道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

10/31 世界の料理⑦

2013年10月31日 | 食・レシピ

【ケジャン】

「ケジャン」は、韓国料理の一つで、生のワタリガニを塩、漬け込みダレに漬けて熟成させた料理。漬け込みダレの違いにより、醤油味の「カンジャケジャン」とヤンニョムを使った唐辛子味の「ヤンニョムケジャン」がある。
通常加温せず生のまま食べる。5月~6月頃がワタリガニの旬であるとされ、この時期に穫れるものを使ったケジャンが美味とされる。韓国各地の海鮮料理店や焼肉料理店などで提供されるほかケジャン専門店も存在する。百貨店の総菜売り場や市場などでも販売されている。

『カンジャンケジャン』

「カジャンケジャン」は、新鮮な生のワタリガニを漬け込み醤油ダレに漬け込み熟成させた料理。
韓国タレ(ヤムニョム)で作った赤いケジャン(ヤムニョムケジャン)と、醤油ベースで味付けをした(カンジャンケジャン)、この2種類がある。
生のワタリガニをそのまま調理するのでワタリガニの新鮮度が重要である。清浄な海域から穫れた新鮮なワタリガニを使うことで最高の味を保証できる。
旬のメスのワタリガニを使って作ったものは、卵が詰まっていて肉が硬く、しっかりと味を楽しむことができる。これを食べるとご飯が進むことから「ご飯泥棒」と言われている。

『カンジャンケジャンの効能』

ワタリガニは肉質が他のカニより多くタンパク質やカルシウム、ビタミン、ミネラルなどを含まれているので生で調理しても適したものである。
特にカニはキトサンという成分があるので骨を丈夫にしてくれることと共に老化の防止に効果がある。また、タウリンは女性には産後の痛みや生理傷害を減らす。
ワタリガニにはコレステロールが多いと考えられるが、コレステロールでも体に役に立つ成分のコレステロールなのでむしろ脂肪を燃やし、血管を綺麗にしてくれるダイエット食品でもある。さらに血管を丈夫にする働きが成人病を予防してくれるる

『食べ方』

1.盛り合わせ:カットする>開ける>切り取る>カットする。
2.背と腹の皮を先に切ってから肉を切れば肉かが崩れない。
3.カンジャンケジャンソースをかけて食べる。
4.残りのカニ味噌をご飯と混ぜて食べるのが定番。

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【純豆腐(スンドゥブ)】

「純豆腐」は、韓国の豆腐の一種で、日本の汲み出し豆腐(おぼろ豆腐)に相当する柔らかい豆腐である。チゲのメイン食材として使われることが多いので日常の会話では、豆腐そのものよりも「スンドゥブチゲ」の略称として使われることが多い。スンドゥブチゲは食堂や家庭で一般的かつ安価で親しまれている鍋料理である。

「スンドゥブ」

豆腐そのもののスンドゥブは、豆乳に凝固剤を加えた状態のままのもので、絞らないので水分を多く含み柔らかである。チゲなどの食材とするほか、そのままヤンニョムカンジャン(薬味入りの醤油)などをかけて食べたりする。スンドゥブの呼称は「純豆腐」の朝鮮語読みとも「水豆腐(スドゥブ)が変化したのとも言われているが、定説はない。但し現在では漢字表記で紹介されるときは「純豆腐」と書かれることが多い。

「スンドゥブチゲ」

スンドゥブチゲは、その名の通りスンドゥブを使った鍋料理である。小型の土鍋などにアサリやシジミを敷き、スンドゥブと肉・野菜を入れて水またはスープを張り、コチュジャン、唐辛子粉、ニンニク、ゴマ油などを使った合わせ調味料で辛味の味付けをして煮込み、最後に生卵を落とす。

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10/31 ハロウィン

2013年10月31日 | 豆知識

【ハロウィン】

「ハロウィン」とは、毎年10月31日に行われる、古代ケルト人が起源と考えられている祭りのこと。元々は秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な意味合いのある行事で、歴史的にイギリスやアイルランドなどアングロ・サクソン系諸国で祝われていたが、現代では特にアメリカで民間行事として定着して、本来持っていた宗教的な意味合いはほとんど無くなっている。
カボチャの中身をくりぬいて「ジャック・オー・ランタン」を作って飾ったり、子供達が魔女やお化けに仮装して家々を訪れお菓子をもらったりする習慣などがある。

『概要』

ケルト人の1年の終わりは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねて来ると信じられていたが、時期を同じくして出てくる有害な悪霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火をしていた。
これに因み、31日の夜、カボチャ(本来はカブ)をくりぬいた中に蝋燭を立てて「ジャック・オー・ランタン」を作り、魔女やお化けに仮装した子供達が近くの家を1軒ずつ訪ねては「ご馳走をくれないと悪戯するよ」と唱える。
家庭ではカボチャの菓子を作り、子供達は貰った菓子を持ち寄り、ハロウィン・パーティーを開いたりする。お菓子を貰えない場合は報復の悪戯をしてもよい。

「ハロウィン」の語源は、カトリック教会で11月1日に祝われる「諸聖人の日」の前夜にあたることから、諸聖人の日の英語での「All Hallowsのeve」が訛って「Halloween」と呼ばれるようになった。

諸聖人の日は、7世紀までは5月13日に祝われていたが、ケルト人が自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗する過程でケルトの収穫祭に合わせてカトリック教会か諸聖人の日を11月1日に設定したとされる。

なお、現代のキリスト教会では、ハロウィンの習俗がキリスト教的ではないとの認識で概ね一致しており、たとえばキリスト教会では、「諸聖人の日」は祭日とされているがハロウィンは無視されており、聖公会も同様でプロテスタントも含めハロウィンに対する態度は、様々である。

以前には、アメリカで、キリスト教徒の家庭にカトリック教徒の子供が仮装して訪れ、ハロウィンの習慣のないキリスト教徒から強盗と間違われ射殺される悲劇が起きている。

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10/30 世界の料理⑥

2013年10月30日 | 食・レシピ

【ユッケ】

「ユッケ(肉膾)」は、生肉を用いた韓国の肉料理。

『概要』

原語読みでは「肉」はユク、「膾」はフェの発音で、連音化して「ユッケ」と聞こえる。「膾」は獣や魚の生肉を細かく刻んだもの「(なますや刺身の一種)の意味である。

この名称が示す通り、生肉を使った韓国式のタルタルステーキ風料理である。生の牛肉(主にランプなどのモモ肉)を細切りにし、ゴマやネギ、松の実などの薬味と、醤油やゴマ油、砂糖、コチュジャン、ナシの果汁などの調味料で和え、中央に卵黄を乗せて供することが多い。ナシやリンゴの千切りを添えることも多く見られる。食前によくかき混ぜるのが良いとされる。

ユッケをビビンバに乗せたものは、「ユッケビビンバ」と称される。普州市の郷土料理は特によく知られており、ご飯やナムルの上に載った赤い牛肉を花に見立ててファバン(花飯)とも呼ばれている。

『古書におけるユッケ』

1800年代末期の『是義全書』に掲載されている調理法では、薄く切って血抜きした牛肉を千切りにし、ネギ、ニンニク、唐辛子、蜂蜜、油、松の実、ゴマ、塩などで和えるとしている。また食べる際にはコチュジャンと食酢を合わせたチョコチュジャンを加えるのもよいとされている。

『日本におけるユッケ』

日本でも焼肉店の定番メニューである。そのほか各種の料理店では様々にアレンジされ、牛の舌(タンユッケ)、牛の内臓、鶏肉、マグロ、鰹、馬肉で作られる場合もある。

『ユッケの安全性』

ユッケは生肉を食するものであるため、腸管出血性大腸菌やサルモネラなどに感染する可能性があると言われていいるが、内部組織へ菌が侵入しないため、大きな塊を使用し、周りを削り落とす「トリミング」によれば菌低減のこ効果がある。
また、業界団体である全国焼肉協会は、「
生食用食肉の取扱」では「安全性の確保についてはお店の対応次第で、ゼロリスクに近づける」としている。

旧厚生省は「生食用食肉の衛生基準」により生食用食肉の衛生管理について定め、これに沿った食肉に限り「生食用」と表示することとしている。
この基準については「膨大な金額がかかり、検査に合格する頃には生肉ではなくなるので実質的な禁止措置」との批判が当初からあった。したがってこれに基づく生食用食肉の出荷実績があるのは馬肉とレバーのみで、牛肉の出荷実績のある施設はなかった。

厚生労働省の発表している食中毒統計よれば、ユッケが原因と見られる事例は10年間で13件の食中毒が発生している。2011年4月に起きたユッケ集団食中毒事件はユッケの危険性を広く社会に知らしめた。

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【プデチゲ】

「プデチゲ(部隊チゲ)」は、韓国のチゲの一種。肉、野菜、豆腐などといった一般的なチゲの材料と共に、ソーセージまたはスパムに代表されるランチョンミート、インスタントラーメンといった保存食の食材を辛味のスープで煮込んだ、大衆的鍋料理である。

『概要』

在韓米軍部隊の多い京義道議政府市や平沢市が本場とされ、専門店が軒を連ねるが、その由来には諸説があり、朝鮮戦争中やそれ以降の混乱期に在韓米軍部隊かの残飯や援助物資・放出物資に唐辛子を混ぜて作られたとも、米軍と補給を融通しあっていた韓国軍部隊の若い兵士が共同生活をする中で広まったともいわれる。

1960年代に、おでんを売った店でおつまみで売ったのが始め。初期には炒め料理だったが、次第に現在の姿に変化した。なお、インスタントラーメンの普及は朝鮮戦争後である。韓国の外食メニューとして一般的であり、現在は日本の韓国料理店でも提供するところが多い。

『作り方』

肉系のスープに唐辛子粉、キムチなどで辛味を加え、ここで豚肉などの肉、白菜、ホバク(韓国のカボチャ)などの野菜、豆腐やトック(韓国餅)、そして特徴であるハム・ソーセージ、缶詰のランチョンミート、インスタントラーメンなどを煮込む。

基本的には「キムチチゲ」と近い料理のため、韓国ではハム・ソーセージ、ランチョンミートなどの象徴的な材料さえ入れれば、後は何を入れても「プデチゲ」と見なされる事が多い。

『提供方法』

キムチチゲ、テンジャンチゲなど多くのチゲ類は、一人分の量を小鍋で作って供されるが、プデチゲは日本の鍋物のように、食卓の中央の大鍋で作りながら、皆で取り分けて食べるのが一般的である。

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10/29 世界の料理⑤

2013年10月29日 | 食・レシピ

【カルビ】

「カルビ」は、朝鮮語で肋骨を意味するが、韓国料理においてはその周辺に付いている肉、つまりバラ肉のことを言う。多くの場合牛のカルビの焼肉を指すが、豚、鶏においてもカルビと言うこともある。

『概要』

韓国では、一般にカルビと言えば牛バラ肉(ソカルビ)を指す。骨付きカルビもあるが、BSE問題以降は減っている。肉自体はカルビ肉(カルビサル)という。一頭の肉牛から約40キロのカルビ肉がとれ、赤身そのものは硬いが細かく入った脂肪分が多いため全体として柔らかく、旨味に富む。焼肉(カルビグイ)が高級外食として有名で、専門店も多く海外でも人気がある。そのほか、カルビタン(スープ)、カルビチム(煮物)などに調理される。特上の肩バラ肉である三角バラは、チョッカルビと呼ぶ。

焼肉に使われるカルビは包丁を入れて切り開き、端に骨をつけた帯状に整形されることが多いが、近年骨ごとスライスした手軽な「LAカルビ」も増えている。

一方で豚バラ肉(デジカルビ)の焼肉がある。豚バラ肉のジューシーな旨味が味わえ、金銭的にも牛カルビと比べると格安で、実際にはこちらの方がポピュラーである。調理法によっては「サムギョプサル」となる。
また、鶏肉を野菜やトックとともにピリ辛のソースで炒めたものを「タッカルビ」、鯖の開き(干物)を焼いたものを「コガルビ」などと称するが、もちろんこれは鶏や鯖の「バラ肉」を使うというものではない。

『料理』

「カルビグイ」

牛カルビの焼肉には、ヤムニョンに漬け込んで下味をつけてから焼く「ヤンニョムカルビ」と、下味をつけずに焼く「センカルビ」がある。
「ヤンニョム」は醤油・酒・砂糖・ゴマ油などを混ぜた甘味の調味料で、風味付けや肉を柔らかくするために果物の果汁を加えることがある。
肉は漬ける前に包丁を入れて、端に骨をつけた帯状に整形されることが多く、これをテーブルのコンロや七輪で網焼きしながら切り分け、好みでニンニク、青唐辛子などの薬味と共に、サンチュなどの葉物に包んで食べる。
「センカルビ」は、焼いた後に塩。コショウなどで味を整えがら食べる。専門店には炭火焼きを売り物にするところも多く、それ以外にも鉄板で焼いたり、キッチンで調理して焼き上がりを提供するなど形態は様々である。

「テジカルビ」

一般に「テジカルビ」と言えば、ヤンニョムに漬け込んだ豚バラ肉を焼くものである。基本的なレシピや食べ方は「ソガルビ」と変わらない゛、牛肉と違ってよく焼く必要がある。バリエーションとしてコチュジャンベースのヤムニョンを用いた「メウン(辛い)テジカルビ」がある。

「トッカルビ」

「餅カルビ」を意味する。カルビ肉を骨からはずして叩き、粗いミンチ状にしたものに醤油・砂糖・おろしニンニクなど調味料を混ぜて、ハンバーグのように整形して焼く。一般的に牛カルビで作るが豚で作ることもある。元々は全羅南道の郷土料理で、専門店も多い。

『歴史』

「カルビ」という語は、下腹を意味するモンゴル語の借用と見られるが、最初の用例が現れるのは朝鮮時代に入ってからである。
カルビグイの調理法は高旬麗の「メチョク」、高麗の雪夜炙りが変化したものだとされている。

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【タッカルビ】

「タッカルビ」は、韓国の焼肉料理の一種で、鶏肉と野菜を使ったものである。

『概要』

「タッ」は鶏を、「カルビ」は肋骨をあらわし、「骨の回りの肉を食べる鶏料理」という意味合いがある。

ぶつ切りにした鶏のもも肉とニンジン・タマネギなどの野菜を、甘辛いコチュジャンをベースにしたタレをかけて鉄板の上で炒めて食べる。食べ方は様々で、麺を入れたり、ご飯を入れてチャーハンのようにして食べることもある。

『名所』

江原道春川市はタッカルビで有名な街であり、「春川明洞タッカルビ通り」にはタッカルビの専門店が軒を連ねる。タッカルビで名が知られているのは春川市だが、発祥は南隣の洪川郡といわれており、元々は炒め料理ではなく、鍋料理であったとされる。

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10/28 世界の料理④

2013年10月28日 | 食・レシピ

【サムギョサル】

「サムギョサル」は、韓国の肉料理のひとつ。「サム」は数字の3,「ギョプ」は層、「サル」は肉を表し、日本で言う三枚肉すなわちバラ肉の意味だが、日常「サムギョサル」と言えばみの豚の三枚肉の焼肉料理のことを指す。

『概要』

韓国の飲食店や家庭における一般的な調理法・食べ方は以下のようなものである。

味付けしていない豚の三枚肉を厚めにスライスし、鉄板上で表面がカリッとなる程度に焼く。鉄板は斜めになっていたりジンギスカン鍋のように中央が盛り上がっていたりするが、これは余分な脂身を落とすためである。

焼けた肉は、岩塩を溶いたゴマ油につけたり、青唐辛子のスライスやネギの和え物、生もしくは一緒に鉄板上で焼いたニンニク、少量のサムジャン(味付け味噌)や白飯などと一緒にサンチュやエゴマの葉などに巻いて食べる。食べる者が自由にアレンジできるようにするため、サムギョクサルひとつ頼むと食卓上は調味料や葉菜類の器が所狭しと並ぶことになる。

サムギョサルに、皮とカルビ肉の2層を加えた「オギョプサル(5層肉)」もある。また、食べる際に魚の塩辛を使うこともある。豚の三枚肉だけでなく牛肉の「ウサムギョプサル」もある。

『発展・種類』

それまで大衆的な焼肉だった「サムギョプサル」だが、2000年前後から江南などソウルの人気スポットに登場したファショナブルな店で、ワインに漬け込んだ「ワインサムギョプサル」や各種ハーブを使って香り付けをした「ハーブサムギョプサル」を提供するようになると、新たなイメージで若者を中心に人気を拡大することとなった。

「ワインサムギョプサル」は、ワイン漬けにして竹筒の容器の中で熟成させた豚肉を、まずブロック状のまま焼きながら、店員が途中でスライスしていく。焼き上がった肉の食べ方も、一般的な「ゴマ油+塩」や「サンチュ+サムジャン」のほか、ハニーマスタードやバーベキューソースにつけたりきな粉をまぶしたりと、その選択肢を増やしている。店によっては、サラダバーのように調味料や葉菜類を並べて好きなように取れるコーナーを設置したところもある。

こうした新しいスタイルの「サムギョプサル」の登場により、スタンダードなサムギョプサルにも、肉塊から焼き始めてスライスしたり、キムチを同時に焼いたりすることが定番になりつつあるなど、変化が生じている。

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【プルコギ】

「プルコギ」は、韓国の代表的な肉料理の一つ。醤油ベースで甘口の下味をつけた薄切りの牛肉を、野菜や春雨と共に焼く、あるいは煮る料理であり「韓国風すき焼き」とも呼ばれる。

『概要』

「プル」は火、「コギ」は肉の意味だが、日本でいう「焼肉」とはかなり異なり、むしろすき焼きに近い。

醤油・砂糖・蜂蜜・清酒・ゴマ油などの調味料と、おろしたニンニクやショウガ、さらにナシやリンゴなどもおろして加えてよく混ぜたヤンニョム、薄切り肉(牛ロース、ヒレなど)を漬ける。漬ける時間は肉の質やレシピなどにより30分~一晩と様々である。漬けた肉はタマネギ・長ネギ・きのこ・春雨などと共に焼いて、あるいは煮て、好みによってサンチュなどに包んで食べる。

飲食店などではテーブルで、プルコギパン(プルコギ専用の鍋)を使って調理される。一般にプルコギパンは中央が盛り上がっており、周辺に溜まった肉汁に漬けながら中央で肉や野菜を焼き、煮る。最初から鍋の縁にスープを張る店もある。他にも、網で焼いたり、また平らな普通の鍋で煮て作ることもあるなど、地域や店、家庭によって調理法はさまざまである。プルコギパン自体も材質、形状など多種多様に開発されている。

出来上がりは日本のすき焼きに近いが、単に肉野菜炒めのようなものや、具だくさんのスープ料理になることもある。肉は主に牛ロースやヒレなど赤身が使われる。豚肉を使えば「テジプルコギ」となる。

ヤンニョムにナシ・リンゴ、さらに近年はキウイなどの果物を用いるのは、甘味・風味を加えると共に、肉を柔らかくするためである。肉を柔らかくするために、繊維を断ちき切るような切り方をしたり、ヤンニョムに漬ける前に砂糖・清酒・ナシの果汁などを直接揉み込むといった工夫も加えられる。

『歴史』

カルビグイなどと同じく、高旬麗のメッチョクが起源とされている。高旬麗を建国した扶余族の祖先とされる貊族の肉料理である貊炙は、当時の中国の異国の料理として大変持てはやされたと記録にあるが、詳細な調理法は伝わっていない。イメージ的にも中東地域とその周辺地域のケバブと同じように回し焼きして削いで食べるものであったとされている。高麗期は仏教の普及により肉食が禁じられたが、13世紀からの元の支配などによって肉食の習慣と技術が復活。開城では、肉を柔らかくするために焼く途中で冷水に浸して再び焼くという料理ソリャミョクが名物とされた。この名前は中国北宗の時代、雪の夜に客人を炭火焼きの肉でもてなした故事にちなむとされている。

『発展』

上述のように材料や調理法は多彩である。炭火で網焼きするスタイルや、下味は調理する直前につけるスタイルなど生まれつつある。また、キムバムにこの肉を入れた「プルコギキムパブ」なども登場し、日本ではそのままご飯に乗せた「プルコギ丼」を見かける。さらに、プルコギ味の肉を乗せて焼いた「プルコギピザ」や、ハンバーガーのミートパテにプルコギの味付けをした「プルコギバーガー」など、その味は韓国料理以外にも広がっている。

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10/27 世界の料理③

2013年10月27日 | 食・レシピ

【ドリア】

「ドリア」は、米を使った料理のひとつ。ピラフなど米飯の上にベシャメルソース(ホワイトソース)をかけてオーブンで焼いた料理。

『概要』

1962年に開業した横浜ホテルニューグランドの初代総料理長、サリー・ワイルが創作した料理。米飯に芝海老のクリーム煮をのせ、チーズをかけてオーブンで焼き上げたものが現在のドリアの始まり。

このドリアとは別に、イタリア貴族・ドリア一族のためにパリのレストランで創作した、イタリア国旗の三色にちなんでトマト、キュウリ、鶏卵などの材料を使って作られた料理もあり、フランス料理では通常「ドリア風」といった場合、キュウリを添えることを意味する。

一般的な調理法としては、バターを塗った耐熱容器にバターライスまたはピラフを盛り、ベシャメルソース(ホワイトソース)で覆い、その上から削ったパルメザンチーズをふりかり、表面に焦げ色がつくまでオーブンで焼く。

エビやイカを入れたものは「シーフードドリア」、鶏肉を入れたものは「チキンドリア」と呼ばれるなど、具材によって様々な呼ばれ方をされるが、「ライスグラタン」と呼ばれることもある。

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【ナポリタン】

「ナポリタン」は、トマトケチャップで味付けした日本独自のパスタ料理である。

『概要』

典型としてはスパゲッティにトマトケチャップをからめ炒めて作る。代表的な具材はタマネギ、ピーマン、これにハム、ウインナーソーセージ、ベーコン等の加工肉。タバスコと粉チーズを好みでかかける食べ方が一般的である。

イタリアにはサルサ・ナポリターナと呼ばれるソースはあるが「ナポリタン」というパスタは、イギリスやアメリカでは定番イタリア料理のマカロニチーズと同じくイタリアには存在しない料理である。

イタリア・ナポリでもスパゲッティは常食され、ブッタネスカをはじめトマトベースの味付けをしたものは非常に多いが、いずれも極ベーシックなトマトソースを使用するものであり、米国生まれのトマトケチャップを味付けの主役に使用すことはまずない。

『歴史』

ナポリタンの起源については、横浜山下町のホテルニューグランド第二代総料理長・入江茂忠が最初に考案したとの記録が残っており、現在ではこれが最も有力な説である。

ホテルニューグランドは、戦後まもなくGHQに接収され以後7年間米軍によって使用された。現在でもホテルにはマッカーサーが滞在した部屋が残っている。

当時の米軍ではスパゲティをトマトケチャップで和えた物が一般的な兵営食であるとともにレーション(缶詰の戦闘食)としても供給されており、同ホテル駐在の兵士たちも軽食や夜食としてよく食べていたと思われる。そのため、接収解除後の同ホテルの倉庫には、保存の利くスパゲティの乾麺と缶詰ケチャップが大量に残されていた。そこで料理長・入江は、当時の日本では珍しかった両者を組み合わせた料理を同ホテル再出発の看板にしようと思い立ち、後のナポリタンに当たるパスタ料理の開発に取り組んだとされる。
ただし入江が生み出したパスタ料理には、トマトケチャップは一切使われることなく、トマトピューレなどの調味料や具材が加えられ、本格的な料理に仕上げられていた。
もっとも当時の日本人はアルデンテに馴染みが無く、この点が試食会で不評だったため、入江は日本人の嗜好に合わせるべく7割方茹でたスパゲティを冷蔵庫に一晩置いてうどんのような食感にする調理法を編み出すに至った。

かくしてこのパスタ料理は、かってナポリでトマトソースのスパゲティーが屋台で人気だったことに因み「スパゲティナポリタン」と英語で命名され、同ホテルのメニューに載せられることになった。
この「スパゲティナポリタン」はその後の大衆化した「ナポリタン」と違いフランスのスパゲティ・アラ・ナポリターナに近い料理になっている。現在も同ホテルで提供されている「ナポリタン」には、入江のレシピ通りトマトケチャップが一切使われておらず、一般的な「ナポリタン」とは味の異なる。いわばトマトソースのスパゲティとなっている。

昭和30年代になると国産スパゲティーが開発された。そこで販売促進のデモンストレーション用に調理が比較的簡単なメニューとして「ナポリタン」が選ばれ、更に学校給食のメニューにも取り入れられるなどしたため、「ナポリタン」の知名度は急速にアップした。
当時トマトピューレは庶民の手に入り難く庶民には肉も高価であったため、代用としてケチャップなど安価な赤いのウインナーや魚肉ソーセージ等を使う調理法が生み出され、現在の一般的な「ナポリタン」が確立された。
この「ナポリタン」の予め茹置きした麺をフライパンなどで味付けしながら炒め直しする調理法は簡便なことから、「ナポリタン」は給食以外にも家庭、喫茶店及び学食などの庶民的定番メニューとして親しまれて全国的に定着していった。80~90年代の「イタメシブーム」によって多種多様な本格的パスタが紹介される以前は、飲食店におけるスパゲティはミートソースかナポリタンの2種類しかないことがとんどだった。

なおナポリタンの考案者として有名な入江料理長は、亡くなるまで「自分が考案した」と公言することが無かった。このため家族や周囲は入江が亡くなった数年後に文献が発掘されるまで、入江がナポリタンの考案者であると考えることは無かったという。

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10/26 世界の料理② 

2013年10月26日 | 食・レシピ

【オジャ・ポドリーダ】

「オジャ・ポドリーダ」は、豚肉とマメから作るスペイン風のシチューである。しばしばヒヨコマメが用いられる。
伝統的な製法では、土製の壺で何時間も煮込んで作る。コース料理では、メインとして食べられる。この時、一皿で食べることもあるが、肉をその他から分けたり、液体と固体を分けたりして食べることもある。
カテスィーャ・イ・レオン州ブルゴスの名物である。
オジャ・ポドリーダという料理名は、文字通り訳すと「腐った鍋、腐った煮込み」という意味である。

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【ワーテルゾーイ】

「ワーテルゾーイ」とは、肉類を茹でた煮汁にクリームと卵黄を入れて作るベルギーの郷土料理。

本来は川魚を使う料理だったが、庶民に手の届く、より安価な材料として鶏肉が使われるようになった。
ワーテルゾーイという名称も「水(から捕れた魚)」と「こちゃまぜ(残り物の寄せ集め)」から来ているとされる。
淡泊な肉なら肉類の種類を問わず、鶏肉、兎肉、白身魚などが使われる。

『作り方』

1.リーキ、ニンジン、セロリ、タマネギをみじん切りにし、大きな鍋にバターをひいて炒める。
2.野菜を炒め終わると、鍋にチキンブイヨンを注ぎ、鶏肉、タイム、ローリエを入れて、蓋をせず40分ほど煮込む。
3.チキンを取り出し、煮汁を三分の一になるまでさらに煮詰める。焦がさないように気をつける。
4.この間に、クリームと卵黄を混ぜておく。
5.十分に煮汁が煮詰まったら(4)を加える。
6.肉を切り分けて(5)のソースをかけ、刻んだパセリをかけて完成。

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10/25 世界の料理①

2013年10月25日 | 食・レシピ

【シチュー】

「シチュー」は、野菜や肉、魚介類を出汁やソースで煮込んだ煮込み料理のことである。フランス料理のラグーにあたる。

『スープとの相違』

シチューとスープの線引きき明白でないが、基本的に素材が大きめに切られ、前菜ではなくメインディシュとして食べられるものを「シチュー」と呼ぶ。あるいはシチューの方が長時間弱火で煮込まれ、汁がより濃厚で、スープの場合よりも底の浅い器で供されるのが一般的とされる。
しかし、これらに当てはまらない例も多くある。多くは日本へ初めて紹介された時の名称が、そのまま用いられている。

『歴史』

日本へのシチューの伝来が何時かについて明確な記述はないが、すでに1871年、東京の「南海亭」のちらしに、「シチウ(牛・鶏うまに)」との品書きが見出されている。明治中頃までに「ビーフシチュー」はレストランのメニューに普及、1904年には旧帝国海軍・軍艦の昼・夕食として「煮込み」の名でシチュー・カレーが供されている。これはイギリス海軍との交流に端を発するとされている。明治末期にはシチューのレシピが上流階級向けの婦人雑誌に掲載されるようになった。しかし、本格的にシチューが全国に浸透したのは、太平洋戦争終結以後のことである。

『種類』

日本で一般的にシチューと呼ぶ場合、以下の二つを指すことが多い。いずれも小麦粉を炒めて作るルーが添加されたシチューの素を使うのが一般的である。
本来は、シチューはスープのようにパンと組み合わせて食べるのが一般的である。だか日本では、一般的にけんちん汁やすいとんのような豪華な汁物の洋風版という位置づけであり、家庭料理としてはご飯にかける食べ方も少なからず見受けられるほか、レストランや軽食店などで「シチュー丼」が愛されるなど日本独特の「汁かけ飯」文化のカテゴリー内で発展しつつある。海外では、米飯が一般的な地域でもご飯にかけて食べるという光景はほとんど見られないが、ピラフ状の米飯、もしくは塩や油脂を入れて炊いた米飯を付け合わせとして盛る事はある。

「ビーフシチュー」

赤ワインやトマトをベースに牛肉、ジャガイモ、ニンジン、セロリ、タマネギなどを、香味野菜を加えて煮込む。

日本では、明治初期には既に洋食レストランのメニューに取り入れられていた。この影響もあり、小麦粉とバターを炒めて作るブラウンルーを用いることが定番となっている。従って、ブラウンルーの対となるホワイトルーを用いて作るビーフシチューは極めて稀な存在であるといえる。

ビーフシチューの作り方は牛肉とタマネギ、ニンジンなどの野菜をブイヨンで長時間煮込み、塩、胡椒、トマトピューレ、ドミグラスソースなどで調味する。
用いられる肉の部材は脛やバラが多いが、タンを煮込んだものは特に「タンシチュー」と呼ばれ人気が高い。いずれも汁の量は少なめで、肉などの具材にボリュームがあり、スープのように汁を飲むことよりも具を食べることが主体となることが多い。

「クリームシュー」

ホワイトシチューとも呼ばれる。牛乳や生クリームをベースに肉(鶏肉が多い)、ジャガイモ、ニンジン、タマネギになどを加えて煮込む。好みでマッシュルームやキャベツ、コーン、ブロッコリー、グリーンビスなどを入れる。
日本においてはカレー粉などを加えることでカレーの風味を加えたカレーシチューが学校給食などで出される。かってはハウス食品などからカレーシチューの素が販売されたこともあった。

ビーフシチュー

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クリームシチュー

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タンシチュー

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【アイリッシュシチュー】

「アイリッシュシチュー」は、アイルランドの料理である。

『概要』

アイルランドにおける伝統的な料理であり、家庭の数だけレシピがある。日本の肉ジャがに例えられることもある。

羊肉(マトン)の風味によく合う料理と言われ、子羊の肉(ラム)はあまり使用されない。
伝統的にはマトンか子ヤギの肉が使われるが、手に入りにくい場合は牛肉かラムで代用する。肉を牛にすると「ビーフシチュー」になり、牛肉を入れる場合はビールを入れて肉を柔らかくする。

『作り方』

角切りの羊肉(主に首肉がしようされる)、輪切りのタマネギ、ジャガイモ、香辛料としてタイム、パセリ、塩コショウとスープストックで煮たシチュー。切り分けた羊肉、タマネギ、ジャガイモを交互に重ね、弱火で煮込んで完成となる。

材利用は炒めず、ブイヨンやルウを加えずに煮込んで白く仕上げる点が特徴である。味付けは基本的に塩コショウでシンプルにされるが、家庭によっては牛乳を加えてクリームシチュー風にする場合もある。伝統的には、香辛料で風味と香りを付けたムラサキキャベツのマリネが付け合わせにされる。

アイリッシュシチューにニンジンを入れるかどうかについてはアイルランド人の間で意見が分かれている。また、カブに似た野菜であるターニップが具材に使われることもある。ニンジンやカブなど野菜は別茹でして皿に盛り付けるのが正式な食べ方とされているが、これらの野菜を別茹でするかについても意見が分かれる。

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10/24 とんかつ 雅

2013年10月24日 | 食・レシピ

今日の昼食は「とんかつ 雅」でした。
訪れたきっかけは、ヤフーの北海道食べログにアップされていた「とんかつランクキング」で第4位にランクされていたからです。
実は、20日にも訪問しましたが定休日だったので本日の再訪でした。

店内は椅子席、小上がり、カウンター、とこじんまりとしていますが、店主と女性2人の接客は気持ちの良いものでした。

「とんかつ」は、「ロースカツ定食」を注文しました。
厚さ2センチ程度、150グラム程度でボリューム満点でした。衣は薄くカラッと揚がっています。
肉質は脂身が適度にあり、硬くはありませんが、歯応えがあり、食べ応えのある「とんかつ」です。

キッチンはオープンキッチンでマスターの手元を見ていると、丁寧に浮いたパン粉を取り、油の汚れを防ぎ綺麗な「とんかつ」に仕上げてます。

「とんかつ」の名店・井泉の旭川店に勤務の後に独立し、帯広に「雅」を開店したそうです。名店の技術を受け継いでいて、とんかつ好きの人にお勧めの店です。

なお、使用している豚肉の産地とグラム数の表示があればより良い店となると思います。

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10/23 ししやも寿司

2013年10月23日 | 食・レシピ

札幌から日高本線でおよそ2時間。北海道南部、太平洋を臨む町、鵡川に到着します。町の中心をトマム山を源流とする清流・鵡川が穏やかに流れ、この時期シシャモが遡上を開始します。この町は北海道有数のシシャモの産地で、古くから「シシャモの町」と呼ばれてきた。

シシャモは、北海道南部の太平洋沿岸にしか分布しない魚で、主に鵡川をはじめ、十勝や釧路の限られた地域の川にしか遡上しないという特徴を持っている。

今、シシャモと言われているのは、そのほとんどが30年程前、北洋海域から輸入されはじめた「カラフトシシャモ」と呼ばれる「カペリン」である。
日本で普段「シシャモ」として食べられている9割以上がこのカペリンで、皮肉にもこの魚で「シシャモ」の名は全国に広まった。
しかし、晩秋を迎えたこの時期、北海道の店先には特別なな「シシャモ」が並ぶ。その名は「本シシャモ」。
値段もカラフトシシャモの3倍以上する高級品である。「本シシャモ」と「カラフトシシャモ」。見た目にもその差は歴然である。顔の形や色合い、ウロコの感じなど、同じキュウリウオ科の魚であるが、並べて見れば一目瞭然である。

かってシシャモは大量にとれる大衆魚でした。しかし、ある時を境にシシャモは高級魚となっていく。
シシャモの町、鵡川。この鵡川のシシャモにある時、危機がやって来た。鵡川町の水揚げを見ると、大正15年には19トン、昭和5年には68トン、そして昭和43年には178トンの水揚げがありました。
しかし、平成2年、漁獲高は7トンにまで落ち込んでしまった。シシャモが遡上する母なる川・鵡川の名はアイヌ語で「川尻がかりやすい」という意味を持っている。つまり、自然災害に弱い川でした。そのため、川の整備が度々行われ、その姿を絶えず変えて行きました。その結果、食卓からシシャモの姿が消えて行ったのである。

そんなシシャモの危機に町の人々は立ち上がった。まず漁協が決断し、シシャモ漁を平成3年から4年間、自主休漁を決めたのである。漁協の女性部は川の氾濫を防ぎ、シシャモが産卵しやすい環境を作ろうと、上流の山に植林を始めた。農協からも応援団が現れ「むかわ柳葉魚を語る会」を設立。シシャモが住みやすい環境を作ろうと、植樹活動や、シシャモに関するイベントなど開き、全国に向け情報を発信し続けてする。
シシャモの数を増やすため、孵化事業にも力を入れてきた。孵化率が高い自然産卵方式を取り入れ、さらに近代的な設備も導入。次なる黄金時代に着々と作業を続けている。
町の人たちの努力が実ったのか、確実にシシャモの数は増え、シシャモ漁が再開された平成7年からは、毎年平均70トンの水揚げが続いていて、現在も増加傾向を保っている。シシャモが確実に鵡川に戻ってきたのである。

そして、鵡川の町おこしにシシャモを活かそうと考え出したものがある。
この時期、この地域でしか食べられない「ししゃも寿司」である。
寿司は生のシシャモを三枚におろして使う。寿司ネタに使うのはオスるメスは栄養が全部卵に行ってしまうので寿司には向かないのだ。
このオスのシシャモのクセの無い淡泊な味わいが人気の「ししゃも寿司」である。鵡川ならではの空極の逸品で、全国で食べられるのは鵡川だけである。

■私が食べたことのある場所は、大豊寿司店、シシャモ専門店の大野商店、鵡川道の駅です。

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天日干しの「シシャモ」

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上=シシャモ。下=カペリン。区別つきますか?

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■襟裳岬から東では白糠町が最大のシシャモ産地です。当地の人は、シシャモが鵡川から太平洋沿岸を東進して白糠に到着する間に、魚体が大きく熟成し、脂も乗ってくるので、最高のシシャモは「白糠産」であると自慢しています。なお、シシャモの漁は10月1日に解禁されています。


10/22 「卵かけご飯」と「温泉卵」

2013年10月22日 | 食・レシピ

【卵かけご飯】

「卵かけご飯」は、飯に鶏卵を掛けた飯料理である。調味料として醤油などが使われる。卵を生のまま用いる。

『専用醤油と調味材』

卵かけご飯に最適化するように調味されており、醤油をベースに昆布や鰹節の旨味を加え、卵との調和を向上させるために甘味を加えた「卵かけご飯専用醤油」が開発され、2000年代以降に数十社から商品化・市販され、メーカーによっては「関東風」「関西風」など細分化されている。

■おたまはんー雲南市の吉田ふるさと村が開発、2002年発売
■たまごにかけるお醤油ー福山市の寺岡有機醸造が開発
■玉子かけご飯にかける醤油ー熊本市の濱田醤油が開発
■ヒゲタたまごかけご飯にどうぞー醤油メーカー大手のヒゲタ醤油が発売。

また、卵かけご飯に合うように、または独自の風味を出すように調合された調味材も存在している。

■卵かけご飯専用ふりかけ
■おうちで牛丼風たまごかけご飯ーブルドックソースが発売

『位置づけ』

「現在の料理として」

料理研究家・栗原はるみは、2004年の発刊した外国人向けの料理書「ジャパニーズ・クッキング」で、卵かけご飯を紹介している。
このように、調理を施すか、複雑な調理方法を用いるか否かによる「料理」の定義は定かではない。

2008年には、岡山県久米郡美咲町に、卵かけご飯を中心のメニューとした定食屋が開店した。美咲町は卵かけご飯を日本で最初に食べたとされる岸田吟香の出生地でもある。2009年10月10日には東京都日比谷の帝国ホテル前に卵かけご飯専門店が開店した。

200年代後半には、卵の生食習慣のない香港に向けて日本の食文化である「卵かけご飯」の市場開拓を目指す動きがあった。

生卵は冷凍保存できないことから長期間の保存が難しい。南極観測隊では補給物資として半年振りに振る舞われた生卵で卵かけご飯を作る隊員もいるという。

『歴史』

古来より日本人が食する動物性の食品は、魚介類が中心であった。仏教の不殺生戒の影響により、獣肉や鶏肉の摂取は稀であった。それでも鶏肉は獣肉比べればまだ食されていたが、鳥類が産んだ卵については長らく人間が食するものとは見なされなかった。神道に於いては神前への供え物とされたが、人間が食した場合は「罰があたる」と考えられた。

一般的に鶏卵を食べるようになったのは、江戸時代とされる。愛玩用に広く飼われるよううになったニワトリの産んだ卵(無精卵)が全く孵化しないことから、卵ま生物では無いという認識になり、卵を食する事がタブー視されなくなった。それにより採卵用にニワトリを飼う習慣が広まった。
しかしながら、それでも長きに渡って高価な食材であり、卵かけご飯のような簡便な料理に用いる事は考えられなかった。

近世に入った1877年頃、日本初の従軍記者として活躍し、その後も数々の先駆的な業績を残した岸田吟香が卵かけご飯を食べた日本で最初の人物とされ、周囲に卵かけご飯を勧めたという。

『卵の生食』

現代日本では、卵を生食できる食品として認識されているが、日本以外の国では、韓国の生卵と生肉、他の具材をかき混ぜる料理がある他は生食する食習慣は独特とされ、国外では薬用として卵が生食されている。
卵を食する場合は、完全に火を通した調理が一般的である。日本以外の文化圏で育った人にとって、生卵を食する習慣はカルチャーショックであり、時にはゲテモノ食いと映る可能性もある。
アメリカ映画の「ロッキー」では主人公が複数の生卵を飲み干すシーンがあるが、日本人と日本人以外では受け止め方が異なる可能性がある。
なお、フランスのミルクセーキ等のように、生卵を使った料理は世界各地に多数存在し、日本だけの食習慣ではない。「生卵をメインに使った料理」の存在が、日本独特のものである。

『サルモネラ菌』

元来生卵はサルモネラ食中毒を起こしやすく、安全に食べられる地域は日本など一部に限られている。日本国外では、卵の生食で食あたりする日本人が毎年発生する。生食を前提にしている日本では、鶏卵農家が卵の完全洗浄など衛生管理全般が行き届いているが、それでもサルモネラ食中毒が1990年代以降増加傾向にあり、一定の注意が必要である。

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【温泉卵】

「温泉卵」は、半熟卵の一種で、卵黄部分は半熟、卵白部分は半凝固状態に茹でた鶏卵。また、温泉の湯や蒸気を利用して、鶏卵を茹でたり蒸したゆで卵は、その状態にかかわらず温泉卵と呼ばれる。

『概要』

通常の半熟卵とは逆に、卵黄よりも卵白が柔らかい状態なのが特徴。これは卵黄の凝固温度(約70度)が卵白の凝固温度(約80度)より低い性質を利用して作られるもので、65度~68度程度の湯に30分程度浸けておくことで、この状態になる。

湧出する温泉の湯温がこの範囲に近い場合、これに漬けておくだけで出来ることから、温泉地の旅館などで食卓に提供されることが多く、「温泉卵」の名で呼ばれるようになったと思われる。

あらかじめ殻を割って器にとり、出汁と醤油を合わせた出汁醤油をかけて供されることが多い。また、麺類、丼物などのトッピングとしても利用される。生卵を含めた他の調理状態よりも消化吸収に優れている。

専用の「温泉卵製造器」が市販されているが、保温性のある発泡スチロール容器などを利用して作ることもできる。また、保温状態の炊飯ジャーを利用して水を使わずに作ることも可能である。また、電子レンジを使用した温泉卵製造器も存在しているが、再加熱するなど所定の使用法を行って不具合が発生する事例が報告されている。

卵の食中毒の原因となるサルモネアは70度以上では生存できず、62~65度で30分以内に死滅するので、温泉卵によって食中毒になる危険性は低い。

『温泉地の温泉卵』

鶏卵を温泉の湯で茹でたり蒸したりしたものはねその状態にかかわらず(半熟ではなくても)温泉卵と呼ばれる。多くの温泉地で、店頭などで温泉の蒸気や湯で調理する様子を実演しながら販売する温泉卵が名物になっている。強食塩泉の場合、卵自体に塩味が染み込んでいることも多い。

福島県福島市の飯坂温泉の「ラジウム卵」、湯村温泉の源泉「荒湯」で作る「荒湯温泉卵」、雲仙温泉の地獄谷の蒸気で作る「雲仙地獄たまご」、別府八湯で作る「地獄たまご」が有名であるが、北海道川湯の「硫黄山」の中腹の噴煙で作る「温泉卵」も有名である。

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10/21 赤こんにゃく

2013年10月21日 | 食・レシピ

【近江八幡市名物】

食生活の変化で伸び悩む「こんにゃく」業界の中で、近江八幡市の伝統色「赤こんにゃく」が奮闘し、売上を伸ばしている。
地域色を売り物に、インターネットなどで全国に販売を拡大するとともに市内観光とも連動し、市民だけでなく、県内外からも「赤こんにゃく」を求める声が増えている。

日本こんにゃく協会によると、2008年11月~09年10月の全国のこんにゃく消費量は1世帯当たり5.3キロ。10年前と比べて1キロ以上減少した。協会は核家族化や、外食頻度が増えた食生活の変化が原因と見ている。

赤こんにゃくを製造・販売する店も市内で3店にまで減ったが、店主たちは「近年の年間売上は10年前に比べて1.5倍に伸びた」と説明する。

乃利松食品吉井商店は東京の百貨店への営業などに力を入れ、約10年前にホームページを立ち上げた。HPの売上は総売上の5~8%程度だが、ネット販売をきっかけに取引関係になる業者も多く、年間1500キロの赤こんにゃくを注文する食品加工場もあるという。

同店の吉井代表は「HPでの注文は新しい食材を探す料理人や従来の客層に無い若い人が多い」と話す。

同店は観光客向け販売にも熱心だ。バスガイドに「名物」と宣伝してもらい、土産店に試食品を配り歩いた。県外発送は、現在10年前の2倍となる一ヶ月1000~1500丁に増えた。

オサ平商店の梅村社長によると、赤こんにゃくは20年ほど前から雑誌や新聞で取り上げられるようになったという。郷土食ブームの中で「ほかに無いものが求められている」とみる。1日に2000個を製造し、全国の料亭や問屋などからの注文販売が多くを占める。

近江八幡市では食卓を彩るなしせみの食材である。祝い事はねじりや長方形、仏事には三角に切った煮物が定番である。小学校の給食にも出ている。

赤こんにゃくを推薦ている作家・姫野カオルコさん(滋賀県出身)によると、東京の友人に赤こんにゃくを食べさせたくて滋賀から買って帰り、ピリ辛炒めをした。厚さ5ミリのマッチ箱みたいに切って作ったら「毒々しいじゃん」と言って誰も箸をつけなかった。「ビクビクしないで」と勧めても、辛い舌のように見えたのか?なぜ赤いというだけでそんなに驚くの?舌触りが滑らかでステーキにすると美味しいのに・・・・・。

『歴史』

近江八幡市市史編纂室によると、江戸時代中期の史料に「八幡こんにゃく」という記述があり、歴史は古い。コンニャク芋の粉に三二酸化鉄を混ぜ、茹で上げた真っ赤な色が特徴。赤い理由は織田信長の派手好きに起因するという言い伝えや、地域の祭りにちなんだという説などあり、定かでない。

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■先日、NHKと民放の番組でこの赤こんにゃくが紹介されていました。今頃は注文が殺到しているかも知れません。


10/20 スープ料理(26)(完)

2013年10月20日 | 食・レシピ

【ソリャンカ】

「ソリャンカ」は、ウクライナ料理の一つで、香辛料を多用した味の濃いスープである。

『概要』

「ソリャンカ」は、ボルシチと並び東欧を代表する料理であり、左岸ウクライナとスロボダ・ウクライナの農村に伝わるスープである。19世紀までは「セリャーンカ」と呼ばれた。二日酔いに効くスープとして好まれた。

『歴史』

「ソリャンカ」の歴史は新しく、近世にウクライナのボルシチとロシアのシチーの融合から産まれたスープだと考えられている。
18世紀後半のロシア女帝エリザヴェータと関係が深かったウクライナ・コザック出身のロズモーヴシクィ家は、ロシアの朝廷にウクライナ料理を流行らせた。その結果、ソリャンカはロシアの貴族によっても好まれるようになり、ロシア料理の一つとしても知られるようになった。

ロシアにおいては「ソリャンカ」は訛って「サリャンカ」と発音されている。このスープは諸国にも伝わり、今日ではアメリカ合衆国、ドイツ、東欧諸国などにおいても食べられている。

『作り方』

「ソリャンカ」は、ブイヨンの違いから肉のソリャンカ、魚のソリャンカと、茸のソリャンカという三つの種類に分けられる。
ピクルス、オリーブ、キャベツ、レモン、クワス、マリネの茸を加えるので、スープは塩辛い。また、トマト、ビーツ、コショウ、ニンジンなどが加えられているためスープの色はしばしば赤っぽくなっている。香辛料としてむ黒胡椒、パセリ、セロリなどがよく使われる。食べる際にはスメタナ(サワークリーム)を加えるのが一般的である。

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【オクローシカ】

「オクローシカ」は、ロシアの冷製スープである。アクロシュカまたはアクロシカとも呼ばれる。
このスープの名前はロシア語で、「細切れにする」を意味する語に由来する。

『作り方』

この伝統的なスープは、主に生の野菜(キュウリ、春タマネギ、ハツカダイコン)、茹でたジャガイモ、鶏卵、ハム、クワスを混ぜる。他にはクワスの替わりに薄いまたは希釈したケフィアを使用する作り方もある。

『食べ方』

材料は四角く細切れにし、食べる直前にクワスと混ぜる。細切れの材料とクワスの分量は、牛乳に入れるシリアル食品と同程度である。直前に混ぜることで、野菜のシャキシャキ感が残される。
ロシアサラダと材料が類似しているにも関わらず、このため、オクローシカの味はこのサラダと全く異なる。

オクローシカは、クワスの爽やかな味とサラダのさっぱり感の組合せにより、夏に最適のスープとされている。スプーン一杯のスメタナとロシア産(辛口)マスタードを加えた食べ方が好まれる。好みで塩と砂糖が加えられる。

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10/19 スープ料理(25)

2013年10月19日 | 食・レシピ

【フカヒレ】

「フカヒレ」は、大型サメのひれ(主に尾びれや背びれ部分)を乾燥させた中華料理の食材である。

『概要』

中国でフカヒレが食べられだしたのは明の時代と言われている。湖州料理など、中華料理の高級食材として利用される。解かれたフカヒレをスープの具として使う料理やヒレの形のままでじっくりと煮込む料理がある。
ジンベイザメ、ウバザメのものが最も高級とされ、アオザメ、イタチザメなどのものも高級である。一般的には、ヨシキリザメのものが使用されることが多い。

日本は世界有数のフカヒレ生産国であり、江戸時代にはナマコ、アワビと共に中国(明・清)へ輸出されていたが、近年ではシンガポールやインドネシアの生産量の方が高い。
日本では気仙沼の水揚げが最も多いが、この多くはマグロ延縄漁業の際に釣れたサメから捕られたものである。日本の気仙沼産が有名で且つ高級品として扱われるのは、加工技術が優れているためと言われる。
日本は世界有数のフカヒレ生産国ではあるが、最近では日本の漁船に従事する人にはフィリピン人やインドネシア人等が多くなり、彼らの国にも日本漁船が寄港する機会が増えた。この時に漁に従事したフィリピン人やインドネシア人が、フカヒレを持って下船する例が増えたために日本国内へ持ち帰られるフカヒレは以前よりかなり減ったと言われる。

『乾燥品の製法』

生のフカヒレを茹でるか鉄板で加熱してから、表面の鮫肌をブラシで擦り取り除く。油脂分を落として天日干しにして、乾燥品が完成する。皮付きのまま乾燥した加工品もある。

『調理法』

調理する際は、乾燥したフカヒレをまずネギやショウガとともに茹で、さらに蒸した上で皮を剥き、水にさらす。この下処理をしてから上手く煮込むと臭みが消え、軟骨魚特有の柔らかなゼラチン質の食感が楽しめる珍味となる。

『種類』

フカヒレは形状と大きさにより価格が大きく異なる。形状により味が異なるわけではないが、一般的には元のヒレの形を保ったフカヒレが高級品とされている。これは排翅の入手が困難である理由と、形状が保たれている排翅の方が加工済みの魚翅より品質を見極めやすい理由による。

■散翅ー最初からバラバラにほぐされたヒレ。缶詰やレトルトパックでも販売されており、一番安価で手頃に食べられる

■魚翅ー中国語でのフカヒレの総称。または手のひら程度の小振りなものや、一本一本バラバラにほぐれた散翅を指すこともある。基本的にスープとして提供される。主に胸ヒレが使われる。排翅と比べると値段は安い。

■排翅ー扇のような形状を保った丸ごとの大ぶりなヒレ。基本的に姿煮として提供される。主に背びれと尾びれが使われる。大きさ・形・厚さで値段が大きく変わる。

■天九翅ー最高級品。ジンベイザメとウバザメの背びれのみ天九翅になる。一本ずつ繊維がもやしより太い。ジンベイザメとウバザメは捕獲と取引が国際的に規制されているため、天九翅は稀少である。特に形の良い天九翅は、しばしば料理店の権威を現す店頭ディスプレーとして展示される。

『人口フカヒレ』

数百円程度の廉価で販売さされているフカヒレは、エイのヒレで代用したものや、春雨や湯葉を使って本物に似せた「人口フカヒレ」である。本場中国を謳う料理店の出す「姿煮」にも人口フカヒレが使われるケースがある。

中国・山東省では、工業用に皮をホルムアルデヒドで浸した偽フカヒレが摘発されたことがある。

サメの乱獲によるフカヒレの供給不足や中国におけるフカヒレの需要の増加などのため、天然フカヒレは価格が高騰しており、人口フカヒレの需要が日本でも本場中国でも高まっている。日本では豚のゼラチンなどを原料とした天然物に味や食感が非常に近い人口フカヒレの製造販売も行われている。

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【蛇スープ】

「蛇スープ」は、爬虫類の蛇スープ主な食材として使用したスープ。

『広東式』

中国料理の中でも特に広東料理は伝統的に蛇を食材として使用しており、 広州や香港には、蛇専門の食材店や料理店がある。

中国料理としての蛇スープは、一般的な中華スープ同様に、さらっとした湯(タン)と、とろっとした羹(カン)に大きく分かれる。広東の蛇スープも両方あるが、有名なのは「羹」の方であり、「蛇羹(ショーカン)と呼ばれる。冬眠前の蛇は脂が乗って美味しいと言われ、「蛇羹」を秋に食べると一冬風邪をひかないと言われている。
薬味として、菊の花びら、レモンの葉の細切り、小麦粉をこねて薄く揚げたホクチョイと呼ばれるクラッカーを加えて食べる。香港の蛇食材店の多くは市場にあり、店頭で気軽に「蛇羹」を食べられるようにしている。

■三蛇羹(三種類の蛇のとろみスープ)
広東料理の一つで、ヒメナンダ、コブラ、マルオアマガサの三種の蛇肉の細切りを、キクラゲ、シイタケ、ショウガ、鶏肉、豚肉などと共に煮込み、澱粉でとろみをつけたスープ。

■五蛇羹(五種類の蛇のとろみスープ)
広東料理の一つで、三蛇羹の食材の他に、ヒャッポダとホウシャナメラの二種の蛇肉を加えたもの。1904年に加拳で進士となった江孔殷は、役人となり江太史と呼ばれたが、グルメとしても有名で、江太史の屋敷で考案されたので、「
太史五蛇羹」とも呼ばれる。

『台湾式』

広東ほど有名ではないが、台湾でも各地に蛇スープを提供する店がある。台湾には広東料理店もあるが、台湾の蛇スープ専門店ではさらっとした透明スープの「湯」を出すのが普通である。中には臭み消しの細切りのショウガなどが入れてある。
味が出た後の肉には余り味がないが、タンパク源になるので、皿に出して、醤油を付けて食べる。店によっては、乾燥させて粉砕した蛇の粉末を販売しているが、これをスープに加えると旨味が増す。

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10/18 スープ料理(24)

2013年10月18日 | 食・レシピ

【燕の巣】

「燕の巣」は、アナツバメ類のうちジャワアナツバメなど数種の巣である。広東料理の高級食材とされる。

『生態』

アナツバメ類はアマツバメ目アマツバメ科に属し、東南アジア沿岸に生息する。アマツバメ科は、極端に空中生活に適応したグループであり、繁殖期を除いてほとんど地表に降りることはない。睡眠も飛翔しながらと言われるほどである。巣材も地表から集めるのではなく、空中に漂っている鳥の羽毛などを集め、これを唾液腺からの分泌物で固めて皿状の巣を作る。なかでもアナツバメ類の一部は、空中から採集した巣材をほとんど使わず、ほぼ全体が唾液腺の分泌物で出来た巣を作る。海藻と唾液を混ぜて作った巣といった俗説は正しくなく、海藻は基本的に含まれていない。

アマツバメの巣は海岸近くの断崖に作られるが、断崖絶壁などに巣を作る習性の鳥は、しばしば鉄筋コンクリート製の建造物の増加した近代的な都市を本来の営巣環境に近似した環境と受け止めて巣作りを行う。
近年ではこのような習性を利用して、東南アジア諸国の鉄筋コンクリート製建造物の内部に条件を整えることで集団営巣地を作らせることができるようになり、市場への供給量が増した。

アナツバメの巣の採取については東南アジア各国で採取の時期、採取方法などを厳重に管理し、またアナツバメの生息地の環境保護のために立ち入り制限を行っている。
アナツバメは雛が巣立ちしてしまうと同じ巣を利用することはないため、アナツバメが放棄した巣を採取している。オスは次の発情期になればまた唾液腺から特殊な分泌物を吐きだして新たな巣を作る。

『食品利用』

日本で人家の軒先などに一般的に見られるツバメの巣は、唾液だけでなく泥や枯れ草によって作られるので食用には適さないが、アナツバメの巣は世界中で高い人気を誇る食材になっており、スープの具やデザートの素材や飾り付けとして用いられる。

中華料理の中でも特に広東料理に利用される。元末明初頃に中華世界に知られるようになり、清代になると「ふかひれ」や乾しアワビと並ぶ高級中華食材として珍重されるようになった。燕の巣が出る宴席は「燕菜席」と呼ばれ、満漢全席に次いで格式の高い宴席となっている。

独特のゼリー状の食感が特徴である。タンパク質と多糖類が結合したムチンが主成分であり、タンパク質と共に、糖類の一種であるシアル酸を多く含んでいる。古くから美容と健康に良いとされている漢方食材であり、清の西太后も連日のように食したと伝えられている。

巣によって羽毛などの巣材を比較的多く含むものから、全くと言っていいほど含まないものまで差がある。混ざり物などが少なく、作られて間もない物が重宝され高値がつきやすい。調理に際しては湯で戻してから、ピンセットなどで丁寧に羽毛などを除去する。

『品質について』

中国では古くから赤い燕の巣が珍鳥されてきた。現在においても赤い巣、オレンジ色の巣は高値で取引される傾向がある為、顧客の好みの色に着色して出荷する生産者も珍しくない。赤やオレンジに発色する原因は、岩石からの鉄分や壁土などの色素を含むからとも発酵の結果によるともされる。ただし、こういった赤やオレンジの巣には人体に有害な亜硝酸塩が多く含まれるという調査報告が出ている。亜硝酸塩は水溶性なので水で洗い流すことかが出来るが、天然、着色を問わず赤やオレンジの色素がなくなってしまう。
見た目の立派さが価格に影響することもあり、乾燥した巣の表面に糊を塗布して外観を整える手法も広く行われている。水に溶いた巣の他、海藻、豚皮、ラード、植物樹脂などを糊として用いられるケースがある。

白さを強調する為に薬品によって漂白された燕の巣は、独特の匂いが無くなっていたり、薄くなっている。

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【太平燕】

「太平燕」とは、
■福建語で「タイピンイェン」と読む、中国福建省福州の郷土料理。福建料理のスープワンタンの一種

■「たいぴーえん」または「たいぴんえん」と読み。日本でアレンジされた中華料理の一種。春雨スープにエビ、イカ、豚肉、白菜、タケノコ、キクラゲなどの五目炒めを合わせ、揚げ玉子を添えたもの。熊本県のご当地グルメ。

『中国の太平燕』

「タイピンイェン」は、中国福建省福州市の郷土料理。アヒルのゆで卵を入れたスープワンタンのようなものである。アヒルの卵は福州語で「鴨卵(アッロウン)」というが、「圧乱(戦乱を鎮める)」と同音であり、しゃれ言葉で「太平(タイビン)」とも言われる。戦乱が鎮まれば天下太平という訳である。また、福州には「扁肉燕(福州語ビェンニュッイェン)」という豚肉を叩き潰してサツマイモ澱粉と一緒に練り込んだ独特の歯応えのワンタン用の皮があり「燕」とも略される。この二つの料理を組み合わせた料理が「太平燕」であり、「燕」は「宴」と同音であることから、太平宴(平和な宴)」として縁起が良い名前となり、結婚式などの宴席料理として作られる。台湾海峡を隔てて、福州出身者が少なくない台湾においても宴会料理として出される場合がある。

『日本の太平燕』

「たいぴーえん」または「たいぴんえん」は、福州料理の太平燕を明治時代に華僑が日本に伝えたものと言われる。伝来後、日本で入手しづらいアヒルの卵の代わりにニワトリの揚げ卵を、扁肉燕の代わりに春雨を用いたものと考えられる。このアレンジによって、これまでスープ料理であった太平燕が麺料理に変質した。

日本では長崎県、福岡県、神奈川県、東京都などの個々の中華料理店と、熊本を拠点にして日本各地に店舗を持つ「味千ラーメン」のメニューにあるのを除けば、基本的に熊本県中部においてしか見られず、ご当地グルメの位置付けとなっている。
一方、熊本市周辺では中華料理店のメニューの定番としてみられ、市の学校給食でも出されるポピュラーな料理であるため、「太平燕は全国にある」と勘違いしている熊本市民も少なくない。

「太平燕」は、ラーメンと同様、スープには醤油、塩、トンコツなどの味のバリエーションが存在する。また揚げ卵でなくゆで卵やウズラの卵が入ったいたりするなど、店舗や家庭によって千差万別である。また、使用される春雨については中国産の緑豆春雨が中心であるが、馬鈴薯澱粉を主原料とした日本産春雨を使用する場合もある。

元祖は中華園と言われているが、会楽園や紅蘭亭を発祥とする説もあり、定かではない。この点について勝谷誠彦は著書の中で「これらの店が創業されたのが1933年から1934年頃で、華僑は横のつながりが強いために情報交換がなされていた可能性が強く、どこが発祥は分からないのではないか」と分析している

中国の太平燕

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日本の太平燕

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