堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

年が明けて

2013-01-24 02:59:22 | 日記・エッセイ・コラム

新しく年があけて2013年となりました。

ことしは堅曹さんが亡くなって100年目。

没後100年です。


さあ、まとめるぞ、これまで調べたことを!

と今年の目標です。



すでに半月以上たちましたが、いろいろなことがありました。

備忘録のように


1月11日  長谷川等伯筆「松林図屏風」を見に行く。

東京国立博物館で新春特別展示をしていた国宝「松林図屏風」をみてきました。


Cimg1421 松林図屏風


初めて本物を拝見。

その透き通る静謐な美しさに心が引きこまれます。

いつまでも見ていたかった。



ほかにも

拝見は2度目ですが、下村観山筆「弱法師」


Cimg1434 弱法師


松永耳庵旧蔵の茶道具などを見ました。


Cimg1428 大井戸茶碗





1月12日 原三溪市民研究会で川島瑞枝さんの講演会をおこなった。


Cimg1441 川島瑞枝さま


川島さんは富岡製糸場でポール・ブリュナの通訳を務めた川島忠之助のお孫さんです。

彼はその後蚕種をイタリアに売りにいく一行と共に世界一周をし、

横浜正金銀行員となってリヨン、ボンベイ、東京支店長などを歴任して取締役となった。

そしてジュール・ヴェルヌの『八十日間世界一周』を日本ではじめて訳した人物として知られました。


その先祖のことを書いた本『わが祖父 川島忠之助の生涯』を

4年ほど前に読みました。(このことを書いたブログ

昨年末紹介してくださる方がいて、その川島さんとお会いすることができ、

今回原三溪市民研究会で講演していただくことになったのです。


川島忠之助は堅曹と生糸でつながる人物です。

きっと二人は会っていただろうし、よく調べると堅曹の息子が正金銀行に入った時、中島忠之助は取締役でした。


そんな堅曹さんと関係のある人物のお孫さんと会えるのは、

不思議な繋がりを感じ、本当にうれしいです。

お孫さんの口から語られる忠之助の人生はまた格別のものでした。



1月16日、この日は朝からソワソワ。

そう、直木賞の発表があったのです。

今回受賞した『等伯』は日経新聞で連載中からずっと読み続けていて、(その時のブログ

昨年11月に取手の瑞法光寺で作者の安部龍太郎さんの講演会をしました。



Cimg1146 安部龍太郎さま


そのころから直木賞を取るのではないか、って密かに思っていました。


絶対に受賞してほしいと願い、

夕方6時から「ニコニコ生中継」をつけて発表を待ちます。

7時40分過ぎ、やっと発表された時はPCの前でバンザ~イ!!

すぐあちこちに電話して知らせ、

記者会見を食い入るように見ました。

安部さんの語る言葉にいちいち頷いたり、拍手したり。

「虚心坦懐」という言葉が印象に残った

とてもいい記者会見でした。(ここで見れます)



1月17日

堅曹さんの100回目の命日です。

昨年百回忌はおこなったので、今年は墓前でお経をあげてお参りをしました。

2日前の大雪ですっかり白くなった墓地にはいり、

堅曹さん、さむい寒の内に亡くなったんだな、とあらためて思う。

いろんなこと、報告しました。


Cimg1455 雪の残る堅曹のお墓


最新の画像もっと見る

コメントを投稿