味噌汁が特に有名である。その他、タラバガニ、ズワイガニ、ケガニても同様に食される。
「鉄砲汁」の名前の由来は、カニの足を箸でつついて食べる仕草が鉄砲の弾詰めをしている姿に似ていることによるとされる。

Img_2966

Img_2971

【とり野菜】

「とり野菜」は、石川県地方の鍋料理である。
調味味噌である「とり野菜味噌」を使用し、鍋に肉や野菜などの身近な食材を入れて食べる家庭料理である。締めにうどんや中華麺を入れることがある。
「とり野菜味噌」は、大豆と米麹か作る味噌を基本とた調理味噌である。鍋に使用する以外にも、魚や肉わ漬けて焼き物にするなどの使い方もされている。「とり野菜」の「とり」は鶏肉のことではなく、不足しがちな野菜や栄養を「摂る」という意味からきているという。
同じ石川県の鍋料理である「とり白菜」も「とり野菜」と呼ばれることがある。「とり白菜」は、鍋に鶏肉と白菜を入れて加熱し、生卵入りの醤油だれにつけて食べる鍋料理である。

Img_2297


11/23 「どんがら汁」と「ごろんべ鍋」

2012年11月23日 | 鍋料理

【どんがら汁】

「どんがら汁」は、山形県庄内地方の郷土料理。極寒の時期に捕れる「タラ」は、この地域では「寒ダラ」と呼ばれる。この料理は漁師らが船上や浜辺で食べたのが始まりとされる。庄内地方では各家庭で食べられているほか、各地で「寒ダラまつり」が開催されており、「どんがら汁」を味わうことができる。
なお、「どんがら」とは、魚のアラのこを指す。

Img_2923

Img_2927

【ごろんべ鍋】

宮城県の栗原地方に伝わる「ごろんべ鍋」は、その昔、五郎兵隊という人が好んで作ったことか、その名がついた「ドジョウ鍋」のことである。ドジョウは土の中で生きていることから「土生」という語源になったといわせるだけあって、池沼や水田、小川などの泥底に住み、冬は泥の名で冬眠するという一風変わった魚の仲間。
しかし、ドジョウは、栄養面ではライバルのウナギに匹敵するほど、タンパク質、無機質類、ビタミンA、B2、
Dなどが豊富である。ドジョウは丸ごと食べるので、カルシゥムの補給にもなり、精力がつく食べ物と言われ、夏バテ防止や栄養補給のために好んで食べられてきた。
ドジョウは泥臭いので、少なくとも一日から二日は真水に放し、十分に泥を吐かせるる。鍋に油を熱し、ドジョウを入れて蓋をして静かになったら、酒と水を入れる。里芋を四つ切りにして、さっと茹でぬめりを取る。他の野菜は大きめの短冊切りにする。凍み豆腐はぬるま湯で戻し短冊切りにする。鍋にゴボウ、凍み豆腐を入れて、5分ほど煮てからネギ以外の野菜と酒粕を入れてコトコト煮る。醤油と塩で味付けしネギを放して火を止める。

Img_2932


11/22 「じゅんさい鍋」と「しょっつる鍋」

2012年11月22日 | 鍋料理

【じゅんさい鍋】

「じゅんさい」そのものは国内各地で見ることかできる。なぜ三種町が日本一の生産地なのか?それには理由があります。
まず「水」。世界遺産白神山系「素波里」と出羽山系「房住山」からの水。どちらも悠久の自然が育む水である。三種町には両方の水が流れ込んでいる。
そして「土」。睡蓮科の植物である「じゅんさい」は沼底の土にっかりと根を張ってる。いく水が良くても土壌が豊でないと良い「じゅんさい」は育たない。
最後に「環境管理。実は天然沼に必ずしも良い「じゅんさい」が生きるわけではありまん。水深のある沼では「じゅんさい」も生息しにくかったり、水かさが深くて1度しか摘み取りが出来ない場合が多い。「じゅんさい」は2番芽、3番芽が良くなっていきます。
そのような条件で採取された三種町の「じゅんさい」が日本一といわれている。
「じゅんさい鍋は、比内鶏ス-プに、ジュンサイ入り比内鶏つみれ、たまごもち、その他に季節の野菜を入れて調理する。
「ツルリツルリ」としたジュンサイの食感と、ス-プの旨味を堪能できる鍋料理である。

Img_2911

Img_2913

【しょっつる鍋】

「しょっつる」は、秋田県人でも食べたことがあるかどうか分からない程、貴重な存在である。「しょっつる」は魚と塩を漬け込んで発酵させ、なんと2~3年経って骨が溶けて形が無くなった後、火を通して保存するものである。石川県の「イシリ」、ベトナムの「ナンプラ-」、タイの「ニョクマム」などと同じ、魚醤である。「しょっつる」は「はたはた」を使用した魚醤である。
男鹿半島の旅館で「しょっつる鍋」を頼んでみると、中身は子持ちハタハタ、白菜、ネギ、しらたき、豆腐、えのき、春菊である。ハタハタは煮すぎると卵が硬くなるので半生の方が食感を楽しめる。
ス-プは透明で、味は寄せ鍋に似ている。「しょっつる」は出汁として利用するので、それ自体の味は強調されることはない。
ハタハタは、分かりやすく言うと「かれい」の味に似ているという人もいるが、秋田県人に言わせると
「かれいなんかに似ていない。これがハタハタの味だ。卵のプチプチも良い。ハタハタ自体を食べるなら、焼き魚が旨い」という。

Img_2917

Img_2919

Img_2922


11/21 「おでん」と「カレ-鍋」

2012年11月21日 | 鍋料理

【おでん】

「おでん」は、日本料理のうち、煮物料理の一種。鍋料理にも分類される。出汁を醤油などで味付けしたつゆに、大根、ちくわ、コンニャク、ゆで卵など様々なおでん種を入れて煮込んだ料理である。おでん種、つけだれの種類は地域や家庭によって異なる。
「おでん」は元々、田楽を意味する女房言葉である。田楽は室町時代に出現した料理で、種を串刺しにして焼いた「焼き田楽」のほか、種を茹でた「煮込み田楽」であった。現在、「おでん」は「煮込み田楽」を指すようになり、「田楽」は「焼き田楽」を指すようになった。

関西では「関東炊き/煮」と呼ばれ、濃い色合いのものを関東煮、薄い色合いのものを「おでん」と呼び分ける場合もある。
一般的には、東日本では多くの削り節を使用し、関西北陸は昆布、中国四国は煮干しや焼きあごを使用する。また、使用される醤油が違い、東日本では濃い口醤油、西日本では薄口醤油使用されるため、色合いが異なってくる。
ただ、北海道は移住の人々が多かった経緯から、味付けやその出身地の伝統が生きていて、様々な味の「おでん」が存在する。

Img_2655

Img_2656

【カレ-鍋】

「カレ-鍋」は、和風出汁にカレ-のスパイスを利かせたス-プを使った鍋料理である。
具材にこれといった決まりはなく、通常鍋物の具材に用いられるもの、あるいはカレ-ライスの具材に用いられるものであれば、大概の食材とは相性がよい。ただし、キムチのようにそれ自体が強烈な味わいを持つものや、カレ-により繊細な風味を損なうおそれのある食材は不向きとされる。
昭和40年代、カレ-専門店「大坂カレ-鍋ダイニング 鬼神」の初代オ-ナーがうどんすき割烹店に勤務していた頃に考案したとされる。メディアでは和風居酒屋「喰い切り酒場 伝心望」をカレ-鍋発祥の店として紹介している。元々は、関西うどん店の賄料理とされるが、大阪のうどん屋では、「鍋焼きカレ-うどん」というメニュ-が昔からあり、余り物の食材を使い手間のかからない、定番賄い料理であった。

Img_2658

Img_2662


11/20 「芋煮会」と「だまこ鍋」

2012年11月20日 | 鍋料理

【芋煮会】

「芋煮会」とは、日本の主に東北地方で行われる季節行事で、秋に河川敷などの野外にグル-プで集まり、サトイモを使った鍋料理などを作って食べる行事である。青森県を除く東北地方各地では特に盛に行われ、秋の風物詩となっている。春の花見、秋の芋煮会として双璧をなす。
サトイモ栽培では、収穫期例年10月頃になるため、一般的な芋煮会も大抵10月初旬から徐々に行われる始める。その後、10月下旬から11月初旬にかけてピ-ク期となり、紅葉シーズンの終了、または降雪と共に終息する。

Img_2481

Img_2489

【だまこ鍋】

「だまこもち」は、秋田県の郷土料理。潰したご飯を直径3センチほどに丸めたもの。「だまこ」、「やまもち」とも呼ばれる。主に鍋の具材として用いられ、だまこもちが入った鍋は「だまこ鍋」と呼ばれる。
粳米の飯を粒が残る程度に潰し、直径3センチほどの球体にする。家庭によってはこれに塩を振ったり、煮崩れを防ぐため軽く火で炙ったりする。鶏ガラの出汁に醤油や味噌などで味をつけ、鶏肉やねぎ、セリ、ごぼう、きのこの具材とともに煮る。これらの調理法は「きりたんぽ鍋」とほぼ同じであるが、棒状にして表面を焼くきりたんぽと違い、だまこは団子型で基本的には焼かない。
八郎潟周辺の地域が発祥とされ、山林で働く木こりが弁当の飯を切り株の上に乗せ、斧の背で潰したものが起源とされている。一方、マタギ料理が起源であるとも言われ、だまこもちがきりたんぽの原型になったとする説もある。
以前は八郎潟で捕れたフナなどの魚が使われ、味付けには主に味噌が用いられた。しかし八郎潟の干拓により魚が減ったために、現在の鶏を使う形に変化した。

Img_2677

Img_2676


11/19 「ええじゃん鍋」と「水軍鍋」

2012年11月19日 | 鍋料理

【ええじゃん鍋】

「ええじゃん鍋」は、広島県内各地で販売されているご当地鍋料理である。
2005年10月に開催された「ひろしまフ-ドフェステバル」で初めて出展された料理で、広島県産の海の幸、山の幸を一度に楽しんでもらおうと開発された。
具材は広島かき、広島牛、広島豚、生シイタケ、アスパラガス、ゴボウ、ニンジン、タマネギ、サトイモ、白ネギ、青ネギ、ショウガなど広島産を活用し、特製の「広島ええじゃん鍋の素」で煮込む。

Img_2671

Img_2672

【水軍鍋】

「水軍鍋」とは、広島県尾道市因島や愛媛県今治市周辺で作られる鍋料理の一つである。
室町時代から戦国時代にかけて因島をベ-スとして活躍したのが海賊の村上水軍である。その村上水軍が出陣する際、必勝祈願と士気向上のために食べられたとされる。
瀬戸内海の魚介類と海草をたっぷりと入れ、昆布などを使った出汁で煮込む。特に「八方の敵を喰う」という意味て゛タコを必ず入れたと伝えられている。
酒盛りのあとに、鍋に麦飯を入れて雑炊で締めくくるのが水軍流である。

Img_2673

Img_2674


11/17 「寄せ鍋」と「石狩鍋」

2012年11月17日 | 鍋料理

【寄せ鍋】

「寄せ鍋」とは、汁を入れた鍋に野菜や魚介類など様々な材料を入れて煮込む鍋料理。地方ごとに出汁や具材が異なり、多様な種類が存在する。
その地方の産物が入り特色が出る。出汁はかつお、昆布、キノコ、貝類などでとる。味付けとしては、塩、醤油、酒、味噌などが一般的。具材は、白菜や葱などの野菜類、大豆製品(厚揚げ、焼き豆腐、揚げ)、練り物(はんぺん、ちくわ、)、海老や魚、貝などの魚介類、肉類(牛、鶏、豚)、キノコ類など、ほとんど何でもアリといってよい。
鍋の種類によっては、最後に麺類、あるいはご飯を入れて締めとすることが定番になっている。

Img_2635

Img_2636

【石狩鍋】

「石狩鍋」は、鮭を主材料とした鍋料理で北海道の郷土料理である。
鮭を用いた「三平汁」と混同されることが多いが、「石狩鍋」は味噌仕立てであるため、塩引きしない生の鮭を使用する。
「石狩鍋」は鮭の身と粗と豆腐、タマネギ、キャベツ、ダイコン、シイタケ、ニンジン、長ネギなとの野菜を昆布で出汁を取った味噌仕立ての汁で煮込むものとされている。また、汁へ酒粕を加えたり、バターや牛乳などを隠し味に使う場合もある。最後に山椒の実か粉をふりかけて食べる。
名称は、鮭か産卵のために遡上する石狩川に因む。石狩川河口近くにある1880年創業の割烹「金大亭」が元祖といわれる。当時、地元の漁師が賄い料理として味噌汁の中に、鮭のぶつ切りや粗、野菜などを入れて食べたのを「金大亭」が最初に世に送り出したと言われている。
道東地方、特に帯広地方では「石狩鍋」と同じ具材に名産の豚肉を入れた物で味噌仕立ての物を「十勝鍋」と称している。

Img_2669

Img_2670


11/15 「巻狩鍋」と「くじら汁」

2012年11月15日 | 鍋料理

【巻狩鍋】

「巻狩」とは、猟場で獲物を追い詰める者(勢子)が獲物を取り巻き追い詰め、武士が獲物を射ることを言う。
源頼朝は、鎌倉幕府を開いた建久4年(1193年)、その勢力を天下に知らしめるため、那須野ケ原一帯で大きな巻狩を行った。「那須野巻狩」には、鎌倉幕府の武将をはじめ、10万人とも言われる人々が勢子として駆り出されたことから、
これらの人々の食事としてこの鍋料理が用意された。
その日捕れた熊や鹿、猪の肉かグツグツと大きな鍋に煮えたぎり、あたりにはいい匂いが漂い、1日中走り回った人々の食欲を誘った。

Img_2423

Img_2424

【くじら汁】

正月が近づくと北海道各地の市場やス-パ-で不思議な食材に出会うことがある。黒い皮のついた白い脂身。くじらの本皮と呼ばれる部分である。
このくじらの脂身を使い、正月の「くじら汁」が作られる。「くじら汁」とはくじらの脂身が入った「けんちん汁」と思ってもよい。ブロックで売られているくじらの脂身を短冊に切り、湯通しして油や塩を抜き、大根、ニンジン、ゴボウ、フキ、ネギなどの野菜と一緒に醤油味のけんちん汁風に仕立てる。
「くじら汁」が食べられていたのは、元々道南地方から道北地方にかけての日本海沿岸が中心で、今もこの地方では根強い人気がある。

Img_2336

Img_2337