海外のニュースより

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「失われた知識を追い求める人たち」と題する『シュピーゲル・オンライン』の記事。

2009年08月30日 | 教育と科学技術
(前略)アレクサンドリアの図書館が焼失したという出来事の混乱の中でどれほどの知識が失われたか、今日ではもはや測ることは出来ない。失われたと思われているのは、ソフォクレスの著作であり、ギリシャ語で書かれた『新約聖書』の写本である。聖書研究にとって啓示となりえたパピルスや羊皮紙である。古代のアインシュタインと言われるキュレネのエラトステネスの著作はすべて失われた。彼は地球の周囲の距離を測った最初の自然科学者だった。アレクサンドリアの図書館の蔵書数は、49万巻だったそうだ。これは、12世紀のビザンチン帝国の学者であったヨハネス・ツェツェスによって確認された。この遺物のうちほとんど何も残っていない。オックスフォード大学の歴史家ナイジェル・ウィルソンの推定では、古代の著作の約1パーセントだけが今日まで生き延びた。
ワルシャワ大学の考古学者グレゴルツ・マイヒェレクがアレクサンドリアの古代の市壁の内部の建築物のない最後の土地を調査した2003年11月に、古代の知識に新しい光が当てられた。近代的な大都市のど真ん中にこんな土地が存在したことは、奇跡である。ナポレオンの軍隊は、古代の地面の上に要塞を建てていたが、それは後にイギリス人やエジプト人たちによって利用され、拡張された。1950年代になって、この要塞は放棄された。それはマイヒェレクが10年間の発掘作業で見出したのは、遺跡の上にある遺跡だった。要塞の壁の下に色モザイクのついたローマ時代の屋敷が現われた。
最初は、マイヒェレクには、一連の四角い部屋しか分からなかった。どの部屋も昔の大通りに出る入り口があり、真中には馬蹄形の石のスタンドがあった。この発見が告知された際には、アレクサンドリアの図書館が発見されたという考えが浮かんだ。2004年5月のカリフォルニアでの記者会見において、「エジプト考古庁」長官ザヒ・ハワースは、この廃墟は図書館の一部、古代世界で水プールと見なされたあの伝説的施設の一部だと断言した。「このようなギリシャ・ローマ時代からの複雑な勉強部屋は、地中海圏では、これまで一度も発見されたことはなかった。」これらの教室には5000名の学生を注要することが出来た。「多分世界最古の大学だ」とハワースは言う。(中略)
 1980年代にオスロ大学のクヌート・クレーヴェとブリンユルフ・フォッセとは、膠状の物質をパピルスの巻物の上に載せる技術を開発した。しばらくすると、物質は固まり、巻物を注意深く広げることが出来た。
真っ黒なパピルス表面の文字を解読する際にも巨大な進歩が目指された。パピルス学者の目を助けるのは、赤外線技術である。ミラノ研究大学の物理学者は、解像力の高いディジタル・カメラを開発した。それは、赤外線照射によって、人間の目には感じられない線や記号を認識する。その際、赤いインクで書かれた文字は、赤外線を吸収するが、パピルスは、それを反射する。こうして、上に書かれた記号や訂正も目に見えるようになる。
この方法のおかげで、ナポリの近郊のヘルクラネウムから見つかった150件の遺物が読むことが可能になった。それで、研究者たちは、ガダラのフィロデモス(110-40 B.C.)という哲学者のこれまでは知られていなかった著作を解読した。それらは、エレアのゼーノーンの比較的古い学派への一瞥を可能にする。フィロデモスは、ヴィルギリウスやキケロやルクレチウスの知人であった。これらの学者の影響が再発見されたテキストの中に辿れるかどうか、古典文献学的な分析が初めて示さネバならない。(後略)
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