道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

9/29 「タルタルステ-キ」と「カルパッチョ」

2012年09月29日 | 食・レシピ

【タルタルステ-キ】

「タルタルステ-キ」は、生の牛肉または馬肉を、荒いみじん切りにし、オリ-ブオイル、食塩、胡椒で味付けし、タマネギ、ニンニク、ケッパー、ピクルスのみじん切りなどの薬味と卵黄を添えた料理。全体を均一になるように混ぜて食べる。日本では、マグロなどの赤身の魚で作れることもある。
「タルタルステ-キ」の名前は、「タタ-ル人」から来たタルタル人に由来している。一般的に知られる説によると、「タルタルステ-キ」の調理法も、タルタル人から伝わったものである。モンゴル帝国当時の遊牧民たちは、遠征に際し、一人につき何頭も馬を連れて行き、これらを乗用だけではなく、軍中の食糧としても利用していた。しかし、乗用の馬は、食用に飼育された馬肉とは異なり、筋が多く、硬く食べにくかった。そこで、鞍の下にかたなで細かく切った肉を入れた袋を置いて馬に乗り、自分の体重と馬の運動で潰してから味付けして食べる習慣があったとされる。ヨ-ロッパ料理の「タルタルステ-キ」は、このタルタル人たちの馬肉料理が起源と言われている。
しかし、ヨ-ロッパにこの料理が伝わると、農耕社会では馬は役畜であり、乗り潰す程に酷使することもなかったので、むしろ牛など別の家畜の肉が用いられるようになったという。。また、生肉の生臭さを消すために、胡椒や香草を多様したのも、ヨ-ロッパにおける創案とされる。

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【カルパッチョ】

「カルパッチョ」は、生の牛ヒレ肉の薄切りに、チ-ズもしくわソ-スなどの調味料をかけた料理の総称である。
イタリアの画家であるヴイット-レ・カルパッチョが薄切りの生牛肉にパルクジャ-ノ・レッジャ-ノをかけた料理を料理を好んだことから、その料理は彼の名をとって「カルパッチョ」と呼ばれるようになったという説がある。
本国イタリアでは、近年の創作料理との説が有力である。ハリ-ズバ-のオ-ナ-シェフで、カクテルの「ベッリ-ニ」「ロッシ-ニ」の考案者であるジュジッペ・チプリア-ニが、ヴェネチアで開催されたヴット-レ・カルパッチョ生誕500年回顧展で、カルパッチョ絵画の特徴とされる美しい赤と白の対比を、生牛肉とマヨネ-ズベ-スのソ-スで表現したものとされる。
日本においては、生の牛肉の代わり、赤いマグロやカツオの刺身を使用したカルパッチョが和洋折衷料理の代表例となっており、その創作者はレストラン「ラ・ペットラ・ダ・オチアイ」の落合努だといわれている。カルパッチョの発祥国イタリアにおいても、世界的な刺身ブ-ムの影響を受け、生の魚肉を使ったカルパッチョが多くなってきている。

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9/27 叉焼

2012年09月27日 | 食・レシピ

叉焼(チャ-シュ-)は、豚肉の塊に味をつけて焼いた料理である。日本語で焼豚ともいわれる。

【中国の叉焼】
「焼」という字が用いられるようにむ、本来は豚バラ肉などのブロックにタレや蜂蜜などの調味料を塗って、さすまた(叉)などに刺して炙り焼いたものである。保存食的な意味合いも兼ね備えた料理であ。
広東料理では、現在鈎に吊して、炉の中で焼かれるスタイルが多く、味も蜂蜜の代わりの麦芽糖やコ-ンシロップを塗って焼いた「蜜汁叉焼」が主流で、比較的甘い。吊して焼くことで、効率よく、安定した焼き方をすることが出来るようになった。
香港や広州には、店先に焼いた叉焼を吊している「焼臘店」(シウラプディム)と呼ばれる、叉焼やロ-ストダックなどの焼き物専門店が多くある。広東料理では、チャ-シュ-を食材として用いた饅頭や腸粉などの点心も作られている。

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【日本の叉焼】
日本では、焼かずに煮て作る叉焼が主流となっている。多くの場合は「角煮」と違い薄めにスライスした上で食される。これらはラ-メンの具や一般家庭の飯のおかずや、酒の肴とする事が多く、ラ-メンの具として今日では欠かせないものとなっている。
焼かずに作るため、焼豚より柔らかいラ-メンの具として多く使用されている。中国では焼かずにつくる叉焼を「日本式チャ-シュ-」と呼ぶ。「日持ちをさせやすく廃棄によるロスを回避できる」「安価なバラ肉を応用しやすい」「煮汁をス-プやタレに流用できる」などの点もラ-メンの具に好まれる理由の一つとなっている。なお、日本でも専用炉で焼いて作っている叉焼も存在している。

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9/26 「ソ-セ-ジ」と「サラミ」

2012年09月26日 | 食・レシピ

【ソ-セ-ジ】

「ソ-セ-ジ」とは、鳥獣類の挽肉などを塩や香辛料で調理した食品。湯煮や燻煙などの燻製処理を行い保存食とされる。
多くは羊の腸などのケ-シングに詰められるが、アメリカのブレックファスト・ソ-セ-ジにのように成形のみで腸詰めされないものも存在する。
挽肉をケ-シングに詰める作業にはソ-セ-ジフィーラーあるいは専用の絞り器を用いる。このうちソ-セ-ジフィーラーは本体がシリンダー状になったもので、ケ-シングをファンネル(口金)にセットした後で圧力をかけると挽肉がケ-シングに詰められながら出るような仕組みになっている。

日本では、ソ-セ-ジといえばドイツのソ-セ-ジが特に有名である。ドイツ語でソ-セ-ジのことをヴルストというが、地方ごとに多種多様な形態があり、その地名を冠して呼ぶことが多い。日本で「フランクフルト」と呼ばれる太くて大きなソ-セ-ジも、本来はフランクフルト名産のヴルストなのである。

日本におけるソ-セ-ジのル-ツは第一次世界大戦に捕虜として習志野捕虜収容所に連れて来られたドイツ人のカ-ル・ヤ-ンら5名のソ-セ-ジ職人が千葉市に新説された農商務省畜産試験場の求めに応じてソ-セ-ジ作りの秘伝を公開した事に由来している。一方、北海道では1919年に来日したカ-ル・レイモンの功績が大きい。日本の規格では、原材料や調理法やケ-シングによっていくつかの名称が付けられている。羊の腸に詰めたものである。「ウインナーソ-セ-ジ」、豚の腸に詰めた物を「フランクフルトソ-セ-ジ」、牛の腸に詰められた物を「ボロニアソ-セ-ジ」としている。

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【サラミ】

「サラミ」は、イタリアに発祥したドライソ-セ-ジの一種。
豚の挽肉に塩やラ-ド、ラム酒などを混ぜ、腸詰めしてから、温度9-10度、湿度70-75%で60-90日間乾燥熟成を行ったものをサラミと呼んでいたが、今では塩だけでなく様々なハ-ブやスパイスを混ぜたものをサラミと呼ぶようになった。牛肉で作られたサラミや、牛と豚の合い挽きのサラミも製造販売されている。地域ごとに使われるハ-ブに違いがあり、イタリアのサラミはニンニク、ドイツは塩のみ、スペインのものはパプリカや赤唐辛子、そしてハンガリーではパプリカやニンニクを加えている。肉の挽き具合によっても味に違いがある。

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9/25 「ベ-コン」と「ハム」

2012年09月25日 | 食・レシピ

【ベ-コン】

「ベ-コン」とは、豚肉を塩漬けして燻製にしたもの。本来は豚の半丸枝肉を塩漬けし燻製したサイドベ-コンだが、日本ではバラ肉の部位を用いたものを特にベ-コンと言い、他の部位はロ-スベ-コン、ショルダ-ベ-コンなどと言う。
『製法』
1・豚のバラ肉を血絞りする。 2・肉重量の3~6%の食塩と、砂糖・香辛料などの調味料を加えつけ置きする。 3・塩抜きする 4・燻製する

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【ハム】

「ハム」は、豚肉・猪肉のもも肉を塊のまま塩漬けした加工食品。または、その類似品。英語のhamとは元々は豚のもも肉の意味であるが、豚のもも肉を用いた加工食品、さらに日本においては豚のもも肉以外を用いた加工食品を指す場合が多い。
『種類』
豚肉を燻煙・湯煮した製品としては、骨付きもも肉をそのまま使った「骨付きハム」、骨を抜いたもも肉を用いた「ボンレスハム」がある。
また、日本独自のものとして、豚肉、馬肉、羊肉、兎肉等様々な種類の肉の小片と大豆蛋白質等の副原料を加えて成形調味し、プレスハムがある。
これは上記のような元々のハムに比べて低級・安価である。また、ロ-ス肉を使った「ロ-スハム」、肩肉を使った「ショルダ-ハム」、バラ肉を巻いて造った「べりーハム」などがある。これらは豚のもも肉の呼び名である、元々のハムとは異なるものである。
『製法』
豚肉の肉塊を整形し、塩をかけ、血絞りをする。そして、食塩、香辛料や調味料を加える。発色剤である亜硝酸塩や、亜硝酸ナトリウムなどの食品添加物も加える場合はこの段階で行う。
塩漬け、熟成したあと骨付きハム、ラックスハムはそのまま燻煙する。その他の種類のものは加熱してから風味程度に燻煙する。そして湯煮を行う。

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9/24 「かしわ」と「軍鶏」

2012年09月24日 | 豆知識

【かしわ】
「かしわ」とは、鶏の肉の異名。

この語の語源には、柏手を打つ姿と鶏の羽ばたく姿が似ているからや、宮中の食膳の調理をつかさどる人を「膳・膳夫(かしわで)」といったことに関係するといった説があるが、いずれも鶏肉のことではなく、「柏手」の語源と混同された説である。
本来、この語は「鶏肉」をさした言葉ではなく、「羽毛が茶褐色の鶏」をいった言葉で、柏餅に使う柏の葉の色に似ていることから、こう呼ぶようになった。
そのため、植物と同じ「柏」と表記されたこともあり、現在当てられている漢字も、その色から「黄色い鶏」で「黄鶏」と書く。
「鶏肉」の意味で用いられるようになったのは19世紀中頃で、当時は「鶏肉」といっても茶褐色の和鶏肉をさしていたが、次第に鶏肉の総称として用いられるようになった。
現在、主に西日本で用いられている呼称だが、茶褐色の鶏やその肉をさしていた頃までは東日本でも用いられていた。

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「軍鶏」

「軍鶏」とは、鶏の一品種。丈が高くて脛が太く、大きな蹴爪をもつ。闘鶏用に飼育されるほか、食肉用・観賞用としても飼育される。天然記念物。
「軍鶏」は、江戸時代にシャム国(現在のタイ)から渡来した鶏の品種で、「シャム猫」の「シャム」と同じく原産地の「シャム」に由来する。
渡来した当時は「シャム」や、「シャム」の別称「シャロム」から「シャムロケイ」と呼ばれていたが、明治時代から「シャモ」と呼ばれるようになった。
漢字の「軍鶏」は、闘鶏用の鶏の意味からの当て字て、「ぐんけい」とも言う。
「軍鶏」はがっしりした体で気性も洗いことから闘鶏用に飼われてきたが、肉質も優れることから現在は主に食肉用として飼われている。

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9/22 「ハンバ-グ」と「ミ-トロ-フ」

2012年09月22日 | 食・レシピ

【ハンバ-グ】

ハンバ-グまたはハンバ-グステー-キは、挽肉に肉の粘りを出すための塩と玉葱等の野菜類のみじん切りと胡椒等の香辛料を加え、パン粉を混ぜ、こね合わせたものを楕円形や円形などに整形して焼いたもの。

ハンバ-グの起源は、ドイツのハンブルグの労働者向けの食事として流行したタルタルステ-キとされている。タルタルステ-キは、13世紀頃にヨ-ロッパに攻め込んだモンゴル帝国のタタ-ル人の生肉料理を原型としている。タタ-ル人は硬い馬肉を細かく刻むことで、食べやすいものに加工してたのである。その後、18世紀から20世紀前半にかけて移住したドイツ系移民によってアメリカにもたらされ、「ハンブルグ風ステ-キ」と呼ばれるようになった。明治時代の日本では、レストランで「ジャ-マンステ-キ」といった呼び名で扱われていた。

日本で食べられているハンバ-グの原型は外国料理にあるが、長年の間に日本人の好みに合わせたアレンジが為され洋食化したため、現在では日本独自の料理としての趣がある。特に合い挽き肉の使用や卵を繋ぎとするのは日本独自のもので、ドイツのそれは牛肉を100%使用するパテに近いほとんど生の料理である。

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【ミ-トロ-フ】

「ミ-トロ-フ」は肉料理の一種で、米国の家庭料理である。

「ロ-フ」は古英語のパンの語源であり、転じて長方形パン形状をオ-ブンで焼くことを「ロ-フ」と呼ぶようになった。西暦4-500年で『Apicius』と言う有名な料理集で最初に出ていた。現代では、ドイツ、ベルギ-、オランダなどで伝統料理となっている。アメリカのミ-トロ-フは、植民地時代のペンシルベニア州で、ドイツ系移民が食べていた「Scraple」に起源がある。

通常は豚の挽肉であるが、牛やラムも用いられる。挽肉に玉葱のみじん切りを炒めたものを混ぜ、卵、パン粉などの穀物粉を成形のためのつなぎとして加え、塩、胡椒などの香辛料で味付けしてよく練り混ぜ、長方形をした専用の型に詰めてオ-ブンで焼き上げる。他の材料として豆類やピ-マンやニンジンなど゛の野菜類、マッシュル-ムなどのキノコ類を加えることもある。表面にマッシュポテトを塗る・内部にゆで卵を入れるなどのアレンジもあり、多様かつ自由度の高い料理である。

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9/19 「ホットケ-キ」と「クレ-プ」

2012年09月19日 | スイ-ツ・お菓子

【ホットケ-キ】

「ホットケ-キ」とは、小麦粉に卵やベ-キングパウダ-、砂糖、牛乳、水などを混ぜ、フライパンで両面を焼いた料理。

粉と水、燃料、パンケ-キを焼く金属製や石製のヒョウ目面があれば簡単に作れるため、その歴史は古代エジプトまで遡る。英語圏では古くから脂の火曜日(灰の水曜日の前日)にパンケ-キを焼いて食べる習慣があるため、この日をパンケ-キの火曜日と呼ぶ習慣がある。フランスとカナダの旧フランス領では主の迎接祭(2月2日)にクレ-プを焼き、ロシアでは灰の水曜日の前のマ-スレニッツア(バター週間)にプリヌイを焼いて食べるなど、ヨ-ロッパでは早春の行事にパンケ-キが関係していることが多い。フィンランドではキリスト教の断食の前日によりパンケ-キと豆のス-プを木曜日に食べる習慣が一部にある。

日本においては明治30年代初頭に雑誌で紹介されたのが最初といわれており、1914年(大正3年)に東京・上野にて現在と同様のホットケ-キのようなドラ焼きが誕生としたとされる。戦後しばらくはドラ焼きとホットケ-キは混同されていたようであり、長谷川町子の漫画「サザエさん」にてサザエが「ドラ焼きを焼く」といってホットケ-キを焼いていたシ-ンが描写されている。

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【クレ-プ】

「クレ-プ」は、パンケ-キの一種で、フランス北西部のブルタ-ニュ地方が発祥。元になったのは、そば粉で作った薄いパンケ-キのガレットという料理である。

ブルタ-ニュ地方は土地がやせていて気候も冷涼であるため、小麦の栽培が困難でそばが常食されていた。古くはそば粥やそばがきにして食べていたが、そば粥を偶然焼けた石の上に落としたところ薄いパン状に焼き上がるこことを発見し、そば粉を焼いてパンの代わりに食べるようになったといわれている。石で焼いたことからフランス語で小石を意味するガレにちなんでガレットと名付けられたというのが通説である。

その後、スペイン王フェリペ3世の長女でルイ13世の妻であったアン王妃が、ルイ13世に伴ってブルタ-ニュ地方へ狩に訪れた際、現地の庶民が食べていたガレットを偶然口にして気に入り、宮廷料理に取り入れたといわれる。生地はそば粉から小麦粉に変更され、粉と水と塩のみであった生地に牛乳やバター、鶏卵、砂糖などを加えるように変化していた。名称も焼いた際にできるこげ模様が縮緬を連想させることからクレ-プ(「絹のような」という意味)と呼ばれるようになった。

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9/17 「今川焼き」と「中華まん」

2012年09月17日 | スイ-ツ・お菓子

【今川焼き】

「今川焼き」は、小麦粉を主体としいて型で焼いた和菓子。小麦粉・玉子・砂糖を水で溶いて作った生地を円形のしぼみのある鉄または銅製の焼き型に流し込んで餡をのせ、その上にさらに生地を流し入れるか、別の型で焼いておいた同型の生地をのせて、高さの低い円形に焼いたものである。各地で呼び名が異なる。

生地に挟まれる餡は、小豆餡が主流であるが各種あり、白餡やカスタ-ドクリ-ム・ポテマヨ・ラザニア・チ-ズなど多種多様である。

「今川焼き」の名称は、江戸時代中期の安永年間に、江戸・神田「今川橋」近くの店からこの種の焼き菓子が売り出されたことによる。しか、全国に広がったがこの「今川焼き」の名称は全国的なものとならず地方や店によって違う名前が付けられた。

形状や製法に基づく名としては大判焼き・二重焼き・回転焼きめきんつば・おやきなどの別名がある。

また店名やそれに近しい名称を用いた名称も全国各地に点在しており、主なことろでは甘太郎焼き・義士焼き・太閤焼・夫婦まんじゅう・あじまん・びっくり饅頭など多彩である。なお、

台湾では、車輪餅・紅豆餅・太鼓饅頭の名で売られている。餡は、タロイモ・胡麻餡とピーナッツ・キャベツ炒めやカレーなどの具を入れた商品もある。

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【中華まん】

「中華まん」とは、小麦粉、水、砂糖、イースト、酵母、ベ-キングパウダ-などを捏ねて発酵させた柔らかい皮で具を包みね蒸し上げた饅頭である。肉まんと餡饅が代表的である。

「中華まん」の起源については諸説ある。「中村屋」は、1927年に売り出した「天下一品支邦饅頭」が最初としている。これは大正14年に中国へ旅行した後、目に止まった「包子」と呼ばれる具の入った饅頭を元に、日本人向けに改良した製品である。老祥記の先代は、1915年に「豚饅頭」として売り出した当店の中国包子が日本の中華まんの起こりであるとしたが、現在の日本の中華まんと同一かどうかは定かではない。

三国志演義では蜀の諸葛亮が南蛮征伐の後成都帰還の際、大河が氾濫して立ち往生して難渋したが、南蛮の風習で生け贄として人間の生首を差し出せば河の主の怒りが収まるとの古老の話を聞き、これは野蛮な行為だとして麦粉の皮に肉の詰め物をしたものを大河に流したところ氾濫が収まったという。これが「饅頭(肉饅頭)の始原だとする。

蒸籠の饅頭

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肉饅頭

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餡饅頭

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9/15 「餃子」と「焼売」

2012年09月15日 | 食・レシピ

【餃子】

「餃子」とは、小麦粉に水を加えて薄く延ばして作った皮で肉、エビ、野菜などで作った具を包み、茹でたり、焼いたり、蒸したり、揚げたりした食べ物。それぞれ調理の形態によって、茹で餃子、焼き餃子、蒸し餃子、揚げ餃子などと呼ばれる。

『歴史』

歴史は古く、中国の春秋時代(紀元前6世紀頃)の遺跡からすでに食べられていた痕跡が見つかっている。敦煌の唐代の墳墓では、副葬品として壺に入った餃子が乾燥状態で発見されている。中国においては、北京語の発音で「ジャオズ、チャオズ」といい、華北の料理とされて中国東北部で特によく食べられる。清朝成立とともに中国料理の代表として普及した。それとは別に華南で発達した点心として食べられる蒸し餃子がある。華北で食べられる餃子は主食のひとつとして食べられ「水餃子」主流。日本では「水餃子」と「ス-プ餃子」が混同されることが多いが、基本的に「水餃子」といえば「茹で餃子」のことを指す。

中華圏では「水餃子」と「焼き餃子」の具としてニンニクを入れる習慣はない。また、ニンニク的役割を果たすものにニラがあるが、必ずしも入れず、白菜と豚肉のみなどというものが多い。その他、地域によっては、皮に小麦粉ではなく米粉を使うなど、様々なバリエーション存在する。

『日本の餃子』

日本国内で初めて餃子を食べた人物は江戸時代の徳川光圀とされており、亡命してきた朱舜水から教わったという。明治時代までにも餃子を出す中華料理店は存在し、料理書でも作り方は紹介されている。しかし、呼び方は「チャオツ」など原語の音をそのまま使い、「メリケン粉に包んだもの」や「焼いた豚饅頭」などという解説を付けなければならないほど、庶民には遠い存在であった。日本で一般の人々が食べられるようになったのは、満州で作り方を習得した人たちが太平洋戦争後に日本で作り出してからであり薄目の皮を利用した焼き餃子が主流となった。日本では、具に白菜ではなくキャベツを使用する事が大半であり、ニラやニンニクを加えることが多い。日本では米飯のおかずとして食される。

焼き餃子

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ス-プ餃子

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【焼売】

「焼売」は、豚の挽肉を小麦粉の皮で包み蒸し調理した中華料理の点心。中華人民共和国の広州や香港では広東語で「シウマ-イ」と発音されている。日本語は広東語の発音を外来語として取り入れている。北京語では「シャオマイ」と発音しする。

現在の中国内蒙古が起源とされているが、中国国内では北京、山西省、広東省、山東省、浙江省等各地に広く普及している。香港では「コンチェンシウマ-イ」という呼び方も一般的である。豚の挽肉とエビのみじん切りを主体とし、練り合わせて味付けした中身を薄い小麦粉の皮で包み短い円柱状に包み、蒸籠や蒸し器などで蒸かして仕上げ、好みで醋・醤油・辛子など調味料を付けて食べる。なお、中身にカニや牛肉を加えたり、包む皮の代わりに餅米をまぶすなどのバリエーションがある。

同じ点心の一つとして扱われる餃子との違いは、皮が薄い四角形で、中に澱粉がやや多く配合されていること、必ず最初は蒸して調理すること、塩味などの味付けが強めで調味料で味付けせずに食べることも出来るという点などが挙げられる。

『日本の焼売』

材料には主に豚挽肉と玉葱のみじん切りを使用。彩りとして頭頂部にグリンピ-スが載せられることが多い。これは、昭和30年代に大手冷凍食品メ-カーの日本冷蔵食品(現在のニチレイ)の開発者が学校給食用にショ-トケ-キのイチゴをイメ-ジして考案したとされている。餃子と同様に焼いて食べる事があり、また、油で揚げて「揚げ焼売」にしても食べる。おでんの種など煮物に使用する事もある。また、中国のものと比べると香味が淡泊であり、醤油やポン酢などの調味料をつけて食べられることが多い。

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9/14 「ビザ」と「キッシュ」

2012年09月14日 | スイ-ツ・お菓子

【ピザ】

「ピザ」は、小麦粉、水、塩、イースト、砂糖、少量のオリ-ブ油をこねた後に発酵させて作った生地を丸く薄く延ばし、その上に具を乗せ、オ-ブンや専用の竃などで焼いた食品。イタリアで生まれ、世界的に広く食べられる料理である。また、ビザの発祥がリトアニアという説もある。

日本で初めて紹介されたピザは中々一般的ではなかった。1980年代後半より始まったバブル景気の最中に起きたイタリア料理(イタメシ)ブ-ムに伴い、次第にイタリア風のものも広く知られるようになったいった。数多くのレシピが存在し、地域にある産品を取り込んだご当地グルメ的変化を見せるものも存在する。料理として提供さる場合には、好みによって様々な食材が選択可能であることにもちなみ、広い層に人気がある。

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【キッシュ】

「キッシュ」は、卵とクリ-ムを使って作るフランス・アルザス・ロレ-ヌ地方の郷土料理。

パイ生地・タルト生地で作った器の中に、卵、クリ-ム、挽肉やアスパラガスなど野菜を加えて熟成したグリュイエ-ルチ-ズなどをたっぷり乗せオ-ブンで焼き上げる。ロレ-ヌ風キッシュでは、クリ-ムとベ-コンを加える。ナッツ類を加える場合もある。生地ごと三角形に切って皿に出す。地中海沿岸の地域でも一般的な料理である。語源はドイツ語のKuchen(ク-ヘン)である。

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9/11 「最中」と「どら焼き」

2012年09月11日 | スイ-ツ・お菓子

【最中】

「最中」の原型は、餅米の粉に水を入れて捏ねたものを蒸し、薄く延ばして円形に切りそろえたものを焼き、仕上げに砂糖をかけた、干菓子てあるといわれる。これを使って餡を挟んだ菓子が江戸時代に考案されたが、その後も餡を挟む方法に改良が加えられ、明治以降に現在の形の皮が完成した。皮の部分は、元が菓子だ゛ったことから特別に「皮種」としょうされている。この皮種で餡を挟んだ最中が、やがて全国に広められていき、現在では各地で色々な種類の最中が銘菓として売り出されている。

皮種は一般的に種屋と呼ばれる和菓子材料の専門業者が製造しており、和菓子店に提供している。ごく一部の和菓子店では最中皮の製造も行っている。

餡については小豆など色々な種類があるが、最中の餡は、皮種が湿気を帯びるのを避けるべく水分の含有量を下げており、その分、砂糖の量が多めになっていることから、照りや粘りが強い。

最中の名前は、捨遺和歌集にある源順の句(池の面に照る月なみを数うれば今宵ぞ秋のもなかなりける)を知っていた公家たちが、宮中で行われた月見の宴において白くて丸い餅菓子が出されたのを見て、会話の中で「もなかの月」という言葉が出たことから、そのまま菓子の名前として定着したという由来がある。江戸時代に考案された最中の原型も、この会話に基づいて生み出されたといわれ、菓子の名前も話のままに「最中の月」と命名されたが、後に円形でないものが出回り始めた後は、単に「最中」と称されるようになった。

餅入り最中

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栗入り最中

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千葉名産「落花生最中」

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【どら焼き】

「どら焼き」は、通常、やや膨らんだ円盤状のカステラ生地2枚に、小豆餡を挟み込んだ和菓子のことを指す、蜂蜜を入れて焼き上げることでしっとりとしたカステラ生地にすることができる。

「とら焼き」の名は一般に、形が打楽器の銅鑼(どら)に似ていることからつけたという説が有力であるが、しかし、異説として次のようなものがある。

武蔵坊弁慶が手傷を負った際、民家にて治療を受けた。そのお礼に小麦粉を水で溶いて薄く延ばしたものを熱した銅鑼に引き、丸く焼いた生地で餡を包み、振る舞ったことが起源という。

このように異説俗説があり、現在どれが正解かは一概に言えない状況にある。ただ、いずれの説にしても、銅鑼に関係している物が多い。

江戸時代の「どら焼き」は皮を1枚だけ用い、端の部分を折りたたんだため四角く、片面の中央は餡がむき出しであったという。現在の「きんつば」によく似たものと考えられる。現在の2枚のカステラ風の生地で挟む方式は、1914年(大正3年)創業の上野の和菓子屋「うさぎや」にて考案され、全国に広まった。

一般的な「どら焼き」

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栗入り「どら焼き」

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9/08 完熟マンゴー

2012年09月08日 | 日記

今日、宮崎産の「完熟マンゴー」を知人から戴きました。宮崎空港の売店からク-ル便での到着ですので、本物の宮崎産だと思います。

「マンゴー」はウルシ科マンゴー属の果樹、またはその果物。原産地はインドからインドシナ半島周辺と推定されている。インドでは4000年以上前から栽培が始まっており、仏教の経典にもその名が見られる。現在では500以上の品種が栽培されている。日本では沖縄県、宮崎県、鹿児島県、和歌山県、熊本県で主に栽培されている。果実は系統によって長さ3-25センチ、幅1.5-15センチと大きさに開きがあり、その形は広卵形とも◯卵形とも評される。果皮は緑色から黄色、桃紅色などに変異に富むが、果肉は黄色から橙紅色で多汁。

マンゴーはウルシオールに似たマンゴ-ルという接触性皮膚炎の原因となる物質が含まれており、高率にかぶれを引き起こすため注意が必要。痒みを伴う湿疹などのかぶれの症状は食べてから数日経って発症・悪化する場合があり、ヘルペスなどと誤診されることもある。

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さすがに「完熟マンゴー」旨かったです。

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9/07 「ゆべし」と「ずんだ餅」

2012年09月07日 | スイ-ツ・お菓子

【ゆべし】

「ゆべし(柚餅子)とは、柚子を用いた加工食品あるいは和菓子の一種。

源平の時代に生まれたとも伝えられ、菓子というよりも保存食・携帯食に近いものであったとされ、時代とともに現在のような菓子へ変化したといわれている。現在では珍味に分類されるものと、和菓子の一種に分類されるもの、その他のものに分けられる。全国各地で様々な形状・味のゆべしが存在しており、製造法も異なり、千差万別である。中には各地のゆべしを食べ歩く事を趣味とする通もいる。

各種「ゆべし」

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【ずんだもち】

「ずんだもち」とは、茹でた枝豆をすり潰し、砂糖と塩で味付けした美味しい餡をからめた餅。

「ずんだ」の語源は、豆を潰す意味の「豆打(ずだ)」が訛ったもの。

仙台藩主伊達政宗の陣中で、太刀で枝豆をすり潰したことが起源とも言われ、その由来から「陣太刀」が変化し「ずんだ」になったとする説もある。また、地域によっては「じんだ」「じんだん」とも言うため、「甚太」という人が作ったとする説もあるが、陣太刀説も甚太説も有力とはされていない。

本来は、宮城や山形を中心とした東北地方のお盆料理であるが、お店では仙台名物として一年中販売されている。

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9/06 「カカオ・ココア」と「チョコレ-ト」

2012年09月06日 | スイ-ツ・お菓子

【カカオ・ココア】

「ココア」とは、カカオの種子を主原料とした飲料。ココア飲料はカカオ豆を発酵・焙煎させた後、種皮と胚芽を取り除いてすり潰したカカオマスや、それを脱脂して得られるココアパウダーに湯、砂糖、牛乳などを加えて作るのが一般的である。

カカオの実は、厚さおよそ3ミリの荒い革のような種皮を持つ。南米で「baba de cacao」と呼ばれる甘い粘質でパルプ質の実の中に、30から50個の大きなア-モンドに似た柔らかくピンクまたは紫色の種子(豆)が包まれている。

カカオはアメリカ大陸に自生してる。カカオは今日の南米のアマゾン流域、アンデス山脈山麓東部およびオリノコ川流域が起源といわれる。とかとながらスペイン人到来のはるか以前にもその後同様にこれらの地域で栽培されていたため、過去においてどけだけ広域であったかについては不明瞭である。カカオは古代マヤ族によって中米に伝わりオメルカ、トルテカ帝国、アステカによりメキシコで栽培され、スペイン制服前にはメソアメリカとカリブで共通通貨として用いられていた。

カカオの木

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カカオの実の中のカカオ豆

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焙煎前のカカオ豆

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ココア製品

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【チョコレ-ト】

「チョコレ-ト」は、カカオマスを主原料とし、これに砂糖、ココアバター、粉乳などを混ぜて練り固めたものである。ただし、近年の工業生産チョコレ-トでは、主原料以外に、原料コスト削減や加工性を上げる目的で植物性の油脂などを加えたり、加工コスト削減の目的で乳化剤を加えたり、風味の向上の目的で香料や甘味料などを加えるなど、様々な添加物が配合されることも多い。

イギリス人が固形のチョコレ-トを考案するまでは、チョコレ-トといえば飲物を意味していた。現に、例えば米国では今でも「ホット・チョコレ-ト」と言えば日本で言うところの「ホット・ココア」飲料を意味する。

「chocolate」の語源については、辞典などでナワトル語の「チョコラトル」が由来とされているが、アステカがスペインに征服される前にはチョコラトルという用例が無く、はっきりしたことは解っていない。一説によれば、スペイン人がマヤ語の「チョコル(熱い)」とアステカ語「アトル(水)」から作った新語だという。

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9/05 「みつまめ」と「あんみつ」

2012年09月05日 | スイ-ツ・お菓子

【みつまめ】

「みつまめ」は、元は夏の食べ物で俳諧でも夏の季語になっているが、現在では四季を問わず食べられている。

「みつまめ」の原型は江戸時代末期に売られていた粉細工の船に赤エンドウマメを入れて蜜をかけた子供向けの菓子であった。

現在の基本形態のみつまめは、茹でた赤エンドウマメ、さいの目に切った寒天、求肥、白玉だんご、ミカンや桃などのフル-ツなどを器に盛って黒蜜や糖蜜をかけたものだが、これらの形態は1903年に浅草の「舟和」が売り出したものが最初と言われる。

「舟和」のみつまめ

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【あんみつ】

「あんみつ」は、みつまめに餡を盛った和菓子。

発祥は1930年、「銀座 若松」とされる。若松では現在も「元祖あんみつ」として提供している。「みつまめ」と共に夏の季語として使われている。

京都、鎌倉、浅草、上野などの「あんみつ」が有名である。また、大相撲観戦のお土産である「相撲あんみつ」が知られている。

「銀座 若松」のあんみつ

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クリ-ムあんみつ

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フル-ツあんみつ

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