道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

8/31 「ショ-トケ-キ」と「ロ-ルケ-キ」

2012年08月31日 | スイ-ツ・お菓子

【ショ-トケ-キ】

「ショ-トケ-キ」は、洋菓子のケ-キの一種。ただし、その形態は国によって異なる。

『日本式のショ-トケ-キ』

日本では、スポンジケ-キを土台にして、ホイップクリ-ムをつなぎと外装に、そしてイチゴを味付けに使ったものを「ストロベリ-ショ-トケ-キ」といい、一般にこれを単に「ショ-トケ-キ」ともいう。

この「スポンンジケ-キ+ホイップクリ-ム+イチのケ-キ」を大正時代に日本に紹介して広めたのは「不二家」だが、発案者が誰なのかは伝わっていない。有力な説は、フランス菓子をアレンジした角倉国暉(コロンバン創業者)またはその周辺説、アメリカのケ-キをアレンジした不二家説など諸説あり、またそれぞれに交流があったとされる。

なお「不二家」がショ-トケ-キを販売したのは1922年とされており、日本にショ-トケ-キが広まるのはそれから30年後、冷蔵設備が一般家庭に普及する1955年以降となる。

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『アメリカ式のショ-トケ-キ』

アメリカ式のショ-トケ-キは日本式に見られるスポンジケ-キではなく、「ビスケット」と呼ばれるパンとケ-キの中間のようなものを土台にしている。これは小麦粉の生地にショ-トニングやラ-ドを加え、重曹とベ-キングパウダ-で膨らませた、外側はサクサクとして内側はふっくらとした食感のあるパンケ-キであり、英国のプレーンのスコ-ンとよく似ているが、スコ-ンと比べてあっさりしているのが特徴である。

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『フランス式のショ-トケ-キ』

フランスにおけるショ-トケ-キは、スポンジはア-モンドペ-ストが入ったしっかりしたもので、つなぎや外装にはクリ-ム、バタークリ-ム、クリ-ム・ム-スリ-ヌなどが使われている。日本でも本格フランス菓子を標傍する店では、このフランス式ショ-トケ-キを「フレジエ」として出しているところが多い。中には主にイチゴをはさみ、ピンク色に染めて薄く伸ばしたマジパンで表面を覆うのが一般的である。イチゴとバニラを使ったム-ス状のショ-トケ-キをフレ-ズ・バニ-ユと呼ぶ。

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【ロ-ルケ-キ】

長い長方形に焼いたスポンジケ-キに、ジャムやクリ-ム類(ホイップクリ-ム、バタークリ-ム、貸す多度クリ-ムなど)、細かく切った甘露煮にした果物などをのせ、渦巻き状に巻いたもの。スポンジ生地にはココア、コ-ヒー、抹茶などを混ぜて作られる場合もある。スポンジを巻いてつくるため基本的に完成時は円柱むで、食べる時にには原則として適当な厚さに輪切りする。

英語では「スイスロ-ル」と称し、ジャムを巻いたものを特に「ジェリーロ-ル」と称する。

日本では山崎製パンが昭和30年代に発売した「スイスロ-ル」が一般家庭のおやつとして普及した。

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果物やチョコレ-トなどでデコレ-トされたロ-ルケ-キ

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8/30 アップルパイ

2012年08月30日 | スイ-ツ・お菓子

「アップルパイ」とは、砂糖煮にしたリンゴを詰めて天火で焼いたパイのこと。「アップルパイ」にアイスクリ-ムを添えて供されるものは「アップルパイ・ア・ラ・モ-ド」と呼ばれる。

「アップルパイ」はアメリカを代表するデザ-トで「アップルパイのようにアメリカ的だ」という慣用句があり、日本人にとっての味噌汁同様に「お袋の味」を連想させる。

アメリカでの「アップルパイ」の歴史は、イギリスからやって来たピルグリムがリンゴの種を蒔いて育て、収穫したリンゴでアップルパイを作ったことにさかのぼる。感謝祭は、七面鳥の丸焼きやコ-ンブレッドの他にアップルパイを出すことが多い。

日本で普及している「アップルパイ」

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アメリカで普及している「アップルパイ」

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弘前市名物の2メ-トルの「アップルパイ」

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8/28 「サンドイッチ」と「ハンバ-ガ-」

2012年08月28日 | 食・レシピ

【サンドイッチ】

パンに具を挟むという料理は、古代ロ-マのオッフラ、インドのナン、中東のピタ、メキシコのタコスやブリ-ト等、古くからあったものである。1世紀のユダヤ教の律法学者ヒルは、過越の時に、犠牲の子羊の肉と苦い香草とを、昔風の柔らかいマッツアー(酵母を入れない平たいパン)に包んだと言われている。西アジアから北アフリカにいたる地域では昔から、食べ物を大皿から口へ運ぶのに、このような大きく膨張させないパンを使い、すくったり、包んだりして食べた。

中世ヨ-ロッパでは、古く硬くなった粗末なパンを、食べ物の下に敷く皿がわり(トレンチャ-)に使っていた。下敷きのパンは食べ物の汁を吸う。これを食事の最後に食べたり、腹が満たされている場合には、乞食や犬に与えた。このトレンチャ-は、オープン・サンドイッチの前身といえる。英国風サンドイッチのより直接的な前身は、17世紀ネ-デルランドに見ることが出来る。博物学者ジョン・レイは、居酒屋の垂木に吊されている牛肉を、「薄くスライスされ、バターの上にのせられ、バター付きパンと一緒に食べられる」と記している。

初めは夜の賭博や酒を呑む際の食べ物であったが、その後、ゆっくきりと上流階級に広がり始め、貴族の間で遅い夜食としても食べられるようになった。19世紀には、スペインやイングランドにおいて、爆発的に人気が高まった。この時代は工業社会の発展時期であり、労働者階級の間で、早い・安い・携帯できる食べ物としてサンドイッチは欠くことのできないものとなった。

サンドイッチの名は、当時のイギリスの貴族、第4代サンドウイッチ伯爵ジョン・モンタギュ-にちなんで付けられたものであるが、彼はサンドイッチを発明したわけでも、推奨したわけでもない。

カツサンドと白スパサンド(帯広・満寿屋)

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【ハンバ-ガ-】

「ハンバ-ガ-」とは、挽肉を薄い円に固めて(ミ-トパティ)焼いたハンバ-グを、同じく円形に成形して2つ割にしたパン(パンズ)に挟み込んだアメリカ合衆国の料理。

ハンバ-ガ-の誕生や命名の由来については諸説がある。挽肉料理のル-ツは遊牧民・タタ-ルに由来すると考えられているタルタルステ-キに翻るとされているか、これがヨ-ロッパを経由して独自の発展を遂げ、ハンブルク風(=ハンバ-ガ-)ステ-キとしてアメリカに伝わったと考えられている。1891年の文献には既に「ハンバ-ガ-ステ-キ」の文字が見られ、1904年、セントルイスで開催されたセントルイス万国博覧会の会場内でハンバ-ガ-ステ-キを挟んだサンドイッチが「ハンバ-ガ-」という表記のもとで販売されていたとちいう事実らも、20世紀の初頭には専用の丸いパンと組み合わさり、今日のハンバ-ガ-の原型が誕生したと考えられる。

このほか、1900年にコネチカット州ニュ-ヘイブンの食堂で開発されたという説や、ウイスコンシン州シ-モアの店が1885年にハンバ-ガ-を考案したという説もある。また、ニュ-ヨ-ク州ハンバ-グ村は、ドイツの都市ハンブルグではなく、自身がハンバ-ガ-の名称の由来であると主張している。

ハンバ-ガ-は、1940年代にマクドナルド兄弟がカリフォルニア州に開いたドライブインでメニュ-に出され、評判になったことで、アメリカを中心に各国に広がった。日本では、終戦後、米軍基地周辺で知られていたが、バンズに挟んだハンバ-ガ-は銀座の松屋の地下食堂で1966年にお目見えした程度であり、広く認知されたものとは言えなかった。1971年、日本マクドナルドか銀座に1号店を開店し、そこから一気に一般化した。

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8/26 向日葵

2012年08月26日 | まち歩き

道内に於いて「向日葵」で有名なのは北竜町です。観光資源として内外に宣伝し、観光客を引き寄せています。

帯広近郊にも広大な畑に「向日葵」が植え付けられています。しかし、これは北竜町の向日葵のような観光資源ではありません。畑の連作障害を防ぐための救荒が目的です。そのため、満開の8月26日には、トラクターによる鋤込み作業が実施されていました。目的が違うのて毎年同じ畑に植え付けされていません。綺麗な「向日葵」を探すのは広い十勝平野を走り回る必要があります。

以下の写真は、幕別町の2カ所の畑の「向日葵」です。

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8/25 「煎餅」と「おかき」

2012年08月25日 | スイ-ツ・お菓子

【煎餅】

「煎餅」とは、穀物の粉を使って作る食べ物で、多くは薄い形状をしている。日本では焼き菓子の一種で、薄くて、パリッとしており、力を加えると割れるような固い菓子の一部を指して「煎餅」と呼んでいる。中国では、小麦粉、栗、緑豆などの粉を水で溶いて、鉄板上に広げて焼いた一銭洋食に似た食品をいう。

日本における煎餅には、大きく分けて小麦粉、卵などを原料にするもの、米を原料にするもの、馬鈴薯などの澱粉を用いるものの3種類がある。

日本で「煎餅」の記述がでてきたのは正倉院所蔵の737年頃の文書である。ただし、ここに登場する「煎餅」は現在のものと違い、小麦粉を油で固めた「いりもち」である。

最も現在に近いものでは、日光街道の2番目の宿場町だった草加宿(現在の埼玉県草加市)で団子屋を営んでいた「おせん」という老婆が、ある日、侍に「団子を平らにして焼いたらどうか」と言われ始めたのが名前の由来、とよく知られた挿話がある。しかし、これは草加市出身の全国紙記者が「草加煎餅」を広めようと創作したものととも言われている。

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【おかき】

「おかき」は、餅米を原料にした菓子、欠き餅ともいう。餅を小さく切り、乾燥されたものを表面がきつね色になるまで炙った米菓子。

小粒なものを「あられ」と呼ぶが、本来は餅米をそのまま炒ったものを「あられ」、なまこ餅(なまこに似た形状に成形された餅)を切って干し、焼いたものを(かき餅)をおかきと呼んでいた。しかし、現在では同じ餅を原料とした焼き菓子を大きく区別しているに過ぎない。

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8/24 「クッキー」と「ビスケット」

2012年08月24日 | スイ-ツ・お菓子

「クッキー」は、小麦粉を主原料とした焼き菓子である。「クッキ-」は北米で使われる言葉で、それ以外の英語圏では一般的に「ビスケット」と呼ばれる。「クッキ-」と「ビスケット」は国・地域や言語によって混同されていたり、異なるものであったり定義はまちまちである。

【日本におけるクッキーとビスケットの違い】

1971年に日本では、全国ビスケット協会が、当時ビスケットより高級と考えられていた「クッキー」の名称で安価な「ビスケット」を販売するのは消費者に誤解を与える恐れがあるとし、「ビスケット類の表示に関する公正競争規約」の中で表示基準を明確に定めた。

「ビスケット」。日本におけるビスケットは「小麦粉、糖類、食用油脂および食塩を原料とし必要により澱粉、乳製品、卵製品、膨張剤、食品添加物の原料を配合し、または、添加したものを混合機、成形機およびビスケットオーブンを使用し製造した食品」。

「クッキ-」は、「手作り風の外観を有し、糖分、脂肪分の合計が重量百分比で40%以上のもので、嗜好に応じて、卵、乳製品、ナッツ、乾果、蜂蜜などにより製品の特徴づけをおこなって風味よく焼き上げたもの。

クッキ-

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ビスケット

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8/23 「木炭」と「備長炭」

2012年08月23日 | 豆知識

【木炭】

「木炭」とは、木材などの植物組織を半ば密封した状態で加熱し、炭化させて得られる炭である。主成分は炭素であり、ごく微量のアルカリ塩を含む。

材料の木材から揮発成分を抜いたものであり、木材と違い炎が出ないかまたは少ない。炭化させる素材はもちろん、炭化温度や熟成時間などの方法によっても生成する木材の性状は様々で価格も異なる。

木炭が酸素の少ない灰の中でも燃えるのは、炭酸カリウムが含まれているからである。この炭酸カリウムは植物中のカリウムに由来するものである。水溶性なので木炭を長く流水に浸したものは炭酸カリウムが溶け出してしまい、着火性が極端に悪くなる。

日本ではナラ、ブナ、カシ、クヌギなどの木材を炭化した物が主に使われてきたが近年では竹を炭化した竹炭も注目されている。

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【備長炭】

「備長炭」とは、和歌山県熊野地方で産する良質の木炭。

「備長炭」は、元禄年間(1688~1704)に紀州国田辺(現在の和歌山県田辺市)の備中屋長左エ門が、ウバメガシを材料に作り、販売を始めたことから、「備長炭」の名がついた。

「備長炭」は炎や煙を出さず、灰も少なく、遠赤外線効果もあることから、鰻の蒲焼きや焼き鳥など、炭火焼き料理で使われる。

今日では、備長炭の定義が拡大してしまったため、和歌山県産の備長炭を「紀州備長炭」と呼んで差別化をはかっている。その他の地方産には、「土佐備長炭」「日向備長炭などがある。

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8/22 「石炭」と「コークス」

2012年08月22日 | 豆知識

【石炭】

「石炭」とは、古代の植物が完全に腐敗分解する前に地中に埋もれ、そこで長い期間地熱や地圧を受けて変質(石炭化)したことにより生成した物質の総称。見方を変えれば植物化石である。

「石炭」は古くから燃料として使われてきた。特に産業革命以後20世紀初頭まで最重要の燃料として、また化学工業や都市ガスの原料として「黒ダイヤ」「黒いダイヤ」「黒の宝石」等と呼ばれていた。第一次世界大戦前後から、艦船の燃料が石炭の2倍のカロリ-を持つ石油に切り替わり、戦後中東で大量の石油が採掘され1バレル1ドルの時代を迎えると、産業分野でも石油の導入が進み(エネルギ-革命)西側先進国で採掘条件の悪い構内掘り炭坑は廃れた。

しかし、1970年代に二度の石油危機で石油がバレル12ドルになると、産業燃料や発電燃料は再び石炭に戻り、米国やドイツや中国などでは現在も最も重要なエネルギ-源である。ただし、日本では国内炭坑は復活しなかった。豪州の露天掘りなど、採掘条件の良い海外鉱山で機械化採炭された、安価な海外炭に切り替わっていたからである。海上荷役も原油に次いで石炭と鉱石が多く、30万トンの大型石炭船も就役している。

他の化石燃料である石油や天然ガスに比べ、燃焼した際の二酸化炭素排出量が多く地球温暖化問題の面から不利だが、天然ガスも石油も数十年の埋蔵量しかないのに比べ、石炭は110年程度の埋蔵量がある。また石油と違い政情の安定している国の埋蔵量が多く、価格も安定しているほか、日本を含む多くの国にとって石炭は有事の場合に自給可能な唯一の燃料である。

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【コークス】

「コークス」とは、石炭を乾留(蒸し焼き)した燃料のことである。蒸し焼きにすることで石炭から硫黄、コ-ルタ-ル、ピッチなどの成分が抜ける。この乾留工程を経る事で燃焼時の発熱量が元の原料の石炭より高くなり、高温を得ることが出来ることから蒸気機関車や鉄鋼業などを中心に、現在においても重厚長大産業には欠かせない燃料となっている。外見は石炭に似るが、多孔質であるため金属光沢は石炭に比して弱い。多孔質は、乾留(1300度以上)の際に石炭中の揮発分が抜けて出来るものであり、結果的に炭素の純度が高まり、高温度の燃焼を可能とする。

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8/21 「マツタケ」と「シメジ」

2012年08月21日 | 豆知識

匂い「マツタケ」、味「シメジ」とよく言われるが、その違いを認識している人は意外と少ない。

【マツタケ】

「マツタケ」は、キシメジ科キシメジ属キシメジ亜属マツタケ節のキノコの一種。養分の少ない比較的乾燥した場所を好む。秋にアカマツの単相林のほか針葉樹が優占種となっている混合林の地上に生える。菌糸体の生育温度範囲は5-30度、最適温度は22-25度で、菌糸の成長速度は遅い。

その子実体は「マツタケオ-ル」による独特の強い香りを持ち、日本においては食用キノコの最高級品に位置付けられている。発生時期には地域差があり、高緯度の冷涼な地域での発生は、8月末頃から始まり九州などの比較的温暖な地域では、11月末頃まで発生する。

マツタケを採るのは難しい。通常のキノコのように地表に顔を出して傘が開ききってしまえば、香りも味も落ちる、このため、地表から僅か1-2センチ程度顔を出したところを見極め、根元から押し上げるようにして採取する。また、地衣類が多い林地では傘が地上に見えないこともある。現在のところ人口栽培することができず、自然に発生したものを収穫している。

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【シメジ】

「シメジ」と言えば本来キシメジ科のキノコ、とりわけキシメジ科シメジ属のホンシメジを指す。場合によっては、漫然と他のシメジ科のキノコ(ハタケシメジ、シャカシメジ、ブナシメジ)も含めた総称とされることもある。ホンシメジは、生きた木の外生菌根菌であるために栽培が非常に困難であり、ほぼ天然に限られた稀少なため高級品とされる。ほとんど流通していない。

かって「ホンシメジ」の名で流通していたキノコは「ブナシメジ」の栽培品である。「匂いマツタケ 味シメジ」と言われるシメジは「ホンシメジ」である。グアニル酸、グルタミン酸、アスパラギ酸などの旨味成分が多く含まれている。

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8/20 たこくん

2012年08月20日 | 食・レシピ

先日、白糠町の「やまかん」に海鮮料理を堪能しに行ったおり、買い求めたのが、「やまかん」の隣に立地する「大森水産」の「たこくん」です。

白糠町の名産に「柳だこ」があります。その「柳だこ」を乾燥し、一口大にカットしたのが「たこくん」です。タコの加工品は数種類ありますが、食べやすさ、固さが丁度よく、私好みがこの「たこくん」です。

大森水産は「乾燥技術」に優れているため、旨い「こまい」も数種類あり、その他の海産物にも挑戦しています。

ただし、注意することが一つあります。「たこ」にしても「こまい」にしても、乾燥のため固くなっています。入れ歯の人、歯の弱い人は、口に投入後、唾液で柔らかくしてから味わってください。

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8/18 蟹比べ

2012年08月18日 | 食・レシピ

『たらば蟹』

「たらば蟹」

甲羅の中央部に、6個テンテンがあります

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「あぶら蟹」

この「あぶら蟹」を「たらば蟹」と称して販売している店があります。その見分け方は、中央の点々が「たらば」は6個、「あぶら」は4個です。なお、網走地方などでは「あぶら」の方が美味と言う人もいます。

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『毛蟹』

「毛蟹」

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「くり蟹」

「毛蟹」と「くり蟹」の区別は素人には判別つきません。特徴と言えば、「くり蟹」の方が黒ずんでいることです。

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『花咲蟹』

「花咲蟹」は、根室海峡と北方4島の狭い海域で採れる蟹で、乱獲がたたり、日本領海ではほとんど採れなくなっています。現在、流通している「花咲蟹」は、ロシアかの輸入品か、わずかに採れる根室海域産か、最悪、密漁品です。


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8/17  来客食事③

2012年08月17日 | 食・レシピ

17日はメインイベントの白糠町の「やまかん」での海鮮料理でした。

玄関前にて、アイスボックスも用意済みです。

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さあ-食べるぞ。意識は半分テ-ブルの上に。

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今日のメインは3種のカニの食べ比べです。まず、毛蟹と花咲蟹。花咲蟹に北海道内だけで食べることが出来る貴重品です。三人前です。

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焼きタラバ蟹。さすがに一匹丸ごとは出ませんでした。

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毛蟹の身と蟹味噌和え。蟹味噌で濃厚な味になりました。道彦が作る。

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3種の蟹の残骸。見事な食べっぷりです。

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鯨のベ-コン。調査捕鯨でか入手出来ない貴重品なので少量でした。3人で一皿

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刺身盛り合わせ。っぶ・まぐろ3種・北寄貝・サンマ・カンパチ。蟹を含めて冷凍品を一切使用していないので極めて新鮮な刺身です。これで三人前です。

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今朝漁獲されたサンマの塩焼きとイクラ丼。満腹でほとんど自宅へ持ち帰り。

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檄旨ー鮭と牡蠣のチャンチャン蒸し。絶品なので、具とス-プは自宅へ持ち帰り。

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デザ-ト。すごく甘い葡萄でした。

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満腹だ~~~太る~~~、放心状態

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8/17 来客食事②

2012年08月17日 | 食・レシピ

8月15日

午前中はお墓の掃除に女性軍が出動、終了後の昼食は「みそラ-メン」。夜は花火大会のため早めの夕食となりました。

百合根・ベ-コン・シシトウの塩コショー炒め

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茄子の甘味噌つけ

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宝栄食堂の名物「餃子」

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16日は盆踊りのため、昼食は冷蔵庫の掃除、夕食は「刺身」でした。

 



 8/16 アイスクリ-ム

2012年08月16日 | スイ-ツ・お菓子

「アイスクリ-ム」は、牛乳などを原料にして、冷やしながら空気を含むように攪拌してクリ-ム状とし、これを凍らせた菓子である。そのうち柔らかいものは「ソフトクリ-ム」と呼ばれる。国によっては、法令で「アイスクリ-ム」の規格を規定する場合がある。日本では、乳固形分及び乳脂肪分の高いもののみを指す。ただし、日常会話では、このような細かい定義に従うことは稀である。日本におけるアイスクリ-ムと氷菓は「乳及び乳製品の成分規格等に関する省令」及び「アイスクリ-ム等及び氷菓の表示に関する公正競争規約」によって分類されている。なお、アイスクリ-ムは氷点下18度以下で保存されることが前提であり、適切な温度で保存されれば細菌等の繁殖もないが、不適切な温度管理をすれば変質し二度と元に戻らないことから、保存期間りも温度管理が重要である。そのため、日本を含め世界的に賞味期限や消費期限の表示義務はない。

【アイスクリ-ム】

「定義」

重量百分率で乳固形分15.0%以上、うち乳脂肪分8.0%以上のもの」

名の通りクリ-ムのみで作ると脂肪分が半分近くを占めるため、ホ-ムメイドでは牛乳に生クリ-ムを混合させる形が取られる。また、メ-カーは濃縮乳を使用したり、生乳をベ-スに生クリ-ムを混合させたりといった様々な工夫で「アイスクリ-ム」を冠するべくして乳脂肪を調整する場合もある。

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【アイスミルク】

「定義」

重量百分率で乳固形分10.0%以上、うち乳脂肪分3.0%以上のもの

名の通りミルク(生乳)のみの本来の方法でアイスを作ると、牛乳の成分にもよるが乳脂肪分は3~4%になる。

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【ラクトアイス】

「定義」

重量百分率で乳固形分3.0%以上のもの。

ラクトとはラテン語で「乳」を意味する。乳固形分がアイスミルクより少なく、アイスクリ-ムの風味を出すため植物系油脂を混合するなどして脂肪分を補った製品の場合、カロリ-がアイスクリ-ムやアイスミルクよりも高い場合がある。

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8/15 来客食事①

2012年08月15日 | 食・レシピ

帯広名物の豚丼(11日)

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ウニのクリ-ムソ-スパスタ(以下13日夕食)

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アワビの刺身

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アワビとシメジのバター炒め

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アサリとホタテ(小)の炊き込みご飯

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ウニの卵とじ

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ビ-ルも旨い、満足じゃ~、満腹だ~、太るよ~~

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12日夕食は新鮮な回転寿司(写真なし)、そして13日の食事と続きました。、ワラビの漬物、など北海道らしい食事でした。しかし、調理したのは札幌から来ていた息子でした。来客に生のウニが苦手な人がいたので、食べれるような料理を作っていました。その結果、ウニの入ったパスタ、卵とじなどをパクパクでした。

息子は料理人ではありませんが、料理が好きなのだそうです。

帯広に来て以来、豚丼(11日夕食)、回転寿司(12日夕食)、特上サガリ等の焼き肉(13日昼食)、14日は花火大会のため、おにぎりと鶏の空揚。、これからもまだまだ続きます。帰るまでに益々太って下さい。

15日以降の食事は第2報にて。