旧真田山(さなだやま)陸軍墓地(画像・上部)は大阪市天王寺区にあり、1871年(明治4年)、当時の兵部省が大阪に陸軍を創設した際、日本最初の埋葬地として設置され、1938年(昭和13年)に「陸軍墓地」と改称された。真田山は真田幸村の出城や旧大坂城に通じる真田の抜け穴があったことでも知られている。当墓地は全国各地に現存する陸軍墓地の中でも最大であり、かつ旧状をよく残している。日清戦争と第一次世界大戦でそれぞれ日本軍の捕虜となった清国兵とドイツ兵の墓碑まであって、ユニークである。
「あの星はまだ輝いているか?」・・・「シリウスの道」の著者、藤原伊織は地元の真田山小、高津(こうず)中、高津高から東大を卒業、「テロリストのパラソル」で直木賞と江戸川乱歩賞をダブル受賞した団塊世代を代表する作家である。緑に溢れた広大なこの墓地は多感な少年時代の彼にとって忘れられない、格好の場所であったようで、「シリウスの道」ではある秘密に絡む重要な場所として登場している。
中学時代(昭和30年前後)、僕は放課後や休日ともなれば捕虫網を手に広い墓地内を蝶を求めて駆け回った。中学のおませな先輩が彼女とデートしている場に出くわしてドギマギしたこともある。エノキの大木があって、その高みを悠々と飛んでいる蝶がいた。遠くて種類は分からない。もちろん捕虫網は届くはずはなく、見かける度にくやしい思いを抱き続けていた。ある日、目の前の低木の葉に突然、蝶がさっと舞い降りてきて翅をいっぱいに広げてとまった。
胸が高鳴った。ひとめで分かった。アイツや! すかさず網を振る。紫の幻光と鮮やかなオレンジ色が網の中で踊っていた。
あの日以来、陸軍墓地では何故かコムラサキを見かけたことは無いが、少年時代の幻ではない、輝かしい思い出のひとこまであった。
「あの星はまだ輝いているか?」・・・「シリウスの道」の著者、藤原伊織は地元の真田山小、高津(こうず)中、高津高から東大を卒業、「テロリストのパラソル」で直木賞と江戸川乱歩賞をダブル受賞した団塊世代を代表する作家である。緑に溢れた広大なこの墓地は多感な少年時代の彼にとって忘れられない、格好の場所であったようで、「シリウスの道」ではある秘密に絡む重要な場所として登場している。
中学時代(昭和30年前後)、僕は放課後や休日ともなれば捕虫網を手に広い墓地内を蝶を求めて駆け回った。中学のおませな先輩が彼女とデートしている場に出くわしてドギマギしたこともある。エノキの大木があって、その高みを悠々と飛んでいる蝶がいた。遠くて種類は分からない。もちろん捕虫網は届くはずはなく、見かける度にくやしい思いを抱き続けていた。ある日、目の前の低木の葉に突然、蝶がさっと舞い降りてきて翅をいっぱいに広げてとまった。
胸が高鳴った。ひとめで分かった。アイツや! すかさず網を振る。紫の幻光と鮮やかなオレンジ色が網の中で踊っていた。
あの日以来、陸軍墓地では何故かコムラサキを見かけたことは無いが、少年時代の幻ではない、輝かしい思い出のひとこまであった。