道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

11/19 売れ筋最前線(24)

2014年11月19日 | 日記

【かにめし】

弁当箱を開けると、温かいご飯の上に、細かくほぐしたズワイガニの身がびっしりと乗っている。口に運べば、舌の上でふんわりと溶け、凝縮された旨味が広がる。カニのハサミをイメージして盛り付けられた甘辛く煮たシイタケも、カニの味を引き立てる。

渡島管内長万部町のJR長万部駅前に本店を構える「かにめし本舗かなや」の「かにめし」は1950年の販売開始以来、駅弁などとして道南を行き交う旅人に親しまれてきた。5月の大型連休やお盆時期には、本店や同町内の直営ドライブインの分を含めて1日4千個も売れる。開店前から並ぶ観光客がいるほどで、従業員は息つく暇もない忙しさだ。

カニの味付けは塩、コショウと日本酒だけだ。本店では毎日、熟練の職人がその日に使う分を大鍋でいって作る。
タケノコと一緒にじっくりと火にかけて、香ばしさを引き出し、食感良く仕上げている。
創業者の孫で、現社長の長男の金谷圭一郎専務は「おいしく食べてもらえるよう、長年積み重ねてきた工夫がある。調理には細心の注意を払って居ます」と胸を張る。

長時間の作り置きをしないのも信条だ。駅弁は99年まで長万部駅ホームで旅行者に対面で売っていたが、今はそんな余裕はない。特急列車の停車時間は1分たらずしかないからだ。
その代わりJR北海道と協力し、札幌と函館を結ぶ特急「北斗」「スーパー北斗」の車内で乗客から注文を取り、長万部駅に到着すると、注文があった数の弁当を積み込む。

正確な注文数は駅到着の30分前、列車からの電話で初めて分かる。時には10分前のこともある。従業員が手分けして「かにめし」を弁当箱に詰め、駅に走る。これを1日12回、運行ダイヤに合わせて繰り返す。「できたての温かい状態で提供するため」だ。車内販売の弁当の売上で毎年1位という。

カニを使った弁当は道内外各地にあるが、「かなやのかにめしは、道内の元祖」。その起源は終戦直後の食糧難の時代にまで遡る。

「かなや」の前身である「長万部駅構内立売商会」の創業者、金谷勝次郎の妻・靜枝さんのアイデアで、余っていた長万部産の毛ガニを塩茹でして駅で売った。これが当たった。列車が長万部駅を過ぎると車内で黙々とカニを食べる人たちの姿が見られ、床にカニの殻がたくさん散らばった。当時の国鉄から苦情が寄せられ、清掃を担当する従業員を同乗させるほどだった。

ただ、長万部では毛ガニの漁期は夏場だけで、商機は限られる。勝次郎氏は各地からカニを集めて、1年中販売できる弁当作りを思いついた。
試作品を50以上作り、国鉄職員にも試食・味見してもらった。今とはほぼ変わりない形で完成するまで、およそ3年かかった。
痛みにくく、食べ易い「かにめし」は、塩茹で毛ガニを上回る人気を呼んだ。交通の主役が鉄道から自動車に移る風を読み、70年代には長万部町内の国道沿いにドライブインを開業し、バスツアー客も取り込んだ。

調理法も創業者の教えを守りながら、時代の変化に柔軟に対応してきた。噴火湾産の毛ガニ減少を受け、半分ほどズワイガニを混ぜるようになり、8年前からズワイガニ100%に切り替えた。それでも味や見た目はほとんど変わっていない。

「かにめし」の売上は91年、勝次郎の息子で2代目社長の勝之氏の時代にピークを迎えた。その後のバブル経済崩壊で徐々に売上が落ち込み「冬の時代」に。勝之氏の後を継ぎ、2004年に3代目社長に就いた妻・玲子氏は逆境を乗り越えようと、様々な取り組みに着手している。

道内外の催事に出かけて実演販売したり、5年間かけて冷凍の「かにめし」を開発して09年から通信販売したりーー。「かなやのかにめし」のDNAを守りながら、多くの人においしい弁当を届けたい」と、金谷専務は力を込めると、長万部の味を守り続けている。

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