道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

04/30 梅ヶ枝餅&あぶり餅

2014年04月30日 | スイ-ツ・お菓子

【梅ヶ枝餅】

「梅ヶ枝餅」は、主に福岡県太宰府市で販売されている餅菓子の一種である。

『概要』

小豆餡を薄い餅の生地で包み、梅の刻印が入った鉄板で焼く焼餅である。出来上がると軽く梅の刻印が入るようになっている。
その名称は菅原道真公のエピソードに由来しており、梅の味や香りがする訳ではない。よく饅頭と勘違いされることがあるが、実際は餡子入りの焼餅である。

菅原道真公の誕生日である845年6月25日と命日である903年3月25日に因んで、毎月25日にのみヨモギ入りの「梅ヶ枝餅」が販売される。

西鉄太宰府線・太宰府駅から太宰府天満宮の門前の茶店や土産物店、「梅ヶ枝餅」専門店などで販売されているほか、県内で行われる縁日や観光名所、駅、空港などの出店などでも販売されている。

本家に相当する店は現在のところ不明である。一時期、どの店も「元祖」と表示していた時期があったが、まぎらわしいため「名物」と表示されるようになった。「梅ヶ枝餅協同組合」というものが存在し、これに加盟していない店の餅は「にせ餅」と呼ばれる。

同一の製造方法で、太宰府天満宮門前以外の福岡県内の著名な神社である宮崎宮や宮地獄神社や宗像大社などの門前で売られている「松ヶ枝餅」もあるが、こちらは類似品であり「松ヶ枝餅」と直接の関係はない。

「手焼き」といわれる鉄板で4個ずつ焼く方法が主流だが、最近は「梅ヶ枝餅」を自動で焼く機械も登場しており、天満宮参道の土産物屋などで見かけることが出来る。

焼きたてをそのまま食べる場合はパリッとした香ばしい食感を楽しむことが出来るが土産として持ち帰る場合は水分が飛ぶのを防ぐため薄いビニールで包んだ後、包装する。このため持ち帰って食べる場合はどうしても軟らかい食感になってしまう。

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【あぶり餅】

「あぶり餅」は、きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火で炙った後白味噌のタレをぬった餅菓子または、串にさして炙ったおかきや煎餅のこと。

京都市北区の今宮神社や左京区嵯峨の清涼寺、石川県金沢市金沢五社の神明宮などにある和菓子屋が有名。

特に今宮神宮の店は、平安時代頃からある日本最古の和菓子屋とされ、今宮神宮参道で応仁の乱や飢餓の時庶民に振る舞ったといういわれがある。
またも「あぶり餅」に使われる竹串は今宮神社に奉納された斉串(いぐし)で、今宮神社で毎年4月の第2日曜に行われる「やすらい祭」の鬼の持つ花傘の下に入ると御利益があるのを喩えとし、食べることで病気・厄除けの御利益があるとされ親しまれている。

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04/29 しとぎもち$松皮餅

2014年04月29日 | スイ-ツ・お菓子

【しとぎもち】

「しとぎもち」は、餅のルーツと言われる餅である。穀倉地帯である津軽地方には、五穀豊穣などを願う多くの行事が伝えられている。

その一つが「しとぎもち」で、これは、糯米粉を捏ねて作った皮に餡をたっぷり入れて作る、神様に供える餅である。神棚には不浄火が混じるのを嫌い生の「しとぎ」を供えた。神棚に供した後、いろりの熱灰をかけて焼いて食べたのが始まりといわれている。

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【松皮餅】

「松皮餅」は、秋田県由利本荘市鳥海、矢島地域のみに伝えられている郷土菓子である。

アカマツの内樹皮、つまり幹から剥ぎ取った樹皮からコルク化した外樹皮を除いた生きた組織の部分を軟らかくなるまで煮てつぶし、練り込んだ餅に餡を包む。

マツの木は長寿を、緑色はめでたさを表すため、祝いで供物として作られ、雛祭りには三色の菱餅(白餅、蓮餅、松皮餅)として作られた。

天明の大飢饉の際の救荒食とも、矢島藩主の生駒氏の改易前の四国で兵糧攻めの際に作り出されたという説が存在する。

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04/25 羽二重餅&栃餅

2014年04月25日 | スイ-ツ・お菓子

【羽二重餅】

「羽二重餅」は、餅粉を蒸し、砂糖・水飴を加えて丹精に練り上げた、福井県の和菓子である。
福井県では羽二重織りが盛であり、よく生産されたため、羽二重にちなんで作られた。食感は絹のように非常に滑らかだと評される。
1847年錦梅堂にて作られた。

「羽二重餅」の由来である「羽二重」とは、撚りのない経糸と緯糸を使った平織りの絹織物のこと。柔らかな肌触りと上品な光沢が特徴。福井県では明治初期頃から生産が本格化し、20世紀初頭には全国輸出額の60%を占めるほどの産地となった。
しかし、そういった「ものづくり」の地でありながら、一般の人々が上質の羽二重を目にする機会はほとんど無かった。その大半は国内の大都市あるいは海外に向けて流れていった。
土地の名産品でありながら、手土産として持参出来ない様子を見ていたお菓子屋が「名産品の羽二重を彷彿とさせるような土産物」として開発・発売をした。

「羽二重餅」は、米・砂糖・水飴の3つの材料で作る和菓子。それだけに、材料への心配りがそのまま風味や食感を左右する。そのため、米は厳選された地元産を使用している。

最近は健康志向もあって、甘さ控え目となっている。しかし、甘さとみずみずしさには深い関係がある。必要以上に甘味を抑えてみずみずしさを失っては本末転倒である。「甘さを抑えつつ水分も保持する」技術を追求することが「羽二重餅」作り求められている。

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【栃餅】

「栃餅」は、灰汁抜きした栃の実(トチノキの実)を糯米とともに蒸してから、餅にしたものである。糯米だけの餅よりも黄土色や茶色がかっており、独特の苦味がある。

かっては米がほとんど採れない山村では重要な食糧で、21世紀初頭現在では土産物の一つとして売られている。砂糖をつける、餡に絡めるあるいは包む、塩茶漬けにするなどして食べる。

栃の実の灰汁抜きは手間と時間が掛かり、また、各地方・家庭で受け継がれているコツなどもあるため、未経験者にはやや難しい。そのためあらかじめ灰汁抜きされた栃の実も販売されている。

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04/24 蓬餅&菱葩餅

2014年04月24日 | スイ-ツ・お菓子

【蓬餅】

「蓬餅」は、和菓子の一種であり、「草だんご」とも言われる。

まず、上新粉あるいは上新粉と白玉粉を混ぜたものに水と砂糖を加えて捏ねて生地とし、これを蒸して餅にする。そして、この餅にヨモギをつき加えてから、適度な量に分けてから丸めて作る。この時に小豆の餡を包むことも多い。

ヨモギの若芽には特有の爽やかな香りがあり、それが珍重され春先の和菓子を代表するものの一つとなっている。また、若芽を摘んでから茹でて乾燥させたものも出回っており、季節外れにはこれが使われる。

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【菱葩餅】

「菱葩餅(ひしはなびらもち)」は、牛蒡と白味噌餡とピンク色の餅を、餅もしくは求肥で包んだ和菓子である。

平安時代の新年行事「歯固めの儀式」を簡略化したもので、600年にわたり宮中のお節料理の一つと考えられてきた。

「歯固めの儀式」では、長寿を願い、餅の上に赤い菱餅を敷き、その上に猪肉や大根、鮎の塩漬け、瓜なとを載せて食べていたが、だんだん簡略化され、餅の中に食品を包んだもの(宮中では雑煮と呼ばれた)を、公家に配るようになった。さらには鮎は牛蒡に、雑煮は餅と味噌餡でかたどったもとなった。

宮中に菓子を納めていた川端道基が作っていた。明治時代に裏千家家元十一世玄々斉が初釜の時に使うことを許可され、新年のお菓子として使われるようになり、全国の和菓子屋でも作られるようになった。当初は牛蒡が2本であったが、現在では1本のものが主流である。

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04/23 筍

2014年04月23日 | 食・レシピ

【筍料理】

毎年知人から頂く「旬の筍」が到着しました。写真では、大×1,小×2ですが、送って頂いたのは大×2,小×2です。
大の1本は、帯広でお世話になっている知人宅へ嫁入りしました。
筍は、収穫から時間が経過する程「エグミ」が出て硬くなるということで早速下処理しました。

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筍ご飯、干しアサリを入れて風味を引き立てています。

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筍とカツオ節の煮付け。

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天麩羅(初めての料理)

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【筍】

「筍」は、イネ科タケ亜科タケの若芽を指し、日本や中国などで食材としいて利用されている。春の季語。

『概要』

竹の地下茎は筋ごとに根と芽を備え、主に3~4年目の芽が温帯では春先に、熱帯では夏に伸張を始める。その速さは次第に増し、地表に顔を出す頃は日に数センチ程度だったものが、10日目頃には数十センチから時には1メートルを超えるなど、ツル性を除く被子植物のうち最も成長が早いとされる。一種の民間語源として、漢字の「筍」は10日を意味する「旬」から来ている、などと言われることもある。

筍は地中にあるうちに筋が全て(孟宗竹で約60)形成され、根に近い筋から順に伸張していく。また、固い筍の皮は柔らかい本体を保護するだけでなく、筋のセイチョウ助ける役割を持っている。このため若竹の皮を取ると、その筋の成長は止まってしまう。

『食材』

春先、地面から芽の出掛けているものを筍として食用にする。その後、数メートル程度に成長したものの穂先部分も刈り取って食用とするが、これは「穂先筍」と呼ばれる。

筍は、切断直後よりエグミが急激に増加する。堀り採ってから時間が経つほど固くなると共にエグミが強くなるので、極力早いうちに調理や下ごしらえを行う。冷蔵すると遅らせることは出来るかせ、早い程よい。

『種類』

日本で食用にされる筍の代表的なものは中国から伝えられた「モウソウ竹」であるが、「ハチク」と「マダケ」もよく知られる。

■モウソウチクー皮は黒斑と祖毛におおわれ、時期は3-4月。

■ハチクー皮は淡紅色で、時期は4-5月。

■マタケー皮は薄い黒斑におおわれていて、時期は5-6月。

■ネマガリダケー筍が弓状に曲がって生え、時期は5-6月。

■カンチクー黄色または黒紫色,時期は10月。

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04/22 ちまき&笹団子

2014年04月22日 | スイ-ツ・お菓子

【ちまき】

「ちまき」は、糯米や粳米、米粉などで作った餅、もしくは糯米を、三角形に作り、笹などの葉で巻き、イグサなどで縛った食品。葉ごと蒸したり茹でて加熱し、葉を剥いて食べる。
元々中国で作られた料理で、日本へは平安時代頃に伝わった。日本では米粒の原型を留めないものが多く、中国では米粒の原型が残り、かつ米以外の具を加えているものが多い。その他、沖縄や東南アジアにも類似の食品がある。

『日本のまき』

「歴史」

承平年間(931年ー938年)に編纂された「倭名類緊鈔」には「和名知萬木」という名で項目があり、糯米を植物の葉で包み、これを灰汁で煮込むという製法が記載されている。元々は灰汁の持つ殺菌力や防腐性を用いた保存食であった。その後、各地で改良や簡略化が行われ、特に京では餅の中に餡を包み込んだり、餅を葛餅に替えるなど和菓子化していった。

【種類】

日本では、包むのに使う葉はチガヤ、笹、竹の皮、わらなど様々である。江戸時代、元禄10年に刊行された本草書「本朝食鑑」には4種類の「ちまき」が紹介されている。

1・蒸らした米をつき、餅にしてマコモの葉で包んでイグサで縛り、湯で煮たもの。クチナシの汁で餅を染める場合もある。

2・粳米の団子を笹の葉で包んだもの。御所粽(ごしょちまき)、内裏粽(だいりちまき)とも呼ぶ。

3・糯米の餅をワラで包んだ飴粽(あんちまき)。

4・サザンカの根を焼いて作った灰汁で糯米を湿らせ、これを原料に餅を作りワラで包んだ物。朝比奈粽(あさひなちまき)と呼ばれ、駿河国朝比奈の名物という。

このうち、2は現在の和菓子屋で作られる「ちまき」の原型であり、現在の餅の原型は葛に代わっている。笹の葉を用いたのは川端道喜という京の菓子職人であり「道喜粽」とも言われる。現在でも川端家は「ちまき」を製造しており、代表的な京菓子の一つである。京都を始め、各地の和菓子屋で製造される「ちまき」は大半がこのカテゴリーに入るものと思われる。端午の節句に作る店が多い。また、羊羹や麩饅頭をササで包んだものも、時としてちまきと呼ばれ、このカテゴリーから発展した物と考えられる。

3の飴粽は、餅が飴色になっているため、この名があるという。

4は最も原形に近い「ちまき」であり、灰汁による保存と品質維持を期待した保存食といえる。鹿児島県で作られる「あくまき」、「つのまき」、長崎県で作られる「唐灰汁ちまき」、新潟県の「灰汁笹巻き」に似通った製法である。
台湾においてもほぼ同じ製法の「ちまき」が作られている。ただし、この朝比奈粽そのものは現在は作られていない。江戸時代にはこの原形に近い製法が日本各地で用いられていた可能性はある。

『台湾のちまき』

南北で多少異なり、それぞれ「南部粽」、「北部粽」と呼ばれる。この他に、「客家粽」と呼ばれるもの、「齢水粽」と呼ばれる「あくまき」などがある。

■北部粽ー華中地域風のもの。生の米を水に浸しておき、水を切ってから五香粉、胡椒、醤油などを加えて調味し、米を蒸すか炒める。ある程度火が通った状態で、肉などとともに竹の皮で包み、しっかり蒸す。

■南部粽ー福建風のもの。生の糯米を水に浸し、豚肉、シイタケ、塩漬けアヒルの卵黄、エシャロット、落花生、栗、切り干し大根などの具とともに竹の葉に包んで、鍋で煮る。

『中国のちまき』

中国において、「ちまき」は、水分を吸わせた糯米を直接葛の葉で包み、茹でる、もしくは蒸す方法で加熱して、作る方法が主流である。米と一緒に、味付けした肉、塩漬け卵、棗、栗などの具や、小豆餡などを加えることが多い。特別なものでは、アワビやチャーシューを包んだものもある。

「歴史」

中国の伝説では、楚の愛国者だった政治家で詩人の屈原が、汨羅江に入水自殺した後、民衆が弔いのため、また、魚な屈原の死骸を食らって傷つけないように魚に米の飯を食べさせるため、端午の節句に笹の葉で包んだ米の飯を川に投げ入れたのが起源とされる。このため、日本でも中国などでも端午の節句に食べる習慣がある。

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【笹団子】

「笹団子」は、新潟県特産の餡の入ったヨモギ団子を数枚の笹の葉で包み、スゲまたはイグサの紐で両端を搾り中央で結んで蒸した和菓子である。
北蒲原地方など地域によっては、中央で結ばないところもある。火を解き、バナナのように上半分だけを剥いた状態で下部を持ちながらかぶりつくように食べるのが一般的。

笹には殺菌効果があり、北越風土記によれば戦国時代に携行保存食して生まれたとされる。以前は端午の節句の供物とされた。上杉謙信が発明したという俗説もある。

新潟県の土産菓子として知られ、県内の主要駅・道の駅・パーキングエリア・サービスエリアなどで販売されているほか、上越新幹線や特急列車では車内販売も行っている。
新潟県民にとっては親しみのある菓子であり、給食でも出される。また、福島県会津地方でも地元菓子店が製造販売する例が見られる。

中に入れるのは一般的には小豆餡であるが、一部地域ではこれを「女団子」と呼び、きんぴらを中に入れる「男団子」との2種類が存在する。

昔はおにぎりのように色々な物を入れており、梅やオカカども入れていて、今残っているのはきんぴらである。中が餡以外のものを「あえもんだんご」と呼び、皮だけの物を餡を子に例え、中に宿らないことから「男だんご」と呼ぶところもある。

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04/21 鶯餅&べこもち

2014年04月21日 | スイ-ツ・お菓子

【鶯餅】

「鶯餅」は、餡を求肥などで包み、丸く包んだものを楕円形にし、左右引っ張り「うぐいす」の形にした和菓子。

一般的に「うぐいす粉(青大豆から出来たきな粉)」をまぶして仕上げることが多いが、最近では「よもぎ」を混ぜた生地で包んだり、仕上げに「きな粉」をまぶすものもある。餅菓子のため早めに消費しなければ硬くなる。早春の菓子である。

『由来』

天正年間の頃、大和郡山の郡山城の城主であった豊臣秀長が兄の豊臣秀吉を招いた茶会を開く際に「珍菓を造れ」と命じ、御用菓子司であった菊屋治兵衛が餅を作り献上した。
秀吉はその餅を大いに気に入り「以来この餅を鶯餅と名付けよ」と菓銘を下賜した。時代を経てこの餅はお城の口餅と通称がつけられるようになったが、これは菊屋が城の入り口近くに店を構えているためであり、現在も同じ場所に店が存在している。
現代では餅米から餅を作り、「うくいす粉」をまぶすのが一般的になっているが、菊屋では餅米から餅を即いて作り普通の色のきな粉をまぶしている。

『作り方』

1・白玉粉を水で茹で、砂糖、水飴などを加えて、求肥を作る。
2・求肥に漉し餡を包み、うぐいす形にする。
3・上からうぐいす粉を振りかけて完成。

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【べこもち】

「べこもち」は、北海道から東北地方の一部で、5月の端午の節句に食べられる和菓子。他の地方における「柏餅」のような位置づけの祝い菓子である。

『概要』

材料は、白玉粉もしくは上新粉と片栗粉、砂糖、黒砂糖、水である。
まず、砂糖と白玉粉による白色の生地と、黒砂糖と白玉粉による黒色の生地を作る。二色の生地を用い、白黒のツートンカラーの餅を作り、木の葉型に整える。

完成品が白黒まだらの牛(べこ)のようにみえるため、この名で呼ばれているとされる。

地方によっては、餡を餅生地に練り込んだものを素の生地に包み、色々な模様を中に作って、それを均等に切り分け、蒸す物もある。こちらの名前の由来は、切り分ける前の形が牛の背の形に見えるため。

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04/19 桜餅&柏餅

2014年04月19日 | スイ-ツ・お菓子

【桜餅】

「桜餅」は、桜にちなんだ和菓子。桜とは桜の葉で、餅とは餅菓子の事で、よく知られる代表的なものは餅を葉で包んだ和菓子の一つである。塩漬けで香る桜の葉を用いる。春の季語である。

「桜餅」という名称が指すものは地域・人によって異なる。

1・長命寺ー関東の名物であり長命寺桜餅とも言い表している。関西と山陰での異なる名は「長命寺餅」。関西では桜餅とは異なった物とすることもある。
2・道明寺ー関東での違う桜餅の呼び名。関東と山陰での異なる名は「道明寺餅」。

『道明寺・江戸風』

長明寺は、塩漬けの桜の葉を用いた、江戸に発祥した桜餅。伝統で典型的なものの一つ。東京隅田川の向島にこの桜餅を作り始めたといわれる同名の寺がある。
長明寺の姿と形は、
■、葉は一枚から三枚ほど用いている。

■、餅の生地は皮を焼いた物。
■、餡は漉し餡を用いている。
■、皮は多くは二つ折り、他に縁筒型、殊に袱紗折りもある。
■、中身を葉で覆うか皮に沿う葉で包んでいる。
■、小麦粉を水で延べて熱し固めた生地を作り、餡種を挟んだ生地に桜の葉を被った構成。

「作製の仕方」

材料は塩漬けの桜の葉、生地に使用する粉、小豆餡。粉は小麦粉であればよいが、白玉粉や餅粉を加えるか、または上新粉でもよい。これに砂糖、小麦粉に味甚粉、上南粉等を調製する。桜の葉を水に漬けておき、葉の塩を抜く。生地の粉を餅粉や白玉粉から少しずつ水と合わせて置く。溶いた生地を薄く延ばして熱する。熱した後荒熱をとるように冷ます。焼き加減は周囲の水気が取れて乾く程度に、餅がしっかり仕上がるようにする。
小豆の餡を丸めて、焼いた皮で包む。桜の葉を取り出し、真水で洗う。桜の葉を餅の表に巻くようにして付ける。色粉は粉の事典で混ぜておくと色が均等に出る。古い作り方としては、餅を桜の葉で包み、虫籠で蒸すというものもある。

「歴史と起源」

「桜餅」は、山本新六が隅田川の土手の桜の葉を用いて作ったのが始まりであるという。山本新六は下総国銚子に住んでいたが、元禄4年より長明寺で門番をつとめていた。享保2年、江戸向島の長明寺の門前にて売り出したところ、付近の隅田堤に将軍吉宗の台命による桜が植えられ、花見客で賑わい、おかげで繁盛した。寺の来参者を持てなす手製の茶菓子を作り、桜の落ち葉をみて桜餅を作ることを思いついたという。露天での販売のみならず、文化の頃までに長明寺の内に桜餅屋を構えて盛況になった。

『道明寺、上方風』

「道明寺」は、道明寺粉を用い、桜の葉で包む桜餅。京都の茶屋や和菓子店でよく見られるとして京風桜餅とも呼ばれるもの。伝統で典型的なものの一つ。大阪府藤井寺市に材料の道明寺粉の由来にもなったという同名の寺がある。
道明寺の姿と形は、
■、葉は一枚か二枚ほど用いている。
■、餅は玉状から扁平な形。
■、餅は弾力と粘りがある。
■、餅の表面は粒味のあるかたち。
■、餅を葉の筋に沿って包んでいるか両方から葉を合わせて被せる。
■、道明寺粉を蒸して餅を作り、これに餡を詰め、桜の葉に包んだ構成。

「作製の仕方」

材料は塩漬けの桜の葉、道明寺粉、小豆の餡。糯米を浸け置き、水切り蒸し上げ、天日干しして乾いたら石臼などで挽いて砕く、粒の大きさで道明寺餅の食感が変わるがこれで道明寺粉が出来る。葉の塩は水で抜く。水を吸わせた道明寺粉を蒸し上げる。砂糖は蒸した後に混ぜるか、水に溶いて吸わせる。餅を平らに広げて餡を詰め形を整え、桜の葉で包む。

「歴史・起源」

長明寺が元といわれる。似たものに椿餅がある。

『材料について』

桜の葉は香りを移すもの、葉で包むと包んだ物の乾燥を防ぐものである。葉が柔らかく毛が少ない「オオシマザクラ」の葉を塩漬けにして使う。この塩漬けの桜の葉は、全国シェアの70%ほどが伊豆半島の松崎町で生産されている。餅の大きさとの外観上のバランスから、関東では大きめの葉、近畿では小さめの葉を好んで使う傾向がある。

桜餅の独特の芳香は、この桜の塩蔵葉に含まれる香り成分のクマリンによる。桜餅は桜の葉を取り外して食べても、そのまま食べても良いが、肝毒性を持つクマリンは食品添加物として認められていないので、美味とはいえ極端に摂食しすぎることには注意が必要である。

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【柏餅】

「柏餅」は、平たく丸めた上新粉の餅を二つに折り、間に餡を挟んでカシワ叉はサルトリイバラの葉などで包んだ和菓子である。餡の種類は、粒餡、漉し餡のほか、味噌餡がポピュラーである。

中部地方・九州など味噌餡が存在しない地域ある。また亜種として餅が蓮餅で作られたものも近年存在している。

5月5日の端午の節句の供物として用いられる。カシワの葉は新芽が育つまでは古い葉は落ちないことから、「子孫繁栄」という縁起をかついだものとされる。

元々は東日本の文化の中で育まれたものであり、柏餅が登場したのは徳川九代将軍家重~十大将軍家治のころ。参勤交代で全国に行き渡ったとされている。

柏餅にはこのような由来があるが、四国地方などの近畿圏以西では、カシワの木が自生しておらず、元々端午の節句には「ちまき」を用いるため、サルトリイバラ科の葉を代用して作られることが多い。地方により名称が異なる場合もある。

一般に包んでいる葉は食べない。なお、「柏」の字は本来ヒノキ科の針葉樹コノテガシワを指す漢字で、コノテガシワは柏餅に使う葉とは全く異なる。柏餅に用いるブナ科のカシワには、厳密には「槲」の字を使うのが正しい。

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04/18 五平餅&きよめ餅

2014年04月18日 | スイ-ツ・お菓子

【五平餅】

「五平餅」は、中部地方南部の山間部に伝わる郷土料理。潰した飯を串焼きにしたものである。

『由来』

神道において神に捧げる「御幣」の形をしていることからこの名が付いたとするのが一般的である。実際、「御幣餅」と表記して販売しているところもある。また、五平、あるいは五兵衛という人物が飯を潰して味噌を付けて焼いて食べたのが始まりとする伝承も各地に形を変えて存在する。

いずれにせよ、江戸時代中期頃に木曽・伊那地方の山に暮らす人々によって作られていたものが起源というのが濃厚である。米が貴重であった時代、ハレの食べ物として祭りや祝い事の場で捧げられ、食べられていた。

『作り方』

1・粳米を柔らかめに炊く。
2・1を潰し、厚さ2ミリ、幅2センチ程度の杉板、幅1.5センチ程度の平たい竹串、あるいは割っていない割り箸に扁平な楕円形、地元で言う「ぞうり形」に練りつけ、型崩れしないように素焼きする。この際に塩やなぎの小麦粉を入れる地域もある。
3・醤油または味噌に、胡麻、胡桃、エゴマなど油脂を含むものを合わせてタレを作る。砂糖を入れかなり甘めの味に仕立てる。
4・タレを2に塗り、香ばしく焼き上げる。

上記のような、一枚の「ぞうり形」または小判型」といえる扁平な楕円形に、ご飯を平たい竹まは樹の串に練りつけたものが最も一般的だが、地域によってバリエーションが多くあり、楕円形ではなくほとんど円形のものもある。また、小さな円盤形のご飯を複数刺したもの、店で売られているものには団子状で見た目がほとんど普通のみたらし団子と変わらないものもある。

タレのベースに醤油を使うか味噌を使うか、胡麻と胡桃を使うかエゴマを使うかは地域による。エゴマをベースに醤油と砂糖で仕上げるのは木曽地方中北部から飛騨地方にかけての特徴である。胡桃を使っていた地方では近年は入手しやすいピーナツを胡桃の代わりに使うことが多い。家庭によってはさらに卵、蜂蜜、蜂の子を加えるなど、バリエーションは無数にある。

 

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【きよめ餅】

「きよめ餅」は、熱田神宮名物の和菓子である。

熱田神宮は五穀豊穣、家業繁栄を祈って御参りする人々が、昔ながらの神城に引きも切らず続いている。
天明5年、参拝者で賑わう熱田神宮に「きよめ茶屋」が設けられ、参拝の人々はここでお茶を頂いて疲れを癒やし、姿を正して神前にぬかずくのを習わしとていた。この茶屋に因んで「きよめ餅」を売り出したところ、評判となり、熱田神宮名物となった。

丁寧に炊き上げた漉し餡を、つるんと柔らかい羽二重餅でくるんだ人気の銘菓。ほっこり甘い栗の実入りもある。純白に浮き上がる「きよめ」の焼き印は、伝統の証である。

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04/17 わらびもち&椿餅

2014年04月17日 | スイ-ツ・お菓子

【わらびもち】

「わらびもち」は、澱粉と水、砂糖から作る和菓子。原料としてワラビの根から採れる澱粉である「わらび粉」が使われたため、この名がついた。

『概要』

醍醐天皇が好物としており太夫の位を授けたという言い伝えがあり、そこから「わらび餅」の異名を岡太夫とも言う。そのいわれが寛永19年に書写された大蔵虎明狂言集の「岡太夫」に古い言い伝えとして書かれている。また、同時に凶作に見舞われた農家の非常食でもあったという言い伝えもある。

東海道の日坂宿の名物としても知られており、谷宗牧の東国紀行には、「年たけて叉くらへしと思ひきや蕨もちゐも命成けり」と、かって食べたことのある「わらび餅」を年をとってから再度食べたことについての歌が詠まれている。
ただし、掛川周辺は鎌倉時代から歌われるほどの葛布の名産地であり、林道春の「丙辰紀行」にはこの日坂の「わらび餅」について、「葛の粉をまぜて蒸餅とし。豆の粉に塩を加へて旅人にすすむ。人その蕨餅なりとしりて。其蕨餅といふことをしらず」とあり。天明6年頃の「東街便覧図略」にも、「蕨餅とハ言へと実は掛川の葛の粉を以って作れる也」ともある。

奈良県はわらび粉の名産地であり、奈良や近くの京都では「わらび餅」の名店が数多く見られる。京都では餡入りの蕨餅が古くから親しまれてきた。また、夏のイメージが強いが和菓子店で売られている本蕨を使った餡入りタイプの「わらび餅」は保存に向かないため、夏の間は販売されていないことがある。

『製法』

一般的に「わらびもち」は、関東の葛餅によく似た製法で作られる。澱粉・水・砂糖を加熱しながら透明になるまでかき混ぜ、さらに流水に入れて冷やし固めたものである。しかし、家庭などで政策した場合は、そのまま水につけておかないと表面が固くなり食べにくくなる。さらに味も落ちてしまう。一般的にはきな粉や黒蜜をかけて食べる。透明で、見た目にも涼しげであるため、夏の菓子として重用される。

『原料』

「わらび粉」はワラビの地下茎を叩いてほぐして洗い出し、精製した澱粉であるが、同様の方法で葛の肥大した根から得られる澱粉である葛粉以上に原料の採取や製造に手間がかかり、収率が悪いので、現在では製造者が非常に少なくなっている。そのため、今日の「わらびもち」は、わらび粉の代わりにサツマイモやタピオカから採取された澱粉、あるいは葛粉を材料にして製造したものがほとんどであり、本物のわらび粉で作った「わらびもち」は稀少な高級品となっている。その他の澱粉のものは無透明で涼しげなものであるが、本来のわらび粉だけのものは茶色がかかったものとなる。本蕨を使ったタイプのものは冷蔵庫で冷やすと固くなったり変色してしまうので注意が必要である。

『移動販売』

住宅街では冬の焼き芋屋の移動販売と切り替わる形で軽トラック、軽ワンボックスカーによって、スピーカーから流れる呼び込みの口上と共に夏に「わらびもち」が移動販売される。
関西ではかき氷やアイスクリームとともに軽トラック、リヤカーなどによって移動販売される姿も見かけられる。また、福岡の都市部では定位置で鐘を鳴らしてリヤカーで売ってることがある。移動販売等の「わらびもち」を載せる船にはモナカを使っている場合がある。

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【椿餅】

「椿餅」は、平安時代に、軽食代わりとして食べられた餅菓子。また現代の京菓子。

平安時代の菓子は唐菓子と言って中国伝来の揚げ菓子がほとんどだか、桜餅のように団子を植物の葉で挟む形式は珍しく、この「椿餅」は日本独自のものでないかと言う見解もあるが定かではない。その説に従うなら、これが和菓子の起源である。

河海抄の記述によれば、餅米を乾燥させて臼で挽いて作った餅粉(現在の道明寺粉)を甘葛の汁で練って団子のようにし、椿の葉で包んだもの。

現代の菓子のように日常的な間食に用いる物ではなく、貴族の館で大規模な蹴鞠の会が催された時に参加者に配られていた。

現代の「椿餅」は同じように椿の葉で上下を挟んだ白い道明寺の餅の中に餡が入っている。冬から初春にかけての京菓子として茶席などに出される。

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04/16 桔梗信玄餅&なが餅

2014年04月16日 | スイ-ツ・お菓子

【桔梗信玄餅】

「桔梗信玄餅」は、山梨県の製菓メーカー桔梗屋が製造・販売する土産菓子。

発売開始は1968年。2個の桔梗信玄餅を1枚の不織布の風呂敷で包んだ2個包みから25個化粧箱入りまで、数種類用意されているが、8個入りのものは布袋に入れて売られている。風呂敷を模したビニールに包まれた容器にきな粉にまぶされた小さな餅が3切れ入っており、それに附属の黒蜜をかけて食べる。

なお、桔梗屋が発売しているのは「桔梗信玄餅」であり「信玄餅」ではない。「信玄餅」は同じ山梨県の菓子メーカー「金精軒」が発売しており、購入の際には注意が必要である。

『名称の由来と起源』

名称の「信玄」は戦国期の甲斐国主で、山梨県の象徴的人物と位置付けられている武田信玄に因んでいる。山梨ではお盆になると、仏前に安倍川餅を供えるという習慣があり、桔梗信玄餅はこれにヒントを得て黒蜜の独特な舌触りと、添加物を一切使用しない餅を用いて作られた。

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【なが餅】

「なが餅」は、四日市市の笹井屋が製造・販売する餅で、餡を包み、細長く薄く延ばして火で炙った餅菓子。

笹井屋が日永の下り立場にあったことから、「永餅」と命名したという。古くは、このような形態の餅は一般に、砥石の形に似ていることから砥餅(ともち)、あるいは、牛の舌に似ていることから牛の舌餅と呼ばれた。

同形態の餅は、三重県内の旧東海道と旧伊勢街道沿いに広く分布し、桑名市には天文11年創業の安永餅、四日市市には慶応4年創業の太白永餅があり名物になっている。
笹井屋は天文19年創業で、現存する店の中では最も古いと考えられる。

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04/15 満福どら焼き&いちご大福

2014年04月15日 | スイ-ツ・お菓子

【満福どら焼き】

「満福どら焼き」は、全国で65店を展開する食品セレクトショップ「北野エース」の人気商品。当初は静岡製菓から「満腹どら焼き」として販売されていたが、北野フーズとの提携により「満福どら焼き」と名称変更している。

圧巻はたっぷり詰まった粒餡の量。重さは130~140グラムで、皮に挟んだ厚みは5センチほどになる。
十勝産を含む道産小豆を原料に、職人が手ごねで一つずつ作る。担当者し「見た目は大きいが甘過ぎず、小豆の風味がしっかり残っているので軽く食べられる。餡子好きにはとってもたまらないはず」と胸を張る。

「満福どら焼き」の由来は、餡子がぎっしり・たっぷり→お腹が満腹→幸せで幸福な気分→笑う門には福来たる=満福。

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【いちご大福】

「いちご大福」は、昭和後期に三重県津市で考案された和菓子の一種。大福餅のうち、イチゴ果実が包み込まれたもの。

『特徴』

餡にっいては、赤い小豆餡を使う地域と白餡を使う地域に大別される。また、餡を使わずに苺のみを入れるものや、苺と生クリームを入れるものなどあって、多様性に富む。
生鮮食品であるイチゴ果実を使用するため、冬から春にかけての季節限定商品として売り出されることが多い。イチゴから次第に水分が出て餡が水っぽくなったり、水気が餅から漏れ出したりしやすいことから、比較的日持ちが短い。

『歴史』

三重県津市の「とらや本家」は1986年に自社で開発したと主張しているが、かっては「元祖論争にキリがないので当店では苺大福元祖を主張しない」と表明していたこともあった。
実際「元祖」を名乗る和菓子屋は、「とらや本家」の他、東京新宿区の「大角玉屋」、群馬県前橋市の「金内屋」、三重県伊賀市の「欣榮堂」、滋賀県大津市の「松田常磐堂」、岡山県倉敷市の「甘月堂」など、日本各地に多数存在する。昭和後期になって登場した新しい商品であることに間違いない。
「いちご大福」の製造法の特許を保有しているのは、「大角玉屋」である。前述の「とらや本家」は、「製法が外部に流失するのを恐れて特許などの申請を行わなかった」と主張している。

『バリエーション』

果物などを使った大福としては、他にも、栗大福、ぶどう大福、オレンジ大福、ピーチ大福、メロン大福、ブルーベリー大福、柿大福、トマト大福などがあり、栗大福以外はいちご大福以降に出たバリエーションである。

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札幌の「かど丸餅店」

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4/12 おはぎ/ぼたもち&きんつば

2014年04月13日 | スイ-ツ・お菓子

【おはぎ/ぼたもち】

『おはぎ/ぼたもち』

「おはぎ」とは、粳と餅米を混ぜて炊き、軽くついて小さく丸め、餡・きな粉・すり胡麻などをまぶしたもの。「ほだもち」」と同じものである。

「おはぎの語源・由来」

「荻の餅(荻の花とも)」をいう女房詞で、近世より見られる語。
小豆の粒が荻の花の咲き乱れるさまに似ていることから、「萩の餅」と呼ばれるようになり、「おはぎ」となった。

「ぼたもち」は、赤い小豆餡をまぶしたところが、牡丹の花に似ていることから名付けられた。

基本的に「おはぎ」と「ぼたもち」に違いはないが、花の季節に合わせ、春から初夏にかけて作るものを「ぼたもち」と呼び、秋に作るものを「おはぎ」と呼ぶ。

また、餡をつけたものを「ぼたもち」と言い、黄な粉をまぶしたものを「おはぎ」としたり、漉し餡を使ったものを「ぼたもち」、粒餡を使ったものを「おはぎ」と定義されることもあるが、地方・時代・店によって異なる。

基本的に同じものなので、季節や作り方7に関係なく゛おはぎ」と呼ぶことが多い。
お彼岸や四十九日忌明けに供えて食べる風習は、古くから赤い色が邪気を祓う色とされていることに由来し、江戸時代頃に始まったとされる。

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【きんつば】

「きんつば」は、「金鍔焼き」の略称で伝統和菓子のひとつ。小麦粉を水で捏ねて薄く伸ばした生地で餡を包み、円く平らな円盤形に形を整え、油を引いた平鍋で両面と側面を焼いたもの。

角形(直方体状)をしている「角きんつば」は明治時代に考案されたもので、寒天を用いて粒餡を四角く固めたものの各面に、小麦粉を水でゆるく溶いた生地を付けながら、熱した銅板上で一面ずつ焼いて作る。
サツマイモで作った芋餡を包んだもの、もしくは、四角く切った「芋羊羹」の各面に生地を付けて焼いたものは「薩摩きんつば」「芋きんつば」と呼ばれるものになる。

『概要』

元々は、江戸時代中期に京都で考案された菓子であり、上新粉で作った生地で餡を包んで同様に焼いたもの。当時は、その形状と色から「ぎんつば(銀鍔)」と呼ばれていた。製法が京都から江戸に伝わると、生地の材料が上新粉から小麦粉になり、また、「銀よりも金のほうが景気が良い」との理由から、名前が「きんつば」に変わったとされている。

「きんつば」の「つば」とは、日本刀の鍔のことを指しており、江戸時代当初は現在のような四角形ではなく円形をしていた。富山県高岡市などでは現在でも円形であり、鍔の文様を付けることが残っている。
現在の四角形六方焼きは、神戸元町の紅花堂(現在の本高砂屋)の創業者である杉田大吉により考案されたものといわれる。
また、富山市の岩瀬地区の和菓子店では、どの店のきんつばも三角形である。新潟県や福島県、静岡県、千葉県の一部では今川焼き(大判焼き)のことをきんつばと言うところもある。

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04/11 ぜんざい&汁粉

2014年04月12日 | スイ-ツ・お菓子

【ぜんざい】

「ぜんざい」は、主に小豆を砂糖で甘く煮て、この中に餅や白玉団子、栗の甘露煮などを入れた日本の食べ物。
一般的には小豆の粒が存在するものを指して用いられる用語である。漉し餡の汁粉は「こしあんのぜんざい」と大阪で呼ぶ。もっとも、東日本などの地域では、粒餡を使用したぜんざいを汁粉と呼んでいる。
「ぜんざい」と同様の材料ながら、「ぜんざい」よりも水分量がはるかに多く、飲料に近い形のものもある。これは関東では「ゆであずき」と呼ばれている。

『語源』

「ぜんざい」の語源は主に2つある。

1つは仏教用語である「善哉」にちなんだ説である。一休宗純が最初に食べたとされ、あまりの美味しさに「善哉」と叫んだとする説。「善哉」とは仏が弟子を褒める時に使う言葉である。

もう1つは、出雲地方の神事「神在祭」で振る舞われた「神在餅」を由来ちする説である。「神在餅」の「じんざい」が訛り、「ぜんざい」へと変化し京に伝わったと言われている。

島根県松江市鹿島町の佐太神社のホームページには次のような記載がある。
11月25日は神々をお送りする神等去出(からさで)神事が執り行われます。この日はカラサデさんといわれ、神前に供えた餅と小豆を一緒に煮て小豆雑煮を作り再び供えていました。これを「神在餅(しんざいもち)」と呼び、今も宮司宅では家例としてこの日に小豆雑煮を作り、屋敷内の祖霊社、稲荷社、邸内の祭神に御供えします。昔は里人の間でもこの日の朝に餅をつき参拝する慣わしがあり、参拝する者は必ず一重ねのお鏡を持って参った後、小豆を入れた雑煮餅を作って家の神棚に供えてから銘々も頂く風習があったようです。この「神在餅」が転化して「ぜんざい」になったと言われているのです。

松江藩の地誌「雲陽誌」佐它大社の項に「「此祭日俚民白餅を小豆にて煮家ことに食これを神在餅といふ出雲の国にはしまる世間せんさい餅といふはあやまりなり」とあります。その他、いくつかの古文献にも「神在餅」についての記述があることから当社は「ぜんざい発祥の地」であるといわれています。」と書かれている。出雲地方では、正月の雑煮は、白い丸餅が入った小豆を砂糖で甘く味付けをした汁で煮る、つまり「ぜんざい」を普通の雑煮として食している。

『関東のぜんざい』

関西で言うところの「ぜんざい」を汁粉と呼ぶ関東地方では、餅や白玉に汁気のない粒餡をかけたものを「ぜんざい」と称することがある。関西地方ではこれを「亀山」ゃ「小倉」と呼ぶ。

『沖縄のぜんざい』

沖縄県で「ぜんざい」と呼ばれる食べ物は、氷菓である。黒糖で甘く煮た金時豆にかき氷をかけたもので、「冷やしぜんざい」と呼ばれる。
元々は緑豆と大麦を甘く煮て冷やした食べ物で「あまがし」と呼ばれた。戦後は主に金時豆(または小豆)で作られるようになり、冷蔵庫の普及と共にかき氷を載せるようになった。最近では白玉などが入ることもある。沖縄以外の地域での温かい「ぜんざい」を、普通は冬しか食べない。

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【汁粉】

「汁粉」は、主に小豆を砂糖で甘く煮て、この中に餅や白玉団子、栗の甘露煮などを入れた食べ物。

『種類』

汁粉は餡の違いによって区別される場合が多い。基本的なものはこの3種類である。
・御前汁粉ー漉し餡を用いる。
・田舎汁粉ーつぶし餡を用いる。
・善哉ーぜんざいとも表記され、粒餡を用いる。関東等の一部地域では善哉を小倉汁粉と呼ぶ事もある。

汁粉には種類も多く、こうした基本的なものの他に以下のような物がある。
1・栗ぜんざいー栗餅に濃いめの漉し餡をかけたもの。
2・懐中汁粉ー最中の皮の中に粉末の漉し餡とあられを入れた日本古来のインスタント食品。湯を掛けて溶いて食べる。
3・クリームぜんざいー粒餡の汁粉を冷やし、その上からソフトクリームやアイスクリームといった冷たい西洋菓子をのせた物。

『地域色』

地方料理の一環として、小豆以外に白餡、栗、南瓜、百合根、枝豆(ずんだ)を用いて作る場合もある。
・小豆ぼうとうー山梨県で、餅の代わりに「ほうとう」を入れたもの。
・そばがき汁粉ー長野県松本市周辺地域で、餅の代わりに「蕎麦がき」を入れたもの。
・南瓜汁粉ー米の収穫が困難だった青森や北海道十勝地方では、餅の代用として南瓜・南瓜団子を入れたものがある。福井県では「冬至南瓜」と呼ばれる同様の料理がある。
・高知県とその周辺でよく作られる皿鉢料理では、甘味の料理として小倉汁粉が鉢に盛って出され、ぜんざいと称される。作り方はほぼ普通の小倉汁粉と同じだが、餅や白玉団子の代わりに、鳴門巻きや蒲鉾が用いられ、場合によってはホウボウなどの茹でた魚が丸ごと入れられる事もある。

『歴史』

江戸時代の寛永12年の「料理物語」の後段の蘭に、「すすりだんご」と称される物が載っている。これは、もち米6に対しうるち米4で作った団子を小豆の粉の汁で煮込み、塩味を付けたものであり、その上から白砂糖をかけた1種の汁物である。当初は甘い物ではなく、塩味で調理されており、酒の肴として用いられる事もあった。
鳥取県・島根県東部での雑煮における汁粉も、元来はこうした塩味の料理であったと考えられる。餡餅やおはぎなどとの関連性もあるものと見られる。

現在は甘味を増して喫茶店や甘味屋・茶店などで供されており、大阪の「夫婦善哉」(白玉団子の御前汁粉が2つの小さな御椀に入れられて供される)、仙台の「ずんだ汁粉」など地域色の出た汁粉が出されている。

特に甘味屋や茶屋においては、口直しや甘味を際立たせるものとして、塩昆布や漬物など塩味の濃い食品を添えて出す事が多い。また、長崎の卓袱料理においては「梅碗」という名で御前汁粉がデザートとして出される。「梅碗」という名前は、梅の花の塩漬けを汁粉に浮かべて出したからとも言われる。砂糖が貴重品だった時代の名残ともいわれるが、古い時代の卓袱料理の献立では汁粉以外の菓子類等が出されており、確証はない。

「すすりだんご」と称されるものは現在でも大分県等に残っており、トウモロコシ団子の汁粉を指したり、団子を野菜と煮たすいとんのような料理を指す事もある。

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04/10 餡

2014年04月10日 | スイ-ツ・お菓子

「餡」あるいは「餡子」とは、肉・野菜・豆類・芋類などを用いた餅や饅頭などの中身に入れる具のこと。

『概要』

餡には肉や野菜を用いた塩味の系統のものと豆や芋などを用いた甘味の系統のものとがある。ただし、豆や芋を用いたものも砂糖が普及するまでは塩味であった。

「餡」は元々詰め物の意であり、日本へは聖徳太子の時代に中国から伝来したとされ、中国菓子で用いられる肉餡がその原型となっていると考えられている。アズキを用いた小豆餡が開発されたのは鎌倉時代とされる。当初は塩餡であったが、安土桃山時代になって甘い餡が用いられるようになったとも、砂糖が用いられるようになったのは江戸時代中期からで高貴な身分に限られていたともいわれる。

「餡」は漢音では「カン」、宋音では「アン」である。「和漢三才図鑑」では「カン」との発音を示した上で俗に「アン」というとしている。

『甘味の餡』

豆餡・芋餡・栗餡は主に菓子類に用いられる。小豆をはじめとする材料を甘く煮た具や、デンプンを糊化した素材である。豆類では小豆のほか、ソラマメ、白インゲン、エンドウ豆など澱粉の含有量の多い物が用いられる。今日では小豆を煮詰めた小豆餡(豆沙餡)が最も代表的である。また、芋餡はサツマイモなどを用いた餡で、芋の種類により鳴門金時餡、紫芋餡などがある。栗餡はクリを用いた餡である。菓子類に用いられる餡として、豆餡、芋餡、栗餡のほか、南瓜餡、蓮の実餡、黒ごま餡、白ごま餡、ピーナッツ餡、くるみ餡、冬瓜餡、なつめ餡、バナナ餡などがある。

『餡の分類』

「原材料による分類」
・小豆餡ー小豆を用いた餡。饅頭などに入れられる最も一般的な餡。アントシアニンを多く含む。
・赤餡ー赤インゲン豆なと赤い種類の雑豆を用いた餡。
・白餡ー白インゲン豆など白い種類の雑豆を用いた餡。粒餡とこし餡があるが、後者が一般的で特に白練餡という。饅頭の皮などにも使用される。他の味付けや色を加えられ、練り切りなどの下地にされることも多い。
うぐいす餡ー青エンドウを用いた餡。
ずんだー枝豆の餡。宮城県と山形県の郷土料理

「加工度による分類」
・生あんー水分60~65%
・さらし餡ー生あんを水分4~5%程度にまで乾燥させた餡。使う時は水分を加えて戻す。
・練りあんー生あんや乾燥餡に砂糖を加えて練り上げた餡。少量の塩が入れられる場合がある。

「製造法による分類」
・つぶあん(粒餡)ー小豆をなるべく皮を破らないように裏漉し等をせず豆の形を残した餡。柔らかく煮上げて渋を切り、その生餡に甘味を加えて練り上げる。
・つぶしあん(つぶし餡)ー小豆を潰すものの豆の種皮は取り除かないもの。
・こしあん(漉し餡)ー小豆を潰して布等で裏漉しして豆の種皮を取り除いたもの。
・小倉あんーつぶし餡や漉し餡に蜜で漬けた大納言を加えて加工したもの。煮崩れしにくい大納言種の小豆の粒餡と粒の小さい普通小豆の漉し餡を混ぜたものが本来の小倉餡であるが、近年では粒餡の事を小倉餡と言う場合も見受けられる。
小倉餡の名前の由来は809年頃に空海が中国から持ち帰った小豆の種子を、現在の京都市左京区嵯峨小倉山近辺で栽培し和三郎という菓子職人が砂糖を加え煮詰めて餡を作り御所に献上したのが発祥とされる。
その後、小豆の栽培地が丹波地方などに移り品種改良も進んで古来の小豆「小倉大納言」は亀岡でわずかに残るだけとなっていたが、近年になって嵯峨小倉山の畑で栽培も行われるようになった。
・村雨ー漉し餡に米粉を加えそぼろ状に仕上げたもの。

「砂糖使用量による分類」
・並み餡ー生あん100に対して、精白・上白糖60~70、水飴0~5のもの。
・中割り餡ー生あん100に対して、精白・上白糖80~90、水飴5~10のもの。
・上割り餡ー生あん100に対して、精白・上白糖90~100、水飴10~20のもの。

「加工餡」
餡以外の材料を練り込んだものを加工餡という。一般的に白餡が用いられる。
・黄身餡ー餡に卵黄を加えて作られたもの。
・胡麻餡ー餡に胡麻を加えて作られたもの。
・味噌餡ー餡に味噌を加えて作られるもの。主に白味噌を加える。柏餅など使われる。
・抹茶餡ー餡に抹茶を加えて作られるもの。
・柚子餡ー餡に柚子を加えて作られるもの。
・桜餡ー餡に桜の葉を刻んだものを加えて作られるもの。

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