道彦の散歩道

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06/25 「鰻丼」と「穴子丼」

2013年06月25日 | 食・レシピ

【鰻丼】
「鰻丼」とは、丼に入れた御飯の上に鰻の蒲焼きを載せ、醤油をメインとした焼きタレをかけた日本料理。
タレは、醤油と砂糖を主に作られるが、各店は門外不出の秘伝のタレとして作り方に工夫を凝らしている。このタレは、まず御飯にかけ、鰻の蒲焼きを載せた後に再度かけるのが一般的である。
山椒の粉は最後に振りかける。山椒は、消化を助ける効果3があるとされる、。また、泥臭さを消し、脂の多い鰻をさっぱりと食べることが出来る。
宮川政運の「俗事百工起原」によると、現在の東京人形町で大久保今助がこの鰻丼を考えた出したとされている。この御飯にタレが染み込んだ味が大人気となり、隣町(現在の葦屋町)の大野屋が「元祖鰻めし」という看板で売り出したのが最初だと言う。売り出した年代は特定されていないが、おそらく中村座や市村座が天保12年(1841年)に焼失して移転してしまう前の頃に売り出されたと思われるか、天保の飢饉(1844年)に、天保通宝一枚で売り出したのが評判を呼んだという。
『鰻重』

用いる容器が重箱なら鰻重になる。鰻重には鰻の肝の入った肝吸いが付くことが多い。鰻重は、一説では、山谷にあった川魚料理屋「鮒儀」の初代、大谷儀兵衛が始めたといい、江戸後期にはあったとされれるが、これについては異説論もある。
異説では、重箱を使うものは大正時代に登場し、漆器を使うなど高級な印象を与えることを狙ったようで、現在でも鰻丼と比べると価格が高い傾向がある。
また、器の底から「御飯・鰻・御飯・鰻」と重ねることから「鰻重」と呼ぶことがある。

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【穴子丼】
「穴子丼」は、「穴子天丼」と「煮穴子丼」に大別され。
江戸時代から東京湾の羽田沖で捕れたものが江戸前の本場物とされ、現在でも東京湾各地で漁場となっている。
また、瀬戸内海で捕れたものなども地元や関西地方で珍重されている。
『煮穴子丼』
基本的には、鰻丼の鰻を穴子に変えたものである。調理法も同じで、蒲焼きにしたものをタレをかけた丼飯に載せ、その上にタレをけるものである。
鰻よりホッコリしていて、根強いフアンがある。

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【穴子天丼】
一本まるごと揚げられた天麩羅は天丼や天麩羅蕎麦などに載せられると丼からはみ出す様が見栄えし、価格も手ごろなため、名物としている店も多い。

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【その他】
穴子には寿司ネタとしても人気がある。下ろした穴子を蒸し煮し、握る直前に網
火で炙り、握る。握った寿司には煮きりタレをつける。ホッコリしている食感が蒲焼きや天麩羅と同様に人気がある。

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