堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

前橋公園と臨江閣

2009-04-11 08:11:00 | 日記・エッセイ・コラム

4月8、9日は群馬にでかけました。

9日は毎月の歴史ワーキンググループの勉強会と

伝道師協会の西毛県外支部の総会があり、両方に出席してきました。

前日の8日に県立文書館で調べものをする予定で、群馬入りしました。


前橋までくると、まさに桜が満開。

それに誘われるように文書館へ行く前に前橋公園に寄ってみました。

風もなく、おだやかな絶好のお花見日和に、平日だというのに大勢の人が来ています。


ふとみると臨江閣がすぐそばにあり、まだ見たことがなかったので、

桜より前にそちらの見学をすることにしました。


Cimg7532 臨江閣



新しくきれいになった庭から入ってみると、「星野翁碑」と書かれた石碑があります。


Cimg7538_2 「星野翁碑」


星野?もしかして星野長太郎かしら、とおもいそばにいってみると、

確かに堅曹さんとは「水魚の交わり」といわれた星野長太郎の碑でした。

前橋市内に碑があることは知っていたけれど、ここにあったんだ!とおもい、

いそいで読んでみます。

速水堅曹ニ就キテ欧式器械製糸法ヲ学ビ・・・、 とか同伸会社の文字もあります。

しっかりデジカメに撮り、あとで解読です。



臨江閣とは明治17年(1884)に来賓をもてなす迎賓館として

初代県令の楫取素彦らが作った近代和風の木造の建物です。

現在は群馬県指定重要文化財となっています。


Cimg7591 臨江閣 車寄せ


渡り廊下によって本館と別館が繋がっており、当時の雰囲気そのままになっていました。

中には少しですが近代の展示があり、

昔の群馬県庁や市役所の模型、大渡製糸所や関根製糸所の写真などもありました。

堅曹さんの義兄である宮澤熊五郎さんの測量図によって作られた

前橋城の模型などもあり、初見で驚きました。

そして本館には堅曹さんの甥たちが能を演じたという舞台がそのままに残されており、

その板の間をしっかりと踏みしめることができました。


Cimg7585 能舞台にもなった「一の間」



よく考えれば、建立された年代から堅曹さん自身はもちろん訪れたであろうし、

親戚の者たちもここに来ていたという歴史的な建物に、

なぜいままで見学に来なかったんだろう。

前橋市内は城をはじめとして、古い建物は何も残っていないと思っていたけれど、

ここはそのまま残っていたのです。

前橋が近代化に活気づいていた頃を感じられる建物に触れられて、

とてもうれしかったです。



だいぶ臨江閣で時間をとられ、やっと前橋公園にはいり満開の桜を堪能しました。


Cimg7600 前橋公園


Cimg7599 県庁と前橋公園土手の桜



公園から歩いて、いつも車で通り過ぎる交差点のところに「前橋城祉之碑」があるので、

それを見にいきました。


Cimg7606 碑の入り口


Cimg7609_2 「前橋城址之碑」



急な階段をあがるとポツンと大きな石碑が建っています。

解説板を読んでみると、

これは城主であった松平直克の城再築の功を偲んで、明治41年(1908)に建てられた、

ということと、傍らにある副碑には

碑を建てるために県内外から800人を超える寄付があったことが記されている、

となっていました。


「前橋城址之碑賛助人名」と書かれた小さな石碑が横にあります。


Cimg7614 「前橋城址之碑賛助人名」碑

もしかして、とおもい、

速水堅曹の名前をさがしてみました。

碑自体がかなり古く、また場所が木の影でうす暗いため

ほとんどが読み取れないような状態でしたが、

堅曹さんはすぐに見つかりました。→ Cimg7615


明治41年ですから、

速水家が前橋を離れて30年がたち、堅曹さんも70に近い歳でしたが、

前橋藩士として、自分が仕えた主君を讃える碑にはきっちりと忠義を尽したのだと思いました。


こんなところに名前が彫ってあるなんて知りませんでした。

桜に誘われて、偶然にいろいろな発見ができました。


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