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京都島原歴史撮影会に出かけました

2017年07月22日 | 写真・撮影会

 「光縁寺」
猛暑の真っ只中京都歴史散策・新選組、島原に出かけ大宮~京都まで3hrです

まずは新選組の中で一番お気に入りの山南啓助を思い起こさせてくれる光縁寺です

「新選組」が「壬生浪士組」だったころからの仲間である山南敬助がなぜ脱走し

その山南敬助を追ったのが、山南を慕っていた沖田、沖田を向かわせたのは

土方の采配であったこと、新選組といえばのエピソードへ思いを馳せつつ・・

 路地の隙間から嵐電を見つけ壬生寺に向かいます、途中個人所有のの新選組記念館が

ありましたが写真不可とのことで今回はパスです

壬生寺・本堂にお参りして、すぐ隣にある 千体仏塔です

期待の屯所めぐりとはいかずただひたすら猛暑のなか路地歩きです 、熱中症注意・注意

丹波口を過ぎたところで島原風情を感じさせる景色です 

  大宮通から花屋町通を西へ進むと、島原の東入口の「島原大門」が見えてきます 

島原は東西180m、南北220mのわりとこじんまりとした花街でした

祇園甲部、宮川町、先斗町、上七軒、祇園東と合わせて六花街の一つで

老若男女、家族みんなで楽しめる“遊宴”の街だったとのこと

歌や舞を披露する花街として発展し、和歌や俳壇などの文芸活動も

盛んに行われ幕末には西郷隆盛や新選組らも出入りしていたのだとか

しかし明治以降になると立地条件の悪さなどが影響して衰退し、

現在ではお茶屋の輪違屋さんが営業を続けるのみとなっています
 

[角屋]

2階建ての木造建築で、「揚屋」で間口が約31mと広く格子造りになっています

角屋の外観の格子は、近世初期の京都町屋に広く使用されていた格子のすがたを伝えていて

江戸吉原の花魁を見せるための牢屋のような格子(籬まがき)では決してありませんとのこと

京都には今も昔も花魁はいません、花魁は吉原で京都は太夫

また京都の「島原」は花街で、吉原は遊郭ですということでしょう

 角屋は江戸時代の社交遊宴文化の場であった「揚屋文化」の余香を今に伝えています

建物は揚屋建築唯一の遺構として昭和27年、国の重要文化財に指定され

現在は『角屋もてなしの文化美術館』として一般公開もされています

残念ながら中には入れませんでした、いづれまたゆっくりと来たいものです

[輪違屋]

元禄年間に太夫や芸妓をかかえる置屋として創業し、現在はお茶屋として営業しています

 「置屋」とは太夫や芸妓を抱えて芸を教える教育の場 お客さんは迎えません

「揚屋」とは現代でいう料亭にあたり、置屋に太夫や芸妓を派遣してもらい、遊宴をしてもらう場所

 京町家を改装した旅館、屋根の上には魔よけの鐘馗があります

 猛暑の中、風通しのよさそうな京町屋がなんとか涼しさを感じさせてくれます

 西の端には島原住吉神社があります、島原の正式地名は「西新屋敷」ですが、1641に

幕府の命令により、その前身になる六条三筋町からこの朱雀野に移されたことに始まります

この移転騒動が、当時九州で勃発した「島原の乱」を思わせる騒ぎだと流布した

ことにより、「島原」と呼ばれるようになりましたと案内があります

 


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