立春も過ぎ、春一番も吹き、暖かくなってきました。
でも心は憂鬱・・・。花粉症の季節到来でもあります。
さて、そんな気持ちを吹き飛ばしてくれそうな、おもしろい話題が
夢酔い人Kさんよりもたらされました。
昨日、インターネットで速水堅曹を検索したら、
(たぶん9月に速水さんがブログに載せた速水堅曹が林鶴梁と会って
密談したという日記の部分をとらえたと思いますが)、
速水堅曹が林鶴梁と共に前橋藩士として徳川埋蔵金の隠匿に関わったのではないか
とのコメント記事を見つけました。
ブログを書いた人は埼玉県の男性で歴史好きで徳川埋蔵金の行方に
かなり興味を持っている人のようです。
まあ、とにかく笑っちゃいます。堅曹さんが徳川埋蔵金に関わったとは........
でも堅曹さんが林鶴梁と日々密談したという内容は謎の部分が多く引っかかります。
松平家の藩日記でも見たことがないし....
ブログは下記に入れましたが速水堅曹の名が記されてるのは
江戸からの分、 人物検証江戸からの分 1、
の二か所です。
http://ameblo.jp/tokugawa165/entry-10169575230.html
私すぐにブログに飛んでみました。
ブログ名は「徳川埋蔵金by165」
びっくりです。私がブログに書き込んだ堅曹さんの日記の一部を
しっかり捉えて、考察に加えている。
夢酔い人Kさんじゃないけど、ホント笑っちゃいました。
でも、最初は「まさか~」なんておもったけれど、
堅曹さんなら「あり得るかな~」なんて、
ちょっとその気になった自分がいます。
慶応4年4月初旬 林鶴梁先生前橋に来る。故に日々行ってしかも密談をする。
というそれだけの日記なのですが・・。
この4月初旬というのが埋蔵金を運んだ時期と一致するらしい。
もちろん林鶴梁は埋蔵金に関わった人物として超有名。
しかも、日々行って、密談? ここが最大の謎 and 興味をそそられるところ!
などど、私もかなり、ミーハーな展開にしていますね。
堅曹さんの日記には林鶴梁はここにしかでてきません。
私などは、埋蔵金のこともよく知らないし、林鶴梁のことも表向きの履歴しか知らない。
だから、単純に前橋出身の漢学者が帰郷しているので、まだ若い下級武士(堅曹)が
水戸の情報やこれからの藩の在り方でも相談しにいったのか、などど平凡におもったのですが。
速水堅曹の日記をよくよくみると、「ご内用」、「密談」、「内命」、
はては「ここに書くわけにはいかず」、なんていうのがほんとうに多いです。
藩士として、かなり、内偵のような仕事をさせられていたのは確かです。
きっと、口が堅くて、策士のごとく情報を仕入れたり、根回しをしたり、交渉したり、
それを確実にやりとげられる、信頼されたいわゆる切れ者。(私の勝手な想像ですが)
だから、ある小説家は
速水堅曹が坂本竜馬と一緒に行動してた、などという設定の物語を書きました。
幕末から明治前期、堅曹さんの行動は謎の部分も多く、
たった一行の日記にも、すごい内容が隠されているんじゃないだろうか。
私はとんでもない日記の解明に取り掛かってしまって、
ずぶずぶと深みにはまってしまっています。
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