海外のニュースより

政治・経済・社会の情勢について書かれた海外の新聞や雑誌の記事を選んで翻訳しています。

「日本時代」(『マニラ・タイムズ』2月20日号の論説。

2005年02月20日 | 国際政治
 フィリピンの新聞『マニラ・タイムズ』2月20日号に掲載された「日本時代」と題するエッセー。
ある友人が僕たちはサン・フェルナンドにあるペドロ・ゲヴァラ小学校の授業に出席するのをやめなければならいだろうと言ったとき、戦争が1941年12月に私の生活の中に入り込んできた。真珠湾と呼ばれるところを日本が爆撃したようだ。間もなく、彼らはマヌエル・デ・ラ・インダストリア近くの北港を爆撃するだろう。
 戦争は、灯火管制があること、ガスマスクの使用を実行すること、マニラに対する日本の空襲に慣れることを意味した。「無防備都市」(マニラの状態を「非武装地帯」と言うこと。)というような言葉を聞いた。人々は侵入者を避けるために疎開した。私たちはマラボンに移った。
マニラで薬局を経営していた私の父は、カリテラを運転したり、自宅で洗濯石けんを作って家族を養った。私の兄たちは、「隣組」に組み入れられた。これは日本がスポンサーとなった組織で、時々「ゾナ」のためにかり集められた。「ゾナ」というのは、一種の村で、そこでは日本の憲兵のために、ずきんを被った協力者がゲリラを密告した。
 マラボンはあまり安全には見えなかったので私たちはカルーキャンに移った。父は櫛を作ることにした。兄たちはノコギリで櫛の歯を立て、姉が櫛の販売を担当した。
 これが私たちが「日本時代」と呼んだ時期の比較的健全な部分である。戦争が進むにつれて、食べ物が次第に少なくなった。水は深い井戸から汲まなければならなかった。父は鳥罠を仕掛けたが、獲物はわずかだった。私たちは作物の種を蒔き、朝食の代わりにグアヴァを食べた。ある朝、隣の家の鶏が我が家に迷い込んだ。私たちは飛びかかって、確保し、痕跡を消すために、羽や食べ残しを土に埋めた。
死者はどんどん増えた。子供は道路上でハエのように倒れた。私たちはアメリカ人達が戻ってくるのを夢見た。間もなく空はアメリカの爆撃機や戦闘機で一杯になった。しばしば空中戦が行われた。日本の飛行機が編隊で南に飛ぶのを数えた。編隊が少ない数で帰ってくるのを見て嬉しかった。マニラで市街戦が始まると私たちの家から地平線が燃え煙が立ち上がるのが見えた。日本の兵隊は、市街を焼き、それと一緒に住民も焼いた。カルーキャンは、虐殺からは免れた。しかし、戦争は私たちの生活の一部となった。
大抵のフィリピン人は、今日、ミンダナオ島やスールー島の血まみれの戦争を紙の上でしか知らない。テレビで中東のテロリズムや大虐殺を見る。一つの世代は、日本の占領と残酷な退却の年々を生き抜いた。彼らは毎日、征服された民族の生活を生きた。他の人々は、より大きなシニシズムをもって生き残った。戦争は、性格を形作るものだ。
 日本人は戦争に負けなかったのだ。彼らは経済としても国民としてもより強くなった。彼らは隣人達よりも速く彼らの国を再建した。彼らは東アジアで軍事的戦略的力として現れつつある。日本は国連安全保障理事会のメンバーになりたいと切望している。しかし、その首相は、戦争に対する遺憾を表したがらない。日本の歴史家達は、葛藤の歴史を修正しようと思っている。アジアに対する経済侵略は、成功した。私たちは「日本の時代」に戻ったのだ。
 戦争中に日本に占領された経験を持つ東南アジアの人たちが今の日本をどう見ているかがよく分かるエッセイだと思います。「ゾナ」(zona)というのは、フィリピン語なのか日本語なのか分かりません。「隣組」というのは、日本では配給や防空活動を円滑にするために、町内会を改組した組織でしたが、フィリピンでは密告組織だったのでしょうか?戦争中のフィリピンのことに詳しい方がおられたら、是非ご教示頂きたいと思います。
コメント (2)    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「東京の素晴らしい味」(シ... | トップ | ドイツ人とアメリカ人の間に... »
最新の画像もっと見る

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
日本の占領地政策 (druji)
2005-02-21 06:45:11
「ゾナ」は知りませんが、占領地での「隣組」は連帯責任の相互監視組織です。

互いに監視させて、日本の占領に協力させるものです。もし、隣組内で、ゲリラへの協力者が居た場合、集団責任を負わされます。占領地に配給制度は存在しません。餓死しても放置されるだけです。逆に、農業用の水牛など軍隊の食料として提出させられていました。

そのため、占領地の農業は大打撃を受けて、慢性的飢餓状態に陥っています。



頭巾をかぶって、の部分は目の部分がくりぬかれている布をかぶって、ゲリラの容疑者の首実検し、誰がゲリラの協力者か密告させていたのです。
返信する
コメントに感謝 (medicus19)
2005-02-21 09:28:35
早速、フィリピンでは隣組は密告組織だったというコメントを頂き、誠に有り難うございました。

フィリピンを占領中、日本軍あるいは統治機構がどんなことをしていたのか、殆ど知りません。

ベトナムでアメリカ軍がやったようなことを日本軍もしていたようですね。
返信する

コメントを投稿

国際政治」カテゴリの最新記事