道彦の散歩道

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毎日の事件事故の記録

12/31 なまはげ

2013年12月31日 | 豆知識

「なまはげ」とは、大晦日に秋田県の男鹿市と三種町、潟上市の一部の各家々で行われる伝統的な民俗行事。本来は小正月の行事であった。
「男鹿のなまはげ」として、国の重要無形文化財に指定されている。

『概要』

冬に囲炉裏にあたっていると手足に「ナモミ」「アマ」と呼ばれる低温火傷が出来ることがある。「それを剥いで」怠け者を懲らしめ、災いを祓い祝福を与えるという意味での「ナモミ剥ぎ」から「なまはげ」「アマミハギ」「ナモミハギ」などと呼ばれるようになった。一般的に、赤面がジジナマハゲ、青面がババナマハゲとされている。

鬼の面、ケラミノ、ハバキを身に付け、大きな出刃包丁を持ったなまはげが家々を訪れ、「悪い子はいねがー」「泣く子はいねがー」という荒々しい声を発しながら怠け者、子供や初嫁を探して暴れる。主人はなまはげをなだめながら丁重にもてなす。

同様の行事は同じ秋田県秋田市の「やまはげ」、秋田県能代市の「ナゴメハギ」、山形県遊左市の「アマハゲ」など、主に本州北部の日本海沿岸各地に存在し、新潟県村上市や石川県能登地方には「あまめはぎ」が伝えられ、福井県には語源は異なるが「あっぽっしゃ」等の呼び名でも分布する。太平洋側の数カ所にも同様の行事が存在している。

『ルーツ』

妖怪などと同様に民間伝承であるため、正確な発祥などは分かっていない。異形の神が脅して教訓を与える祭りとして、鹿児島県薩摩川内市の飯島列島に「トシドン」という類似の行事があり、トカラ列島にはボゼ神の祭りがある。これらとなまはげを関連づける意見もある。
また、「なまはげ」のモデルは、漂流してきたものの、異形で異なる言葉から住民と交われず、人里離れた場所にひっそりと住み着いた外国人(白人)ではないかというような説もある。

「農閑期の終わりを前に、農民を管理していた当時の役人が農民達の怠情を戒める為に鬼のような形相で各戸を訪問してきたことがルーツである」などとも言われている。

『現代』

大晦日のほかに「なまはげ紫灯(せど)まつり」が2月にあり、これは主に観光向け行事として親しまれている。こちらは、なまはげの着ているケラから落ちた藁を頭などに巻き付けると無病息災のご利益があると言われている。

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12/31 除夜の鐘

2013年12月31日 | 豆知識

「除夜の鐘」は、日本仏教にて年末年始に行われる年中行事の一つ。12月31日の除夜(大晦日の夜)の深夜0時を挟む時間帯に、寺院の梵鐘を撞くことである。中国から宋代に渡来した習慣とも言われる。除夜の鐘とは、梵鐘自体のことではない。(通常の梵鐘が使われる)。

『108つの由来』

除夜の鐘は多くの寺で108回撞かれる。この「108」という数の由来については次の様な複数の説がある。格別にどれが正しいということはないが一般には「煩悩説」が有名である。なお、寺により、撞く回数は108回と決まらず、200以上の場合等がある。

「煩悩の数を表す」

眼(げん)・耳(に)・鼻(び)・舌(ぜつ)・身(しん)・意(い)・の六根のそれぞれに好(こう:気持ちが好い)・悪(あく:気持ちが悪い)・平(へい:どうでもよい)があって18類、この18類それぞれに浄(じょう)・染(せん:きたない)の2類があって36類、この36類を前世・今世・来世の三世に配当して108となり、人間の煩悩の数を表す。

「一年間を表す」

月の数の12,二十四節気の数の24,72候の数の72を足した数が108となり、一年間を表す。

「四苦八苦を表す」

四苦八苦を取り払うということで、4×9+8×9=108をかけたとも言われている。

『作法』

鐘を撞く前には鐘に向かって合掌する。108回撞く寺院においては、多くが108回のうち107回は旧年(12月31日)のうちに撞き、残りの1回を新年(1月1日)に撞く。ただし、静岡県富士宮市の大石寺では例外的に年明けと同時に1つ目が撞かれる。

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12/31 年越し蕎麦

2013年12月31日 | 食・レシピ

「年越し蕎麦」とは、大晦日(12月31日)に縁起を担いで食べる蕎麦で、歳末の風物詩ともなっている。日本の文化であり風習である。地域による特色があり、呼び方も「晦日蕎麦」、「大年そば」、「つごもり蕎麦」、「運蕎麦」、「大晦日蕎麦」、「年取り蕎麦」、「年切り蕎麦」、「縁切り蕎麦」、「寿命蕎麦」、「福蕎麦」、「思案蕎麦」と多くある。

『概要』

江戸時代には定着した日本の風習であり、蕎麦は他の麺類よりも切れやすいことから「今年1年の災厄を断ち切る」という意味で、大晦日の晩の年越し前に食べる蕎麦である。
2012年現在、大晦日に年越し蕎麦を食べる人は57.6%にのぼり、文化として深く定着していることが窺える。

『歴史と由来』

1814年の大阪繁花風土記には年越し蕎麦に関する以下のような記述が残っている。

12月31日晦日そばとて、皆々そば切りをくろふ。当月節分、年越蕎麦とて食す。

このことから、遅くとも1814年には江戸で年越し蕎麦が文化として定着していたことが窺える。

さらに年越し蕎麦の起源を遡ると、江戸時代中期には商家に月の末日に蕎麦を食べる「30日蕎麦(みそかそば)」という習慣があり、これが転じて大晦日だけに行われる「年越し蕎麦」になったと考えられる。

年越し蕎麦の伝承としては、年を越してから食べることは縁起がよくないとするものや、蕎麦を残すと新年に金運に恵まれず小遣い銭にも事欠くことになる、といったものがある。

年越し蕎麦の由来については諸説ある。
■蕎麦は細く長いことから延命・長寿を願ったものであるとする説
■金銀細工師がキンパクを伸ばす際に蕎麦粉を用いたとする説

■金銀細工師が金粉銀粉を集める為に蕎麦粉の団子を使用したことから金を集める縁起物であるとする説
■鎌倉時代の謝国明による承天寺の「世直しそば」に由来するという説
■蕎麦は雨風に叩かれてもその後の晴天で日光を浴びると元気になることから健康の縁起を担ぐとする説
■蕎麦が五臓の毒を取ると信じられていたことに由来するとの説
■蕎麦は切れやすいことから、1年間の苦労や借金を切り捨て翌年に持ち越さないよう願ったという説
■家族の縁が長く続くようにとの意味であるとの説

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12/31 注連縄

2013年12月31日 | 豆知識

「注連縄(しめなわ)」は、神道における祭典具で、糸の字の象形を成す紙垂(しで)をつけた縄をさす。

『概要』

現在の神社神道では「社(やしろ)」・神域とゲンセイ隔てる境界の役割を持つ。また神社の周り、あるいは神体を縄で囲い、その中を神域としたり、厄や禍を祓ったりする意味もある。御霊代(みたましろ)・依り代(よよしろ)として神がここに宿る印ともされる。古神道においては、神域はすなわち常世であり、俗世は現実社会を意味する現世(うつしょ)であり、注連縄はこの二つの世界の端境や結界を表し、場所によっては禁足地の印にもなる。

御旅所や、山の大岩、湧水地、巨木、海の岩礁の「奇岩」などにも注連縄が張られる。
また、日本の正月に、家々の門や玄関や、出入り口、また、車や自転車などにする注連飾りも、注連縄の一形態であり、厄や禍を祓う結界の意味を持ち、大相撲の最高位の大関の中で、選ばれた特別な力士だけが、締めることが出来る横綱も注連縄である。

『起源

「日本神話」

天照大神が天岩戸から出た際、二度と天岩戸に入れないように太玉命が注連縄で戸を塞いだのが起源しされる。

「稲作信仰」

稲作信仰は神道の根幹をなす一つであり、古くから古神道に依存し、縄の材料は刈り取って干した稲藁、叉は麻であり、稲作文化と関連の深い風習と考えられる。

「古神道」

神が鎮座する山や森を神奈備といい信仰した。後に森や木々の神籠(ひもろぎ)や山や岩の磐座(いわくら)も、神が降りて宿る場所あるいは神体として祀られ、その証に注連縄が巻かれた。

『形状と材料』

注連縄・注連飾りには、大根締め、ゴボウ締め、輪飾りなど色々な種類の形式がある。大根締めは両端がつぼまり、ゴボウ締めは片側のみが細い。

材料は稲や麻などの藁や、葛の茎を煮て抽出した繊維が使われるが、近年の家庭用の注連縄にはビニール製も増えてきた。神道としては、米を収穫した後の藁ではなく、出稲前の青々とした稲を刈り取って乾燥させたものが本来の姿である。また、芯材として米を収穫した後の藁(芯わら)も使用するが、太さが必要な際には多くの芯藁を使用する。

『飾る時期』

飾り始める日は松飾りの飾る時期と同じ扱いで良いが、地域によって異なり、現在では一般にクリスマス後から28日までに飾る。29日と31日に飾る事は縁起が悪いとされ、31日に飾る事を「一夜飾り」といい、迎え入れる神様に失礼であるとされる。飾りを外す日も地域によって異なり、1月7日に七草がゆを食べた後、もしくは15日の小正月の後に外すとされる。一方、三重県伊勢志摩地方などでは1年中注連縄が飾られる。

『注連飾り』

本来の意義は、各家庭が正月を迎える年神を祀るための依り代とするものである。現在でも注連飾りを玄関に飾る民家が多く見られる。
形状は、神社等で飾られる注連縄の小型版に装飾を加えたもので、注連縄に、邪気を払い神域を示す神垂をはじめ、子孫の連続を象徴する橙の実やユズリハの葉、誠実・清廉潔白を象徴するウラジロの葉などのほか、東京を中心に海老の頭部(レプリカ)などが添付されることが多い。

「出雲大社の注連縄」

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「関東地方の民家の注連飾り」

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「神棚のゴボウ締め」

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12/31 鏡餅

2013年12月31日 | 豆知識

「鏡餅」とは、餅を神仏に供える正月飾り(床飾り)であり、穀物神である「年神(歳神)」への供え物である。

『名称の由来』

「鏡餅」という名称は、昔の鏡に似ていることによる。昔の鏡は青銅製の丸形で、神事などに用いられるものであった。三種の神器の一つ、八尺鏡(やたのかがみ)を型取ったものとも言われる。三種の神器の他の二つ、八尺瓊勾玉に見立てた物が橙(ダイダイ)、くさなぎの剣に見立てた物が串柿であるとされる。

『沿革』

鏡餅が現在のような形で供えられるようになったのは、家に床の間が作られるようになった室町時代以降である。

武家では、床の間に具足(甲冑)を飾り、その前に鏡餅を供えた。鏡餅には、譲葉・熨斗・鮑・海老・昆布・橙などを載せるのが通例となり、これは具足餅と呼ばれた。

『飾り方』

三種の神器または心臓を形取ったとされる。丸い餅を使用する。

一般的には、大小2つの平たい球状の餅と橙が使用されるが、地域によっては違いがあり、餅が三段のものと、二段の片方を紅く着色して縁起が良いとされる紅白としたもの(石川県)、餅の替わりに砂糖で形作ったもの、細長く伸ばしたものを渦巻き状に丸めてとぐろを巻いた白蛇に見立てたものなど様々である。また現代では橙の入手が難しい場合には温州ミカンで代用するケースも見られる。

また、三方に半紙を敷き、その上に裏白(羊歯の一種)を載せ、大小2つの餅を重ね、その上に串柿・干しスルメ・橙・昆布など゛を飾るようになっている。
鏡餅の飾り方には地域によって様々であり、串柿が無い地域や、餅と糯の間に譲葉を挟む地域、昆布とスルメを細かく切ったものを米に混ぜて半紙でくるんだ物を乗せる地域などもある。

近年は、家庭内に飾ることの利便性と、後で食べる際の衛生面を考えて、鏡餅が重なった姿を型取ったプラスチックの容器に充填した餅や、同様の容器に個別に包装された小さな餅を多数入れ、プラスチック製の橙などとセットにした商品が多く、各餅製造会社より発売されている。

神仏に捧げる鏡餅を飾る場所として、床の間が最もふさわしいが、無い場合は、玄関から遠い、奥まった位置にするのがふさわしいとされる。

『飾る期間』

鏡餅を飾り始めるのは、早くても問題とされないが12月28日が最適とされる事が多い。「八」が末広がりで日本では良い数字とされているからである。12月31日を除く大安を選んで供える地域もある。

■12月29日は、日本では「九」が苦しむにつながるので避けるべきとされる。逆に29を「福」と読み替えて、この日に餅を搗く地域もある。
■12月30日はキリの良い数字なので悪くないと考えられている。但し、旧暦では12月は30日までしかない為、旧暦通りならば「一夜餅」の扱いになるので忌避される場合もある。
■12月31日に飾るのは、「誠意に欠ける」「葬儀の飾り方を連想する」などの理由により「一夜飾り」「一夜餅」として忌避される。但し、浄土真宗はこの限りでない。
■神様への供え物なので、松の内に下げたり食べたりせずに飾っておく。
■松の内が終わり御供えが終了した後は、飾ったままにせず下げる。

「鏡開き」

正月が終わって下げた餅は「鏡開き」を行い、餅を食することになる。鏡は円満を、開くは末広がりを意味し、また刃物で切るのは切腹を連想させるので手や木槌で餅を食べやすい大きさに分解する。正月を過ぎた餅は概ね生食するにには硬すぎるほど乾燥しひび割れているため、主に汁粉や雑煮などにして食する。

元々は松の内が終わる小正月(1月15日)の後の1月20日(旧暦)に行われていたが、徳川家光の没日が慶安4年4月20日(旧暦)であったため1月20日を忌日として避け。幾たびかの変遷の後に現在は概ね松の内(1月7日)が終わった後の1月11日に行われる。

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12/30 サギソウ

2013年12月30日 | 豆知識

「サギソウ」は、ラン科サギソウ属の湿地性の多年草の一種。

『特徴』

茎は単立して高く伸び、15-50センチにも達し、先端近くに1-3輪の白い花をつける。花期は7-8月。花の径は3センチほどで、唇弁は大きく、深く3列し、中裂片は披針形、両側の側裂片は斜扇形で側方に開出でその縁は細かく裂ける。
この唇弁の開いた様子がシラサギが翼を広げた様に似ていることが和名の由来である。

側花弁は白色でゆがんだ卵形。距は3-4センチの長さに垂れ下がり、先端は次第に太くなり、この末端に蜜が溜まる。花は、特に夜になると芳香を発する。2個の室は平行し各室に黄色い卵形の花粉塊が入る。

地下には太い根が少数つく。また根に似た太い地下茎が何本か伸び、この先端が芋状に肥大して、この部分だけが年を越す。翌年その球根から地下茎を出す。茎の下部に3-4枚の根出葉がつき、その上部に少数の鱗片葉がつく。葉き互生し、下部のものほど大きく、長さ5-10センチ、幅3-6センチの細長い線形。

『花粉媒介』

この花は蛾による花粉媒介の送粉シンドロームの特徴を示しており、距の長さに見合った長さの口吩を持つセスジスズメなどのスズメガ科昆虫が飛来して吸蜜する。この時に花粉塊が複眼に粘着し、他の花に運ばれる。スズメガ科の蛾は飛翔力に富み、かなりの長距離を移動するので、山間に点在する湿地の個体群間でも遺伝子の交流が頻繁に起きていることが示唆されている。

『分布』

台湾、朝鮮半島、日本に分布する。
日本では本州、四国、九州まで広く分布しているが、生育環境は低地の湿地に限定される。長野県では南部の伊那谷と木曽谷のみに自生地する。
愛媛県今治市の「蛇池のサギソウ」が愛媛自然百選の一つに選定されている。愛媛県宇和島市津島町の「サギソウ自生地」は1968年に、県の天然記念物の指定を受けている。

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我が家の鉢植え「サギソウ」

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12/30 正月準備

2013年12月30日 | 日記

正月のお飾りは一夜飾りは厳禁ということで、今日行いました。

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壁のリースは妻の手作りです。
神棚も掃除等を行いましたが、写真は忘れました。
現在、女性陣(妻と妻の妹)は、お節料理の準備に追われています。


12/29 パフィオペディルム

2013年12月29日 | 豆知識

「パフィオペディルム」は、袋状の唇弁が特徴的なラン科植物で、洋ランの一属として知られる。

『形態』

地上に根を下ろす地生蘭もしくは半着生蘭であり、洋ランでは少数派に属する。
茎はごく短く、葉は幅広い楕円形で平たく、根出状に重なる。
花は、長い花茎の先に単独か、少数を穂状につける。花の外3弁のうち上向きの弁は幅広く、大きくなり、側面の2弁は互いに融合して、唇弁の背景になる。内3弁のうち側方2弁は細く、横に張る。唇弁は袋状、または壺状になる。

慈柱は匙型で、唇弁の口をふさぐような位置にある。先端の下面の平らな部分が柱頭に当たる。雄しべは基部の左右側面にある。これは普通のラン科では慈柱の先端に雄しべ、基部下側に柱頭があるという配置と大きく異なり、アツモリソウ亜科の特徴である。

『名前』

名前は女神のスリッパ(サンダル)を意味する。花の形が丁度女性の靴を思い起こさせる形をしていることから。古くはクマガイソウ・アツモリソウと同じくアツモリソウ属とされ、この属の学名仮名読みの「シプリペジューム」の名で流通した。現在、葉(常緑生の革質葉)、仮雄しべ(多肉質)、自生場所の違い等によって別の属に分けられる。

洋ランのイメージが強いが、日本での栽培の歴史は浅くなく、歴史的に水戸徳川家のコレクションが有名。現在、このコレクションは水戸市植物園等で栽培が続いている。

『分布と生育環境』

分布は東南アジアに集中し、西はインド、南はニューギニア、ブーゲンビル島まで、東はフィリピン、北は中国南部にわたる。ただし、個々の種の分布は域は狭いものが多い。野生での絶滅が危惧されるものが多いのは、これもその一因である。

『園芸種として』

園芸的に人気のあるグループであり、洋ランの中でもカトレアなどと並んで四大洋ランと称される。タイプ種の「インシグネ」は1819年に発見されてすぐにイギリスに持ち込まれ、翌年には開花している。「特異な形態のため人目につく」上に、「花色は地味だが、味わい深く」、あるいは「色彩がシブミ持った特殊な美しさがあり、「気品の高い美しさ」がある、などと評価が高い。また花期が約1ヵ月と長いことも観賞価値を高めている。

他方、組織培養による増殖技術が確立されれておらず、野生優良固体は交配用の種親として高額で取引される。現在はワシントン条約によって国際取引が厳しく規制されているが、新発見された稀少種などは希少価値のみならず、園芸育種における遺伝子資源としての価値は高いため、現在でも違法取引が絶えない。

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12/28 オドントグロッサム

2013年12月28日 | 豆知識

「オドントグロッサム」は、ラン科の植物の一群。オンジウムに近縁で、花弁が大きく、斑紋が入って美しいものが多い。洋ランとしても多く栽培されているが、近縁属との属間雑種が多い。

『概説』

「オドントグロッサム」はオンジウムに似た着生ランで、花が遙かに大きい上に模様と色彩が多彩で、観賞価値が高い。ヨーロッパでは古くから栽培され、交配も行われた。ただし、中南米の高地林に生育するものが多く、耐暑性が低い。そのため、日本では栽培が困難で、国内で流通するうになったのは新しい。

学名はオドント(歯)とグロッサム(舌)の組合せであり、唇弁上面に歯状の突起があることによる。

園芸的に評価が高く、広く知られている。ただし、夏の高温に弱く、日本の多くの地域では栽培が難しい。近縁属との交配による人工属が数多くあり、それらもこの名で流通する場合が多い。

『特徴』

常緑性の多年生草本で、中型から大型の着生ランであるが、地上に見られる例もある。根茎はごく短く、偽鱗茎は密集する。偽鱗茎は楕円形から卵形で、普通は扁平。偽鱗茎の先端から、1-3枚の葉身を着け、基部の葉鞘にも葉身がある。葉は幅狭く革質。

花茎は偽鱗茎基部の葉鞘内から出て、直立または先端がやや垂れ、時に分枝して複数の花をつける。花は五弁が大きく開くのが普通で、花弁は大きく広がり、ほぼ同型で模様が入る例が多い。唇弁はひとまとまりで広がるか三裂し、基部上面には複雑な突起を持つ。花粉塊は二個。

『分布』

中央アメリカから南アメリカの、特にコロンビアからペルー、ボリビアにわたるアンデス山脈に多くが知られる。多くが標高の高い寒冷地に生育する。

『利用』

美しい洋ランとして評価が高く、よく栽培される。略称はOdmである。「彗星蘭」との呼称もある。原種は栽培されるが、交配も進んでいる。また属間雑種も数多い。花形に丸っぽいものや星形など派手で多彩であり、また花色が赤、ピンク、白、黄色など鮮やかなものが多い上に、そこに複雑な模様が入り、美しい。

ただし、高地産の美麗種は耐暑性が低く、日本の平地では栽培が困難であった。ヨーロッパでは栽培の歴史が古く、19世紀後半に持ち込まれたのを皮切りに改良が進められた。だが日本では注目されず、塚本他(1956)には「英国では栽培熱心であるが我が国では夏季高温過ぎてて栽培困難」として地味なももの4種が掲載されるのみ。ガーデンライフ誌にはより多くの種があげられ、交配品種や栽培法も紹介した上で「我が国では最近になってようやく栽培され始めた段階」と記している。

だが、夏季のような属間交配で耐暑性の高いものが増えたことにあり、注目されるようになり、多く流通するようにもなった。現在ではコチョウラン属のもののように花茎をアーチ状に整えてギフト用としたものも出回るようになっている。

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12/27 シンビ゛ジウム

2013年12月27日 | 豆知識

「シンビジウム」は、ラン科の植物。シンビデュームとも表記される。日本語では単に「シンビジウム」と言う時は、東南アジアに自生しているものを品種改良した洋ランに限定されるが、原義ではシュラン属に分類される種の総称である。

『特徴』

ラン系のバルブを持ち、そこから根出汁状に細長い葉を伸ばす、花はバルブの基部から出る茎について、単独か総状に多数の花をつけるが、洋ランとして扱われるものでは多数花をつけるものがほとんどである。花茎は立ち上がるがやや垂れ下がり、あるいは垂れて長く下向きに伸びる。

花はこの属の特徴的なものだが、花弁が幅広く、全体に抱え気味に咲くものが多い。

東南アジアに自生地はあるが、洋ランのシンビディームとして品種改良に利用されたのは、インドからミャンマー、マレーシアなどに自生しているものを中心とする。なお、東洋ラン系の種も交配親として利用される例がある。

『品種について』

この種は洋ランとして古くから栽培されてきたもので、四大洋ランの一つとされてきた。また、メリクロン法等の栽培技術も最初はこの属のもので行われたものである。
この種は日本での人気がせ高く、品種改良も欧米をしのぐほどの育種や栽培技術の進歩が行われている。
日本で最もポピュラーな洋ランであり、現在では出荷量ではコチョウランが最も多いが、1990年代まではこの種が最も多かった。2010年代現在でも、年末にはぞ贈答用に多量の鉢物が出回る。

シンビディウムは栽培はやさしいが、花をつけるのが難しいとの定評がある。一般に耐寒性が強く、半ば放置してもよく育つが、葉ばかり茂って花をつけないということがままある。

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12/26 デンドロビウム

2013年12月26日 | 豆知識

「デンドロビウム」は、ラン科セッコク属の学名カナ読みで、セッコク属に分類される植物の総称である。日本においいては、セッコクなど数種が知られているが、通常、デンドロビウムと呼ばれるものは、園芸種の洋ランとして栽培されているものに限られる。

『概要』

東南アジアを中心に世界各地に広く分布している多年草。原種が1000以上あると言われ、その色や形、特徴も多岐にわたる。そのため、鉢植えで育てる愛好家も多い。
デンドロビウムは、ギリシャ語の「デンドロ(木)」と「ビウム(生ずる)」に由来し、野生では主として樹上に着生する。

特徴は、茎が多肉の棒状になることで、そこから節ごとに数枚の葉を並べる。花は、蘭の花として、比較的特徴のない小さな形で、唇弁は他の弁より丸く大きいだけで、特に目立った特徴はない。花は茎の節から出て単独か束生状、あるいは総状花序をなす。

多くの改良品種や交配品種があり、観賞用として出回っているものの多くは花が茎の節ごとに短い柄の先に少数ずつ付くノビル系、茎の先端から長い穂状に花序を伸ばすファレノシプス系で、この2つがもっともよく作られる。しかし、それ以外にもいくつかの系統があり、さらに多様な原種が知られる。

『系統』

デンドロビウムは、その原種の形態の多様性の高さや品種数の多さから、個々の種類別よりも系統別に考えられることが一般的である。
その系統には、■ノビル系、■デンファレ系、■キンギアナム系、■フォーミテデブル系、■カリスタ系、がある。

それ以外に、非常に多くの原種があり、上記のような一般に知られるデンドロビウムとは印象がずいぶん異なるものも多数にのぼる。それらの中にも栽培されて広く親しまれているいるものは数多い。

『高芽』

洋ランの繁殖は、普通は株分けによるが、茎や花茎の節から新芽が出ることがあり、その場合にはこれが成長するのを待って切り分け、新たな株とすることが出来る。こけを「高芽」という。
デンドロビウムにおいては、細長い偽球茎の上部の節からこのような芽が出ることがあり、これが成長して新たな偽球茎に発達し、葉がついて根が出ると、これを切り分けて繁殖に利用できる。ただし、その場合、その節にあった芽は高芽になってしまったことで花芽がその節から出る可能性は無くなる。従って高芽が出ると繁殖させられるものの花が見られなくなる。

この類では株分けそのものは比較的簡単なので、高芽が出ることはむしろ喜ばれず、高芽を出さないことが喜ばれる。特にノビル系では花芽形成期のアツカイ誤ると、花芽になるべきものが高芽に変わり、観賞価値゛著しく下がる。

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2112/25 カトレア

2013年12月25日 | 豆知識

「カトレア」は、中南米原産のラン科植物の1つの属、あるいはその近縁属との交配品種を含む1群の植物である。
美しい花を咲かせることからよく栽培され、最も有名な洋ランである。「洋ランの女王」とも言われる。

『概要』

非常に大輪で派手な花であり、言わば洋ランの代名詞として扱われ、現在では多くの交配種があり、栽培されている。切り花としては華麗さと高級感を演出する。
名前はこの属の最初の収集者で最初に栽培で花を咲かせたWilliam Catteyにちなみ、属の名前として献名されたものである。元々彼が南米から送ってもらった植物の梱包材として使われていたこの着生植物に興味を持ち、栽培してみたところ予想もしなかった見事な花をつけたため、イギリスの著名な植物学者、ジョン・リンドラーが記載して献名したという逸話が伝わっている。和名としてはヒノデランというのが牧野富太郎によって与えられている。花の美しさを日の出に見立てたという。

これ以降、カトレア属は洋ランの代表として注目され、4大洋ランのトップに必ず挙げられている。カトレアの名はカトレア属の総称とし使われる。これは当然であるが、この属および近縁属との属間交配も多く行われ、それらはカトレアの花より美しいものにするために行われた傾向がある。
そのため、それらの属間雑種にはそれ相応の名が与えられているが、一般にはそれら全てをまとめてカトレアと呼んでいる。なお、近年の分類体系の変更により、その属の境界も変遷をたどっており、カトレアの名を冠する植物の幅も広くなった面がある。

カトレアを国花としている国はコスタリカである。

『分布と生育環境』

中南米のコロンビア、ベネズエラ、ブラジル、エクアドルなどに分布し、特にアンデス山脈などの標高100~1500メートル程度の森林地帯に産する。着生植物であり、木の樹皮に付着して生活する。

発見当初よりその美しさのためによく栽培され、また、新たな種の発見に努める者も多かった。近縁種との属間交配も行われ、多くの品種がある。ただし、それらの名前には複雑な経緯と変遷がある。

『体系』

20世紀末まで野生種は40種ばかり知られ、それらを元にした品種改良も行われ、多くの交配品種がつくられた。近縁の種であるレリア、ブラッサボラ、ソフロニティスとの間でも交配が行われている。これらの属とカトレアを含む4属の間では属間交配による雑種も稔性を持つものが多く、3属間雑種や4属間雑種も作られている。それらはカトレアの花の色や形の範囲を広げることを目指して行われ、一般には全てカトレアと認識されている。

ところが、21世紀に入って生物分類学において分子系統による見直しが行われており、この類の分類系統にも大きく手が入った。
以下は分類数が多数なので省略する

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12/24 コチョウラン

2013年12月24日 | 豆知識

コチョウランは、ラン科植物のひとつ。東南アジアに分布し、白い美しい花をつける。

『概説』

「コチョウラン」という名は、コチョウラン属の総称としても、同属およびドリテノプシス属を含む洋ランを含む名称として使われる。しかし、和名としてのコチョウランはP.aphoroditeに与えられたものである。
種としての「コチョウラン」は、東南アジアに分布する大きな平たい葉を持つ単軸性の着生ランである。白い花は美しく、よく似たファレノプス・アマビリウスと共に洋ランとしてのコチョウランのイメージを代表するものである。学名の種小名はギリシャ神話の愛と美と豊穣の女神「アフロディテから。

『特徴』

多年性の着生植物で、単軸性のラン。茎ごく短く直立し、上には四枚程度の葉を密生し、下方からは多数の根を出す。根は太くて良く伸びる。
葉は二列性で折り重なって生じ、楕円形から長楕円形、表面は緑。

花は茎の側面から伸びて斜上して先端は枝垂れ、長さは50ー80センチ、時に分枝する。
先端より十数個の花をつける。花は経7センチほど、側花弁が幅広く、花全体が丸く見える。唇弁は黄色を帯び、赤味のある斑点が出る。唇弁の先端は左右に突き出している。

分布はフィリピンから台湾に分布する。同種のアマピリスは、本種に非常によく似ている。花はこの種の方が本種より多少大きく、また花弁の基部中央の肉質突起がこの種では二個に角になるのに対し、本種は四個の角になっている。

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12/23 シクラメン

2013年12月23日 | 豆知識

「シクラメン」は、サクラソウ科シクラメン属に属する多年草。地中海地方原産で、花期は秋から春。冬の花として有名。和名は「豚の饅頭」と「篝火草」の二種類がある。
「豚の饅頭」は、植物学者・大久保三郎がシクラメンの英名「sow
・bread(雌豚のパン=シクラメンの球根が豚の餌になることから命名)」を日本語に翻訳した名である。
「篝火草」は、シクラメンを見たある日本の貴婦人(九条武子といわれる)が「これはかがり火の様な花ですね」と言ったのを聞いた牧野富太郎が名付けた。前者は球根が豚、後者は花を見て名付けている。

『歴史』

「シクラメン」は元々地中海沿岸、トルコからイスラエルにかけて原種が自生している。名前は受粉後に花茎が螺旋状に変化する性質からギリシャ語の「キクロス」から命名された。古来は花ではなく、塊茎の澱粉を注目され、サポニン配糖体シクラミンを含む有毒にもかかわらず「アルプスのスミレ」などの美称が゛あり、食用とされていた。大航海時代以後ジャガイモがもたされると、シクラメンを食用にする習慣はなくなった。

シクラメンの花に着目して品種改良が行われたのはドイツである。シクラメンの原種の中でもシクラメン・ペルシカムに注目して、品種改良が進められた。花色はピンクのほか白、赤、黄などバラエティに富んだものができた。

『日本のシクラメン』

日本には明治時代に伝わった。日本での本格的な栽培は、岐阜県恵那市の故・伊藤孝重氏の手により始まった。シクラメンは高温多湿の日本の気候に合わず、様々な栽培方法が模索された。

戦後、急速に普及し、日本での品種改良も進められ、花色も黄色や二色、フレンジ咲き、八重咲きなどが登場。日本における鉢植え植物では生産量はトップクラスで、冬の鉢植えの代表格として定着している。

「シクラメン」の「シ=死」、「ク=苦}との語呂合わせ、また花の赤色は血をイメージするなど、病院への見舞いにこの花や鉢植えを持っていく事は縁起が悪いとされている。(鉢植えば「植え」が、飢え、根付くが転じて「寝付く」となる語呂合わせの為)。ただし、これには科学的な根拠があるわけではない。

『香りのシクラメン』

通常、栽培種のシクラメンは全く香りがしないか、香りが薄いのが一般的である。上気のとおり栽培種のシクラメンはドイツにおいて花が大きく綺麗なものを長年に渡り選抜していった結果、香りは注目されず徐々に失われていった為てある。
なお、日本では布施明の歌「シクラメンのかほり」が1975年にヒットしたことによってシクラメンの香気に対する期待感や要望が表れるようになった。
このため、一般の栽培種のシクラメン生産者や育種家らの手によって香りのシクラメンが育成されてきた。これは、種の中に僅かに含まれる香気であるシトロネロールというバラ様の香気成分が突然変異などにより比較的に多く含まれるものを選抜したものであるが、親の遺伝によって香りが良くなるとされるセキステルペンの香気成分も無くならない事が多いため、基本的な香り成分の種類には差が少ない。

このような中、1996年に埼玉県農林総合研究センターがバイオテクノロジーを用いて、栽培種である種と芳香を有する野生種の種との種間交配を行い、種子で増殖可能な交雑種の2系統の育成に世界で初めて成功した。

この種間交配により、花や株は一般の園芸種のように大きく、香りはこの野生種の芳香が大きな花から多く発せられる、いわゆる「芳香シクラメン」が誕生することとなり、従来の園芸種とま全く違うバラとヒアシンスを合わせたような香気を持つ「栽培用シクラメン」が一般に流通するように至った。

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12/22 ポインセチア

2013年12月22日 | 豆知識

「ポインセチア」は、葉は薄く、楕円形。花はいわゆる杯状花序である。花びら等は存在しない。その下に着く葉の形の苞葉が赤く染まるのが観賞の対象となる。その赤さはキリストの血の色に例えられる。

原産はメキシコと中央アメリカ。ポインセチアという名前の由来はアメリカ合衆国の初代メキシコ公使であったJ・R・ポインセットによる。原産国とされるメキシコ合衆国では、「ノーチェ・ブエナ(聖夜)」と呼ばれる。

日本には明治時代に渡来。和名はショウジョウボク。大酒飲みの赤い顔が特徴の、伝説上の動物である「猩々」に似ていることから名付けられたという。

観葉植物として、クリスマスの時期にあわせて短日処理をして、紅葉させて緑色の葉色とのコントラストを楽しむ。ただし0度を下回るような場所に放置すると葉が落ちてしまうので、クリスマスの時期の管理には注意が必要である。

増やし方は、水を張った容器や、土に挿し木をすれば発根する。園芸品種が近年多様化しており、従来の紅色に加え、乳白色、淡い黄緑、ピンク、斑入りなどのバリェーションが楽しめる。

一般に鉢植えの植物というイメージが強いが、宮崎県宮崎市堀切峠の沿道には5万本以上植えられており、12月の開花期には日南海岸の展望と合わせて名所となっている。小さな花が数個固まって咲いているため、ひとつの花のように見える。

全草にフォルボールという有毒成分が含まれて、皮膚炎・水疱などを引き起こす。致命的な毒ではないが、1919年にハワイで子供がポインセチアを食べて死亡した例が報告されている。
「美しい花には毒がある」の典型である。

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