旅人ひとりー大阪大学探検部一期生のたわごとー

とこしえの精神(こころ)を求めて、さまよ(彷徨)う旅人ひとり。やすらぎを追い続け、やがてかなわぬ果てしなき夢と知るのみ。

新種の発見、命名は虫屋(蝶屋)の夢!

2007-07-25 | 
小学校高学年の時、身近な所にいる蝶の採集と標本作りに精を出し始めた。その頃はせいぜい日本の珍しい蝶を捕ることが出来ればと思っていたが、それでも少年の僕にとっては大きな夢であった。

大学時代に探検部で長期間ボルネオへ遠征したのが、大きな転機となった。日本の蝶で新種が出る可能性は考えられなかったが、ひょっとしたらボルネオでは、と期待して出かけた。しかしボルネオは古くからイギリスの勢力下にあり、ウォレスを初めとする採集家や博物学者が研究を続けてきた地域だったので、多くの種が既に発見され、記載されていた。多数の蝶を採集したが、この時の遠征では結局、新種を見いだすことは出来なかった(幸いにも後年、ボルネオから2新種を発見、命名出来たが)。

新種を発見して、記載論文を書き、命名したい!との思いがボルネオ遠征の後、ますます強くなった。博物学好きのイギリス人やオランダ人が進出していない地域(それは取りも直さず新種発見の可能性が残っている地域なのだが)、それがフィリピンであった。

フィリピンの蝶に関しては、ドイツ人のゼムパー(Semper)の研究が知られていたが、多くの島々から成る地域のことゆえ、とてもカバーしきれる訳が無い。予想した通り次々と新種が見つかり、記載論文を発表、命名した。

「新種発見」と言葉で書けば簡単だが、上掲の画像の記事にあるように新種であることを確定するには非常な努力と専門知識を要求される。しかし、未知の蝶に名前(学名)をつける。これを達成した時の喜びは何物にも代え難い。

画像、右側は博物館の専門家のことについて書かれた記事であるが、プロの学者にとっても大きな喜びであり、業績となる。まして僕のようなアマチュアなら、なおさらである。

画像、左側は書評である。「新種はそう簡単には見つからない。特にチョウなどは、チョウ専門の虫屋が多いことから、ほとんど絶望的である。」と書かれているのを読むと、「僕は幸せな虫屋(蝶屋)なんだな~」と自己満足の感慨に酔いしれてしまう。






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