4日の日曜日
堅曹さんの姉・梅さんの嫁ぎ先になる、遠藤家の本家を訪ねた。
梅さんは堅曹が日本で初めてつくった前橋の器械製糸所で製糸工女を指導した教師でした。
多分日本ではじめての工女取締(師婦)です。
子供を育てながら生涯製糸場で工女たちを教育指導し、
堅曹のよき理解者であり、彼の描く工女指導の理想の体現者であったとおもう。
その遠藤梅さんの子孫にあたる夢酔い人Kさんと、藤沢のEさんに本家へ案内していただいた。
都内の閑静な住宅地にあるその家では貴重な写真を見せていただいたが、
遠藤さんは
「現在の場所に引っ越すときに随分いろいろなものを処分してしまい、
多分その中にはもっと手紙類などもあったかもしれない」とおっしゃった。
昭和52年ごろ、KさんやEさんより前の世代の人達が何人かで先祖のことを調べていて、
そのときのノートやメモ類がこの日にみつかった。
まだコピーが普及していなかったころでもあるが、
なんと手書きでおなじノートをつくったり、年表を作成していたことがわかった。
先祖の事を知りたいとおもう人物が、何世代かたつと必ずでてくるものらしい。
その世代が祖先のことをまとめておいてくれたおかげで
現在先祖調べをしているいとこ同士のKさんとEさんは
随分いろいろなことがわかったらしい。
わたしも直接つながりは無いのに、遠藤さんの家系には随分詳しくなってしまった。
もちろん堅曹にとっては姉であり、その子どもたちは甥や姪で、
ずいぶんかわいがって面倒をみていた。
昔は一族の結束が強かったんだと、本当におもう。
そして、こうして速水堅曹本人ではない、傍系の人々のことを調べていくと、
ではどんな叔父さんだったのだろう、どのように甥や姪たちと係わっていったのだろう、と
そこから堅曹の人となりがみえてくる。
そしてこの遠藤本家には、貴重な堅曹夫婦の写真がとてもいい状態で保存されており、
それが配られた経緯や年月などを、KさんやEさんと話し合った。
話しは尽きず、でもこうした時間はとても楽しく、あっという間に3時間もたってしまった。
貴重な訪問をさせていただいた。
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