道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

06/15 「白エビかき揚げ丼」と「鮪中とろカツ丼」

2013年06月15日 | 食・レシピ

【白エビかき揚げ丼】
「白エビかき揚げ丼」は、富山湾の至宝・白エビを使用した料理。透明で薄紅色の白エビは、日本海側だけでなく太平洋側にも生息するが、市場に出荷できるほどの漁獲量があるのは富山湾のみ。それだけに珍重され、「富山湾の宝石」とも呼ばれている。
他のエビと違って火を通しても赤くならず、味も独特の甘味があって生食て゛も天麩羅やかき揚げにしても美味しい。
「白エビかき揚げ丼」は、白エビと香味野菜のかき揚げに白エビ出汁の甘辛い汁を絡めてご飯に載せた丼で、富山県射水市の「道の駅カモンパ-ク新湊」のレストランでは、人気ナンバ-ワンのメニュ-。
NHK-BS放送が実施したB級グルメ選手権でも堂々1位の実力で、美味しさは折り紙付き。地元以外ではめったに食べれない丼である。

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【鮪中とろカツ丼】
「鮪中とろカツ丼」は、あえて鮪をカツにした料理。和歌山県南部の紀伊・勝浦港は、鮪の延縄漁で全国有数の水揚げを誇る。
美味しい鮪なら生のまま食べたい!との声も多い中、あえてトロをカツ丼にしたのは、鮪の美味しさを知り尽くした紀伊・勝浦だからこそ。
サクサクの衣に覆われた中トロは半ばまで火が通り、牛のヒレ肉を思わせる柔らかさ。
しかも、トロ特有の旨味を失わないジュ-シ-な食感はやみつきになる。鮪好きにはたまらない逸品で
ある。

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06/14 「カニの能登丼」と「ばくだん丼」

2013年06月14日 | 食・レシピ

【カニの能登丼】
「カニの能登丼」は、石川県能登半島の名物料理。
魚介類の宝庫とも言われる能登半島。半島北部の奥能登地区2市2町が地元産の食材にこだわって提供するのが「能登丼」で、コウバガニをたっぷりと使った特製丼。
「香箱ガニ」とは、北陸地方で穫れる雌
のズワイガニ。
雄のズワイガニと比べ小振りな外見の中には、茶色の外子と呼ばれるツブツブの卵。そして味噌の部分であるオレンジ色の内子を持つ。
小さな分だけ味わいは濃厚で旨味もたっぷり。地元での高い。雌の方が資源保護のため禁漁期間が長いため、11月頭から、年末頃までの短い期間が旬。
海の香りを秘めた「香箱」から名付けれたとらされるほど、旨味が凝縮されている。甲羅の上にあふれんばかりに載せられたカニの身は、食欲をそそるのに十分である。

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【ばくだん丼】
「ばくだん丼」とは、生マグロ、納豆、生卵、オクラなどを丼に盛った飯の上に載せた料理。
通常は、マグロ、納豆、卵、オクラなどを盛り、醤油とワサビで食べる。地方によって飯の上に盛る具材は異なり、日本各地に各地の特産品を取り入れた同名の郷土料理が存在する。
以前は一般にはそれほど広く知られた料理とは言えなかったが、近年は大戸屋などのメニュ-にも取り入れられ、海鮮丼専門店や居酒屋で取り扱うことも増加してきた。

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『八戸ばくだん』
「八戸ばくだん」は、八戸で穫れるイカを主な食材とした一種の海鮮丼。
八戸沖にはスルメイカのよい漁場があり、夏から秋にかけてのシ-ズンには全国からイカ釣り漁船が集まる。八戸港はイカの水揚げ高では全国一を誇り、イカの値段は八戸で決まるとさえ言われている。
「八戸ばくだん」は、サイの目状に刻んだ生イカを醤油ベ-スのタレに漬け込み。それを刻み海苔やネギと合わせてご飯に載せ、最後に卵黄を落とした丼。
青森名産のニンニクが隠し味で、ご飯と卵黄の絡みにイカが加わったハ-モニ-が絶品である。

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06/12 「佐渡天然ブリカツ丼」と「鯛茶漬け」

2013年06月12日 | 食・レシピ

【佐渡天然ブリカツ丼】
「佐渡天然ブリカツ丼」は、2011年に誕生した佐渡の新・ご当地グルメ。
地場産米粉を使った衣で揚げた「天然ブリのカツ」を特製あごだし醤油ダレに潜らせて、ホカホカの佐渡米の上に載せたシンブルなカツ丼。
「佐渡ご当地グルメ普及促進協議会」がレシピを考案し、佐渡島内8店舗で食べることができる。
衣のサクサク感とブリのジュ-シ-な味わいが醤油をベ-スにした特製ダレと絶妙ににマッチしてご飯がどんどん進んでしまう、という。
協議会により定められている定義。
1・正式名称は「佐渡天然ぶりカツ丼」とする。2・佐渡産の天然ブリを使用する。3・天然ブリのカツは1切れ約20グラムとして5切れとする。4・タレは協議会指定レシピの「特製あごだし醤油ダレ」を使用する。5・佐渡市認証米の米粉を衣に使う。6・ご飯に使用する米は佐渡市認証米「朱鷺と暮らす郷」とする。以下10までの項目が詳細に決められている。

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【鯛茶漬け】
「鯛茶漬け」は、新潟県柏崎市のご当地グルメ。日本海に面した漁港・柏崎に揚がった新鮮な鯛をご飯に載せ、だし汁をかけて食べる鯛茶漬け。
日本海の鯛は秋から冬にかけて身が締まり、旨味が増す。熱いだし汁を掛けると、鯛の表面は火が通った状態になるが、中は生のまま。シャキシャキのもずくと一緒になった食感は絶妙で、一気にかき込むのが惜しくなるほど。
柏崎市内の提供店が嗜好を凝らした「鯛茶漬け」を用意し、個性豊かな味を醸し出している。

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06/11 「どて丼」と「巴丼」

2013年06月11日 | 食・レシピ

【どて丼】
「どて丼」は、名古屋名物の「土手煮」を丼にしたもの。「どて」とはモツや牛スジを赤味噌で煮込んだ料理。
じっくり時間をかけて煮込んだ牛スジの「どて」は、味噌の旨味がしっかりしみ込んでやわやわ、ほろほろと口の中でとけ崩れ、と同時にまったりとした甘辛さが広がる。
正統派の「どて煮」に欠かせないのがゴボウとコンニャクそして刻みネギ。ゴボウのほのかに土っぽい香り、そしてぷるっとしたコンニャクが柔らかさを一層引き立てる。
そして、味わいをよりまろやかにするのが上から落とす半熟玉子。
牛スジは約7時間かけて煮込む。一番のポイントは味噌を加えるタイミング。味噌は煮込み過ぎるとエグみが出てしまうので最後の1時間ぐらいのところで入れる。牛スジのエキスが出た汁の量と、味噌の旨味を吸い込みやすい肉の柔らかさ、この2つの要素がぴったりと合ったタイミングで入れなければならない。

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【巴丼】
「巴丼」は、函館朝市の「きくよ食堂」が客のリクエストで作った海鮮丼の一種。
ホタテ、ウニ、イクラを丼の白飯の上に盛り付けている。
ホタテだけは醤油をつけ、ウニ、イクラはそのまま食べる。
ホタテの蛋白な甘味、ウニの濃厚な舌触り、イクラのプチプチとした醤油味の食感。具が3種類とシンプルであるが、楽しめる函館朝市の味である。

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06/10 「こぼとん丼」と「キジ丸丼」

2013年06月10日 | 食・レシピ

【こぼとん丼】
「こぼとん丼」は、黒豚とゴボウを合わせたご当地メニュ-。
長野県の南部、南アルブスに囲まれた松川町はリンゴ、ナシなど果物の産地として有名だが、その果物を食べて育った黒豚も味の良さでは定評がある。
松川町が新名物として売り出している「こぼとん丼」は、黒豚と地元産のゴボウを合わせたご当地メニュー。町内の店舗によっては作り方は色々あるが、黒豚とゴボウを使うという基本は揺るがない。
豚肉にたっぷり含まれるコラ-ゲンとゴボウの繊維質が独特の食感を生み出し、美容や健康にも効果があるので女性にもお勧めである。

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【キジ丸丼】
「キジ丸丼」は、高知県檮原町のご当地メニュー。棚田の風景が残るのどかな山間の町。特産の高麗キジは、無農薬の野菜と清流・四万十川の水で育てられた高級食材だが、それを手軽に味わってもらうことを目的に作られたのが「キジ丸丼」だ。
キジ肉はあっさりしながらもコクのある味わい。
鶏肉と比べ高タンパクでカロリーは半分程度というヘルシーな特徴がある。
「キジ丸丼」は、甘味のあるタレや野菜と合わせることで、キジ肉の美味しさを一層引き立てている。

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06/09 「新潟カツ丼」と「駒ヶ根ソ-スカツ丼」

2013年06月09日 | 食・レシピ

【新潟カツ丼】
「新潟カツ丼」は、玉子でとじないカツ丼。信濃川河口の港町として栄えた新潟は、幕末の1858年の日米修好通商条約締結によって開港されると、西洋料理が盛になった。
その伝統を受け継ぐ「新潟カツ丼」は、玉子でとじないのが特徴の「タレカツ丼」。カツは薄めに仕上げ、それを甘辛の醤油ダレに絡ませて熱々のご飯に載せたシンプルな丼飯だが、それだけに食材の良さをストレ-トに感じることができる。
日本人が好きなタレ味と西洋料理の豚カツが、炊きたての新潟米の上で一つになった新潟発祥のカツ丼である。
『3つの特徴』
1/カツが起原だから、カツが薄い。
「明治の三軒」と言われた洋食店の一つが今も新潟市に存在する。豚肉など薄いスライス肉にパン粉をつけてソテ-したカツレツは、同時の代表的な西洋料理でした。タレカツ丼のカツが薄いのは、このカツレツを起原としているため。
2/サクッ、それでいてジュ-シ-な食感
タレカツ丼で使用する肉は、新潟産の豚モモや豚ヒレ。これを丁寧に薄く叩き、細かなパン粉を塗してラ-ドで揚げて甘辛醤油ダレにサッと潜らせると、サクッとしながらジュ-シ-なタレカツ丼に仕上がる。
3/カツ以外余計なものは一切添えない潔さ
タレカツ丼は、新潟産米のホカホカご飯に甘辛醤油ダレで味付けされたカツが載るだけのシンプルなカツ丼。玉子はもちろん、キャベツや刻み海苔など余計なものが一切添えられない、カツと米で勝負のカツ丼。

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【駒ヶ根ソ-スカツ丼】
「駒ヶ根ソ-スカツ丼」は、「食による町おこし事業」による産物である。
駒ヶ根市で「ソ-スカツ丼」が産声をあげたのは、昭和の初期と言われている。当時、洋食を取り入れ始めた駒ヶ根市のある食堂の主人が、カツライスをもっと庶民的にと「丼」にアレンジしたのが始まりと伝えられている。
以来、駒ヶ根市では「カツ丼」と頼むと「ソ-スカツ丼」が出てくる土地柄となり、一般的な「卵とじカツ丼」は特別に頼まないと出てこない。
「駒ヶ根ソ-スカツ丼」は、熱々のご飯の上に千切りキャベツを載せ、その上に揚げたての豚カツを秘伝の特製のタレに潜らせ載せたもの。
シンプルな料理ながら、熱々のカツと冷たいキャベツの歯触り、それに絡む甘辛のソースが絶妙な「B級グルメの決定版」である。
『駒ヶ根ソースかつ丼の基準』
1・器は丼とする(材質は問わない) 2・ソ-スカツ丼の肉は豚肉ロ-スを基準とし120グラム以上とし150グラムが良い 3・カツは、パン粉を付けて揚げたものでなればならない。など9項目の基準を設定し、駒ヶ根市のソ-スカツ丼が統一した味、スタイルを維持するようにしている。

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06/08 「豚丼」と「牛トロ丼」

2013年06月08日 | 食・レシピ

【豚丼】
「豚丼」とは、豚肉を調理しとたものを丼飯の上に載せた丼物料理。主に帯広系と牛丼チェーン系がある。
『帯広系豚丼』
豚肉を砂糖醤油などで味付けした甘辛いタレで焼いたものを飯の上に載せた丼物である。主に道東で広く食されている。豚肉の部位としては主にロ-ス・ばら肉を使い、調理法も牛丼チェーンの豚丼とは似て非なる料理である。
この種の豚丼は、帯広市の大衆食堂「ぱんちょう」の創業者・阿部秀司によって1933年に開発されたとする。
十勝地方では、明治時代末に養豚が始まり、大正末期には豚肉料理が一般的になりつつあったが、料理法が限定され、特に豚カツなどは庶民が食べるものではなかった。阿部は庶民にも食べられる料理ということで、鰻丼をヒントにした醤油味の豚丼を開発した。
十勝地方の郷土料理として定着しているが、店によって白髪ネギ、グリ-ンピ-スなど、肉以外に載せる様々なスタイルがある。肉の焼き方も網焼きとフライパンで炒める場合がある。
『牛丼チェーン系豚丼』
2003年12月のアメリカBSE問題による牛肉の調達困難を受けて牛丼チエーン各社が相次いで牛丼の代わりに導入した。
豚肉の煮込みを使用した代替品の丼物を総称して豚丼と呼ぶ。豚肉の小間切れなどを豚肉用に調合されたタレで煮込んだものをご飯の上に載せた。
その後、オーストラリア産牛肉の輸入やアメリカ産牛肉の輸入再開により、牛丼の販売が再開されため、各社は販売を終了している。

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【牛トロ丼】
「牛トロ丼」は、温かいご飯の上に生の牛肉の挽肉を載せ、さらにネギや海苔などの薬味を載せ、醤油ベ-スのタレをかける。牛肉を生で食べることから、十分な鮮度が必要である。ご飯の熱と人の体温で牛肉の脂肪が口の中でとろける。
酪農の盛んな北海道の料理だが、大学生協を通じて全国の学生食堂でも紹介されている。
牛トロ丼は1995年頃から全道の大学で提供されてきた人気メニュー。牛トロフレ-クに特製のタレをかけ、ネギ、海苔などの薬味が添えられ、牛肉本来の旨味を楽しめる。
本州の焼肉店での食中毒事件を受けた新基準の施行で一時販売を中止したが、生ハムなどと同じ「非加熱食肉製品」として本来の味を保って復活した。
学生らに提供する大学生協への納入は厳しい基準があり、メーカーの「十勝スロウフード」が再開に1年半を要し、帯広畜産大学の食堂は2013年5月7日からの再開であった。1日に400人以上が利用する食堂の初日は80食を販売した。

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06/06 「牛丼」と「焼き牛丼」

2013年06月06日 | 食・レシピ

【牛丼】
「牛丼」とは、薄く切った牛肉(切り落とし、細切れなど)とタマネギなどを甘辛く煮込み、丼に盛った飯の上に載せた料理。「すき焼き丼」の名残としてシラタキを一緒に煮込むこともある。
牛丼は牛鍋を丼飯にかけた料理が原型で、当時は「牛めし」と呼ばれ、明治時代に誕生した。「牛丼」の名称は、吉野家を1899年に創業した松田栄吉が名付けたとされる。
牛丼は醤油ベ-スで調味されることが多いが、神戸らんぷ亭が2010年に発売した日本初の「塩牛丼」は味付けに塩ダレを使用している。また、神戸らんぷ亭では、「味噌牛丼」も期間限定で提供している。
牛丼の源流に該当するのは牛鍋であり、1862年、横浜入舟町の居酒屋「伊勢熊」が店の半分を仕切り、日本初の牛鍋屋を開業したとされる。
1877年には、東京で牛鍋屋は550軒を超え大流行となっていた。1887年頃になると、具材に牛肉や野菜の他にシラタキや豆腐が使われ始め、ネギは「ザク」と呼ばれ、この「ザク」という言葉は具材全体の総称にもなっており、これを沢山の割り下で煮た牛鍋が関東風すき焼きの原型となった。
1899年に創業した吉野家の牛丼も同類の内容であり、当時は「牛鍋ぶっかけ」と呼ばれていた。大正から昭和初期に牛スジの煮込みを使った屋台料理として浅草で人気を呼び、本格的な完成を見たとされる。
吉野家で具材は明治から大正時代は牛鍋と同様の時期が続いたが、客側の「特に牛肉とご飯を一緒に楽しみたい」という要望が高まり、それを追及・進化していった結果、現在に通じる「牛肉とご飯を一緒に楽しむ」ことに特化した内容へ変化していった。

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【焼き牛丼】
「焼き牛丼」とは、従来の牛丼は牛肉を煮込むという概念を打ち破り、牛肉を焼いて丼飯に盛り付ける料理である。「東京チカラめし」のこの牛丼は、帯広市発祥の「豚丼」の牛肉版といえる。
牛肉に特製ダレを付け焼くという工程を数回繰り返し、タレをかけた丼飯の上に載せるというシンプルなものであるが、従来の牛丼よりは厚く、焼肉の肉より薄い、牛肉もさることながら、タレの美味しさに驚かされる。
甘過ぎず、しょっぱ過ぎず、そして牛肉が焼けた時の食欲を増幅させる香ばしい匂いがたまらないのである。
甘さ微妙、塩加減微妙、香ばしさ微妙、牛肉の旨味微妙、そんな料理が不味いわけがない。そして、低価格の設定が客を喜ばせている。
この旨さは数年後には確実に吉野家などの牛丼チェーンの脅威になるといわれている。

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06/05 「親子丼」と「他人丼」

2013年06月05日 | 食・レシピ

【親子丼】
「親子丼」とは、鶏肉、玉葱などを割り下で煮て玉子でとじ、丼飯の上に載せた料理。「親子丼」という名前は鶏肉と鶏卵を使うことに由来する。
東京都中央区日本橋にある鳥料理店専門店「玉秀」の「元祖親子丼」は、割り下で鶏肉のみを煮て玉子でとじたもので、玉葱や三つ葉等の材料は使われていない。
明治の中頃に鳥鍋を食べていた客が鍋に玉子をとじて入れたものを飯にかけて食べたのが始まり。店では「汁かけ飯を店で出したら店の格が落ちる」として出前のみで長い間店内では出さなかった。
もうひとつ、映画監督の山本嘉次郞が「自分の父親が親子丼の発明者」と主張していた。山本によれば、実父が煙草製造業をしていた頃、仲間とともに新しい料理を作ろうと研究。「忙しい時には立ったままで喰え、美味で滋養に富んだものを」と考えたのが、親子丼だ。山本は親子丼に強い拘りを持ち、「親子丼を構成するものは、鶏肉、鶏卵、のり、三つ葉、米、そして醤油、味醂、砂糖である」「はさみで細かく切った陰毛のごとき海苔を憎む」「玉葱なんてカツ丼以外に使うべきでない」「三つ葉と海苔の香りがなければ親子の値打ちはない」と定義づけた。
ユダヤ系の「親子を同時に食べてはならない」という戒律に反するため、外国人に振る舞う日本食しては注意が必要である。
また、鮭の刺身または鮭フレ-クとイクラを載せたものを指すこともある。
玉秀の親子丼

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鮭とイクラの親子丼

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【他人丼】
「他人丼」とは、鶏肉と鶏卵という親子関係を崩し、玉子と豚肉、玉子と牛肉などといった他人との関係を築いたものが「他人丼」。親子丼と同じ調理法で作ることが出来る。
近畿地方では主に牛肉を使ったものが他人丼として親しまれており、他の地域では主に豚肉を使ったものがメジャーな他人丼とされている。ちなみに関西の他人丼を関東の方へ持っていくと「開花丼」と呼ばれるようになる。これは明治初年に始まった文明開化の象徴となる料理であったからである。

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06/04 「カツ丼」と「デミカツ丼」

2013年06月04日 | 食・レシピ

【カツ丼】
「カツ丼」は、丼に盛った飯の上に調理した豚カツを載せた丼料理の一種で、日本の料理。一般的なカツ丼は、豚カツを割り下で調味し鶏卵とじにした具を丼飯の上に載せた「卵とじカツ丼」であるが、これ以外に様々なバリエーションが存在する。
『卵とじカツ丼』
卵とじカツ丼は、現在の日本において最も一般的なカツ丼スタイルである。卵とじカツ丼の具は、タマネギと豚カツを出汁と砂糖と醤油(割り下)などの調味料で煮て、鶏卵の溶き卵でとじたものである。上に三つ葉やグリ-ンピ-スなどを散らしたり、それらを具とともに軽く煮る場合や調理した豚カツを返して載せる店もある。
1921年に早稲田大学の学生・中西敬二郎が考案したとする説や新宿区の蕎麦屋三朝庵の店主が考案した説がある。
三朝庵の説では宴会用に用意していた豚カツが、宴会のキャンセルで大量に余ってしまったため、その冷めた豚カツから店主の機転により生まれたとされる。中西敬二郎がカツ丼を考案したされる1921年に大坂で卵とじのカツ丼が登場したという記録があるほか、中西敬二郎が考案したのは卵とじカツ丼でなくソ-スカツ丼であったという説もある。
『バリエーション』
カツ丼には様々なバリエーションが存在し、独特のカツ丼を提供する店舗も多い。
・ソ-スカツ丼・ドミカツ丼・タレカツ丼・カレ-風味カツ丼・カツ皿・タルタルカツ丼・味噌カツ丼・あんかけカツ丼など26種以上があり、その他に地方独特のかつ丼が存在する。

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【デミカツ丼】
「デミカツ丼」(デミグラスソ-スかつ丼)は、丼物のひとつで、カツ丼の一種である。岡山市の郷土料理・名物料理。
デミカツ丼とは、丼に飯を持ってデミグラスソ-スをかけ、その上に千切りキャベツを載せ、さらにその上から揚げたての豚カツをいくつかに切り分けて載せてその上からデミグラスソ-スをかけるもの。デミグラスソ-スの中にくぐらせた豚カツを載せるものもある。店や調理者によって若干特徴が異なる。
岡山市の料理店「味司野村」の創業者である野村佐一郎が、東京のホテルで料理修行中に考案した。その後、昭和6年の味司野村の創業時に提供を開始した。
その後、評判を呼び大衆食堂や喫茶店、洋食店、ラ-メン店などでも同様の料理を提供し始め、何時しか岡山市中心街では多くの店がデミカツ丼をラインアップするようになった。

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06/03 「オリエンタルライス」と「タコライス」

2013年06月03日 | 食・レシピ

【オリエンタルライス】
「オリエンタルライス」は、エスカロップと並ぶ根室地方限定のメニュ-。
ご飯の上に肉が載っていソ-スがかかっている基本的な構成はエスカロップと同じであるが、中身はまるで違う。
ご飯はドライカレ-風。載っている肉はカツではなく、牛サガリ肉。かかっているソ-スはステ-キソ-ス。
根室地方の人々にはお馴染みの料理である。レストランに入りエスカかオリエンタルかはその日の気分で異なるとのこと。

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【タコライス】
「タコライス」は、タコスの具である挽肉・チ-ズ・レタス・トマトを米飯の上に乗せた沖縄料理。辛味をつけたサルサを載せて食べる。
1980年代に沖縄県金武町キャンプハンセンのゲ-ト前に広がる飲食店街にある「パ-ラ-千里」「キングタコス」の創業者・儀保柗三が米兵のために考案した。
当時の円高により、それまで主な客であった米兵が外食を控えるようになったため、タコミ-トを利用してタコスよりもボリュ-ムがありコストパフォ-マンスのよい新メニュ-として考え出された。元々は店員の賄い食だったという説もある。
沖縄県内では1990年代から学校給食に採用されるなど非常に一般的な料理となっている。
油を引いたフライパンで牛挽肉・ニンニク・タマネギ・ピ-マンを塩・胡椒・チリパウダーなどで味付けしながら炒め、タコミ-トを作る。皿に盛った米飯の上にタコミ-ト・千切りのチ-ズ・レタス・トマトなどを順に載せ、トマトベ-スの赤いサルサをかけて食べる。
タコミ-トとサルサの辛味をレタス・トマト・チ-ズで緩和し、米飯と一緒に食べるものと言われているが、レタス・トマトを載せたのは地元客の要望によりサ-ビス感覚で始められたもので、元々は米飯とタコミ-トのみであった。

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06/02 「カツカレ-」と「スパカツ」

2013年06月02日 | 食・レシピ

【カツカレ-】
「カツカレ-」は、カレ-ライスと豚カツを組み合わせた日本の洋食。カレ-ライスにトッピングした最初の例であり、東京で豚カツを載せたことがきっかけで生まれた。これが各地に広がり、豚カツ以外にも、牛カツ、チキンカツ、メンチカツ、ハムカツ、ハンバ-グなどを使う例もある。
カレ-ライスと豚カツを組み合わせたカツカレ-は、1948年に東京都銀座の洋食店「グリルスイス」で、常連客の読売ジャイアンツの千葉茂が「別々に食べるのが面倒だから」と注文したのがきっかけで生まれた料理である。
一方、1918年に東京浅草の洋食屋「河金」が、豚肉のカツレツを載せた丼飯にカレ-をかけて「河金丼」と称して提供した。
CoCo壱番屋のようなカレ-チェーン店によって各地に広がっている。平たい皿だけでなく丼を使用する場合もある。
栄養は、高脂肪・高カロリ-食品であり胃腸にかかる負担が大きく、高糖質である。糖尿病対策においては、食べてはいけないメニュ-として挙げられている。
盛り付けのバリエーション
カレ-と豚カツを分ける盛り方

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豚カツの半分にカレ-をかける盛り方

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豚カツ全体にカレ-をかける盛り方

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カレ-の上に豚カツをのせる盛り方

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【スパカツ】
「スパカツ」は、パスタの上に豚カツをのせ、その上にミ-トソ-スをかけている。釧路市の老舗洋食屋「レストラン泉屋」で、船員や労働者の空腹を満たすために発売されてもので、現在は若者を中心に注文されている。
2人前と思われる程こんもり盛られたパスタに大量のミ-トソ-ス。豚カツも相当のっているが、ミ-トソ-スで確認出来ない程である。
味を左右するミ-トソ-スは濃い目でコクの有る味付け。備え付けの粉チ-ズをかけると、ミ-トソ-ス、豚カツ、パスタの組み合わせ効果が引き立つ。
テラ盛りなので、途中で満腹感に襲われる時には、タバスコをかけて胃袋を刺激して食べる人もいる。

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06/01 「エスカロップ」「トルコライス」

2013年06月01日 | 食・レシピ

【エスカロップ】
「エスカロップ」は、豚肉をソテ-したポ-クカツレツをケチャップライスに乗せてドミグラスソ-スを掛けた料理。北海道根室市のご当地料理でエスカとも略されて呼ばれる。
フランス語の「エスカロ-プ」(肉の薄切り)が語原であり、子羊の薄切り肉のソテ-をトマト味のスパゲティーの上に乗せてドミグラスソ-スを掛けた料理であったが、年月の経過とともに変化して行った。
現在では、炒めたライスの上にポ-クカツレツを載せ、ドミグラスソ-スを掛けたものであり、通常は皿の端にサラダを添える。ケチャップライスを用いる赤エスカとバターライスを用いる白エスカがあり、現在は白エスカが主流。白エスカのバターライスには微塵切りの筍が入っている。
1963年頃、根室市の洋食店「モンブラン」のシェフが考案し、短期間のうちに根室市内に普及した。元々は地元の漁師たちのために手早く満腹感を満たすことが出来るメニュ-として考案されたという。

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【トルコライス】
「トルコライス」または「トルコ風ライス」は、日本の洋食屋で供される、盛り合わせ料理の一種。長崎県・大阪市・神戸市に同名の料理が存在するが、それぞれ内容は異なる。
カレ-味ピラフ、ナポリタンスパゲティ、ドミグラスソ-スのかかった豚カツというのが最も一般的な組み合わせである。ピラフとスパゲティーとサラダを皿に盛り、その上から豚カツを乗せる。
ネ-ミングを含めて発祥は不明。長崎で1950年代に出現したと見られるが、初めて考案したと主張する店が多数存在している。
起原については、・トルコ起原料理説、・トルコ架け橋説、・トリコロ-ル起源説、・店の名前説、トルコ接頭語説、・土耳古(とるこ)飯説などがある。
また、料理の形態も、・長崎風トルコライス、・大阪風トルコライス、・神戸風トルコライスと多彩であるが、どちらも「本家」を謳っている。

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