群馬のIさんから「川越 妙善寺」の記事について次のようなコメントをいただきました。
様々な困難を押しのけてのルーツ探訪ご苦労様です。ところで川越で発見された三基の墓石が4~6代のものであり、初代・2代が白河、3代が姫路と有りますが、ここで分かりやすく系図を書いて頂きたいと思います。別けても「三輪政吉」と言う人はどういう人で、何代目に当たるのか(門外漢には)分かりません。よろしくお願いします。
説明不足でした。
速水家は初代以来、代々松平氏(結城系、直基を初代とする譜代藩)の家臣で、藩主の移動と共に各地に移っています。
速水家の略系図載せます。(『速水家累代之歴史』より)
初代 ~ 速水政義 〔元禄13年(1700) 奥州白河にて没〕
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二代 ~ 三輪政法 〔元禄15年(1702) 奥州白河にて没〕
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三代 ~ 三輪政勝 〔寛保4年(1743) 播州姫路にて没〕
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四代 ~ 三輪政吉 〔天明元年(1781) 武州川越にて没〕
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五代 ~ 速水戍信 〔文政10年(1827) 武州川越にて没〕
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六代 ~ 速水政信 〔嘉永2年(1849) 武州川越にて没〕
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七代 ~ 速水堅曹 〔大正2年(1913) 横浜にて没〕
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二代、三代、四代が「三輪」姓である理由は、『速水家累代之歴史』にはこう書いてあります。(筆者解釈文)
初代速水政義は鉄砲先筒組であり、砲術が上手であった。
ある時主君の鷹狩先において鉄砲を試してみたところ、みごと鳥を撃ち落した。
主君が「彼身者炮術ニ妙ナリ」(かのみはほうじゅつにたえなり)と言ったので、重臣がその言葉(「みは」)をとらえ、おまえにはありがたいことだからこれから姓は「三和」にしなさいと勧めた。
それで名字を「三輪」と改めた。
こうして名字が「三輪」となりそのまま二代、三代、四代と続いていきます。
そして五代の戍信のとき「三輪」姓をもとの「速水」に戻したと記されています。
これでお解かりになりましたでしょうか。
五代「戍信」の読み方ですか。
私もわかりません。
「戍」はシュとかジュと読むのですが、それでは変ですよね。
文字の意味が「まもる」とか「まもり」なので私は勝手に「もりのぶ」と読んでいます。
答えにならなくてごめんなさい。
様ですし「意読」は「まもる」ですからね。
それにしても昔の人・武家の名は難しい読みをするものが多いですね。
有難うございました。