道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

6/30 海鮮・やまかん

2012年06月30日 | 食・レシピ

今日は白糠町に行ってきました。目的は山内水産が工場の2階で営業している「海鮮・やまかん」です。私が白糠町に居住していた時に小規模で始めましたが、今では、東京から日帰りで来店するリピ-タ-もいるほどの人気店です。訪問をお勧めします。

巨大花咲ガニ

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北海シマエビと灯台ツブ

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刺身盛り合わせ、これで3人前とウニです。

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絶品「キンキ鍋」

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「時サケ」と「ホタテ貝柱」

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これらの他に、「イクラ丼」と「デザ-ト」が提供されました。

「やまかん」のシステムは、予約のみです。メニュ-もありません。予約の時に予算を打ち合わせし、当日の仕入れ状況で提供する料理が決まります。来客は料理が出てくるまで、何が出てくるか分かりません。

予約は非常に混み合っているので、余裕を持って早めの予約が賢明です。客室は大きな板張り床を区切って利用しています。大小の椅子が用意されているので、足の調子が悪く、床に座れない人も安心です。

店内には、「陶芸作品」と「書」が多数掲示されています。

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6/29 十勝うどん本舗・山賊

2012年06月29日 | 食・レシピ

先日、前に行ったことのある「十勝うどん本舗・山賊」に再度いって来ました。

「うどん」自体は、十勝の地粉「はくしん」を手打ちし、コシの強い「もちもち感」のあるものでした。

汁も、昆布、カツオ節から採った出汁を醤油や味噌を使って仕上げています。

前回訪問時は「石狩鍋うどん」でしたが、今回は「名古屋味噌煮込みうどん」を注文しましたが、少しガッカリしたものでした。

味噌が多過ぎたのか非常に辛かったので、半分しか食べれませんでした。調理する人が変わったのかな?

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6/27 「大福餅」と「まんじゅう」

2012年06月26日 | スイ-ツ・お菓子

【大福餅】

「大福餅」とは、薄く伸ばした餅に小豆餡などを包んだ和菓子。

大福は、丸くふっくらした形がウズラに似ていることから、古くは「鶉餅」と呼ばれており、ウズラの腹がふくれていると、また大きくて腹持ちが良いところから「腹太餅(はらぶともち)」と呼ばれるようになった。

「鶉餅」や「腹太餅」と呼ばれていた当時の大福は大きく、餡は小豆に塩を入れただけであったといわれる。

餡に砂糖を加え、小さくした腹太餅が作られたのは、昭和8年(1771年)、江戸小石川箪笥町の「おたよ」という後家の考案によるもので、おたよはこの腹太餅「大腹餅(だいふくもち)」という名で売った。

後に、「大腹餅」の「腹」の字は佳字の「福」に書き換えられ、「大福餅」となった。寛政の頃には夜に大福を売り歩くことが流行し、寒い冬には火鉢で焼いた「焼大福」が人気だったといわれる。現在では、豆やイチゴを入れたものや、餡の代わりに生クリームやカスタ-ド、プリンが入ったものなど、様々な種類の大福が作られている。

大福亭の大福餅

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【まんじゅう】

「まんじゅう」とは、小麦粉・そば粉などを練った生地で餡を包み、蒸すか焼くかをした菓子。

漢字の「饅頭」は、漢語の「饅頭(まんとう)」の借用語で、「頭」を「じゅう」と唐音読みして「まんじゅう」となった。

起源は中国にあり、諸葛孔明が南征した際、川の神に人身御供として人の頭を捧げれば鎮まるという風習を改めるため、羊や豚の肉を小麦粉で作った皮でくるんだものを人頭に見立て、神に捧げたことに由来するといわれる。

当初は、蛮人の頭の意味から「蛮頭(まんとう)」が用いられていたが、祭壇に供えた後、それを食べるようになったことから、「饅」の字が当てられ「饅頭」となった。中国では主食とされ、中に肉や野菜を入れるのが普通で、餡を入れるのは点心のときだけである。

日本での「まんじゅう」は、1349年に宋から渡来した林浄因が奈良で作った、「奈良饅頭」が始まりといわれる。仏教では肉食が禁じられ、餡を用いたことから、日本では餡が入ったものを指すようになったといわれるが、室町時代には「菜饅頭」もあり、主食として粉食が好まれなかったため、菓子として食べる甘いまんじゅうが残ったともいわれる。

「高橋まんじゅう」のまんじゅう

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北海道独特の「中華まんじゅう」

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6/26 「馬鹿」と「あほ」

2012年06月26日 | 豆知識

【馬鹿】

馬鹿とは、愚かなこと(人)。知能の働きが鈍いこと(人)。

馬鹿は、サンスクリット語で「無知」や「迷妄」を意味する「baka」「moha」の音写「漠迦(ばくか)」「募何(ぼか)」が転じたとされる。

日本では、鎌倉時代末期頃から「ばか」の用例があり、室町中期の「文明本説用集」には、馬鹿の異表記として「母娘」「馬娘」「破家」をあげ、「とんでもない」の意味で「狼籍之義也」と説明している。

以上のことから、「ばか」を「馬鹿」と書くのは当て字と考えられる。

馬鹿の語源の俗説には、「史記」の故事「鹿をさして馬となす」からというものがある。これは、秦の趙高が二世皇帝に、鹿を「馬である」と言って献じた。群臣は趙高の権勢を恐れて「馬です」と答えたが、「鹿」と答えた者は暗殺された。このことにより、自分の権勢をよいことに矛盾したことを押し通す意味として「馬鹿」と言う7ようになったというものである。

しかし、「鹿」を「か」と読むのは大和言葉で、漢文では「ばろく」と読むため、この故事が「ばか」の語源とは考え難く、「ばか」に「馬鹿」の字が当てられた由来として考慮するにとどまる。

ただし、よく使われる「馬鹿みたい」は、馬鹿ではないので注意すること。

【あほ】

「あほ」とは、愚かなさまや行動、愚かな人。馬鹿と同じ意味で、人を罵る意味であるが、関西地方では、馬鹿よりも軽い意味や親しみを込めて使われる。

「あほ」の語源は、秦の始皇帝が異常に大きな宮殿「阿房宮」を建てたことからとする説が多い。

この説にも二通りの話があり、「阿房宮」が頃羽に焼かれたが、あきれたほど馬鹿でかく、全焼するまでに3ヵ月もかかったことから、馬鹿げたことを「阿房」というようになり「あほ」と呼ぶようになったとする説と、大きな宮殿を建てたか財政が困難になり、国が滅びてしまったことからとする説がある。

しかし、「阿房」の表記はこの語源説によって当てられたとする見方が強く、当て字とされている。

「あほ」の有力な説として、中国江南地方で「おばかさん」を意味する方言「阿保(ア-タイ)」を禅僧が伝え、日本語読みで「あはう」となり「あほう」になったという説がある。ただし、この説も文献上に出てくるものではなく、この方言によって「阿保」の漢字か当てられたとも考えられ、あほの正確な語源は未詳。


6/25 「のろま」と「のんき」

2012年06月25日 | 豆知識

【のろま】

「のろま」とは、動作が鈍いこと。また、そのような人。

「のろま」は江戸の人形遣い野呂松勘兵衛が演じた「間狂言」の「野呂間人形」に由来する。

「野呂間人形」は平らで青黒い顔をし愚鈍な仕事をする滑稽な人形なので、「のろま」になったとするものである。「野呂松」や「野呂間」とも書くことから、「野呂間人形」の説は有力と考えられる。また、「のろ」は速度や動きが遅いことを意味する形容詞「鈍し」、「ま」は状態を表す接尾語「「間」とする説もある。

「のろのろする」など動作が遅いことには「のろ」が用いられるため、この説も有力とされており、正確な語源は不詳である。

【のんき】

「のんき」とは、性格がのんびりしているさま。無頓着なさま。

漢字で「暢気」「呑気」と書くのは当て字。正しくは「暖」を「のん」と唐音読みした「暖気」である。

中国では「暖気(だんき)」と読み、暖かい気候を意味していたが、中世頃の日本では「気晴らし」や「遊山」の意味として「暖気(のんき)」が使われていた。

近世末期頃より意味が転じ、人の気性などを表す言葉として用いられるようになった。


6/23 「風呂」と「風呂敷」

2012年06月23日 | 豆知識

【風呂】

「風呂」とは、入浴のための浴槽や設備。湯に入って体を温めたり、体を洗う場所。

「風呂」の語源は、物を保存するために地下に作った部屋の「室(むろ)」からすとする説と、茶の湯で湯を沸かすための「風炉(ふろ)」からとする説、「湯室(ゆむろ)」から転じたとするなど諸説ある。

風呂は平安時代末期から存在したが、蒸気を用いた蒸し風呂形式のものをいった。湯にはって浴槽につかる形式の風呂は風呂は江戸初期から現れるが、「湯屋」「お湯殿」といって「風呂」と区別されていた。

正確な語源は未詳であるが、用いられた形式を考慮すると「湯室」の説は考え難く、お茶の「風炉」も「湯」を主に考えると難しいため、「室」の説がやや有力と考えられる。

室町時代の風呂を再現したもの

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【風呂敷】

「風呂敷」とは、物を包んで持ち運ぶために用いられる四角い布。

由来は、風呂に敷くことからの名。

室町時代の風呂は蒸し風呂のようなもので、蒸気を拡散させるために「むしろ」「すのこ」「布」などを床に敷かれていたものが起源であるが、現在の風呂敷にあたるものは「平包(ひらづつみ)」と呼ばれていた。

足利義満が大湯殿を建てた際、大名達が他の人の衣服と間違えないよう家紋入りの絹布に脱いだ衣服を包み、湯上がりにはこの絹布の上で身繕いをしたという記録があり、これが「風呂敷」と「平包」の間に位置するものと考えられる。

江戸時代に入り、湯をはった銭湯が誕生し、衣類や入浴用具を四角い布に包むようになったのが、現在の風呂敷に最も近いもので、風呂に敷く布のようなもので包むことから「風呂敷包み」や「風呂敷」と呼ばれるようになった。

家紋入り「風呂敷」

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6/22 「なおざり」と「おざなり」

2012年06月22日 | 豆知識

【なおざり】

「なおざり」とは、いい加減にしておくさま。真剣でないこと。深く心にとめず、あっさりしているさま。

「なお」は以前の状態が引き続いているさまを表す副詞「なお(猶)」、「ざり」は助動詞「そ」に動詞が付いた「あり」の「ぞあり」どあると思われる。

「ざり」は「さり(避・去)」で、手を打たずに避けて放っておく意味との見方もあるが、動詞「なお」にその意味が含まれているため「ぞあり」と考える方が妥当である。

「なおざり」は「たいして気にとめない」が原義で、転じて「本気でない」「おろそかにする」といった意味になった。

【おざなり】

「おざなり」とは、いい加減に物事を済ませること。その場限りの間に合わせ。

「お(御)」接頭語、「ざ(座)」は座敷」、「なり(形)」は形状を表す語である

江戸時代には「ざなり(座成)」や「ざしきなり(座敷成)」と用いられていた。「ざなり」や「ざしきなり」は、座敷(宴会の席)でその場だけの取り繕った言動をするさまを表した。

「おざなり」は「ざなり」に敬語の「お」が付いたものだが、敬語の「お」を用いることで皮肉を表現した反転用法で、敬意を表すものではない。


6/21 だいじゅ園

2012年06月21日 | 食・レシピ

今日の昼食は、外出していた妻の帰宅が少し遅くなったで、外食となりました。行った先は家の近くにある「焼き肉のだいじゅ園」です。

妻は「冷麺と石焼きビビンバのセット」、私は「冷麺」と「切り落としサガリ」でした。冷麺は少し醋が効いていてサッパリし、シコシコとして旨かったです。焼き肉のサガリは味付けが丁度よく軟らかくこれも及第点です。

是非一度ご賞味ください

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6/20 柳葉魚とカペリン

2012年06月20日 | インポート

【柳葉魚】

シシャモとは、キュウリウオ目キュウリウオ科の海水魚。全長約15センチ。体は細長くワカサギに似ている。北海道南東部の太平洋沿岸の一部に分布。産卵前の雌のシシャモは、子持ちシシャモとして珍重される。

シシャモは、アイヌ語が「ススハム・シュシュハム」が変化した語。「スス・シュシュ」は「川原の柳」で、「ham」は「葉」で、「柳の葉」を意味する。シシャモを漢字で「柳葉魚」と書くのも「シュシュハム」の意味から当てたものである。

柳葉魚は漁獲高が激減して貴重な魚となっているため、「シシャモ」として出回っているものの多くは「カラフトシシャモ(カペリン)で、色・姿・味が全く異なる。

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【カペリン(カラフトシシャモ)】

カラフトシシャモは、キュウリウオ目キュウリウオ科の海水魚。英名は「カペリン(capelin)」。子持ちシシャモとして出回っている大部分は、本種かキュウリウオのどちらかである。

極北海域の深度725メ-トル以浅に生息する。日本では北海道のオホ-ツク海沿岸にも回遊する。

日本国内では1970年以降、同じキュウリウオ科の日本固有種・シシャモの代用魚として、シシャモの名で流通してきたが、本来のシシャモとは大きく味が異なり、またキュウリウオ科の中の系統的位置もシシャモに近いとは言えない。

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【区別】

シシャモは魚体全体があめ色をしていたウロコが大きいのに対し、カラフトシシャモは銀色に光っていて脂肪が多く水っぽいという。また、抱卵している腹が、シシャモはスマ-トでがカラフトシシャモは大きく膨らんでいる。

ただ、両方を見比べても素人が瞬時に区別するのは困難で、産地の一部の人々が選別できる。

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左がカラフトシシャモ、右がシシャモ。区別できますか?


6/19 ラ-メンのみすゞ

2012年06月19日 | 食・レシピ

今日の昼食はめったに外食をしない祖父が「ラ-メンを食べたい」とのことで、「ラ-メンのみすゞ」へ直行です。

麺類は各人の好みが様々なので、私が旨いと思っても他人がそう感じるとは限りませんが、「みすゞ」のラ-メンは、我が家全員が二重丸です。なにしろ、ス-プがコクがあり他の店とはひと違います。

チャ-シュ-メン(味噌味)です

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こだわりみすゞ(醤油味)です

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こだわりみすゞ(味噌味)です

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店舗入り口です

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帯広の「広小路商店街」にあります。一度他店の味と比べて見ては!!!


6/18 スタミナ会

2012年06月18日 | 日記

通所している「ジョイリハ」のレクリエーション「スタミナ会」が開催され参加しました。施設利用者を3班に分けて、17日、24日、7月1日に各日40名で計画されました。参加者は利用者だけでなく、家族同伴も認められ、行楽行事の少ない、障害者、年配者が大変楽しみにしていた行事です。

17日は朝からの大雨でしたが、開催場所の「大正交通公園」には屋根付きのバ-ベキュ-施設があり、濡れることなく開催出来ました。

内容は、豚ジンギスカン、ラムジンギスカン、焼き野菜、ノンアルコ-ルビ-ルなどの飲物が用意されていました。参加者からの差し入れに、ホッケ、焼きイカ、アスパラガス等があり、有り余るほどの食材が用意されていました。

余興では「ビンゴゲ-ム」があり参加者が大いに盛り上がりました。最初のビンゴ達成者には「施設女性管理者との1日デ-ト券」との話がありましたが、終了時点にはキャンセルとなっていました。(^^;)(^^;)

それにしても、スタッフ9名で1回40人が参加者する行事を計画立案、実行、後片付けをしていただいたことに感謝感謝の1日じてした。

ビンゴゲ-ム(仮装の2人はスタッフです)

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参加者(家族での参加)

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奮闘のスタッフ

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6/16 麹→塩麹

2012年06月16日 | 食・レシピ

【麹】

麹とは、米、麦、大豆などを蒸し、室にねかせて麹かびを繁殖させたもの。酒、味醂、醤油、味醂など醸造のほか、甘酒、漬物、菓子などの製造にも用いられる。

平安時代の漢和辞書に「麹 カムタチ カムダチ」とある。このことから、「カビダチ(黴立)」→「カムダチ」→「カウダチ」→「カウジ」と音変化したものといわれ、有力な説とされているが、中世の古辞書では「カウジ」しか見られず、「ヂ」の仮名遣いが異なる点に疑問の声もある。その他、「かもす(醸す)の連用形「かもし」が変化したとする説もあるが未詳。「麹」は「糀」とも表記されるが、「糀」は和製漢字である。

【塩麹】

麹を容器に入れ、手で揉むようにしてバラバラにする

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バラバラにした麹に水を加える。ここで塩を入れる

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手で軽く握って成形出来るまで揉み込む、その後にヒタヒタになるわように水を加える。それを1日1回混ぜ、7日から10日発酵させます

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出来上がり

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調理例。豚肉に薄く塗って、ソテ-しました

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6/15 野生動物

2012年06月15日 | 豆知識

最近、野生動物が住民の生活圏に現れ、混乱を引き起こしているニュ-スが時々ある。

ヒグマが餌を求めて人里近くに。イノシシが住宅地に現れ徘徊する。シカが集団であるいは単独で住宅地に侵入。丹頂鶴の生活圏が人里に接近して個体数の減少原因に。カモの親子が生息河川に行くために市街地を横断する。

何故なのか。ヒグマが餌を求める行動には、山で餌となるものが不作ということ、人間が住宅地の開発ということでヒグマのテリトリ-に侵入しているからではないか?。

エゾシカの個体数が急増して、樹木等の食害が深刻な問題になっている。これも、牧草地の拡大、森林伐採により、エゾシカが狭い場所に封じ込められ、これによりエゾシカ同士の生息圏が接近しすぎて、繁殖が盛になった結果ではないだろうか?。イノシシの場合も同様である。

丹頂鶴の主な生息地である釧路湿原も周辺の宅地開発が進み、さらに、湿原の中を流れる阿寒川の洪水対策として蛇行していたものを直線化工事を実施した。その結果、湿原の保水力が削がれ、丹頂鶴の生活の場としては適さなくなったのである。

カモの街中移動についても、自然環境に恵まれた場所での産卵が出来ず、街中の水辺での産卵となっているのでは。

以上はいずれ、人間のエゴが引き起こしたものである。野生動物の成育環境を破壊したのは人間である。生きる為には、元の生育場所に現れるのは当然である。野生動物が一方的に悪いのではない。人間の方が原点回帰する必要があるのではないだろうか。

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6/14 オスプレイ

2012年06月14日 | 豆知識

米軍が普天間飛行場に配備予定の「垂直離着陸輸送機MV22オスプレイ」が、4月のモロッコでの墜落事故に続いて、14日フロリダ州で訓練飛行中に墜落した。墜落原因は米空軍が調査中としている。4月の墜落については、機体の欠陥でなく操縦に問題があったと発表されている。

キャンプ富士と岩国基地での普天間飛行場配備前の訓練を計画しているが、普天間飛行場に配備前に日本国内6ル-トでの飛行訓練を予定している。

オスプレイは開発段階で事故が多発し、同機の安全性が問題視されている時に、今回の事故である。

人口が密集している普天間飛行場への配備に地元は不安を訴えている。何故この様に危険な飛行物体を普天間に配備しなければならないのか。米側が言う、安全性は一連の墜落事故で疑問符が付いた。貨物輸送の効率化は一応納得するが、それも、北朝鮮情勢や中国の軍事力増強に対抗するためではないのだろうか。海軍の機動部隊で賄えるはずである。国防長官も海軍力を極東に集中させると言っているのだから。

ただ、14日の記者会見で藤村官房長官が詳細な原因が分からない限り配備の前提となる地元説明などの手続きができないとの認識を示した。沖縄の仲井真知事は、普天間配備は困難との認識を表明した。一時駐機を要請されている岩国市の福田市長も当面搬入を容認しない考えを発表している。

【オスプレイの墜落事故】

1991年06月 米デラウエア州(試験機) 死者なし                   

1992年07月 バージニア州(試験機) 7人死亡                   

2000年04月 アリゾナ州(訓練中) 19人死亡                                              

2000年12月  ノ-スカロナイナ州(訓練中)  4人死亡                  

2010年04月 アフガニスタン(作戦中)  4人死亡                    

2012年04月 モロッコ(訓練中)  2人死亡                       2

012年06月 フロリダ州(訓練中)  5人負傷 

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6/13 横綱・立行司

2012年06月13日 | スポーツ

【横綱】

横綱とは、相撲で力士の最高位・横綱力士の略称。

横綱は白麻で編んだ太いしめ縄のことで、その横綱を吉田司家から締めることを許された大関力士をいった。

つまり、横綱は綱そのもの、または大関の中で品格・力量・技の最も優れた者をさしたものだ。本来は力士の階級ではなかった。

番付に初めて「横綱」と明記されたのは明治23年西ノ海。横綱が最高位として明文化されたのは明治42年で、現在は相撲協会が免許する地位となっている。

横綱の起源は古く、正確な由来は未詳だが、一説には摂津吉住大社の相撲会に出た「ハジカミ」という近江国(滋賀県)の力士があまりにも強かったため、ハジカミの腰にしめ縄を巻き、それに触れば相手の勝ちとしたのが始まりといわれる。結局、ハジカミのしめ縄に誰一人として触れなかったという。

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【立行司】

立行司は、大相撲の行司における最高位の階級。かっては力士の横綱と同様に吉田司家の立行司免許を必要としたため行司の横綱に相当する。

立行司は木村庄之助と式守伊之助の二人からなる。1960年の定年制実施以前は、行司も年寄りになることが出来た。立行司は親方とも呼ばれる。身分は軍配の房の色と装束の菊とじの色で見分けられる。

立行司は、土俵祭の祭主を努めるほか、年寄り・横綱・大関同様評議員となり、役員選挙の選挙権をもち、評議員会に出席できる。かっては行司は全員が帯刀していたが廃刀令により帯刀しなくなった。後に差し違いをすれば切腹する覚悟とうい意味で立行司のみ帯刀が復活し、実際に差し違いをすると進退伺いを出すのが慣例。

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