道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

10/31 「タイスキ」と「チゲ」

2012年10月31日 | 鍋料理

【タイスキ】

「タイスキ」とは、タイ王国の料理の一つであり「タイ風しゃぶしゃぶ」とも呼ばれる。
名称のスキヤキは、日本のすき焼きと直接の関係性を持っているわけではなく、上を向いて歩こうの英語の題名であるスキヤキが世界的に流行した際にねその知名度にあやかって料理形態が若干似ているとから名前を借用したためである。
中央に煙突の立つ独特の鍋に湯を沸かし、野菜や海産物、肉団子なとを一口大に下ごしらえし具を入れ、火が通ったところで引き上げタレを付けて食べる。引き上げるために小さな金網が各人に用意される。タレには刻みニンニク、ライムの絞り汁、唐辛子を好みによって入れる。最後はおじゃ叉は麺類でしめる。

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【チゲ】

チゲは、キムチや肉、魚介類、豆腐などを出汁で煮込んだ、朝鮮半島の鍋料理のひとつ。
飯や副菜、キムチなどと共に個人ごとに一人分の量の小鍋で供されるが、歴史の浅いプデチゲは例外で、大鍋で調理し食卓の中央に置いて皆で取り分けて食べる。
コチュジャンと粉唐辛子で辛く仕立てたチゲが多いが、テンジャン仕立てのテンジャンチゲや清汁仕立てのチゲもある。伝統的な韓定食の献立では、ククやタン(ス-プ)同様汁物として扱う。チゲに飯を入れてクッパにして食べることもある。

キムチチゲ(発酵の進んだキムチを使ったチゲ)

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テンジャンチゲ(朝鮮味噌で味をつけた辛くないチゲ)

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プデチゲ(ランチヨンミ-トやインスタントラ-メンを入れたチゲ)

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トゥブチゲ(豆腐のチゲ)

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スンドゥブチゲ(汲み出し豆腐「おぼろ豆腐」のチゲ)

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10/30 ハロウイン

2012年10月30日 | 日記

10月31の夜、欧米で行われる「ハロウイン」の行事が、日本の子供の間でも行われているようです。
今日、近所の親しくしている子供2人が我が家に来ました。本来は「お菓子」などを差し上げるものですが、予告なしだったので大慌てでした。

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10/30 「美酒鍋」と「常夜鍋」

2012年10月30日 | 鍋料理

【美酒鍋】

「美酒鍋(びしょなべ)」とは、広島県東広島市西条地域で作られる、日本酒を使った宴会料理。
鶏肉、豚肉と野菜を主体に、日本酒と塩・胡椒だけで味付けをするシンプルな鍋料理。ただし「鍋」とはいうものの、調理には深めの鉄板を用いることが多く、汁気をほとんど出さない「炒り煮」状態で食べる料理である。調理の途中で普段は飲んでいる日本酒を惜しみなく使うが、アルコ-ル分が抜けて酒の旨味だけが残るため、酒の飲めない人や子供も食べられる。
名前の「びしょ」とは酒蔵の若い職人のこと。蔵人や杜氏は水仕事が多く、常に着物が「びしょ濡れ」であったことから付いた名前である。
西条の日本酒メ-カーである「賀茂鶴酒造」の専務であった石川氏が終戦直後に安く手に入る鶏の内臓を使ったもてなし料理として考案した料理で、元々は石川の名前にかけて「五右衛門鍋」と呼ばれていたという。それが、たまには若い蔵人にも腹一倍の料理を食べさせたいという石川の気持ちから酒蔵の賄い料理として広まり、「びしょ鍋」と呼ばれるようになった。
材料はニンニク、長ネギ、ニンジン、白菜、コンニャク、豆腐、鶏肉、砂肝、豚肉、酒、塩、胡椒。

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10/29 「鴨鍋」と「みぞれ鍋」

2012年10月29日 | 鍋料理

【鴨鍋】

「鴨鍋」は、鴨肉を白菜、ネギ、豆腐などの野菜と一緒に煮込んで作る鍋料理。
猟師などは自分で調達したマガモの肉を使うが、一般的に市販されている鴨肉は殆ど飼育されたアヒルあるいはマガモとアヒルを交配させた合鴨である。鴨肉からは良質の出汁が出てコクがあるが、昆布などで軽く出汁をとっても美味しい。
宮内庁の鴨の猟場として有名な千葉県市川市の新浜にある鴨料理専門店では、陶製の浅い鍋でまず鴨肉を焼き(鴨肉自体から脂がでるため油を引く必要は無い)、野菜と共に割り下で食べるというすき焼き風の鴨鍋が有名である。最後は雑炊も良いが、蕎麦を入れ〆るのが常識。
古くは、豊臣秀吉が大坂で鴨の飼育を奨励したという記録や、平安時代から飼育されていたという説もある。その名残んら、関西地方では「すき焼き」が夏のスタミナ料理とされていた-説がある。大阪で根付いた合鴨産業は明治末期に始まった。大阪、神戸には「河内鴨」を使った鍋を提供する飲食店があり、鴨の造りから鍋までフルコ-スで味わえる。
鴨肉は一見脂が多く感じられるが、牛肉などと違いコレステロ-ルが少なく、不飽和脂肪酸やビタミンなどを多く含まれており、健康上の懸念は比較的少ない。さらに「合鴨」には、牛、豚肉に比べてミネラルやビタミン類が豊富に含まれ、鉄分は豚肉の2倍、レチノ-ルも牛、豚肉の3~5倍の数値といわれる。

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【みぞれ鍋】

「みぞれ鍋」は、大量の大根おろしを用い、火が通って半透明になった姿が「みぞれ」に似ていることからそう呼ばれる鍋料理。
通常の卸し金よりは、鬼おろしと呼ばれる竹製の卸器を使って粗くおろしたほうが早く、かつ食感が良いとされる。土鍋に卸大根を入れ、少量の塩を加えて火にかける。沸いてきたら一口大に切った豆腐を入れ、温まったところでポン酢などで食べる。大根卸の中で豆腐を煮るとなぜかスが入らないという。

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10/27 「ちゃんこ鍋」と「闇鍋」

2012年10月27日 | 鍋料理

【ちゃんこ鍋】

「ちゃんこ鍋」とは、大相撲における独特の鍋料理。日本ではプロレスラ-が食べる鍋料理ともなっている。
「ちゃんこ」とは、本来、力士の作る手料理をすべて指す。したがって、鍋だけが「ちゃんこ」と思わせがちだが、それは誤りである。
「ちゃんこ鍋」の味としては、ちり鍋風のものと寄せ鍋風ものの二つの系統があるとされる。
「ちゃんこ鍋」は昔からソップと呼ばれる鶏ガラで出汁をとることが多いが、これは人間と同じように二本脚て立つ鶏から縁起を担ぐ意味も込められている。また、鶏ガラが細身であることから、現在でも細身の力士をソップと呼んでいる。これに関連し、古くは「手を
つく」=「負ける」という連想から、縁起を担ぐため牛や豚などの四足動物の肉を使うことを避けているが、差し入れなどの場合は使うこともある。また白星を連想させることから、具として肉団子を入れることが一般的になっている。
「ちゃんこ鍋」のベ-スとなる味付けは、醤油や味噌だけでなく最近では塩もあり、特定の味は存在しない。
鍋料理としての「ちゃんこ」が確立されたのは明治時代であり、常陸山谷右エ門が所属していた出羽の海部屋において入門者が大勢集まり、一般的な配膳では食事に支障をきたすようになったため、効率的な面から大きな鍋で作ったものを大勢で食べるようになり、これがやがて力士の常食になったと言われている。
「ちゃんこ」の語源には諸説ある。
*中国から長崎に伝来した「サンコ鍋」が転じたものとする説。*座人屋敷の中国人を意味とする説。*「ちゃん」を意味する父さん、爺さんに「こ」が付けられたものであると説。その他に5説ほどあるが使われたいた頃から、言葉の意味とては鍋料理ではなく力士の食事全般を指していたようである。

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【闇鍋】

「闇鍋」とは、それぞれ自分以外には不明な突飛な材料を複数人で持ち寄り、暗中で調理して食べる鍋料理。食事を目的とした料理というよりは遊び、イベントとしての色彩が濃く、スリルと笑いを楽しむために行われることが多い。
本来、{闇鍋」はトキの鍋を指していた。トキの肉は美味ではあるが、肉を煮ると煮汁が血のように赤く染まるため、このような調理法が考案されたという。
現代で広く一般に知られている「闇鍋」は、暗闇の中で調理することからこう呼ばれている。

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10/26 「ホルモン焼き」と「もつ鍋」

2012年10月26日 | 鍋料理

【ホルモン焼き】

「ホルモン焼き」とは、内臓肉(もつ)を焼く料理。狭い意味では、小腸、大腸を、広い意味では、それらの他、胃、肝臓、心臓、腎臓、子宮、肺などを用いる。かっては焼肉専門店や屋台などで供される料理であったが、近年、味付けされたパック製品が流通し、家庭でも手軽に味わえるようになった。
「ホルモン」の語源には諸説あるが、内臓は食用の筋肉を取った後の捨てる部分なので、大阪弁で「捨てるもの」を意味する「放るもん」から採られたという説と、安くて不気味な内臓肉の印象を向上さる為に、生理活性物質のホルモンにあやかって、内臓を食べると精力がつきそうな印象から付けられたとする説が有るが、現在は、栄養豊富で活力がつくとして名付けられた説が主流である。
コラ-ゲンが含まれており美容に良いと広く信じられているが、コラ-ゲンを摂取すればコラ-ゲンの形で吸収される事は実証されていない。またプリン体を多く含み、これは痛風の原因となる。
豚の体内には、E型肝炎ウイルスが存在することが
あることから、豚のホルモンにつては十分に加熱調理する必要がある。ホルモ焼きの肉としてブタが多く用いられる北海道では、しばしホルモンから感染した肝炎の発症者が出ることがあり、2004年には死者1名、2006年には重体1名が記録されている。

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【もつ鍋】

「もつ鍋」あるいは「ホルモン鍋」は、牛または豚の「もつ(ホルモン)」を主材料とす鍋料理。
『福岡の「もつ鍋』
福岡(博多)のもつ鍋は、鰹や昆布などでとった出汁に醤油や味噌で味付けし、その中に下処理した「もつ」と大量のニラ・キャベツともつの臭みを消すためのニンニク、好みで唐辛子を入れ、これを火にかけて煮込み食す。
『下関の「とんちゃん鍋」』
山口県下関市では、「とんちゃん鍋」と呼ばれる、全く異なった種類の「もつ鍋」が存在する。
平たいステンレス製の鍋に、甘辛い味噌ベ-スのだれに漬け込んだ牛のホルモンを、キャベツ、モヤシ、ネギと一緒に山のように盛り付け、そのまま火にかけて蒸し煮したもので、出汁は一切使わず、野菜の水分のみで煮るのが特徴。「とんちゃん」は元々韓国語で「豚の小腸」のことだが、現在は牛の腸が多く用いられるという。

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10/25 紅葉(完)

2012年10月25日 | まち歩き

やはり今年の紅葉は異常でした。始まりが通常より2週間以上遅く、それも、イチョウ系の黄色が目立ち、カエデの赤色が駄目でした。これも温暖化で残暑がいつまでも続いた影響だろうと思います。
帯広少年院前の並木道。

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とてっぽ通り

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東7条火防線通り

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10/24 「水炊き」と「ちり鍋」

2012年10月24日 | 鍋料理

【水炊き】

「水炊き」は、鍋に水を張り、昆布で出汁を取ったのち、肉や他の食材を煮込んで調理する日本の鍋料理の一種である。主に関西で食される料理で、現在は日本全国で食されるため、地域性が出始めている。関西では昔からポン酢醤油をつけて食べられていたことから、全国でも同様にポン酢醤油につけて食べるのが一般的となっている。
名前の由来は、昆布など単純な出汁だけで、他の調味料を使わずに水から煮立てさせる調理法のため「水炊き」と呼ばれる。現在、全国で食べられている水炊きは昆布出汁のみで、関西で昔から広く食べられていたものである。
一般的には水を張った鍋に昆布を敷き、鍋をそのままひと煮立ちさせる。沸騰したのち、鶏肉、魚介類、白菜や、その他の具を入れ、それらに火が通れば完成となる。その他の具材としては、豆腐、水菜、長葱を入れ、好みで、キノコ類、春菊などを入れる。

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【ちり鍋】

「ちり鍋」とは、白身魚の切り身を野菜や豆腐とともに水煮したもの。煮汁には味付けをしない淡泊な味わいが特徴である。冬の季語となっている。
歴史的には、魚を野菜などと水煮した料理は中国地方や四国に古くから見られた。関東で鍋料理として広まったのは、江戸時代の末から明治時代初期である。なお、生魚を食べない西洋人が、出された刺身を鍋に入れて火を通して食べたのが始まりとする説もある。
「ちり鍋」の名の由来は、新鮮な魚の切り身を熱湯に入れると、ちりちりに縮れて縮む様から来たとされる。白身魚の切り身など同じような食材を用いて蒸しものにした料理、同様の理由から「ちり蒸」と呼ぶ。
中心となる魚の種類によって様々なバリエーションがあり、魚種名を添えて「-ちり」という名で呼ばれることが一般的である。代表的なものとして、「鱈ちり」、「鯛ちり」、「河豚ちり」などが挙げられる。
「河豚ちり」は別名で「てっちり」と呼ばれ、これは河豚の俗称が「鉄砲」(毒に当たってて死ぬことから)に由来すると言われる。
魚肉の切り身以外に添える具としては、「水炊き」とほぼ同様なものである。

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10/23 「すんき蕎麦」と「もみたて」

2012年10月23日 | インポート

【すんき蕎麦】

「すんき漬」とは、長野県木曽地方に伝わる伝統的な発酵食品である。「カブナ」の漬物の一種てある。一般的な漬物は食塩を用いて腐敗菌、食中毒菌などの雑菌の繁殖を抑制するとともに、食塩水の高い浸透圧で野菜の細胞から細胞液を引き出し、その中に野菜が沈んだ嫌気状態で乳酸発酵させてPHを下げ、さらに雑菌の抑制を行う。しかし、木曽地方は海から遠い山国であることもあり、塩は貴重な財産だった。そのため、野菜の保存に食塩をふんだんに使うことは困難であり、無塩発酵の漬物が生じることになったと考えられている。
最初に作る際には、山に自生するズミ(小梨)、山梨、ヤマブドウなどの果実を叩いて潰し、発酵させて素にする。
独特な酸味とシャキシャキした食感を持つ食品である。塩分を含まないもので、日常料理の素材として用いられる。
「すんき蕎麦」は、すんき漬を乾しめじ、煮干しなどで取る出汁つゆに入れて煮、茹でた蕎麦切りにかけて食べる。

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【もみたて】

「もみたて」は、長野県東筑摩郡地方の蕎麦の食習慣。
味噌をぼた餅ほどの大きさに丸め、強火でよく焼き、その間におろし金でダイコンをおろし、じかに布巾に包んでよく丼に絞り、その中に焼き味噌を加える。
箸で普通の味噌汁の加減に溶かし、これを鍋に移してネギを細かく刻んで入れ、中火にかけて沸騰させる。その汁を蕎麦にかけて食べる。
文化元年(1804年)序「料理早指南」四には「もみ立汁、常のみそなり。板の上にて包丁にてよくたゝき、湯にてほだて(かき混ぜる)、煮かへしたるまゝこさぬなり」とある。

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■しばらく蕎麦の記事を掲載してきましたが、今日で一区切りとします。本当は、ネタ切れですが。何か蕎麦に関する情報を入手した時はお知らせします。


10/22 「釜揚げそば」と「けんちんそば」

2012年10月22日 | インポート

【釜揚げそば】

岩手の「わんこそば」、長野の「戸隠そば」と並んで、日本三大蕎麦のひとつとして知られる「出雲そば」。その歴史は古く特に旧暦10月の神在月、全国から参集する神々を迎える「神在際」になると、出雲大社の門前の蕎麦屋台が並び、たくさんの参拝客が身体の温まる「釜揚げ」で蕎麦を食べていたいう。
出雲の「釜揚げそば」の特徴はひと目見てわかる黒っぽい色と濃厚な香りにある。出雲蕎麦では、蕎麦粉を作るときに「挽きぐるみ」といって、蕎麦の実を甘皮ごと石臼で挽く。そうすることで麺は色黒でこしがあり、香り豊かな蕎麦となる。出汁に「うるめいわし」を使うのも出雲流。うるめいわしの出汁が昆布出汁と絡まって、甘く上品な香り、旨味が生まれる。

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【けんちんそば】
昔、禅僧が中国から伝えた普茶料理、中国名の巻煎(けんちぇん)が訛って「けんちん」になったとする説。
我が国、最初の禅の専門道場として西暦1253年に創建された鎌倉の名刹・建長寺の修行僧が料理を作っていて豆腐を間違って落としてしまい(崩れた豆腐を)入れた精進汁を住職に出したところ「これは美味しい「建長汁」と名付けよう。これが変化して「けんちん」になったという説がある。
奥久慈地方では、古来より滋養豊富な郷土食として日常家庭で蕎麦を打ち熱々の汁をぶっかけて食べていた。

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10/20 「引っ越し蕎麦」と「年越し蕎麦」

2012年10月20日 | インポート

【引っ越し蕎麦】

「引っ越し蕎麦」とは、日本の習慣であり、引っ越しの際に引っ越してきた者が隣近所に配る蕎麦のこと。
江戸時代中期から江戸を中心に広がっていた習慣だが、近年はなくなりつつある風習である。
蕎麦は安かった事と細く長くお世話になますの意味を込めて、引っ越した者が挨拶も兼ねて蕎麦を隣近所(長屋の場合はいわゆる「向こう三軒両隣」の5軒)、大家に配った。江戸期には乾蕎麦は一般的でなかったし、生の蕎麦や茹でた蕎麦は時間による劣化か起こる。そのため「蕎麦切手」という一種の商品券のようなものを配ることが多かった。因みに蕎麦は側(蕎麦)に引っ越してきたという掛け詞でもある。
この風習が広まるまでは「粥」を近所に配っていた。

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【年越し蕎麦】

「年越し蕎麦」とは、大晦日に縁起を担いで食べられる蕎麦で、歳末の風物詩である。地域によって違いもあり呼び方もみそか蕎麦、大年蕎麦、つごもり蕎麦、大晦日蕎麦、年取り蕎麦、縁切り蕎麦、寿命蕎麦、運蕎麦、福蕎麦、思案蕎麦などと多くある。
日本全国に見られる日本の文化であるが、地域によって違いがあるが、年を越す前に食べきらなければならず、蕎麦を残すと翌年金運に恵まれないなどと言われている。
年越し蕎麦の由来とされる説は「細長く達者に暮らせることを願う」というものが一般的である。その他にも色々な説が存在する。

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10/18 「蕎麦がき」と「蕎麦湯」

2012年10月18日 | インポート

【蕎麦がき】

「蕎麦がき」とは、蕎麦粉を使った初期の料理であるが、蕎麦が広がっている現在でも、蕎麦屋で酒のつまみとするなど広く食されている。
蕎麦切り・蕎麦などのように棒状にせず、塊状で食する点が特徴である。
5世紀の文献に現れるが、縄文土器から蕎麦料理を食べていた形跡が発見されている程、日本では古くから蕎麦が食べられていた。江戸時代半ばままではこの「蕎麦がき」として蕎麦料理を食べられていたが、江戸中期には棒状にした「蕎麦切り」が庶民の生活に広がり、全国に広がった。
蕎麦粉に熱湯を加えるか、水を加えて加熱し、箸などですぐかき混ぜことで粘りを出して塊状にして食する。子供でも簡単に作れるので、蕎麦の産地では昔からおやつとして定番だった。箸で少しずつちぎりながら、蕎麦つゆや醤油をつけて食べる。

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【蕎麦湯】

蕎麦にはタンパク質、ビタミンB1・B2、ルチン、鉄、カルシウムを多く含んでいるが、注目すべきはルチン。ルチンは毛細血管を強くし動脈硬化を予防する。ただし、水溶性なので蕎麦のゆで汁の中に溶け出してしまいます。そこで登場するのが「蕎麦湯」である。
「蕎麦湯」にはその栄養成分が沢山溶け込んでいる。現代栄養学を知らない昔の人が蕎麦を食べた後で蕎麦湯を忘れずに飲むことを勧めたのは、蕎麦湯が栄養に富んでいるいることを経験的に知っていたからである。
蕎麦湯に含まれる栄養成分のうち、米や小麦などの他の穀類と比較して特徴的なものは、ビタミン類とタンパク質の組成である。
ビタミンとタンパク質を摂取することが栄養バランスを成り立たせる上で重要なファクターである。

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10/16 紅葉②

2012年10月16日 | まち歩き

今年の紅葉はイチョウ系の「黄色」は鮮やかですか、カエデ系などの「赤」が鮮明ではありません。これも残暑が厳しかった影響と思います。
明日は気温は下がりますが雨の予報。その後も晴天はあまり期待出来ないようなので、今年の紅葉は終わりの可能性があります。ただ、もう一カ所期待している場所があるので、ご期待ください。
道立美術館入り口

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日甜社宅跡地

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畜産大学構内

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オンネト-

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阿寒川源流

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10/15 「うずらそば」と「いわしそば」

2012年10月15日 | インポート

【うずらそば】

大正14年開店の「美々卯」の初代薩摩平太郎が考案し、創業当初から売り出した
もり汁に鶉の卵2個をつける。蕎麦は蒸籠に乗せた「熱もり」。当時、高級料亭でしか使っていなかった効果な鶉の卵を、大衆的な蕎麦にセットしたことで注目を集めた。
昭和初期の普通の蕎麦7~8銭だったが、この「うずらそば」は15銭で売られた。鶏卵ではもり汁の味を薄めてしまうことから、鶉の卵に着眼したもの。昭和32年6月商標登録された。

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【いわしそば】

「いわしそば」は、千葉県九十九里浜近在の郷土そば。
イワシの内臓を除き、骨を抜いてから熱湯に浸して脂をとったのち、よくすり潰す。水を加えてどろどろにのばしたところへ、蕎麦粉やヤマイモのすり下ろしを加えて蕎麦に打つ。脂の強いのと生臭いのが欠点だが、味は良く、調理の工夫次第で万人に喜ばれる。
薬味にはおろしショウガ、粉ザンショウが合う。味の最も良い時期は秋である。

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