【リボンナポリン】
ボトルの中身は、暖かみのあるオレンジ色。キャップをねじると、シュワッと強めの炭酸がはじける。ごくりと飲み込むと、柑橘系の爽やかな味わいが喉に広がる。同時に体の底から、懐かしさもこみ上げてきた。
発売から今年で103年になる「リボンナポリン」。ポッカサッポロフード&ビバレッジが、道内だけで製造・販売する売れ筋商品だ。「なじみがありすぎて、逆に道内限定だと知らない人も多い」という。
40代以上の道民なら、プラスチックケースに入った瓶入りナポリンを思い出す人は少なくないだろう。まだペットボトルが普及していない時代。酒屋さんが各家庭を回り、酒と一緒にナポリンを配達していたものだ。
「ナポリン」は1911年、サッポロビールの前身、「大日本麦酒」が売り出した。その2年前には無色の炭酸飲料「シトロン」が登場。ともに、ビールの製造過程で発生するガスの有効活用を目的にした“副産物”だった。
今は無果汁だが、発売当初の「ナポリン」は、真っ赤な果肉と香りの良さが特長のブラッドオレンジの果汁を使っていた。原産地がイタリア地中海地域のため、爽やかなイメージがあるイタリアの港町・ナポリにちなんで名付けたという。
そのころは無色透明の飲料水が主流で、オレンジ色は斬新そのもの。当時の状況を記した「大日本麦酒概覧」には、「オレンジ色の液汁には純良なる糖分と蒸留水を混じ、炭酸瓦斯ほ飽和したるものにして、最も進歩せる文明的飲料なり」とつづられている。
実は、戦時中に飲料水の製造・販売が中断されるまで、「ナポリン」は全国販売されていた。とりわけ北海道は戦前から売上が好調で、戦後になって特に復活の要望が強かった道内に限定する形で54年に再発売され、現在に至っている。
なぜ北海道で「ナポリン」を望む声が多かったのか。その秘密は、飲料水の中で最も強い部類の甘味と、炭酸の強さにあるという。
販売元の北海道支社の本沢マネージャーは、甘い物好きとされる道民の嗜好と、乾燥した土地柄に強めの炭酸が合ったことに加え「暖かみのある色合いが、寒い北海道の人たちに愛されたのでは」と分析する。
日本上陸ととも飲料市場を席巻した「コカコーラ」の波が北海道に届く前に、「ナポリン」は道民の人気をさらった。
ただ、千種類の新商品を出しても三つしか生き残らない「千三つ」の言い回しがあるほど、飲料業界は近年、経営環境が厳しい。「ナポリン」も、この10年ほど苦戦を強いられている。
とはいえ、今年は反転攻撃の筋目になりそうだ。「シトロン」や「ナポリン」の発売当時、和装の女性まで髪に飾るほど流行していたリボンを、ほどなく商品名に冠した。その「リボンブランド」創設から今年で100周年。「さらに100年続くブランド」を合言葉に、商標の大胆な再活用を図る。
第一弾として4月14日、「ナポリン」と「シトロン」のラベルを、72年から2003年まで使われた、瓶を横にしたデザインに一新する。子供時代に「ナポリン」を飲んでいた30~40代への抜群の知名度を生かし、懐かしさを前面に打ち出すことで、その両親と子供の親子3代で飲んでもらう作戦だ。
さらに使用する砂糖を道産ビート100%に切り替え、地元企業との共同企画も展開する。製麺会社の「菊水」とともに、“リボンちゃん風味”の汁を使った「リボンちゃん冷やしラーメン」も4月に発売し、飲料水の枠組みを越えて「リボンブランド」を売り込む。
「ナポリンは北海道の人たちに育ててもらった商品なので、その恩返しをしたい」。11年にスタートした道内自治体の「ゆるキャラ」をラベルに掲載する事業や、大きな赤いリボンを髪に結んだキャラクター「リボンちゃん」が、地域のイベントに参加して盛り上げるキャラバンにも引き続き力を入れる。
【コアップガラナ】
「コアップガラナ」は、1960年、ガラナを原材料に誕生した清涼飲料。
ブラジル大使館の指導のもと、全国清涼飲料協同組合連合会(現在では、「日本コアップ(株)」として独立)が、「コアップガラナ」を統一商標とし、全国の中小飲料水製造業者が日本人の味覚に合うよう多少のリメイクを加え、炭酸飲料として製造販売したのが第一号。
コカコーラ社が全国にボトラー網を構築している頃であり、コカコーラに対抗できる清涼飲料ということでガラナに白羽の矢が立ったといほれている。
ほとんどの地域では、「コアップガラナ」は定着しなかったが、コカコーラのボトラー設立が他の地域より遅れた北海道では定着したとされる。以来現在に至るまで特に北海道では地サイダーとして特産品的飲料となるほど受け入れられている。