堅曹さんを追いかけて

2002年(平成14年)9月から先祖調べをはじめた速水家の嫁は、高祖父速水堅曹(はやみけんそう)に恋をしてしまったのです

速水家 略系図

2007-11-02 20:44:38 | 資料

群馬のIさんから「川越 妙善寺」の記事について次のようなコメントをいただきました。

様々な困難を押しのけてのルーツ探訪ご苦労様です。ところで川越で発見された三基の墓石が4~6代のものであり、初代・2代が白河、3代が姫路と有りますが、ここで分かりやすく系図を書いて頂きたいと思います。別けても「三輪政吉」と言う人はどういう人で、何代目に当たるのか(門外漢には)分かりません。よろしくお願いします。

説明不足でした。



速水家は初代以来、代々松平氏(結城系、直基を初代とする譜代藩)の家臣で、藩主の移動と共に各地に移っています。

速水家の略系図載せます。(『速水家累代之歴史』より)

   初代 ~ 速水政義 〔元禄13年(1700) 奥州白河にて没〕

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   二代 ~ 三輪政法 〔元禄15年(1702) 奥州白河にて没〕

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   三代 ~ 三輪政勝 〔寛保4年(1743) 播州姫路にて没〕

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   四代 ~ 三輪政吉 〔天明元年(1781) 武州川越にて没〕

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   五代 ~ 速水戍信 〔文政10年(1827) 武州川越にて没〕

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   六代 ~ 速水政信 〔嘉永2年(1849) 武州川越にて没〕

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   七代 ~ 速水堅曹 〔大正2年(1913) 横浜にて没〕

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二代、三代、四代が「三輪」姓である理由は、『速水家累代之歴史』にはこう書いてあります。(筆者解釈文)

初代速水政義は鉄砲先筒組であり、砲術が上手であった。

ある時主君の鷹狩先において鉄砲を試してみたところ、みごと鳥を撃ち落した。

主君が「彼身者炮術ニ妙ナリ」(かのみはほうじゅつにたえなり)と言ったので、重臣がその言葉(「みは」)をとらえ、おまえにはありがたいことだからこれから姓は「三和」にしなさいと勧めた。

それで名字を「三輪」と改めた。

こうして名字が「三輪」となりそのまま二代、三代、四代と続いていきます。

そして五代の戍信のとき「三輪」姓をもとの「速水」に戻したと記されています。



これでお解かりになりましたでしょうか。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
 良く分かりました。有難うございました。ところ... (群馬のIさん)
2007-11-02 23:37:41
 良く分かりました。有難うございました。ところでもう一つ五代の人の名前の読み方を教えてください。
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群馬のIさん (速水家の嫁)
2007-11-03 19:10:17
群馬のIさん

五代「戍信」の読み方ですか。
私もわかりません。

「戍」はシュとかジュと読むのですが、それでは変ですよね。
文字の意味が「まもる」とか「まもり」なので私は勝手に「もりのぶ」と読んでいます。

答えにならなくてごめんなさい。
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 なるほどそうかも知れませんね。「衛戍」「戍役... (群馬のIさん)
2007-11-03 21:24:56
 なるほどそうかも知れませんね。「衛戍」「戍役」「戍卒」皆武器を持って国境(辺境)を守る、又その守備兵。の意の
様ですし「意読」は「まもる」ですからね。
 それにしても昔の人・武家の名は難しい読みをするものが多いですね。
 有難うございました。
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