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海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

コンゴ情勢(『ヴェルト』3月3日号記事より。)

2005年03月03日 | 国際政治
コンゴの内戦を止めるために国連軍が駐留するようになって、6年経つが、今週、国連の平和部隊は、コンゴの民兵50名以上を殺傷した。これは明らかに先週の金曜日パトロール中の国連軍のバングラデシュ兵9名が待ち伏せ攻撃によって殺されたことに対する報復である。コンゴ東部の民兵指揮官フロリベルト・ヌジャブがこの攻撃を背後で操ったという理由で逮捕されている。3人の民兵指揮官も首都キンシャサで逮捕された。中央アフリカの国コンゴには、16,000名の国連軍が駐留しているが、そのうち4,800名は、イツリ地方に駐留している。もともとコンゴ東部は、侵入したウガンダ軍とルアンダ軍が撤退した2002年以後は、内戦が終結し、平和が回復された。しかし、腐敗した地方政治家によって武器を供給されたレンドウ族とヘマ族との間では、繰り返し戦闘が行われている。鉱物資源が豊かなイツリ地方の居住権と地下資源を巡って争いが起こっている。1999年から2003年まで行われたコンゴ内戦では、死者は6万人にのぼり、50万人が居住地を追われた。ゴマに滞在しているユニセフ(国連児童緊急基金)のスポークスマンのウエデニングは、この状況を混乱の極みと言い、国連軍がいなければ、何千にもの人が民兵組織によって、暴行され、殺され、村を焼かれるだろうと警告している。ドイツ外務省のケルスティン・ミュラー次官は、今週、危機的な場所に赴いた。その際、彼はコンゴのカビラ大統領とルアンダのカガメ大統領に会う。
貧しいアジアの国バングラデシュから派遣された20人のブルーヘルメットに対する待ち伏せ攻撃は、彼らが規律正しく中立的であっただけに、ショックを与えた。彼らは、他の国連軍とこの地域で10万人の難民の世話をしていた。逮捕されたレンドウ族出身のフロリベルト・ヌジャブの率いる「国民統合戦線」がこの攻撃に責任があると見なされている。現在、コンゴ共和国では、200万人以上の難民が劣悪なテント生活を送っている。計画によれば、コンゴでは、間もなく選挙が行われる予定である。2003年に、あらゆる党派の政治家が選挙に同意したのである。
イギリスのブレア首相は、コンゴの情勢を「毎週不可避となる人間が作り出した津波」にたとえた。1998年からのコンゴの内戦の犠牲者の数は、300万人に達する。その半分が子供で、彼らは飢えと病気のために命を落とした。コンゴ国民でさえ、コンゴにおけるいつまでも続く悲惨さに対してよりもインド洋の津波の被害に対してより多くの同情が示されたことを当然だと考えている。首都キンシャサに住む職人のポンス・モンダーノは、「誰かが何かを恵んでくれても、いつも政府がそれを盗んでしまうのだ」と言う。政権のメンバーの腐敗と権力欲とは、筆舌に尽くしがたい。先週、キンシャサのある銀行から400万ドルが強奪され、銀行の頭取が行方不明となった。カビラ大統領自身が、彼の大臣達の贅沢旅行の苦情を言う始末である。
訳者の感想。アフリカのいくつかの国では政治家が簡単に腐敗し、ただ利権を求め、権力を行使することにだけ熱心だという状態がいつまでも続いている。いつになったら、彼らはもう少しましな政治ができるのだろうか。もう一度白人が統治したほうが今よりましだろうというヨーロッパ人の間にある意見にも根拠があるような気がする。
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ドイツ人とアメリカ人の間には友情はあるか?(『ヴェルト』紙の記事から)

2005年02月23日 | 国際政治
ドイツの新聞『ヴェルト』2月23日の「ヴェルトの世論調査から、独米の友情が明らかになる。疎外は大きくなっている」と題する記事から。
2月22日、ブッシュ大統領はドイツを訪問し、シュレーダー首相と会談し、イラク戦争以来広がったアメリカとドイツとの関係を修復しようと努力した。この機会に『ヴェルト』が行った世論調査の結果についての記事である。
「ブッシュ大統領よりもプーチン大統領のほうが信頼できる。」「アメリカ合衆国よりもフランスのほうが、ドイツの外交政策安全政策のパートナーとして信頼できる。」「ドイツの外交政策をアメリカとより密接に調和させることは望ましくない。」大西洋を挟む国々との関係にある気まずい雰囲気を改善しようとアメリカが努力しているのに、ドイツ人のかつての重要な同盟国からの疎外は、ますます進んでいる。「コンラート・アデナウアー財団」と「マーシャル元帥基金」が昨年夏に行った世論調査において暗示されていた事態は、『ヴェルト』紙の世論調査で裏書きされた。ドイツ人は明らかにアメリカ人と距離を置くようになっている。
プーチンとブッシュのどちらが信頼できるかという問いに対して、29%のドイツ人は「プーチン」と答え、24%は「ブッシュ」と答えた。東ドイツでは、37%のドイツ人が「プーチン」と答え、16%が「ブッシュ」と答えた。ドイツ人の多数が目下アメリカ人と関わりになりたくないと思っている。「シュレーダー首相とフィッシャー外務大臣とは、ドイツの外交政策を今までよりももっとアメリカの外交政策と一致するようにするべきか」という問いに対して、「するべきでない」と答えたドイツ人は、51%に達する。「アメリカの外交政策と一致するようにすべきだ」と答えた人は、44%に留まっている。調査対象者の中で教育水準の高い人ほど、アメリカとの協力に対して否定的である。大学入学資格を持っているか、大学を卒業した人では、協力を否定する人は60%に達している。これに対して、高卒程度の教育を受けた人たちの50%が協力に否定的である。中卒の人たちの42%が否定的であって、53%がアメリカとの協力に賛成している。外交安全政策に関して、多数のドイツ人が、アメリカ人よりもヨーロッパの隣人のほうが頼りになると考えている。最も信頼できるのはフランスだと答えた人が38%で、アメリカ人だと答えた人は、27%しかいない。ロシアと答えた人は、7%で、イギリスと答えた人は、6%,中国と答えた人が5%,スペインと答えた人が2%いた。アメリカに対して親近感を持っている人は、保守派のCDU/CSUの支持者に多く、このグループでは、42%の人がアメリカを最も重要なパートナーであると答え、28%がフランスだと答えた。これに対して、「緑の党」の支持者では、59%がフランスに親近感を持っており、社会党支持者の48%,自由民主党支持者の48%がフランスを重要なパートナーであると答えている。
ここから言えることは、ドイツ人の間にあるむしゃくしゃした気分を改善するために、アメリカ大統領は、いくつかのことをしなければならないだろう。アメリカ人が第二次大戦後ドイツ国の再建のためにしたことは、ドイツ人の多数にとって明らかに印象に残っていない。この貢献に対する感謝の念は、若いドイツ人の間では忘れられている。60才以上のドイツ人の42%は、今でも感謝の念を抱いているが、45才から59才までの人では、僅かに25%が、30才から44才までのドイツ人の24%が、18才から29才までのドイツ人のたった22%が感謝の念を抱いている。失業者の間ではアメリカとの協力にたいして否定的な人が最も多い。彼らの82%は、アメリカ人に対する感謝の念は見当はずれであると思っている。
この『ヴェルト』紙の世論調査は、2月15日と16日に1,000名の有権者の対象に行われた。
訳者の感想:アメリカの単独行動主義がヨーロッパ人、特にドイツ人の間にアメリカ人に対する深い失望と不信感を産み出したことをこの記事は示唆していると思われる。
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「日本時代」(『マニラ・タイムズ』2月20日号の論説。

2005年02月20日 | 国際政治
 フィリピンの新聞『マニラ・タイムズ』2月20日号に掲載された「日本時代」と題するエッセー。
ある友人が僕たちはサン・フェルナンドにあるペドロ・ゲヴァラ小学校の授業に出席するのをやめなければならいだろうと言ったとき、戦争が1941年12月に私の生活の中に入り込んできた。真珠湾と呼ばれるところを日本が爆撃したようだ。間もなく、彼らはマヌエル・デ・ラ・インダストリア近くの北港を爆撃するだろう。
 戦争は、灯火管制があること、ガスマスクの使用を実行すること、マニラに対する日本の空襲に慣れることを意味した。「無防備都市」(マニラの状態を「非武装地帯」と言うこと。)というような言葉を聞いた。人々は侵入者を避けるために疎開した。私たちはマラボンに移った。
マニラで薬局を経営していた私の父は、カリテラを運転したり、自宅で洗濯石けんを作って家族を養った。私の兄たちは、「隣組」に組み入れられた。これは日本がスポンサーとなった組織で、時々「ゾナ」のためにかり集められた。「ゾナ」というのは、一種の村で、そこでは日本の憲兵のために、ずきんを被った協力者がゲリラを密告した。
 マラボンはあまり安全には見えなかったので私たちはカルーキャンに移った。父は櫛を作ることにした。兄たちはノコギリで櫛の歯を立て、姉が櫛の販売を担当した。
 これが私たちが「日本時代」と呼んだ時期の比較的健全な部分である。戦争が進むにつれて、食べ物が次第に少なくなった。水は深い井戸から汲まなければならなかった。父は鳥罠を仕掛けたが、獲物はわずかだった。私たちは作物の種を蒔き、朝食の代わりにグアヴァを食べた。ある朝、隣の家の鶏が我が家に迷い込んだ。私たちは飛びかかって、確保し、痕跡を消すために、羽や食べ残しを土に埋めた。
死者はどんどん増えた。子供は道路上でハエのように倒れた。私たちはアメリカ人達が戻ってくるのを夢見た。間もなく空はアメリカの爆撃機や戦闘機で一杯になった。しばしば空中戦が行われた。日本の飛行機が編隊で南に飛ぶのを数えた。編隊が少ない数で帰ってくるのを見て嬉しかった。マニラで市街戦が始まると私たちの家から地平線が燃え煙が立ち上がるのが見えた。日本の兵隊は、市街を焼き、それと一緒に住民も焼いた。カルーキャンは、虐殺からは免れた。しかし、戦争は私たちの生活の一部となった。
大抵のフィリピン人は、今日、ミンダナオ島やスールー島の血まみれの戦争を紙の上でしか知らない。テレビで中東のテロリズムや大虐殺を見る。一つの世代は、日本の占領と残酷な退却の年々を生き抜いた。彼らは毎日、征服された民族の生活を生きた。他の人々は、より大きなシニシズムをもって生き残った。戦争は、性格を形作るものだ。
 日本人は戦争に負けなかったのだ。彼らは経済としても国民としてもより強くなった。彼らは隣人達よりも速く彼らの国を再建した。彼らは東アジアで軍事的戦略的力として現れつつある。日本は国連安全保障理事会のメンバーになりたいと切望している。しかし、その首相は、戦争に対する遺憾を表したがらない。日本の歴史家達は、葛藤の歴史を修正しようと思っている。アジアに対する経済侵略は、成功した。私たちは「日本の時代」に戻ったのだ。
 戦争中に日本に占領された経験を持つ東南アジアの人たちが今の日本をどう見ているかがよく分かるエッセイだと思います。「ゾナ」(zona)というのは、フィリピン語なのか日本語なのか分かりません。「隣組」というのは、日本では配給や防空活動を円滑にするために、町内会を改組した組織でしたが、フィリピンでは密告組織だったのでしょうか?戦争中のフィリピンのことに詳しい方がおられたら、是非ご教示頂きたいと思います。
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アメリカのイラク復興援助はどうなっているか?

2005年02月08日 | 国際政治
 アルジャジーラのネット版に掲載されている記事。アメリカの政府当局者によると、1800億円にのぼるイラク復興資金の支出について議会の賛成を得ており、そのうち、1,300億円が配分された。さらにそのうちの1,000億円が引き渡された。しかし、ブリュッセルに置かれているシンクタンク「国際危機グループ」のアナリストであるレーンダースによると、「それは数字のゲームに過ぎない。基本的に問題となることは、どれぐらいが使われたかだ。」イラクでアメリカ政府が支出した額は、1,500億円程度だと言う。この額の40%かそれ以上の金額は、仕事を請け負った外国企業に生命保険と治安対策のために支払われた。この推定によると900億円が実際の復興に使われたことになる。
 国連と世界銀行のイラク復興資金は、約1,000億円であるが、レーンダースによるとこのうち実際に支出されたのは、200億円程度である。イラク政府が自由にできる歳入の95%は、石油に依存しているが、この収入も濫用されている。フセイン大統領の没落からイラク暫定政府の発足までの間に、ブレマー行政官の率いるイラク暫定統治機構(CPA)は、イラクの石油収入を管理していた。しかし、CPAの会計には透明性が欠けていたと批判されている。CPAが権力を握っていた一年間については、CPAがイラクの金で何をしていたかは正確に言うことはできない。
 イラク戦争開始以来、大多数のイラク人にとって、生活は以前より悪くなった。最近の国連の「世界食糧計画」のレポートによると、5才以下の子供の27%が周期的に栄養不良に罹っている。イラク暫定政府によると、イラクの主要都市の90%には下水道施設がなく、イラク人の3分の1は、綺麗な水道水を飲むことができない。去年の6月のアメリカ会計検査院の報告によれば、イラクでは平均1日に数時間しか電気が使えない。アメリカ政府は復興の遅れを治安が不安定なせいにしているが、この記事の筆者によれば、治安の不安定は復興の遅れの言い訳にはならないと言う。イラク人が復興過程から排除されていると感じていることが、治安問題を悪化させているのである。暫定統治機構が管理していたイラクの石油収入を使って支払われた総額1,500億円の契約のわずか20%しかイラクの会社には支払われていない。イラク・プロジェクトと契約局のチャーリー・ヘスは、「いくらかの例外を除いて、アメリカ議会が支出を認めた金額の大部分は、イラクの会社に支払われている」と述べているが、このイラク人の排除こそ、イラク人がアメリカに対して憤激している原因である。イラク人の企業家によれば、「下請け契約は、アメリカ人が自分たちはイラク人に協力しているという口実として使われていて、復興費用はすべてアメリカ企業に独占されている。」外国企業に支払われる費用は水増しされており、一つの高校を建設する費用は、イラクの企業を使えば、二つの高校を建設できるほどの費用である。しかし、契約局のヘスによれば、10万人のイラク人がアメリカ議会が承認した支出で雇用されていると言う。
「開かれた社会研究所」の2004年9月の報告書によると、イラク復興基金で支払われた1,500億円の金額の85%は、アメリカとイギリスの企業が受け取った。そのうち、60%は、ハリバートン社とケロッグ社とブラウン・アンド・ルート社が受け取った。1995年から2000年までハリバートン社の会長を務めたディック・チェイニー副大統領は、ハリバートン社とのコネを否定しているが、彼は今も同社のストックオプションを持っており、給料も受け取っていると言う。「ブレマー行政官の率いる暫定統治機構は、イラク国民とアメリカの納税者のものである金の濫用と浪費とを止めることができなかった」と同報告書は述べている。
 国有会社の私有化は、暫定統治機構によっては完全には行われず、アメリカ政府がイラクでとったリベラルな経済政策は不適切であったと多くの人によって考えられている。イラクからの亡命者でイギリスのエクゼター大学教授であるカミル・マフディは、「自由化が経済問題を扱う効果的な仕方であるとアメリカ政府は主張しているが、それはイデオロギー上の青写真に過ぎず、ソヴィエト崩壊後に適用された結果、ロシア経済にとって壊滅的な結果をもたらした」と述べている。
 イラクのエコノミストであるハジル・アドナンによれば、「失業こそ主要問題であり、(アメリカに対する)反感の源である。この国家の資産(つまり石油資源)は、民族的宗派的集団によって分割される危機に曝されている。それが国家を弱体化し、党派の争いを悪化している。」
「開かれた社会研究所」のカファジも、イラクの今後の姿は、ソヴィエト崩壊後の混乱に類似するだろうと推測している。「私が心配しているのは、スターリン主義対リベラリズムの対立ではなく、エリツィン型のリベラリズムである。イラクがこの道を歩む危険がある。」
 カミル・マフディ教授は、「必要なのは、イラク国民のニーズに応えるような整合的な意思決定構造であり、それはイラクの主権確立とアメリカ軍の完全な撤退を意味している」と述べている。
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シスタニ師はイラクの政治の中でどのような役割を果たすか?

2005年02月07日 | 国際政治
先日行われたイラクの国民議会議員の選挙で、「イラク連合」という政党連合が勝利を収めた。まだ、選挙結果は発表されていないが、イラクの人口の60%を占めるシーア派の人たちは、大部分この政党連合を支持したようである。シーア派が選挙に勝ったわけは、イラクのシーア派の指導者とも言えるアリ・シスタニ師が選挙前に「今度の選挙で投票することはイスラム教徒の義務である」というファトワ(宗教見解)を出したためであると言われている。では、彼は今後のイラクの政治過程にどのような形で影響を及ぼすのだろうか。
アメリカの新聞『ロサンジェルス・タイムズ』の記事によると、「シスタニ師が望んでいるのは、憲法制定過程に影響を及ぼすことである。」サダム・フセイン時代には、政治権力はスンニー派の人たちに握られており、シーア派の人たちは、政治権力に何の影響も与えることができなかった。しかし、今度の選挙の結果、イスラム文化圏の中でイラン以外にシーア派が多数を占める国が成立したことになる。問題はイラクがどの程度、宗教的色彩の強い国になるか、それとも世俗的な色彩の強い国になるかということである。この問題の鍵を握っているのが、イラク・シーア派の聖職者である。アメリカ政府もイギリス政府もイラク戦争開始以来一度もアリ・シスタニ師に会うことができない。シーア派教徒の数は、12億人のイスラム教徒の10%を占める。その中で、イラク・シーア派は、1,400-1,500万人いると見なされている。
イラン出身のイラン人で、イラク国籍はなく、従って投票権もない74才のシスタニ師は、自分はイランの政治に関与する気はないと言っている。しかし、アメリカがイラクを占領した初期から、彼は大統領の直接選挙を主張し、イラク暫定政府と対立した。彼は、またイラク人に直接選挙で選ばれた機関によって憲法は制定されるべきだと主張した。
「イスラム革命最高評議会」というシーア派政党の被選挙人名簿の第一位に名前が書かれていたアブデルアジズ・ハキム師も、フセイン大統領時代、20年間イランに亡命していた。シーア派の議員の中には、アメリカがイラク占領初期に暫定政府の首相候補にしようとしていて、後にイラクにアメリカ情報機関の機密を漏らし、またイラク国民に全く信頼されないために、暫定政府に入り損ねたアハマド・チャラビやフセイン政権の下で核科学者であったフセイン・シャリスタニがいる。
選挙後、先ず、国民議会は憲法起草委員を指名する。起草委員会には国会議員以外に識者が参加する。草案は議会の賛成を得たのち国民投票にかけられる。
シスタニ師がどのような種類の政府を望んでいるのか、正確にはわからない。西欧の報道人とのインタービューに応じないので、彼の考えたを知る唯一の方法は、彼と会ったことのある聖職者や政治家と話す以外にない。
シスタニ師は明らかにイランのシーア派指導者とは距離を置いている。ナジャフに立てこもって反米闘争をしたムクタダ・サドル師との問題を解決しようとイラクにやったきた、イランの外交使節団とシスタニ師は会おうとしなかった。このことによって、シスタニ師は、自分がイランの指導者から命令を受けることを望まないということをイラク人の支持者とイラン人に示そうとしたと考えられる。彼はまたイランの故ホメイニ師の唱えた「イスラム法学者による政治の支配」を支持していない。
他方、彼は、新生イラクにおける聖職者の強力な指導力を思い描いている。「イラク連合」の中の世俗的メンバーは、シスタニ師は、聖職者が政治に奉仕することを企てていないと考えている。
新憲法の中でシスタニ師とかかわりのある問題は、「イラクにおけるイスラム教の役割」である。つまり、「イラクにおける主要な宗教は、イスラム教であり、法律は、イスラムの教えに逆らうものであってはならない」と彼は考えている。その結果、恐らく女性の権利は今までよりも制限される可能性がある。お酒の販売は恐らく禁じられるだろう。フセイン大統領の時代には、イラクではキリスト教徒は酒を売ることは許されており、イスラム教徒はコーランの禁止にも関わらず、酒を飲むことができた。「シスタニ師の位置は、アメリカの政治におけるキリスト教原理主義に似ている」とジュアン・コール・ミシガン大学助教授(歴史学)は述べている。コール助教授は、「イラクにおけるシーア派の台頭は、アラブ世界にとって大きな展開である。シーア派が多数を占めるイラク政府は、アラブ世界におけるシーア派の権利を代表するものとなるだろう。もし、サウディ・アラビアでシーア派が抑圧されるならば、抗議のためにイラクの首相がバグダッドからリヤドに飛んでくることになるだろう」と述べている。
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イラクの知識人が恐れていること

2005年02月02日 | 国際政治
イギリスの新聞『ガーディアン』によると、イラク南部の都市バスラの知識人は今度の国会議員選挙の結果、宗教的な色彩の強い政党が勝ったことに大きな危惧を抱いていると言う。これまでリベラルな伝統を持っていたバスラでは、世俗的政党と宗教的政党の間の争いがかなり激しくなっている。バスラでは先日の選挙の際、国会議員だけでなく、地方政府の選挙も行われた。バスラの知識人達は、誰が地方政府の権力を握るかを危惧している。彼らによるとシーア派が多数を占めるという恐れはおかど違いであって、本当の問題は、宗教的不寛容が支配的になることである。ある知識人は、「宗教上の過激派は、バスラ市に住むテクノクラートや世俗的住民を抹殺しようとしている」と述べた。キリスト教徒のあるものは、バスラを捨てて、クルド人の住むクルディスタンに逃げたと言う。石油産業で働いていた人は、「自分の姪の一人は、三ヶ月前、髪の毛をスカーフで覆っていなかったと言う理由で大学の構内で射殺された」と述べた。「ここに昔から住んでいるシーア派とスンニー派の間には問題はないが、イランから来たシーア派原理主義者が厄介だ」と言う人もいる。「民主勢力連合」(UDF)は、六つの政党の連合体で共産党員によって指導されていて、「シリア民主運動」(キリスト教)と二つの独立の民主政党を含んでいる。これに対立するのは、「イラク・イスラム革命最高評議会」と「ダワ党」である。両方の政党は、フセイン時代、イランに亡命していた。イラク戦争の当初、バスラ市を占領したイギリス軍がこの二つの宗教的政党に市政を委ねた。イギリスがこの二つの政党に評議会をコントロールさせた理由は分からないとイラン人知識人は述べた。「イギリス人は民主的勢力が統治するのを助けようとしなかった。」どうもその理由は、これらの宗教的政党はいずれも民兵を持っており、イギリス軍にとってはスンニー派のテロリストと戦うのに都合が良かったためらしい。イギリス人に対して腹を立てているにもかかわらず、世俗的政党の人たちは、イギリス軍が引き続き駐留すること希望している。「イギリス軍の存在は、イラン南部の安全のために必要である。イギリス人に出て行って貰いたいと考えているのは、イランだ」とあるイラク人は言っている。
これで見ると、今後のイラクの情勢にイランがかなり大きな陰を落としていることが分かる。これまで宗教的原理主義が押さえられてきたイラクで、原理主義が力を得る可能性が大きいと言える。シーア派の指導者アリ・シスタニ師がどのような路線を取るかが気になる。
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イラクの選挙。

2005年01月30日 | 国際政治
ドイツの『ヴェルト』紙のイラク選挙の記事から。
有権者の数:1,400万人+海外在住のイラク人28万人
政党数:75
立候補者数:11,000名
議席数:275名
選挙制度:比例代表制、選挙区は一つ、言い換えるとイラク全土が1の選挙区。
シーア派の選挙民の80%が投票し、スンニー派の選挙民は、20%しか選挙に行かないだろうと予想される。
投票センターの数:5,300箇所、一つの選挙センターの下に平均5つの投票所があり、投票所の数は、28,000箇所。投票数はそれぞれの投票所で投票終了後直ちに数えられ、その後、首都バグダッドに運ばれて、集計される。一週間後には投票結果が判明する。投票箱の数は、9万個。投票用紙は、6千万枚用意されている。
クルド人の居住地域では、同時にクルド自治州の議会の選挙も行われる。111の議席数をめぐって、463人の候補者が立候補している。
同紙の記事によると選挙監視のために連合軍兵士とイラク治安部隊合わせて、30万人が動員されていると書かれているが、イラク治安部隊の数がかなり水増しされているように見える。
今後のプロセスについて:議会が成立した後、新しいイラク政府が構成される。議会と政府の任務は、新しい憲法案をつくり国会で承認を得ることである。2005年の年末には、新しい憲法のもとで国会議員の選挙が行われる予定。
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イラクの選挙は、イラクに平和をもたらすか?

2005年01月30日 | 国際政治
1月30日、イラク全土で選挙が行われる。「全土」と言ったが、人口ではイラク人の20%を占める「スンニー三角地帯」と言われる地方は、選挙ボイコットが徹底しているので、恐らく投票所に行く人は少ないだろうと予測されている。ドイツの新聞『ツァイト』は、アメリカ軍が2003年春に軍事的には勝利を収めながら、どうしてイラクでの治安回復に成功しないのかという理由を次のように、分析している。
第一の理由。バグダッド占領の際、アメリカ軍は、暴徒がすべての官庁の建物を略奪するに任せたが、石油省の建物だけは、略奪に任せなかった。これは、アメリカ政府のイラク戦の理由が、彼らの言う「民主主義の拡大」ではなくて「石油の利権」であるとイラク人に信じさせた。
第二の理由。アブグレイブ刑務所でのイラク人に対する拷問が明るみに出た後、「アメリカ軍は解放者ではなくて、サダム・フセインと同じく、イラク人の抑圧者である」と考え、抵抗運動に参加するイラク人が増えた。
次に『ツァイト』紙は、スンニー派の人たちが今度の選挙をボイコットする理由として、次のような事実を挙げている。
第一の理由。今度の選挙では、イラク全土を一つの選挙区として、比例代表制で選挙が行われる。従って、多くの議員を獲得した党派が国会で多数派を占めることになる。イラクでは、シーア派に属する人が国民の60%に達するから、少数派の民意が代表されないとスンニー派の人たちは考えている。これがスンニー派が選挙ボイコットを呼びかけている最大の理由である。
第二の理由。最近イラクで流れているうわさでは、ヨルダン人テロリストのザルカウイは、実はアメリカの手先であって、アメリカは、彼のテロ行為を理由にして、イラクを分裂国家に追い込もうとしている。言い換えれば、「アメリカはテロを理由に占領を正当化し、長期化しようとしているのだ」とかなり多くのイラク人は信じているという。何かと言うと「ユダヤとアメリカの陰謀だ」と考えたがるアラブ人の間では、この説はかなりの信憑性を持っていると言う。これはもちろん間違っていて、アメリカは今となっては、なるべく早く軍隊をイラクから撤退させたいし、できればザルカウイを捉えるか殺害したいと考えているだろう。
しかし、「今度の選挙がイラクを分裂させ、アメリカのイラク支配を半永久化するものだ」というイラク人の予想は、ブッシュ政権の意図とは違うかもしれないが、結果論としては、正しいかもしれないと私は考えている。
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アメリカはイランを爆撃するのか?

2005年01月23日 | 国際政治
ドイツの新聞『ヴェルト』の記事によると、ベトナム戦争当時ミライという村で行われたアメリカ軍の村民虐殺事件をすっぱ抜いてピュリッツァー賞をもらったセイモア・ハーシュが雑誌『ニュー・ヨーカー』でアメリカ政府がイランの核兵器製造を止めるために、イスラエル政府と共同でイラクの核兵器製造工場を爆撃する計画を立てていると書いた。これに対して、ネオコンのリチャード・パールは、彼を「テロリスト」と呼び、ラムズフェルド国防長官は、彼を名指しで「アンチ・セミティスト」と呼んだが、ハーシュは実はユダヤ系アメリカ人で、彼が「アンチ・セミティスト」でないことは明白なようだ。ヨーロッパ諸国は外交的手段でイランに核兵器製造を中止させようと努力しているが、ブッシュ政権はまたもや武力で解決する方法を選びそうである。
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インドネシア国軍が援助団体の行動を規制

2005年01月17日 | 国際政治
ドイツの週間新聞『ツァイト』によれば、インドネシア国軍は、「自由アチェ運動」が攻撃を仕掛けるという理由で、国際援助団体の行動を規制しようとしている。援助団体の側からは、「自由アチェ運動」の攻撃を受けたという例はまだないと言っている。国軍は、どうも「自由アチェ運動」に味方する住民に援助物資がわたることを防ぎたいようである。だいたい、国軍は、チモールでも民兵と一緒になって独立運動を弾圧しようとした前歴があるので、今回もまた同じことを試みる可能性が大きい。これによって迷惑を蒙るのは、被災住民であることは目に見えている。先日、スリランカでも政府が会わないように示唆したので、国連のアナン事務総長は東部のタミール指導者に会わなかった。これに対して、タミール側からは不公平だという声が挙がったという。災害を前にして、政治的勢力が対立しているところでは、国際援助もままならないようだ。
「世界食糧計画」のホームページによると、「世界食糧計画」の要請を受けて、日本政府がインドネシアとスリランカで米を船で運んで供給を始めたと言う。どういうわけか、こういうニュースが政府機関のホームページには一切載らない。国民の税金を使って援助をするのだから、もう少し、宣伝してもいいと思うのだが、官僚たちはそんなことは全く考えていないようだ。彼らはどこを向いて政策を実行しようとしているのか。
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災害救助のための外国軍隊は三月で撤退か?

2005年01月15日 | 国際政治
甚大な津波災害を蒙ったインドネシアのアチェ州でアメリカ軍は、航空母艦を派遣して、ヘリコプターを使って生活必需品や医薬品を投下するなど救援活動をしているが、これに対してインドネシアの外相は、「外国軍は、三月末で退去して欲しい」と述べたようだ。これは外国軍が入り込んでくることに対するインドネシア国軍の反対が背景にあると思われる。外国からの援助団体が汗を流している横で、国軍は悠悠と休憩しているとうイギリスの特派員の報告もある。また、キリスト教系の援助団体「WorldHelp」などが災害孤児を欧米のキリスト教徒の家庭に養子として世話しようとしていることに対して、イスラム聖職者が「イスラム教徒をキリスト教徒に改宗させようとする陰謀だ」と反対していると言う。強大な経済力を背景にイスラム教徒にはできないような援助を行っている先進国に対するイスラム教徒の反感はかなり大きいと思われる。
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被災地へのイスラム過激派の浸透

2005年01月09日 | 国際政治
ドイツの週刊誌『シュピーゲル』の報道によると、スマトラ島のバンダアチェ州には、サウディ・アラビアやイエーメンからイスラム過激派に属すると見られる勢力が入り込んで、表向きは被災者の援助をしながら、実はイスラム原理主義思想を広めているという。モスクでの説教でも、今度の地震と津波をアラーの怒りと捉え、厳格なイスラム信仰に帰れと呼びかけているという。彼らは「アメリカはここで彼らの言う人道主義を見せびらかしているだけで、災害のゴミが無くなるより前にアメリカ兵はいなくなるだろう。おれ達は必要なら何ヶ月でも何年でもここにいるつもりだ」と言っているそうだ。政府軍と反乱軍との間ではお互いに相手が休戦協定を破ったと非難し、夜間には銃声も聞こえるという言う。かなり危険な地帯であることは事実であるようだ。「自由アチェ運動」とイスラム過激派との間には連携があるように見える。
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「自由アチェ運動」に対するインドネシア政府の対応。

2005年01月08日 | 国際政治
津波の被害が多大であった、スマトラ島のアチェ洲では、「自由アチェ運動」と称する反政府勢力が、資源などが中央政府によって奪われ、アチェ洲には還元されないことに憤慨して30年前から武力による反政府運動を起こしている。しかし、今回の大津波によって、この反政府勢力は大きな打撃を受けたと見られる。インドネシア政府はこの機会を利用して、反政府運動を壊滅させようと考えているようだ。インドネシア政府はアチェ州に軍隊を送り、反政府勢力に支援物資などが渡らないようにしたいようだ。こうなると国際的な救援組織の救援活動が妨げられる可能性もあるだろう。反政府運動と無関係な被災者が援助物資が受けられないということになれば、インドネシア政府は、援助団体から非人道的であると非難されることになるだろう。
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災害援助の競争が始まった。

2005年01月06日 | 国際政治
今朝の新聞によると、オーストラリア政府は、インドネシアに対する災害援助金の額を600億円に引き上げたという。「国境なき医師団」では、既に必要額以上の援助申し込みがあったので、資金募集を停止したそうだ。アメリカが初めのケチぶりをやめて、増額したのは、インドネシアのイスラム教徒の心証を良くしようとしたためだと言われている。中国は60億、韓国も50億の援助資金を投入すると発表。日本は自衛隊員を1,600人派遣すると大野防衛庁長官が発表した。
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災害後の心配。

2004年12月31日 | 国際政治
ドイツの週刊新聞「ツァイト」によると、今度のインド洋周辺の津波による災害の後で、予想される病気として、マラリアとデング熱の発生が挙げられている。被災地では、汚染された飲料水しか飲めないので、赤痢や疫痢やコレラが発生するのは確実である。被災地の近くに旅行するのはかなり危険なようだ。
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